俺は『納得』したいだけだ。『納得』は全てに優先するぜ!
とジャイロ・ツェッペリ(上の画像の帽子被ってる奴)(って全員被ってるじゃねーか! 右の奴!)も言っている通り、僕も自分の納得した事しかしたくないのである
思えば幼少の頃からそうだった。大抵の事は「自己流」で完結させる
正しいやり方、正しい持ち方、正しいフォーム
それがしっくりくれば良いのだが、そうでないと僕は勝手にドンドン自分で考えてしまう
例えば鉛筆はこうやって持つらしい
何で? 今の僕の持ち方の方が早く書けるんだけど
例えば箸はこうやって持つらしい
何で? 今の僕の持ち方の方が食べやすいんだけど
幼少の頃から何度も注意され、指摘されてきたが、未だにどちらもおかしいままだ
箸に関しては気にする人も多いし、周りの目もあるので大学生くらいの頃にようやく再度練習してみた。どんだけ練習してもさっぱり身につかなかった
代わりに自己流で「一見ちゃんと持ってるように見えるけど、実際は合ってない」持ち方をマスターした。人前ではこれを使う
納得は全てに優先するぜ!
何かを説明されてその通りにやるのがどうしても苦手だ。これは昔からそう。頭おかしいのかもしんない
でも、すんなり出来る事もある。それは大体自分が「納得」した時だった
関係ないかもしれないが、ゲームは説明書を読まずにやる派だし、全てにおいて「やりながら覚える」を選択するタイプだ。というより、そうじゃないと覚えられない
っていうかいっぱい説明受けても終わるころには初めの説明何て忘れてる
もしかしたら天才肌的なのを想像した人がいるかもしれないが、そうではない
結局自己流なわけで、それで何かを極めた! って事はほとんどない。ハマるとそこに向かって突き進んでいくから、他の人よりも経験値が多く貯まって「人よりちょっと良い」くらいになる事はあるが、それが関の山で、頭1つ抜けた存在になったことは一度も無い(強いて言うなら好きかって書いているこのブログはそれに該当しているのかもしれない)
結局のところ、正しいやり方というのは大抵の場合正しいのだ
それはわかってきた
そして「正しくないと駄目な事」は世の中に多過ぎる
それが息苦しかったりもするのだ。社会に出るって言うのはそういう事なのだろうか
何はともあれ、納得をしなければ進めないようだ
現代社会においては難儀だが、それを押し殺すことなく、むしろ自分のポリシーとして生きていく事にした
何かその方が、カッコイイじゃん
世の中コラ、めんどいけど、負けねーぞ
みたいな
そんな感じ!
おわりっ