かるび(@karub_imalive)です。
若冲展でしばらくお腹いっぱいだったのですが、GW明けたらまた美術展に行きたくなってきました。天気も良かったし、今日は兼ねてから「これは行く!」と決めていたルノワール展@新国立美術館に行ってきました。本エントリでは、その感想を書いてみたいと思います。
1.混雑状況と所要時間目安について
入場したのは、5月12日(木)の11時台。画像だけ見ると、それほど混雑していないように見えますが、平日なのに展示会場内はかなりの人出でした。ツアー等の集団客や修学旅行中と思しき中高生もいましたね。
会場が広々としているのでそれほど気にならなかったですが、会期の後期にかけてTV等で特集が組まれた後などの土日休日は、ひょっとしたら入場制限がかかるかもしれませんね。
展示数は、映像資料、彫刻、デッサン、絵画など全部合わせると100点を越えます。全部しっかり見て回るのであれば、最低1時間30分程度は見ておいたほうがいいでしょう。僕は音声ガイドを聞き、メモなども取りながらだったので、2時間15分かかりました。
2.音声ガイド
あれば必ず借りている音声ガイド。今回のガイド機貸出料は、よくある520円ではなく、550円。いつもよりちょっと高めです。
メインガイドは、元宝塚宙組の大空祐飛さんでした。
また、本展示会の監修者であるシルヴィ・パトリさんの特別解説が数編、ドビュッシーの室内楽も聞くことができます。(ブランス人の印象派系展示会といえば大体ドビュッシーなのはワンパターンだが・・・)
3.画家ルノワールについて
ルノワール(1841-1919)の本名は、ピエール・オーギュスト・ルノワールと言います。フランス中西部のリモージュで生まれ、幼い時にパリに移り住みました。父の勧めもあって、若干13歳で磁器絵付け職人を目指して修行を開始しましたが、産業革命の波により失職。
絵付け修行中に、同僚から「小ルーベンス」とあだ名されるほど抜きん出た才能があったため、20歳頃から画家を目指すようになります。スイス人画家シャルル・グレールの主催する画塾で学ぶうちに、その塾にて、後の印象派の主要プレーヤーとなるモネやシスレーと出会い、以降長い長い画家生活へと入りました。
印象派の大家ではありますが、生涯を通じて細かく画風を変化させています。1860年代、70年代、80年代、90年代以降では、それぞれ微妙に画風が違っていますが、今回の展示会ではそのあたりもたっぷり見比べられますよ。
自分としては、最晩年に南仏カーニュの自宅にて裸婦の戯れる理想郷的な絵画を描いていた時代が一番好きです。去年のモネ展や、今年の安田靫彦展もそうでしたが、画家の最晩年の作品って、細かい技法は捨象され、抽象的で、辿り着いた自己表現の極みみたいな凄みがあると思うんですよね。
4.展示会のコンセプトって?
今回の展示会では、オルセー美術館と、その姉妹館であるオランジュリー美術館から、ルノワールと、その作品に関連する画家たちの作品群が来日しています。
オルセー美術館
オルセー美術館は、パリに旅行に行ったらまずルーブル同様に外せない定番観光コースでもあります。元々オルレアン鉄道の駅舎兼ホテルで、老朽化に伴い取り壊されるところを、美術館へと改修して1986年に開業しました。主に19世紀中盤~後半に活躍した美術家の作品群を収集しており、今年で開館30周年になります。
そのオルセー美術館と、セーヌ川を挟んだ対岸に位置するのが、オランジュリー美術館です。
オランジュリー美術館
こちらには、モネの壁面一面を覆い尽くす「睡蓮」の大装飾画や、印象派、そしてマティスやピカソなど近現代西洋絵画を展示されています。
今回のルノワール展では、この2つの美術館から、ルノワールを中心としてコロー、ベルト・モリゾ、ゴッホ、ピカソ、マティス等、合計100点を超える絵画が集められました。(でも安心してください。大半はルノワールの作品で、その他画家たちはあくまで脇役ですから/笑)
5.目玉は名画「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」
今回の展示会の目玉は、酒場での野外の舞踏会の楽しい様子を描いたルノワール中期の名作「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」。ポスター等チラシには、「日本初上陸!」と謳われていますね。
ただし、厳密な意味では日本初来日ではなく、実はこの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」、1988年に「東海の暴れん坊」と謳われた大昭和製紙のオーナー、齊藤了英氏が約119億円で落札し、*1に来ていたのです。
バブル時代の日本企業って、ロックフェラービルは買うわ、ハリウッドの映画会社は買収するわ、ゴッホのひまわりは買うわ(これは新宿の東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館で常設展示中!)、どんだけやりたい放題だったんだよ、って感じですね。
これにはちょっと面白い恥ずかしいエピソードがあって、この齊藤了英氏、アダ名の通り破天荒な性格で、「ワシが死んだら、これを棺桶に入れてくれ」と放言し、世界中の美術関係者を呆れさせたとか。危うくこの世界遺産級の名画は焼かれて灰になるところだったのでした(笑)
今回の展示会では、そのあたりの恥ずかしいエピソードはなかったことにされており、晴れて「美術展」という形では確かに日本初来日、というわけなのです。では、早速見てみましょう。
「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」(1877年、第3回印象派展出展作)
中期までのルノワールの印象派絵画の集大成的な作品と言われ、1870年代当時の社交生活や都市風景の日常を捉え、正確に描き出したという点で、当時を推し量る歴史資料的な観点からも価値の高い作品と言われています。
「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」というのは、パリ郊外、モンマルトルで1855年にオープンした、実在した酒場兼ダンスホール場の愛称です。2台の風車(ムーラン)を広告塔とし、酒場で供された小麦と牛乳の焼き菓子(ギャレット)が評判となったことから、そう呼ばれるようになりました。
ルノワールも、この絵画を描くために1876年にはこの近くのコルト通りにアトリエを借りて、連日入り浸って遊び狂っていました一連の絵を熱心に描いていました。
絵を見ると、カンヴァス上に空や太陽が描かれていないのに、光と陰を「色」で表すことによって、確かに晴れた屋外にいることがわかります。当時、このような表現方法は他にない類を見ないもので、非常に画期的な技法だと言われています。
また、この絵には様々な階級と思しき人達が入り混じって楽しそうに踊っていますね。労働者階級、ブルジョア階級、そしてルノワールの友人達である画家仲間など。当時、確かに労働者階級の暮らしぶりは決して豊かなものではなかったはずですが、ルノワールは、労働者階級の苦境をリアルに描き出すよりは、敢えて人々が幸せそうに喜びに満ちて交流する様子を好んで描き出しました。
今回の展示会では、当然目玉扱いで、大広間で一番目立つ位置に展示されています。関連展示も充実しており、次男で映画監督を務めたジャン・ルノワールの映像作品や、ゴッホ等が描いたモンマルトル近郊の酒場の様子や当時のパリの社交生活を描いた様々な絵画も併せて特集されています。このセクションだけでも、かなりの見応えでした。
6.その他特に個人的に良かった絵画を紹介
6-1.草原の坂道
ルノワールは、印象派の画家らしく、1870年代には風景画に力を入れました。この頃には、簡単に持ち運びできるように、チューブ絵の具が発明されるとともに、鉄道網が発達したため、郊外で気軽に写生できるようになっていたんですね。特にフランスだと「バルビゾン派」が生まれるきっかけとなったパリ近郊のバルビゾン村やフォンテーヌブローの森、ヴェトゥイユの森など、街を飛び出して気軽にピクニック的なノリで絵を描きに外に出ます。
ルノワールは、特にモネと仲がよく、たびたび全く同じ場所・モチーフで作品を作っています。お互い「印象派」の重鎮だけあって、屋内とは桁違いに「光」の色彩がたっぷり感じられる戸外での作品にこだわりを見せました。
この「草原の坂道」は、今回数点出展されていた風景画の中で、一番印象に残った作品です。お土産売り場でもクリアファイルやハガキのデザインに採用されていましたね。
6-2.ピアノを弾く少女たち
今でこそ超大御所印象派の巨匠として評価が確立しているルノワールも、現役時代は1890年代に入るまでは、いわゆる前衛派画家的な扱いをされており、政府やアカデミズム主流派からは認められていませんでした。
資料や手がけている作品を見ると、印象派展でアピールするだけでなく、ブルジョア層にパトロンを探したり、有力画商と懇意にしたりと、個人的に営業活動もかなり頑張っていたようです。
その甲斐もあって、ルノワールがいよいよメジャーデビューできたのは、1890年代に入ってからでした。この「ピアノを弾く少女たち」は、6枚の連作で描かれたうちの1枚で、当時「裕福さ」と「教養」のシンボル的な存在である「ピアノ」を題材にした、アカデミズムやブルジョア層にアピールできる勝負作でした。
ルノワールの狙い通り、政府に4000フラン(今の400万円程度)で正式に買い上げられ、当時の現代美術館的位置づけとなる「リュクサンブール美術館」に収蔵されることになりました。これが、ルノワールが、オフィシャルにフランス絵画界でメインストリームに踊り出た瞬間でした。*2
これもルノワールらしい丸みのある柔らかい子供の質感がよくでていて、ムーラン・ド・ラ・ギャレットと同様、何度か見返しに絵の前に戻りました。これは良かった。
6-3.浴女たち(1918-1919)
ルノワールは、晩年に持病のリューマチが悪化していきます。その療養も兼ねて南仏へ移住してからは、1860年代以来、しばらく封印していた裸婦像を再び積極的に手掛けることになりました。
この「浴女たち」は、亡くなる3か月前に描き上げた、最後の大作です。南仏の未開で温暖な地が醸しだす、野性的かつ牧歌的な雰囲気の草原に横たわる裸婦たちの絵画は、ルノワールの求める理想の「地上の楽園」を表していたとも言います。
ルノワールの裸婦像は、どれもこれも通常サイズよりもかなりふくよかに描かれていますが、イギリスの著名な美術評論家ケネス・クラークによると、
彼女たちは古典的なモデルよりも太めだが、アルカディア(田園的理想郷)的な健全さを湛えている。ルーベンスの裸体画とは違って、彼女たちの肌は通常の体のくびれや皺はないが、動物の毛皮のごとく身体の形に沿っている。彼女たちが裸であることを自然に認識していることから、ルノワールの裸体画はルネサンス以降の裸体画よりも古代ギリシア的であることは間違いなく、古代に求められた真実と理想の間の平静に近いものを感じる。
あるいは、リューマチでやせ細り、体全身や指先が衰えるに従って、それに反比例するように、絵画内での一種の「健康さ」「健全さ」の象徴として描かれる裸婦のボディサイズが太くなっていったのだ、という説もありますね。
7.まとめ
ルノワールは、よく「幸福の画家」と言われます。生涯を通して、その柔らかい筆使いで人間の生きる歓びや楽しみを好んで描いてきました。展示会では、どれも「ホッ」と一息つける優しい雰囲気の絵画が多く、ある意味安心して見て回れます。コンテンツ量も多く、質・量ともに非常に充実した展示でした。非常におすすめです。
それではまた。
かるび
おまけ:参考文献
今回の記事作成にあたり、参考にした書籍を貼っておきますね。
賀川恭子「ルノワール」
ルノワールの生涯を、時代時代に描かれた絵画とともに丁寧に解説した文庫本。安くてポケットにも入るので、予習・復習にぴったりかと思います。
ルノワールへの招待
2016年4月発行。今回のルノワール展と連動した作りになっており、ルノワール展で紹介された絵画を一段掘り下げて解説・分析しています。これも良かった。