前回からの流れですが
「構築のし直し」を考えた時、一番最初にやろうと思ったのは、
まず、掃除。
いや、この数ヶ月間「汚部屋」に住んでたとかそういうわけでは決してなくですね、
過去の経験上、自分が元気になったと感じる背景にはいつも「掃除」が絡んでるんです。
この場合の私が言いたい「掃除」とは、「身のまわりを整える作業」全てのことです。
だから、床掃除だとか水回りの掃除、整理整頓や断捨離もそうだけど、
寝具の買い替えやキッチングッズの新調、「包丁を研ぐ」なんてことも含め、「気持ちよく暮らすためにすること」は全てそう。
昨年末、9年も暮らした家を出て今の家に移ったんですが、引っ越し早々イヤなことが重なりましてね。
そのことで手一杯で、「新しい住処を整える作業」を後回しにしてしまったんです。
しかも「後回し」にしている状況がすっかり「日常」になってしまって、何か不便を感じても「そういうもの」だと思って生活するようになっていました。いやもうほんとつい最近まで。
少し話はそれるのですが、昨年11月、missionという日記を書きまして、
東京に出てくる20歳の時、母親からお守りとして仏壇持たされたっていう話なんですけど
新居に引っ越して以来、私が「おばあちゃん」と呼んでいるこの仏壇の置き場所や
線香を炊くこと、花を生けること、向き合う気持ちそのものが、
ちょっと雑になっていたなと、今になって思うんです。
置く場所の決め方も、飾る花を選ぶときの気持ちも、その生け方も、なんていうか「及第点」で自分を許していたようなところがあって
この「及第点で許していた」が、この数ヶ月の在り方の、あらゆることに共通していたなと。
冒頭で書いたような「身のまわりを整える作業」のビッグウェーブって、1年に1回とか2年に1回とか不定期でやってくるんですけど、
それこそ過去のビッグウェーブ到来時、あるべきところにあるべきものという日記を書いたことがあります。2013年12月のことです。
その中で
「もういいよ」と思われるかもしれませんが、私が秋から続けている大掛かりな掃除で思ったのは、
「家をきれいにする」って、「家を大事にする」、言い換えると、「自分の居場所を大事にする」ってことなんだな、なんですよ。
大事にするということは、感謝をするということでもあると思うんです。
なので私、人から見たらたぶん「鬱陶しいな!w」と思われそうなくらいに、今とっても幸せなんです。w
って書いてるんですけど、ここ最近の私はこの逆を行っていて、つまり「自分の居場所を大事にしてなかったな」って思ったんですね。
これは、あとになって気づいたと言うか、やっぱり誤魔化しってきかないんだなあと思ったことだったんですが
ただ掃除をしていれば良いっていうものでもないんですよ。(私の場合は)
だって現に、ただの掃除なら落ち込んでた期間だってそれなりにしてたし、「くらしの向上」を求めて買いそろえたものだってたくさんあります。
でもこの「それなり」っつーのは、ほかの誰にもバレなかったとしても、自分には分かることで、言ってみれば「出来のいいコピー」を使ってるみたいなものなんですよ。
いや、下手したら出来も全然良くなくて、形にはなっててもおいおい縫製ガタガタだな!!w みたいなことになってるんだけど、「でも使えるから良いや」みたいな。
なんていうか、あらゆることに対して誠意とか真摯さとかひたむきさが薄弱になっていたなあと思うのです。
「原点に帰る」なんていうと大げさかもしれないけど、ひたむきな気持ちを今一度、って思ったときに、私は何を大事にしていたかなあって考えたら、
家を綺麗にして「自分の居場所を大事にすることを意識」していたり、「『おばあちゃん』と向き合う気持ちを大事にする」ことだったんですね。
意識する、向き合う気持ちを大事にする、なんて、言ってみれば精神論でしかないんですけど、まあでも「病は気から」っていうし、
そもそも「自分の機嫌」なんて自分の中にしかないものですから、まずは「心持ち(中)」から変えないとだめなんだなあっていうことを改めて感じました。
ただ、難しいのは、元気がない時って言うのはいくら言葉でそう言い聞かせても、あるいは人から説かれても、「言ってることはわかるけどぉ…」って、ぜんぜん「腹に落ちない」んですよね。w
でもそれこそ、その「腹に落ちない時期」っていうのも定期的に来る「恒例行事」で、その時期がちゃんと訪れるって言うのは、ある意味健全なことだと、元気になった今は思います。
先日のコスメ収納の見直しもその一環なのですが、
改めて掃除したり整理整頓をしたり、「おばあちゃん」用のお線香を新調したり、包丁のシャープナー買ったり(w)と、徐々に「やり直し」をはじめて、「すぐに」ではなかったけれど
気がついたら「あれ。元気になってる」と自覚出来るほどになっていました。
「それなり」っていうのが、ほかの誰にもバレなかったとしても、自分には分かるのと同様に
「ちゃんとやってる」のも自分には分かることなんですよね。
で、この「ちゃんとやる」っていうのがどういうことかを、忘れていたなあって思ったんです。
私の思う「ちゃんとやる」は、きっちり几帳面にやるとかそういうことじゃなくて
「愛を持ってやること」
ことだなと。
こんな簡単なことをなんで忘れるのかしら〜と思う反面
また忘れる時期もくるんですよ。きっと。
でもそのときはまた思い出せばいいし
その繰り返しなんでしょうねえ。