Non-apology apology (謝らない謝罪)
"non-apology apology"あるいはnonpologyとは、期待された悔恨を表明しない形式の謝罪である。これは政治及び広報において、よく使われている。これの発言者は、行動・発言・悪行について反省するのではなく、被害を受けた人が謝罪を要求している・抗議をしている・何らかの報復の脅威となっていることを残念に思っている。
"non-apology apology"の例は、ある発言によって気分を害した人に対して、「私は、あなたがそう感じていることを申し訳なく思う(I'm sorry that you feel that way)」と言うことである。この謝罪は、何か問題があったことを認めていない。さらに、「最初の発言で気分を害したことは、その人が非常に怒りっぽいか、非合理的である」と、ほのめかしていると、とらえられるかもしれない。別形式の"non-apology"の形式は、傷ついたり侮辱されたりした人へ直接には謝罪せず、「気分を害したかもしれない誰か(to anyone who might have been offended)」に対する、ジェネリックな謝罪を行うことである。
「"sorry"を使っているが、不正行為の責任を表明していない」謝罪発言は、後悔の意味ある表明かもしれないが、誤りを認めずに、許しを求めるときにも使える。
「謝らない謝罪」の一つの形式は「間違いが起きた(Mistakes were made)」である。
Mistakes were made (間違いが起きた)
「間違いが起きた(Mistakes were made)」は発言者が「事態がまずく、あるいは不適切に対処された」を認めつつ、誰が間違を犯したかを特定しないことで、「直接に責任を認めたり、責任追及されたりすること」を避けようとするものである。間違いを犯した人への直接の言及を避けて、「間違い(mistakes)」を抽象的な意味で、認める。回避度を弱めた表現は「私は間違いを犯した(I made mistakes)」や「John Doe made mistakes」である。これの発言者は、個人的責任を認めず、誰かの責任も追及しない。「間違い(mistakes)」という単語は、意図があることを意味しない。
もう一つの、よくつかわれる「謝らない謝罪」の方法は「もし〜なら、謝罪する(if apology)」である。
The "if apology"
"The Art of the Apology"の著者で、弁護士であり、企業倫理の専門家であるLauren Bloomは、「もし〜なら、謝罪する(if apology)」を政治家お気に入りの表現として言及し、「誰かの気分を害したとしたら、謝罪する (I apologize if I offended anyone)」という表現例を挙げている。
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この種の謝罪は、「もし私の発言で気分を害したとしたら、謝罪する(I'm sorry if you were offended by what I said)」と言うことで、不正行為を個人的に認めることを拒否しつつ、責任を「気分を害した」人々にシフトさせる。「もし(if)」は、謝罪者が「自分が悪いことをした」ことを知らない(あるいは知る気もない)ことを意味する。あるいは、「悪いことをしたことを認めず」、したがって、「実際に反省している」からではなく、「謝罪する義務があると感じている」から謝罪するのだと見せかける。謝罪者が実際に後悔しているという形跡も、自分が悪いことをしたことから何かを学んだという形跡も見当たらない。John Kaborは自著"Effective Apology"で、「もし(if)、あるいは何らかの条件付き修飾語をつけることは、謝罪を『謝らない謝罪』にしてしまう」と書いている。