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〈金正恩〉が暴露本を書いた“料理人”を処刑しない理由
「軍と人民が偉大な成功を収めた」
五月六日、平壌で三十六年ぶりに開かれた朝鮮労働党大会において、スーツにネクタイ姿で現れた金正恩第一書記は「開会の辞」としてそう述べたという。
「スーツ姿は、祖父・金日成を意識したもの。この大会にも、自らを神格化しようとする狙いがあります」(大手紙外信部記者)
そんな独裁者が心を許す人間は意外な人物だった。
四月二十三日午前。平壌からの便で北京の国際空港に一人の中年男性が降り立った。その男にすかさず声をかけたのは、韓国の情報機関・国家情報院のエージェントだ。声をかけられた男性は、こう認めた。
「ああ、(平壌を訪れて)金正恩最高司令官に寿司を握りましたよ」
男性の名前は藤本健二(仮名)。故・金正日総書記の料理人として知られ、〇一年に北朝鮮から逃れると、金一族の放埒な生活ぶりを詳細に伝える“暴露本”を出版した人物だ。
北朝鮮においてロイヤルファミリーに関わる情報は「知ろうとしてもいけない」絶対機密である。
「九七年には、やはり脱北して金一族の暴露本を書いた金正日の甥がソウルで暗殺されています。藤本氏も、その意味では“裏切り者”でした」(前出・記者)
だが藤本氏は一二年七月に再訪朝。正恩氏に泣いて許しを請い、許されたというが、帰国後にまた正恩氏らの様子をマスコミに暴露。再び、平壌は沈黙した。
周囲に「平壌に残してきた妻と子供に会いたい」と漏らしていた藤本氏は、正恩氏に許しを請う手紙を何度も書き続けた。
その藤本氏のもとに今年四月初め、突然、北京から国際電話が入り「金第一書記が四月十五日の太陽節(金日成誕生日)に招待する」と伝えられたという。
急遽、北朝鮮へと飛んだ藤本氏は十二日、平壌市内の特閣(別荘)で、正恩氏と夕食を共にし、その席には妹の与正氏、崔竜海党書記らの姿もあった。
その後、前述の通り、北京経由で帰国した藤本氏がメディアに語ったところによると、正恩氏はこの席で「米国と仲良くしたいが、うまくいかない。仕方がないので、ミサイルを撃ったり、核実験をしたりしている」などと話したという。
自分を裏切った男をなぜ正恩氏は許したのか。ある情報関係者は指摘する。
「おそらく、金正恩は寂しいのだろう」
金正日の死後、正恩氏の相談相手は、叔母の敬姫氏とその夫の張成沢国防副委員長だけだった。だが一三年、軍や国家安全保衛部の讒言(ざんげん)を真に受けて、正恩氏は叔父を処刑。信頼できる人物はいなくなった。
「彼がちょっと怒鳴っただけで、周囲が縮み上がって勝手に処刑するケースもある」(同前)というが、最近、北朝鮮が公開した映像や写真には、ふんぞり返った正恩氏と、顔色を窺(うかが)う側近の姿ばかりが目立つ。
一一年末に権力を握って以来、正恩氏が複数回面会したのは、藤本氏と少年時代に大ファンだったという元NBAのスター選手、デニス・ロッドマン氏の二人だけだ。正恩氏はこの二人と面会した際は、与正氏を伴って会食する。あくまでプライベートを楽しむための相手、なのである。
その背景には、正恩氏の過去がある。彼の母、高英姫は、金正日の三番目の妻で、金日成はその存在を認めず、正恩氏は祖父と面会したことすらない。特閣の一つに隔離されて暮らしていた友達のいない正恩氏にとって、父の料理人だった藤本氏は良き遊び相手だったのである。
その藤本氏は、北京に到着するや、各メディアに電話を掛け、出演料の交渉に余念がなかったという。
今回、正恩氏は、ツーショット撮影を許さず、警戒していたフシもうかがえるが、そこまでしてなお藤本氏を招くところに“独裁者の孤独”が滲む。
「週刊文春」2016年5月19日号
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