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10月31日、水曜日。誘拐から丸31日が経過。
麻衣は今まで一度だって富良野から外に出たことがありません。
富良野市風俗拾路病院で未熟児として生まれて、生まれてすぐに預けられ小学校の途中までを過ごした教護院は、病院の付属の施設だったし、施設育ちの麻衣に誰もが冷たかった小学校や中学校も富良野の市立。
旅行には行ったことがありません。
小学校の修学旅行はお兄ちゃんとお留守番をしました。
だから麻衣にとって世界はラベンダーの香りに満ちていて、枕元にまで漂うその香りのおかげで世界中の誰もが眠れない夜を過ごしたりはしないと、そう信じていました。
トモヤが今麻衣の隣で眠っています。麻衣よりふたまわりも年上の男の人を、それも麻衣がずっと憧れてた大泉洋の番組だって作ったことのあるテレビのプロデューサーをどうして麻衣は呼び捨てで呼んでるんだろう。女子中学生に呼び捨てで呼ばれたいなんていうからしかたないんだけど。
トモヤは噛み砕いたハルシオンのかけらを口のまわりにまるでお菓子のようにくっつけていて、だから麻衣はハンカチでトモヤの口をぬぐってあげました。ハルシオンというのは睡眠薬の定番らしく、あまり効かないのだそうです。
「医者の言うとおりに一錠だけ飲んで寝ると、殺された娘がぼくの首を締める夢を見るんだよ。笑いながらさ。きゃはははははって笑いながらさ。笑えるだろう?」
笑えない。
トモヤの腰まで伸びた長い金髪は、ブリーチのしすぎで縮れています。トリートメント、ちゃんとしてるのかな。
「たまらなく死にたくなる。死にたくなったら仕事にならないから、夢も見れないくらいに毎晩お酒といっしょに何錠もこの薬を飲むんだ」
車はトモヤと棗さんが交代で運転をして、枝幸に向かいました。
お兄ちゃんは今年の春休みに麻衣がつきそって教習所に車の運転を習いに行ったけど、年をとった教官に毎日おまえは運転に向いていない、才能がない、ということだけを教えてもらっただけで免許をもらえなかったので車の運転はできません。
枝幸に着いたのは太陽がようやくそのまぶしい顔を麻衣たちに覗かせた頃で、棗さんは逆光の中何度も交通事故を起こしそうになるくらい疲れていて、ココとお兄ちゃんはそんなことなどまるで知らずに眠っています。
麻衣なんてこわくておしっこを少しナプキンにもらしちゃったのに。
窓を開けると、枝幸は潮の香りがしました。富良野より寒いです。
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