別にシーン制や登場判定を悪とするつもりじゃないです。
(以前同じ疑問を投げかけたらそんなことを言われたので
どーにもひっかかってしょうがないだけです。
いわゆるFEARっぽい登場判定を伴うシーン制の利点は以下のようなものだと思っています。
1)映画的なシーン演出を可能とし、時間的、空間的制約とシーンを切り離した演出を可能にする
例えばこのシーンはOPの1週間前の回想シーンですよとか、
退屈な移動のパートはカットしますよ。とかですね
2)シーンプレイヤーを指定することで、スポットライトのあたるPCを明確にし活躍の場を平等に与える
これもわかります。ここは君のシーンだ。がんばれ!と明示するのはとても意味があるでしょう
3)シーンプレイヤー以外のPCの登場を制限することで、声の大きいプレイヤーが、セッションを専有するのを防ぐ
この辺から怪しくなってきます。登場判定もしくはシーン登場PCに制限をかける事でこの要素は成り立つと思うのですが、
そもそもTRPGをプレイするのに、セッションを専有しちゃうくらい
声の大きいPLとか他のPCの出番を奪っちゃうような人と一緒に
プレイしてる時点で間違ってない? というのが自分の感覚なのですが、
この辺どうなんでしょう!
自分はTRPGっていうのは基本的にPL/GMみんなでわいわい楽しむのが一番楽しいと思っているのですが、FEAR的なOP>MIDDLE>ED系のシーン制ってOPとEDは基本GMとPL一対一でプレイするのを前提に作られているような気がします。OPもEDもみんなでワイワイした方が楽しくない?ってのがその疑問の根本なのかなー?
D&Dとかパーティで動くゲームばっかりやってるからアレなのかもしれませんが。
※)以前同様の話題を出した時、シーンに登場している人数が多いほうが面白いなら10人とかの方が面白い事になるとか言われましたが、そういう話ではなく、GM込みで多くて6人程度でプレイすることを前提としたお話です。
※)時間的・空間的なリアリティの制約を取り除いてドラマの盛り上がりを重視するなら、別に全部のシーンに全員出ているリアリティの欠如は問題にならなくないかなぁ?
※)FEARのゲームを引き合いに出してますが、サイフィクとかだともっと制限がきつくシーンプレイヤー+シーンプレイヤーが同行を許可したキャラクターだけがシーンに登場できたりします。これってどうなのだろう???
ってのも疑問です。シーンプレイヤーに同行者としてあまり選ばれないPCに、本当に平等に活躍の機会が与えられているの?とか。
※)登場していないPLに発言権が与えられていない訳じゃないので、つっこみや感想を言えばいいって意見も聞いた気がします。が、PCとしてRPして絡みたいじゃん?っていうのと、登場してないPLがPL発言だったらいくらでも物を言えるなら、ゲームを支配するのを防ぐ系の効果って本当にあるの?
ってな疑問です。
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コメント
05月12日
03:43
1: ソダン丁提督
1について
ダンジョンへ行くまでの危険なランダムエンカウントの発生する野外ランダムエンカウントを回避して、DMが用意してきた遭遇だけに集中できますよw
05月12日
05:49
2: miya
>ソダンさん
1の効果については全く疑問を抱いていないのですよーw 自分もランダムエンカウンターとか道中の色々についてはさくっとカットする派なので!w
気になっていたのは、登場判定や同行PCのチョイスという不確定な要素でせっかく簡略化されたシーンというものが不安定にならない??ってこと・・・なのかな~? よくわからなくなってきました!!!
05月12日
09:10
3: ささがせ
>声の大きいPLとか他のPCの出番を奪っちゃうような人と一緒にプレイしてる時点で間違ってない? というのが自分の感覚なのですが、この辺どうなんでしょう!
不特定の参加者が集うコンベンションや相手との心の距離感が分かりづらいオンラインセッションだと、避けようのない事ではないかな、と思います。シーン制とは基本的に身内でワイワイ向け、と考えられるのではないでしょうか。
GM:「DXやるよー」
PC1:「俺俺! 俺が最初にシーン出る! PC1だし!」
PC2:「よし、がんばれー」
PC3:「私も設定上同じ学校だから飛び込むかもだぜ!」
PC4:「成人設定が仇になったか…見守らせてもらおう」
みたいな感じで。
GMとPLの気心が知れているのであれば、GMとPLが一対一になることができる(あるいは、限りなく近づくことができる)し、相手の感覚が分かってるのでお互いそれを尊重したり譲ったりできるので、デメリットは無いんじゃないかな、と思いました。
05月12日
09:27
4: 断片集
いわゆるユーザーが話題に用いるシーン制(フェイズ制か否かでも毛色が違いますが)のうち、登場判定を求めたり登場できるPCに制限を求める手法は、ストーリーの動きや見せ方を映像作品的に重視して「その場にいることが不自然なキャラクターを除外する」ことで、PC側からの視点ではなく、ストーリーからみたPCの立ち位置の演出(ゲーム・データ運用的に非効率的だとしても)を感じさせることで没入感を増すという意図があるとかなんとか聞いた覚えがありますが、もう10年以上昔だったような気がします。
時代とともに遊び方は多種多様になり取捨選択され、ユーザー側も経験値を積み各グループで独自の解釈や遊び方をしていくでしょうし、制作側も一見似たようなセッション進行用のルールを提供している中で、意図を少なからず変化させ主張をちょこっとずつ時代の変化に合わせているような時代を先取りしているような、そんな気がその10年くらいで感じなくもありません。
「不安定」と感じてしまうのであればもはやその通りで(そう感じない人もいるでしょう)、GMの補完(解釈)やPL側からの協力などの卓内環境もTRPGの遊び方のうちであるとして考慮するとごく自然ですし、システムが規定する遊び方という前提としての卓内共通認識を大きく外れてしまうリスクはあれど、付き合ってくれる環境があれば自身が安定するように遊んでみてPLの感想を聞きいれつつ納得いくまで試してみるのもさほどリスキーではないと思います。
サイフィクに関しては、ツイッターで直接河嶋さんに聞いてみると凄い回答が返ってくるかもしれませんね!
サイフィクというかシノビガミに限ってですとイチユーザーとして遊びやすいわー天才だわーという感想でした。
>(前略)ゲームを支配するのを防ぐ系の効果って本当にあるの?
ゼロではないんじゃないかな!
「シーンプレイヤー>シーン登場のPC(PL)>そのほか大勢」という順位で発言権の強弱はありそうなものですし、1シーンで3時間待ちとかそういう得体のしれない状況とかが起きず、もしかしてハンドアウトの番号順に目立てるとかあるかもしれませんが参加者に公平に時間を割かれていれば「シーンプレイヤー」が中心に動くというのは、GMやPLの補完が必要という前提があるとはいえ守られるような気がしないでもありません。
05月12日
10:32
5: カキノタネ
長文失礼します。
3)シーンプレイヤー以外のPCの登場を制限することで、声の大きいプレイヤーが、セッションを専有するのを防ぐ について
これはシーン制の主な目的ではないですね。
シーン制の主な目的としては、2に書いてある通り、
シーンプレイヤーを指定することで、スポットライトのあたるPCを明確にし活躍の場を平等に与える
これです。
これを行った結果、副次的に、専有を防ぐ形になっているのかと。なので、シーン制の良し悪しとは別で考えたほうがいいんじゃないかな?
声の大きい人は、まあ、そういう人とプレイしないで済むならそっちのがイイですけど。実際いるから仕方ないね(暴論)
>OPとEDが1対1になる理由について
これについては、ハンドアウトの存在を忘れてはいけません。
セッションの開始時に、GMから配布されるハンドアウトには、それぞれがシナリオにかかわっていくモチベーションなどが記載されていますよね。
それらのモチベーションについて、またそれに関連した情報等を提示するのがOP。そしてモチベーションに基づいて構築されたストーリーの終わりがED。
つまり、PC一人一人のストーリーを初めて、終わらせるために、OPとEDが1対1になりやすいのだと思います。
>時間的・空間的なリアリティの制約を取り除いて~
リアリティの制約を取り除くについては、単純に見方の違いかと。
リアリティの制約がないからすべてのシーンに全員出ても問題ないでしょう。
だが、状況的に全員がいるであろう状況で、「ヒーローとヒロインが話している」というシーンをクローズアップできる、という見方も可能です。
「全員が出ているシーンでも二人で話はできるんじゃない?」という疑問があるかもしれませんが、二人きりの内緒♪とかはやっぱり二人きりでやりたいじゃないですか。
そこで、状況的に全員がいても、シーンとしては茶々入れのない二人きりの状態を作れるのがシーン制なわけですね。青春!
>さいころフィクションについて
ゲームシステム上の仕様です。
シノビガミを例として言うとですね、基本的に、「シーンプレイヤーが主動でシーンを作る」という形式なわけです。
自分から、登場してもいいかな?と他のプレイヤーからお願いもできます。
ですが、登場を遠慮してほしい、と言われた場合、シーンプレイヤーがやりたいことに合致していない、ということになるため。そこは遠慮すべきだと思います。
ジッサイマナーは大事。コジキにも書いてある。
活躍の平等性については、「全員同じ回数、シーンプレイヤーとしてシーンを作れる」ということになるかと。そこから先は、プレイヤーの腕次第でしょう。
>ツッコミや感想について
あくまでプレイ上の楽しみ方なのであって、シーン制の目的や楽しみ方とはまた別の話かと。
>ゲームを支配するの防ぐ系
PL発言は正直どうしようもないと思いますが、
声の大きいプレイヤーのPCが、すべてのシーンに出現し、全てのPCのドラマやストーリーに踏み込んでゆく、という状況は防げます。
要するにギャルゲの主人公化の防止ですね。
05月12日
13:02
6: くるみ
FEARのシーン制はPCが一人になることを許容するためにあると考えています。
一人になる必要があるストーリーを描くための方便とも言えます。
一人になれないゲームだとどうしてもある程度ストーリーの幅が決まってしまう問題があります。
全員に統一した目標を取らせるのは容易ではありません。
ですので、個別に動くシーンを許容することでストーリーの幅を広げ、ネタ切れ防止につなげるとかそういった側面をシーン制に感じます。
私のサイトで過去に1か月で10くらいARA2のシナリオ集を作ろうとしたことがあったのですが、
同様にシーンプレイヤーの意義が見えなかったのでシーンプレイヤーを排除した結果、
ストーリーは完全にワンパターンになりました。
そして、その結果1か月どころか、10日もせずにネタ切れして
もももさんに助けを求めるという形で頓挫しました。
こういった問題を回避することがシーン制に求められていると思っています。
要するに、プレイヤーのための仕組みではないのです。
なのでメリットが見えなくて当然かと思います。
05月12日
13:34
7: airo
miyaさんが普段呼吸のごとく当たり前にやっていることに対して
違うやり方が書いているから違和感があるのでしょう。
ルールブックは製作者の好みが反映されるので、読み手の
合う・合わないも当然出てきます。
「~するのを防ぐ」みたいな記述は、主に製作者の過去に
あった嫌な事を繰り返さないためのものだと思います。
これも共感できたりできなかったりがありますよね。
その辺はTRPGなので、マスターがやりやすくて参加者も
楽しめるなら、それでいいんじゃないのかな、と。
05月12日
15:01
8: miya
>みなさん
色々なご意見ありがとうございます!
ツイッター等でも色々な意見が聞けて大変勉強になりました。
ちょっと今は個別にレスする時間がないのですが、みなさんのご意見をよく反芻してみたいとおもいます。
FEARの遠藤さんのフェイズ制・シーン制についての
まとめをみつけましたので、これも貼っておきますね。
大変ためになるまとめだと思います。
http://togetter.com/li/440374
できたらその辺ルルブにガイダンス入れてくれないのかなぁ!ってところは気になります!w
これだけ皆さんが違う意見を言っているわけですから、シーン制でプレイするゲームです。だけでは多分制作サイドの意図はしっかり伝わってないんじゃないかなとか。