司会者「前回予告した通り、ここからインタビュー記事を連発でお送りします」

 

レジー「はい。今回は今年メジャーデビュー10周年を迎えたいきものがかりのリーダーにしてソングライターでもある水野良樹さんの単独インタビューをお届けします」

 

司会者「まさかの大物」

 

レジー「ね。ほんとに出ていただけるとは」

 

司会者「経緯を説明していただけますと」

 

レジー「水野さんのことはもちろん「いきものがかりでヒット曲をたくさん書いている人」っていうイメージがありつつ、どうもこの人は腹の奥の方に何か秘めてるんじゃないかってのを昔から気になってて。「クリスマスの約束」での発言にもそういうのいろいろあった気がするし、あと僕のその思いが深まったのはこれ」

 

かっこいい風な・・・「ロッキング・オン・ジャパン」とか、あの・・・高校生が目指すような、「フジロック」とか、ああいうのにすごいコンプレックスもあるし、すごいライバル心を持っているんですけど。「なにくそ!」って思ってる部分もあるんですけど。

 

司会者「4年前のテレビ番組「ゲストとゲスト」ですね。自分のコンプレックスみたいな話題での発言でした」

 

レジー「これ見て、やってる音楽とのギャップに驚いて。「なんだそれは」とか、その一方で「なるほど」とかすごくいろんな気持ちがわいたんだよね。で、そういうひねくれてるというか何か抱えてる感じだったり、それに水野さんとは年齢もかなり近くて大学も一緒だったからどこかでニアミスしてる可能性もあったりして、そういう共通点も含めて勝手にシンパシーを感じてたんですよね」

 

司会者「2014年に行われたトークイベント「ポスト『J-POP』の時代――激変する音楽地図とクリエイションのゆくえ」にも行きましたね」

 

レジー「あのときは水野さんが『ソーシャル化する音楽』とか『初音ミクはなぜ世界を変えたのか』とか当時出た音楽関係の本の内容について喋ってて、そういうのにも触れてるんだ!と。で、流れでツイッターでつながったりもしていつかどこかでお話ししたいなーと思ってる中、先日ロッキング・オン・ジャパンにいきものがかりのインタビューが出てたんですけど」

 

司会者「「無私性を貫いているいきものがかりはロック」みたいな趣旨でした」

 

レジー「乱暴にまとめるとね。そのインタビュー読んで、何かもっと掘り下げることができるんじゃないか?と思って、僕が考えていることや聞きたいことをダメもとでぶつけてみたら・・・という感じでこの記事に至ります。本当にありがとうございました。前置きはこのくらいにしたいと思います。今回のインタビューでは、先ほど出てきた「無私性」を貫いていることの意味やそれをやりぬくために感じていることなんかを掘り下げつつ、同世代としての音楽話をしたりもしました。あまり他のメディアには出ていないような内容もあると思うので、長いですがぜひじっくり読んでいただきたいなと思います。それではどうぞ
 

 
ikimono2016_2

 
 

>>>>>>>> 

 

 

いきものがかりが「J-POP」と歩んだ10年間

 

---お会いしたかったです。

 

「・・・なんか緊張しますね()

 

---僕も珍しく緊張してます()

 

「文章は拝見させていただいてます。よろしくお願いします」

 

---こちらこそよろしくお願いします。まずはメジャーデビュー10周年ということでデビュー当時のことを振り返っていただきたいんですけど、10年前の時点ではいきものがかりというグループがどうなりたいと考えていたか、そしてそれが今実現しているか、みたいなことからお話しいただきたいなと。

 

「そうですね、ちょうど10周年ということもあって「デビューしたときにどこまで先が見えていたのか?」みたいなことはよく考えるんですけど・・・実際のところ、そんなに見えてはいなかったですね。とにかく目の前のことに精いっぱいだったし、何か言語化できるようなビジョンがあったわけでもないというのが正直なところです。ただ、「お客さんを選ぶようなグループではないだろう」ということはデビュー当初から3人ともすごく感じていました。もともと僕らはテレビで流れているようなヒットソングを聴いて育ってきていて、周りのバンド仲間みたいにマニアックな音楽を知っているわけでもない。だから、「音楽好きに好かれる」とか「特定の世代やグループにものすごく刺さる」みたいなことは難しいと思っていたんですよね。それよりは万人受け---という言葉が正しいかはわからないですけど、広くいろいろな人に聴いてもらえるものを目指すしかないだろうと。そういう考えに至ったのは、僕らの音楽活動が路上ライブから始まっているのも大きいかもしれないです。それぞれ用事があって道を歩いている人たちにたくさん振り向いてもらうためには、基本的には幅広い人に届くものをやるしかなかったので」

 

---なるほど。僕は81年生まれなので82年生まれの水野さんとは同世代と言っていいと思うんですけど、僕らが中学生高校生だった90年代、つまり水野さんが路上で活動し始めた頃って、ほんとにみんなが音楽聴いていたじゃないですか。短冊のシングルCDを学校帰りに買って。

 

「はい、わかります」

 

---その当時といきものがかりがメジャーデビューした2006年だと、すでにだいぶ様子が変わってきていたと思うんですよね。「みんなが聴く」みたいな概念ってその時点でかなり形骸化していたような印象があって。そういう中で、「お客さんを選ばないで広く届ける」みたいな方向を目指したというのは、今思えばあえて道なき道を進もうとしているようにも感じるんですけど・・・

 

「そんなに果敢な感じではなかったんですけどね()。確かに、大学に入学した頃、2000年代に入ったあたりから音楽を聴く人の趣味がどんどん分かれていっているなという肌感覚はありました。そういう環境において、すごく簡単な言い方ですけど「個性豊かな音楽」を目指している人たちが多いなあと。で、自分たちが何とか生き残っていきたいと考えたときに、「あ、真ん中が空いてるな」って何となくですけど思ったんですよ。「みんなが聴くもの」っていうフィールドが実はすごく空いていて、そこでしか僕らが生き延びることはできないだろうな、ということは漠然とですが考えていました」

 

---結果的に、そういうことをやれている数少ないグループになりました。

 

「・・・でもほんとに、インディーズのころライブハウスでやっているときも変な感じで見られていましたからね()。ライブハウスに出ている人たちのほとんどが「自分はどれほど他と違うか」っていうことを主張している中で、「J-POP好きです」とか「みんなが歌う歌が好きです」みたいなことを無邪気に言っていたから、周りからは白い目で見られるようなこともありました」

 

---そういうことがあってもスタンスを変えるようなことはなかったんですね。

 

「そうですね、メジャーデビューするときも「泣き笑いせつなポップ3人組」ってキャッチコピーでしたし・・・ライブハウスに出ていた時代は、自分たちのやり方に対して根拠のない自信がありました。実際それでお客さんも集まっていましたし。しかも、そうやって来てくれるお客さんの多くが「ライブハウスに来たことのない人」だったんですよね。路上ライブで気に入ってくれて、僕らを見るために初めてライブハウスに足を運んだ人だったりとか。ライブハウスに日常的に通うようないわゆる「音楽好き文化」の外にいる人たちが来てくれているというのは大きな自信につながったし、そういう人たちの心を掴み続けることができれば自分たちにもチャンスがあるんじゃないか、みたいなことは当時から思っていたような気がします」

 

---10年間、メジャーデビュー前も含めるともっと長い期間、水野さんは「J-POP」という旗印を掲げているわけですよね。この言葉を発することに関して、周囲の捉え方もその間でだいぶ変わってきているんじゃないかと思うんですけど。

 

「うーん・・・どうだろうな・・・でも確かに、みんなちょっと肯定的になってきているんじゃないですかね。デビュー前後はさっき言ったみたいに「何か変だよね」って思われていたのが、今となっては取材とかで「ずっとJ-POPって言い続けていましたよね!」なんて褒めてもらえるので()

 

---()

 

「「その気概が素晴らしい!」みたいな()。同じことを言い続けてきて、時代のあり方や皆さんの感覚が変わってきて、いつの間にかプラスに捉えてもらえているようになったという気はします。あまりにシーンがバラバラになっちゃったからこそ、それを総括する言葉というか、真ん中を示す概念が求められていたりはするんじゃないでしょうか。実際にそれが本当に「真ん中」なのかはわからないし、そういう意味でJ-POPなんて言葉はファンタジーでしかないと思うんですけど」

 

---ファンタジー・・・確かに。

 

「その「ファンタジー」を期待されている感じはします」

 

---2000年代半ばだと「J-POP」って貶し言葉のひとつだった気がするんですよ。ダサい音楽の総称、みたいな。

 

「はい、そうだと思います」

 

---最近だとロックバンドの曲を褒めるときに「J-POPとして成立する」みたいな表現がよくあります。というか僕もたまに使っちゃうんですけど。

 

「なるほど、ポジティブな意味合いで使われているんですね」

 

---さっき水野さんがおっしゃっていた通り、細分化されすぎたがゆえにその境界を飛び越える音楽の価値が上がっているんですよね。で、そこに正面から向き合っている人たちは今実は少ないから、それを「J-POP」というある意味最も一般的な言葉ともにやろうとしているいきものがかりというグループが妙にオリジナルな存在に見えていると。

 

「妙に()。確かにそうなっちゃいましたね」

 

 

時代を相手にする、現象を起こす

 

---先日NHKで放送されていた「MJ Presents いきものがかりの10年がかり」(16320日)で「風が吹いている」を作った時のドキュメンタリー映像が流れていましたが、あの曲に関する水野さんの「時代を相手に曲を書いた」って言葉がめちゃくちゃかっこいいなと思ったんですけど・・・

 


 

()。かっこつけちゃいましたね」

 

---その「風が吹いている」にせよ「ありがとう」にせよ、大きいタイアップがついた楽曲を書くことで、「広い世代に届く音楽を作る」というデビュー当初からうっすらと考えていた自分たちの立ち位置を改めて自覚していく、もっと言うとその役割を引き受けていくというような流れがあるのかなと思うんですけど、そのあたりの意識の変遷とかがあれば教えてください。

 

「デビューからしばらくして、自分たちの楽曲が世間に浸透していくという経験をしていく中で視野が広がっていっている部分はあります。今言っていただいた2曲より前の楽曲でも、たとえば「じょいふる」は「カラオケで若い女子社員がこの曲で騒いでいる」「それを見た上司が“今はこんな曲が流行っているのか”と知る」みたいなシーンとか、「渋谷のビジョンでバーンと流れる」みたいな光景をイメージしていたんですよね」

 


 

---なるほど。

 

「で、あの曲はわりとそのイメージ通りになったんですよ。運動会で流れたり、カラオケで歌われたり、踊りを真似する人が出てきたり。あとは合唱曲として作った「YELL」という曲も、それに青春をかけている合唱部の皆さんの熱さに接していろいろ感じるものがあったり。そういうふうに「歌を通じて現象を起こす」みたいなことってできるんだな、ということを思うようになっていった中での「ありがとう」であり「風が吹いている」なんですよね。で、「風が吹いている」については、2011年に震災があって、社会全体がのっぴきならないものになっていて、しかも世の中の人たちの意見がまあ一致しない状況が続いていて、そんな中で2012年にオリンピックが来てしまうと。「オリンピックを盛り上げよう」っていう人がいる一方で「そんなことをやっている場合じゃない」っていう人もいる、そんな中でオリンピックのテーマソングをどうやって作るべきか?って考えたときに・・・単なるタイアップソングではなくて、2011年や2012年の社会の空気感を10年後20年後にもちゃんと伝えられるものを作りたいと思ったんです。そういう意味で「時代を相手にする」っていう言葉を使ったんですけど、きっとこういう機会はこの先1回あるかないかだと思っていたのでかなり気負って作りました」

 

---あの曲が書けたことによってだいぶ・・・

 

「んー、書けたかどうかは・・・()。いまだにわかんないんですよね。あの当時感じていたのは半分達成感で半分挫折感というか、「自分が思っていたほど世間には刺さらなかったかもしれない」「でも刺さらなかったわけでは決してない」っていう。そのくらいの感じがもしかしたらリアルなのかもしれないですけど」

 

---僕は2014年の国立競技場のイベント(「SAYONARA国立競技場 FINAL WEEK JAPAN NIGHT DAY1 Yell for Japan」、14528日)で「風が吹いている」を聴いたときにものすごく感動した記憶があります。いろいろなものを背負っている感じが伝わってきました。

 

「ありがとうございます」

 

---あと全然関係ないですけど、僕の妻の父70歳がカラオケであの曲を歌うと言っていました。

 

「あ、ほんとですか()。そういうのはすごく嬉しいですね、70代の方って自分とはたぶん価値観が全然違うはずだし、そういう人の好みや感情に結びつくのはとても嬉しいです」

 

 

90年代思春期組の音楽昔話、そして「音楽に疎外される」体験がもたらしたもの

 

---さらに昔の話になるんですけど、水野さんが路上で歌い始めたきっかけって何だったんですか?

 

「これはね・・・暇だったからです()。部活が盛んな高校に行っていたんですけど、まずそこであぶれてしまったんですよね。で、僕は音楽好きだったからバンドやりたいと思って実際にやってもいたんですけど、ちょうどゆずさんが売れてきたタイミングで、どうやら路上ライブが流行っているらしいというのを知って。それで山下(穂尊、ギター&ハーモニカ)とやってみようという話になりました。それで実際にやってみたら、女子校のある駅だったから女子とも仲良くなれるし・・・()

 

---最高ですね()

 

「そういう感じの、よくある高校生的なきっかけですね。ただ、半年くらいやっているうちに、周りの人たちも同じようなことをやっているのがちょっとつまらなくなってきて。自分たちもそうだったと思うんですけど、みんな「もてたい!」っていう同じ顔をしてるから()。それで何かないかなって考える中で、女の子が真ん中にいたらお客さんが増えるんじゃないかと思って今の編成になりました」

 

---なるほど。で、もっと遡ると、そもそも水野さんが音楽の道を志すきっかけとなったのが、ボニー・ピンクの「Heaven’s Kitchen」を聴いたときなんですよね。

 


 

「そうなんですよ、ボニー・ピンク大好きでした。特に「Heaven’s Kitchen」が好きで。うまく説明できないんですけど・・・すごく異色に見えたんですよね。「どんなジャンルで」とか「ルーツがどう」とか全然知らなかったんですけど、とにかく衝撃を受けて。もっと上の世代の人がビートルズを聴いて興奮した、みたいなことに近いと思うんですけど、あれを聴いてこういうかっこいい人になりたい!っていう無邪気な気持ちを持ちました」

 

---あの曲はトーレ・ヨハンソンが関わっている作品でしたよね。トーレ・ヨハンソン起点で他のものを聴いたりは・・・

 

「全然しなかったですね()。何でだろうな・・・たぶんなんですけど、当時僕は「月刊歌謡曲」を毎月買っていて」

 

---コード譜が書いてあるやつですよね。僕もよく買ってました。

 

「本質的に歌うことが大好きなので、あれを見ながら当時のヒット曲をギター弾いて歌ったりしていたんですよ。玉置浩二さん好きだからよく歌っていたし、自分一人でやる分には何やっても恥ずかしくないから、安室奈美恵さん歌ったり。もちろん「Heaven’s Kitchen」も。そういうことをするのが好きだったから、洋楽に行かなかったっていうのはあると思います。英語よくわかんねーって()

 

---トーレ・ヨハンソンに絡めて話すと、僕当時スウェディッシュ・ポップ大好きで、彼がプロデュースしていたカーディガンズを結構追いかけていて、初めて一人でライブハウス行ったのがカーディガンズの来日公演だったんですよ。僕の行っていた中学と高校は海外もの聴いている人が結構いて、そのコミュニティで情報交換とかCDの貸し借りとかをしてました。オアシスとブラーがすごく売れているタイミングだったり、レディオヘッドを教えてもらったり。

 

「・・・すごい世代が近い感じしますね、出てくる単語が()

 

---()。あとは海外のバンドじゃないですけど、ハイスタもそういう流れで知ってよく聴いていました。何が言いたいかというと、さっき水野さんがおっしゃっていた「テレビで流れているようなヒットソング」ではない音楽の世界にぐーっと入っていくタイミングが僕はあったんですけど、水野さんはそういう感じではなかったってことですよね。

 

「結局そうはならなかったですね。なんなんだろうな・・・なんか行けなかったんですよね。行けなかったっていうのは、僕の高校はバンドも盛んだったんですけど、ケムリとかスネイルランプとかそういうのをやっているバンドがあって」

 

---当時はメロコア全盛の時代ですよね。

 

「はい。いわゆる「音楽好き」と言われている層の子たちが、文化祭のライブでメロコアを主にやっていたんですけど」

 

---ちょっとカースト上めの・・・

 

「そう!()。そうなんですよ。で、何て言うのかな・・・そこに入れなかったんですよね()。この感じわかります?」

 

---たぶん共有できていると思います、僕も高校でバンドやっていましたけど、ハイスタをコピーするのは気恥ずかしくてなかなかできなかった記憶があります。

 

「で、うちの高校だと確か当時はバレー部とかが主軸になっていて、みんなでこう、わいわいがやがやなるわけですよ。体育祭とかで中心にいて、「うちの高校素晴らしいよね」なんて言っている感じの・・・」

 

---()

 

「そんな空気がある中で、僕もバンドやってたんですけど・・・バンドのメンバー同士で、「俺らは野党だな」と言い合っていて()。それで誰もビジュアル系とか聴いてないのにビジュアル系のバンドの曲をコピーして、それでビジュアル系好きな女の子の気をひいて、何とか校内での地位を掴みたい!とかっていうモチベーションのよこしまな奴らばっかりで()

 

---高校生っぽいエピソードだなと思います()

 

「・・・ただ、当時まだこの言葉はなかったですけど、いわゆる「リア充」的なノリ、きっとそれが今で言う「フェス文化」みたいなものにつながってくるところもあると思うんですけど、そういうムードにどうにも馴染めなかったのは高校生なりにちょっと寂しかったんですよね。そこで流れている音楽とかそこで醸し出されている空気とかが、自分の何かを代弁してくれている感じが全くしなくて。勘違いかもしれないけど、「音楽に疎外されている」っていう気持ちになったんですよ。この体験は僕にとって結構大きくて」

 

---なるほど。「音楽に疎外される人を作りたくない」っていう想いが今はある。

 

「「音楽に疎外された」ってあの時感じたことが、ポップな音楽に向かっていく大きな理由になっていると思います」

 

 

メッセージを書かなくても影響力を持ち得る -- 「歌」が「個人」を超える可能性

 

---ボニー・ピンクを聴いて音楽やりたい!と思った時は、やっぱり自分の思いのたけを表現したいという気持ちが強かったんですか?

 

「そうですね・・・思春期だったこともあって、「音楽で何か主張をしてやろう」「自分の表現をやってやろう」っていう気持ちがすんごい強かったですね。10代の子が考えがちなことなんでしょうけど、「音楽で自分の気持ちを表現して、今流行っているものを壊してやるんだ」と思っていました」

 

---そんな水野少年の考え方が、「自分たちの音楽は器でいいんだ」というように変わっていった背景にはどういういきさつがあったのでしょうか。一言では言えないと思うんですが・・・

 

「何なんですかね・・・()。「コイスルオトメ」っていう曲が一つの転機になっているとは思うんですけど」

 

---3枚目のシングルですね。

 

「そこまで深い考えもなく女性ボーカルを入れて活動し始めて、最初は音楽を通して自分の気持ちを表現しようと思っていたのに、歌う人が性別も考え方もキャラクターも全然違う。これだと自分の想いを表現できないかもしれない、じゃあ本来やるべきことはこのグループじゃないんじゃないか・・・みたいなことを思っていた時に、事務所のスタッフさん、いわゆる大人たちから「女性ボーカルなんだから、恋の歌も作ってみなさいよ」って言われたんですよね。それで、ほとんどやさぐれながら・・・()

 

---()

 

「じゃあ歌詞はそういうものにしよう、だけど曲に関してはJ-POPの定型的なものを踏まえつつもかつて自分が「Heaven’s Kitchen」に感じたようなものを出そう、そう思って作ったのが「コイスルオトメ」です。そうしたら、自分とは住んでいる世界の全然違うはずの女子高校生が「なんで私の気持ちがわかるんですか?」とか「彼氏のことを思い出した」とか、とにかく自分の話をし始めたんですよね。「コイスルオトメ」っていう曲が、この人たちがまだ誰にも話していないような胸の奥にある感情とつながっている、そう考えたらすごいなと思って。「自分が自分が」って気持ちで曲を作らなくても、自分の書いた曲と聴いている人の秘密にしていることがつながってしまう、これはとてつもないことなんじゃないか?って考えるようになったんですよね。たとえば恋愛じゃなくても、誰かが家族を思う気持ちってその人だけのものじゃないですか。そんなパーソナルな物語に、場合によっては1万人、10万人、100万人ってつながっていくことができたらとんでもない影響力になると思うし、自分個人のメッセージを曲の中にがっつり書き込むよりもよっぽど強いものなんじゃないか。そんなことを考えていたら、それがどんどん面白くなっていったというか」

 

---なるほど。

 

「仮に音楽を通じてメッセージを伝えようとして何とかそれが伝わったとしても、そこから実際の行動につながるかというとまた別問題じゃないですか。ただ、その音楽がもっとナチュラルな形で人々の近くに存在したら、その人たちの価値観やアクションにより強く影響を及ぼすんじゃないかと思うんです。自分のメッセージを込めない、それでも自分が曲を作る意味はあるんだろうかとかってことは今でもよく考えるので、その過程で自分なりに理論武装するんですけど・・・たとえば「上を向いて歩こう」って、何でもない曲としていろんな人のすぐ近くにありますけど、あの曲は人々の価値観に知らないうちにものすごく大きな影響を与えていると思うんですよ。あれを通じて「上を向いて歩く」ということがいつの間にかポジティブな行為として認識されているし、もはや誰もそれを疑っていない。それってとんでもない影響力だなって」

 

---確かにそうですね。

 

「そういうことができてしまうのが「歌の可能性」なのかなって思っているんですよね。「世界が、社会がこうなってほしい」というものがぼんやりあったとして、それを実現するために僕の場合は歌を作るのが一番の武器ではあるんですけど、そのときに「こうなってほしい!」っていうのを直接書くんじゃなくて聴いてくれる人がいろいろな感情をためることのできる器を提供する、それによって人々の意識が変わっていく、そういうことができたらいいなと」

 

---「強い色」というよりはどちらかというと「無色透明に近いもの」を出すことで、それがどこにでも存在できるようになるし、結果としていろんな人とつながっていけると。

 

「そう思っています。あとは今の話とも関係しますけど、メッセージを強く打ち出してしまうと、分かり合える人としか分かり合えないってことになりますよね。仮にですけど、僕のことを殺そうとする人がいたとして、やっぱりその人のことを僕が好きになるのは難しいと思うんです。これって「個人の限界」だと思っているんですけど、今の時代って分かり合えないことばっかりだから下手するとほんとに殺し合いが始まっちゃうわけで、この状況をどうやって超えていくかっていうのはすごく大事な問題なんじゃないかなと。で、僕の場合は歌を作るわけですけど、「水野は嫌いだけど「ありがとう」は好き」っていうパターンはあり得るわけですよね。これは僕にとっての希望というか、「個人と個人では分かり合えなかったけど音楽を介せばつながれる」っていうことには大きな意味や可能性があると思っているんです。そう考えたときに、自分と誰かの間に立ってくれるものまで自分色に染めてしまうと「分かり合えない人とは永遠に分かり合えない」ということになっちゃうので、それじゃつまらないなと。半分言い訳もありますが、そういう気持ちで曲を作っています」

 

 

「自分を出さない」ことへの葛藤

 

---とても納得感のあるお話で、水野さんの問題意識もよく理解できました。ただ、揚げ足を取るようで恐縮ですが、今のお話の中で「理論武装」や「言い訳」という表現を使われていましたよね。やはり水野さんとしては理論武装や言い訳をしないといけない何かもやっとしたものがあるんでしょうか。もしくは、自分の気持ちを思いっきり出したいという気持ちもまだあったりするんですか。

 

「あの・・・ないことはないですね()。「曲を作るのに自分を出さない」っていうのはある意味矛盾している行為だから。そういう矛盾したことをやるのって、結構苦しいんですよ。それに、やっぱり普通にやっているとどうしても自分が出てきちゃうわけで、自分を捨てる方がよっぽど難しいというか」

 

---なるほどなるほど。

 

「吉岡(聖恵、ボーカル)ともよく話すんですけど、彼女は「自分じゃない人が書いた曲を」「自分の気持ちを込めるのではなく、その曲に書かれた物語を表現するために歌う」ということに対しての難しさや苦悩を感じているんですよね。で、それは俺も同じだよと。歌を作る、でもそこに自分のメッセージを入れないっていうことに関して、自分自身必ずしも割り切れているわけではないんです。ただ、これは何の根拠もない話なんですが、そういう矛盾の中にいることが強い作品を生み出すことにつながるんじゃないかなとも思うんですよね。タイトなリズムよりも走っている方がいい演奏になったり、バラードでもプレイ自体は激しい方が聴く人の印象に残ったり、いくつかの矛盾が解決したときにこそいいものができると信じていて。だから・・・そもそもは自分の表現をしたい、個人の思っていることを見せたいって思っていた人間が、何の因果か全然違うチャンネルを持ったメンバーに出会ってしまって、それでも何だかんだ言いながら一緒にやっているっていうのは、「そういう矛盾を乗り越えていいものを作りなさい」っていう天の思し召しみたいなもの---別に宗教をやっているわけじゃないんですけど、そういうことを言われているのかなと思っています。まあそう考えてやってはいるんですけど、すげー苦しいし大変です()

 

---先日関ジャニ∞の番組(「関ジャム 完全燃SHOW」、16313日)に出演されていた際に、同世代、かつ近いエリアで活動していた存在、そして「あの人たちには勝てないな」と思った存在としてRADWIMPSのことを挙げられていたじゃないですか。ラッドの野田(洋次郎)さんの表現って、内面から出てくるもの全てを表現として叩きつけるような・・・

 


 

「まさにそうですね」

 

---そういうことをやっているRADWIMPSといきものがかりは真逆のアプローチをとっていると言えると思うんですけど、本当はああいう表現をやってみたいというような気持ちは今でもあるんですか?

 

「ないわけじゃないですけどね・・・ただ、それをやるのはいきものがかりではないなと思います。それに、RADWIMPSと僕らは真逆のことをやっているようにも見えますけど、10年経ってみて考えると本質的なところではつながっている部分もあるのかなと思っていて」

 

---先日対バンもされましたもんね(「10th ANNIVERSARY LIVE TOUR RADWIMPSの胎盤」、151124日)。

 

「はい。僕たちは自分のメッセージを出さないことで聴いてくれる人とつながろうとしているけど、野田君は自分の「個」を突き詰めることによって他の人たちの「個」の中にあるものとつながっていると思うんですよね。だからアプローチは違うけど目指そうとしていることはもしかしたら大きくは違わないのかもしれないな、とか。同じ山の山頂でばったり出会って、「僕は北から登ってきました。あなたは南から登ってきたんですね」みたいな感じなのかなと思うと、さっき話した割り切ることの難しさを助けてもらえるような気がしているんです。デビュー当初は確かに悩んだ時期もあったんですけど、結局同じことやっているんだよ、って」

 

---なるほど。確かに、聴く人の体験や感情とつながっていくという部分では共通するものがありそうですね。それに先ほどの「上を向いて歩こう」の話ともつながりますが、気づかれずに広まっていった方がもしかしたら与える影響は大きくなるかもしれない。

 

「そうですね」

 

---たとえばですけど、そういう形で悪い考え方を広めることができたら、そっちの方が悪質だったりするじゃないですか。

 

()。そう思います。だから「危険なことをやっている」っていう認識はすごくあります。よく「毒にも薬にもならない」とか言われがちなんですけど---それ自体は別にいいんですけど、実際にはかなり危ないことをやっているんじゃないかなとは思っています」

 

---薬なんだけど薬とは思わずに飲んじゃうみたいな・・・

 

「飲んじゃう。毒薬よりも水の方が飲みすぎると危ない、みたいな話に近いのかなと思います。今の小学校でやっているのかよくわからないですけど、昔は朝の会で「先生おはようございます、友達おはようございます」って挨拶してたじゃないですか。あれだって何の害もないように見えて、実は子どもたちの行動に影響を与えているわけですよね」

 

---無意識に訓練させているようなものですもんね。

 

「訓練ですよね。そういうものって社会にはいっぱいあると思うんですけど・・・僕は今自分の表現に自分のメッセージを直接乗せないようにはしているけど、僕自身は必ずしも客観的な人間ではなくて、言いたいことも思っていることもはっきりあるから。「受け手が気づかないところで何かの意識づけがされてしまう」というのはかなり危険なことだけど、危険であると同時に僕にとっては可能性のあることだとも言えるんじゃないかなと思っています」

 

 

「音楽vs音楽」より「音楽vs“球場”の外にいる人」、そして「J-POPの更新」へ

 

---先ほど「水と毒薬」という例え話がありましたが、音楽の話だと一般的には「毒薬」の方がいろいろな人に持てはやされる傾向はありますよね。そういう空気感に対して、水野さんがフラストレーションを感じているかのような言動をたまに見かけますが・・・

 

 

「そういうポーズをとっている、という部分はあります()

 

---お聞きしたかったのは、最初の方で「音楽ファンみたいな人たちにはあんまり見てもらえないだろうな、というところからいきものがかりは始まっている」という旨の話をされていましたが、やっぱりそうは言っても「わかる人にもわかる」みたいな部分も本音では求めているのかな、というところなんですけどその辺はいかがでしょう。

 

「うーん、まず基本姿勢としては「誰にでもわかってもらいたい」と思っているので、もちろん「音楽好き」というか、ある種のコミュニティの人たちにもわかってもらいたいというのは前提としてはあります。そこにはきっと今のままだと分かり合えないだろう人もいて、だからこそわかってもらいたい、という気持ちもある。ただ、そういうことをすごく気にしていたのは活動期間の前半までですね。最初はすごく気にしていたんですけど・・・だんだんね、どうでも良くなってきて()。これは僕の勝手な感覚なんですけど、僕らがデビューする頃は「自分たちはマイノリティだ」って言っている人の方が多かったような気がするんですよね。そっち側が「メジャーシーン」で、僕らの方が「マイナー」というか。だから、「そういうものに対抗するようなものを作らなきゃ」とか「そういうものを良いという人に評価されなきゃ」みたいな気持ちをエンジンにしていた時期もあったんですが、その「メジャーシーン」だと思っていた場所がだんだん細分化されていくような感じもしたので、そこに対する気負いみたいなものは徐々に少なくなっていきましたね」

 

---4年前のテレビ番組の「ゲストとゲスト」(2012430日)にアンジャッシュの渡部さんと出演されていた際に、水野さんが「フジロックとかロッキング・オンとか、“かっこいいと言われているもの”に対してすごくコンプレックスがある」というお話をされていたと思うんですが。

 

「はいはいはい」

 

---あれを見たのが、水野さんのことを気にし始めたきっかけだったりするんですよね。「この人ほんとは何考えてるんだろう?」と思って。

 

()

 

---そういう気持ちも今となっては多少軽減されているんですか?

 

「だんだん軽減されてきていますね。・・・なぜかそんなタイミングでロックインジャパンに出ることになったんですけど()

 

---それに対して思うところなどはありますか。

 

「いや、特にはないですね。5年くらい前だったらまた違ったと思いますけど・・・現場に行ったら「うわあ・・・」ってなっちゃうような気がしますが()、普段通りやると思います。いろんな経験をして自信がついてきている部分もありますし。それに、今は「僕らの音楽をロックフェスに集まる音楽好きの中でも評価してもらう」とか、そういうことを考えるような状況でもないのかなと思っていて。今の音楽を取り巻く環境って、「厳しい」って言葉以外になかなか出てこないじゃないですか。みんなポジティブに捉えようという努力はしているけど、間違いなく厳しいわけで。昔は大きな球場があって、そこでいろいろな勢力同士が一定のルールのもとに戦っていて、それを見守る観客もたくさんいたのが、今となってはこの球場ごとなくなってしまうかもしれない、みたいな」

 

---確かにそうですね。

 

「音楽と音楽の間でどっちの音楽がもっとこうなったらいいねとか語り合っている間に音楽そのものが文化として必要とされなくなってしまうんじゃないか、やばい!っていうのが今の状況だと僕は思っているので。だからさっきの例えで言うと、いきものがかりみたいなグループは「次の球場をどこに作るのか」とか「球場の外にいる人をどうやってここまで来てもらうか」とかそういうことを考えなきゃいけないと思っているんですよ。だからこそ、別のコミュニティに対するコンプレックスみたいなものが軽減されていったのかもしれないですね。もっと気にしないといけないことが見えてきたというか」

 

---なるほど。まさに今おっしゃっていただいたような、「音楽好き」ではない人にまで含めて音楽を届けようとするいきものがかりのスタンスを評して「J-POPの王道」という言葉を使われることがよくあると思うんですが、水野さんとしては「J-POPの王道」って何だと思いますか?

 

「全然わかんないですよね()。先ほども言いましたけど、J-POPという概念はファンタジーだと思うし、自分たちもそう思いながら「真ん中」という言葉を使っているので。ただ、そのファンタジーを背負える人はなかなかいないと思っているし、願わくばそのファンタジーを更新したいです。なかなか難しいですが」

 

---具体的には、それこそ「上を向いて歩こう」みたいなものを社会に残していくということですかね。

 

「そうですね、そういうことだと思います。「上を向いて歩こう」だって、発表された当時は「王道」って言われるような音楽性ではなかったと思うんですけど、今では日本の音楽のルーツの一つになっていますよね。そういう更新が時代ごとにいくつか行われていて、その集積が今のJ-POPというファンタジーを形作っていると思うんです。だから、自分たちの音楽を通じてそういうことができたら、つまりJ-POPを拡張したり更新したりするようなことができたら・・・まあ大したもんですよね()。それに「上を向いて歩こう」って、当たり前に世の中に存在しすぎていて、もはや音楽として見られてないと思うんですよ。あの曲についてコード進行が云々とかって批評することはもちろんできると思うんですけど、今となってはそういう形で褒める人ってほとんどいないですよね」

 

---なるほど、音楽であることをことさらに主張していないというか。

 

「そういうものになった方が、社会における文化としては絶対強いと思うので。たとえば自分が死んだ後とかにでも、僕らの楽曲がそういう位置づけになればいいなって思っています」

 

>>>>>>>> 

 

 

司会者「インタビューは以上になります。何かあれば」

 

レジー「すごく丁寧に話していただいたしこっちもフルパワーで対応したつもりなので基本読んでいただければって感じですね。話のスケールがさすがでかくて刺激的だった。あとは高校時代の話がすごく印象に残ってます。カースト上めの人たちへの斜めな視線が」

 

司会者「そこですか」

 

レジー「いや、でもこれすごいわかるんだよね。「リア充にもオタクにもなれない」みたいな話ってあるじゃないですか。今思い返せば僕の思春期って完全にこれだったんだけど。水野さんが実際のところどうだったかはわからないけど、話しながらそういう温度を勝手に感じたりしていました。その当時の経験が今の立ち位置にも生きてて、でもそのスタンスをとり続けることには苦悩していると。すごく面白かったです。改めて、水野さんありがとうございました。また機会があればこういう場を設けられたらいいなと思っています。というわけで今回はこんな感じで」

 

司会者「わかりました。次回もインタビューですかね」

 

レジー「まただいぶ毛色の違うインタビューをお届けしますのでお楽しみに」

 

司会者「できるだけ早めの更新を期待しています」