いま「ゆとり決別宣言」というのなら、「ゆとり」の何が問題だったかをきちんと総括し、発信する姿勢が欠かせない。

 2020年度からのスタートに向けて検討中の新しい学習指導要領について、馳浩文部科学相が「教育の強靱(きょうじん)化に向けて」というメッセージを発表した。

 「ゆとり」か「詰め込み」かの二項対立に戻らず、知識と思考力の両方を育てる。学習内容は削らない。そんな方針だ。

 「ゆとり教育との決別宣言を明確にしておきたかった」と馳氏は言う。だが、「脱ゆとり」路線はすでに進んでいる。

 文科省は一つ前の「ゆとり」の指導要領で教育内容を3割減らし、学力低下を招くと集中砲火を浴びた。そして8年前に改訂した今の指導要領で中身を増やす方向にかじを切っている。

 その間、「ゆとり教育」は、内容を減らすイメージばかりが社会に定着した。自ら学び自ら考える力を育むという当初の狙いは伝わらないままだ。

 いま必要なのは、単なる「ゆとり」の否定ではない。「ゆとり」の何が問題で、何を受け継ぐべきか、文科省が十分説明する作業が求められている。

 今回、宣言を出したのは、新指導要領に対して疑心暗鬼の声があるからだと馳氏はいう。

 自ら問いを立て、考える力を重視する。その狙いは「ゆとり」の指導要領と重なる。

 討論や発表を通じて主体的に学ぶ「アクティブ・ラーニング」も授業に採り入れる。

 これに対し、「ゆとりに逆戻りするのか」「議論を増やすと教える時間がなくなり、知識の量が減るのでは」などの批判が出ているというのだ。

 だが今回の宣言は、こうした心配には応えられまい。新しい指導要領と「ゆとり」のそれがどう違うかなどの説明が足りないからだ。宣言は教育関係者向けだが、わかりやすい総括を社会に広く公表する必要がある。

 不安の声が出る背景には、新指導要領が、どこまで教室の現実をふまえているかが見えてこないことがある。子どもが実際に力をつけるのに、各教科の内容の量と質は適当か。授業時数は十分か。現場の意見を生かした検討が欠かせない。

 宣言は「学習内容の削減は行わない」と言い切るが、子どもの時間割はすでに余裕がない。本質を深く学ぼうとすれば、枝葉を削る発想も重要だろう。

 「ゆとり」の指導要領は当時学んだ人々が「自分はゆとり世代」と自嘲する状況を生んだ。

 今回、その失敗を繰り返してはならない。