「世界のニナガワ」と称され日本を代表する演出家の蜷川幸雄さんが肺炎による多臓器不全のため12日、亡くなった。80歳だった。厳しい指導から「鬼の蜷川」と評されることもあったが、ジャニーズのアイドルを舞台人として育て上げた。ジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長をはじめ、ゆかりのタレントがそれぞれの思いを報道各社にファクスで寄せた。全文は以下の通り。
【写真】二股騒動のあの人に…蜷川氏「泣くなよ!」
◆ジャニー喜多川社長「昭和と平成を見事につなげた人が、東京オリンピックを待たずにさよならなんてずるいよ」
◆錦織一清「少年隊の舞台でお世話になりました。はじめは怖い人だと聞いていましたが、いざ演出を受けてみると、とても優しく愛情にあふれた方だったという事が印象に残っています。ご冥福をお祈りします」
◆東山紀之「蜷川さんと会う度に『またやろうな』と言って下さいました。その言葉が嬉しかったです。またご一緒したかったです。まだまだ勉強したかったです。蜷川さん、寂しいです」
◆植草克秀「蜷川さんとは、最近お会いする機会がなかなかありませんでしたが、体調が良くないとはお聞きしていました。まさか訃報を受け取ることになるとは思っていなかったので、とても驚いております。蜷川さんとは、演出家としてPLAYZONE’90 MASKでの劇中劇『ハムレット』、ドラマ監督としての『風ものがたり』などで演出、ご指導いただきました。とても指導に熱心な方で、すぐ怒る怖いイメージの強い蜷川さんであると思いますが、自分もご一緒した際には、『今日は怒らないから』と言われながらも、スタートが掛かった途端に間髪入れずに『バカヤロー!』と怒られた思い出が強く残っています。すぐ怒る反面、とても愛情持ってスタッフ、役者に接する他にはいないような演出家、指導者であったと思います。また蜷川作品に参加させていただけたらと思っていましたが、それも叶わぬこととなってしまいました。残念でしかたありません。ご冥福をお祈りいたします」
◆岡本健一「私の演劇人生は1989年19歳の春、蜷川さん演出『唐版 滝の白糸』でのオープニングにピンクフロイドのデヴィッド・ギルモアが弾く、魂が叫んだギターの音から始まりました。蜷川さんは初舞台の私に『演劇は麻薬だ!取り憑かれるぞ!』と言っていました。毎回、稽古場では作品に対して、日本も世界も無く、宇宙レベルで、魂の底から湧き出るエネルギーを求めていました。まだ足りない、まだまだ足りないと、叫び続けていました。毎日革命を起こしていました。蜷川さんに会ってから、私は演劇に取り憑かれています。舞台に立ち続けています。蜷川さんは、今も確実に別の世界から舞台を創り続け、叫び続けている事でしょう。ありがとうございました」
◆木村拓哉「驚きと同時に物凄く悔しいです。自分が今あるのも、当時右も左も分からなかった自分に『人から拍手してもらえる厳しさと素晴らしさ』を教えて頂けたからだと思います。少し前に『俺がポシャる前にもう一度一緒にやろうぜ!』って言ってもらった事が、今頭から離れません」
◆坂本昌行「驚きと残念な気持ちでいっぱいです。『また、いつか一緒にやろう!』と言って下さった言葉が今も心に残っています。走り続けた蜷川さん、ゆっくりとお休み下さい。謹んでお悔やみ申し上げます」
◆長野博「デビュー前の93年『魔女の宅急便』の初演から、デビュー後もお仕事をさせていただきましたが、パワフルで大きな声で怒鳴り、叱ってくださり、舞台に立つ上で大切な事を教えていただきました。その後、現場でたまにお会いすると笑顔で話しかけて下さったりして、また御一緒したいなと思っておりました。蜷川さんの訃報を聞き未だ信じられず、寂しい気持ちで一杯です。謹んでお悔やみを申し上げます」
◆森田剛「『血は立ったまま眠っている』で、初めて御一緒させてもらった時、『やっと会えたね』と、優しく握手してくれました。舞台の初日前には、『他の人に何を言われても、俺が責任をとってやる』と言ってくれました。だから舞台に立つ事が怖くなかったですし、この人の為にやりたいと思いました。『馬鹿野郎、変態』と言われながら、たくさんの愛情をいただきました。もう一回会いたかった。謹んでお悔やみを申し上げます」
◆岡田准一「残念でなりません。『エレクトラ』で御一緒させていただきましたが、若い自分に、『枠にはまるな、壊せ壊せ、自分はなんだってチャレンジした』と導いて下さった方でした。御自身も最後までいつまで演出できるかチャレンジし、たくさんの役者さんと接し、まさに導く方だったのだろうなと思います。メンバーの森田くんの舞台も楽しみにしていたのですが残念です。イタズラ顔で褒めてくれたり、闇を突いたりしてくれた蜷川さんが忘れられません。謹んでお悔やみを申し上げます」
◆二宮和也「今回の訃報を聞き、驚きました。本当に強い、熱い、情熱を持っているお方でお芝居というものを教えてもらいました。本当にお疲れ様でした」
◆松本潤「なんだか、胸に大きな穴があいてしまったようです。訃報を聞き、蜷川さんに言って頂いた言葉を思い返しています。もっと言って欲しかったです。もっと蜷川さんの作品が観たかったです。これから先、芝居をしている時にきっと思い出すでしょう。蜷川さんに言われた熱い言葉を。素晴らしい演出家であり、素敵な人間である蜷川さんと一緒の時間を過ごせた事が幸せです。蜷川さん、ありがとうございました」
◆生田斗真「ミシマダブルという作品で演出をしていただきました。僕たち俳優が評価される事を、誰よりも嬉しそうに喜んで下さる方でした。蜷川さんに鬼のように怒られた事、ありったけの愛情で褒めていただいた事、その全てが僕の財産です。生涯忘れません」
◆亀梨和也「蜷川さんとは、昨年の夏に本当に特別な時間を過ごさせて頂きました。車椅子姿の蜷川さんは、とても力強く、そこから沢山の感性、感覚を学ぶことができ、自分は、本当に幸せでした。蜷川さんと出会い、お仕事させて頂けたことを忘れず、しっかりと自分の中で育んでいきたいと思います。ご冥福をお祈りいたします」
◆上田竜也「誰からも愛されている蜷川さんに熱く、厳しく、ご指導頂けたことを誇りに思います。成長した自分をまたご一緒した時に見てもらいたいと思っていたのでとても悲しいです。どうか、安らかにお眠りください」
読み込み中…