英ロッチデールの街頭で交わされたゴードン・ブラウン氏とジリアン・ダフィーさんの会話は、2010年の英国総選挙における決定的な瞬間だった。この会話は、過去50年間の左派政党の変遷についても多くのことを明らかにした。
ダフィーさんは当時首相だった労働党のブラウン氏に、労働党と同党の価値観に生涯にわたり傾倒していると伝えた後、東欧から「なだれ込む」移民について質問した。ブラウン氏はその後、乗り込んだ車がグレーターマンチェスターを走り抜ける際、(実は全く内密ではなかった)内輪話でダフィーさんのことを「頑固な女だ」と非難した(注)。
注=2010年総選挙投票を控えた英国で、ブラウン首相(当時)が有権者の女性と通りで議論した。その後、車のなかでこの女性を非難した言葉がテレビで報じられた珍事を指す。労働党は数日後大敗を喫した
■中道を勝ち取る「カード」が弱体化
1960年代には、西側民主主義国の政治というものは基本的に階級に基づいていた。左派の政党は大半の票を比較的貧しい市民から得ていた。そして、そうした市民の数が多かったため、右派の政党は過半数を勝ち取るために中道へ手を伸ばさなければならなかった。
階級と政党の一体化の主な例外は、エリート層が労働者階級の支持を勝ち取るために宗教ないし人種のカードを切れたときだった。欧州大陸のキリスト教民主主義政党が伝統主義のカトリック教徒を動員できる一方、例えば北アイルランドやグラスゴーの反カトリック感情は、保守の統一主義者を自称する候補が労働者階級の多い選挙区で勝つことを可能にした。米国では、保守的な南部の民主党候補が、あらゆる階級の白人有権者から支持を集めた。
だが、欧州がより非宗教的になり、米国の政治に対する人種の影響がさまざまな形で表れるようになると、こうした構造が崩れ始めた。基本的には小事だった1968年の数々の「革命」は、環境に関心を持ち、「差別」との戦いに関与する、教育水準が高く社会的にリベラルなエリート層の誕生を告げる序章だった。
このエリート層は企業をあまり好まず、実際、企業と距離を置こうとした。彼らの経済的な見解は、考えとしてお粗末だったが、人権に対する主張からたぐり寄せたもので、世界的な正義と平等といった抽象的概念を強調していた。これが左派政党の指導者の行動規範となったが、伝統的な支持基盤である労働者階級はほとんど共鳴しなかった。この基盤は社会的に保守で、その経済的価値観は所与の権利よりも勝ち取った資格を重視していたからだ。