nocitabi.-のちたび-

読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

nocitabi.-のちたび-

へたれアラサーWebライターの世界一周記。旅立つまでは準備やら、日常やらを配信しています。

【ご報告】長野県から神奈川県に引っ越しました

ひとりごと 生活

こんにちは、のっちです。

先日、8ヶ月間住んだ長野県を卒業して元々いた横浜に帰ってきました。やっぱりこっちは人が多いし、オシャレなお店も人も多いなぁという印象。だからといって、長野と神奈川を比べて、どちらが良い!というわけではないです。どちらもそれぞれ良い場所だし、好き。

 
f:id:nontsu:20160504195055j:image
 
とりあえず愛しの飼い猫たちともずっとベタベタできる日常がもどってきたことがとにかくしあわせ。
こっちにかえってきたことを友人たちに連絡すると「そもそものっち、なんで長野にいたの?」や「長野で何してたの?」と聞かれることが多いので、なぜわたしが長野にいたのか(いくことになったのか)ひとりごとのように記しておこうと思います。
 
 多少暗い記事になってしまうかも。ちょっと長いので、興味がある方はどうぞ。

わたしが長野県に移住した経緯:

f:id:nontsu:20160504202452j:plain

 地元でもないし、特別な思い入れがあるわけでもない長野県。そんな長野県に移住の話が沸いたのは、現在勤めている会社のサテライトオフィスがOPENした時でした。

 

 

家賃1万円。残業なしの生活に惹かれて

そんな中、サテライトオフィスの話が本格的に動く中で、当時デザイナー(&ディレクター)だったわたしに、とつぜん移住の話とキャリアチェンジの話が降ってきました。なぜこの話がわたしに降ってきたのかは定かではありませんが)

f:id:nontsu:20160504232927p:plain

そんな中、心を1番大きく動かしたのが「今よりゆっくり働ける(残業がほぼない)こと」そして「家賃が安くすむため、世界一周の資金を貯められること」でした。

ポジティブな選択というよりは、どちらかといえばとても保守的な選択だったのです。

実際に下見にいったオフィスは、すごくのんびりな空気が漂っていて。「ここなら体制を整えられるかもしれない」と、自分を立て直すためにも、移住を選びました。

当然だけれど、現実はちがった

f:id:nontsu:20160504194834j:image
 
移住したばかりの頃、長野の生活はそれなりにたのしかったし、一緒に移住したメンバーももともと東京で働いていたメンバーだったので、仲もよかったんです。(女1人の環境だったのですが、特に気にならなかった)オフィスも一緒、住まいも一緒の24時間ずーっとべったりな環境でしたが、特にそれが苦になることはありませんでした。条件通り家賃も1万円だったので、お金もたまりやすかったです。
 
 

f:id:nontsu:20160504233034p:plain

移住した信濃町は、山も湖もあり、夏はウェイクボード水上スキー、冬はスノボーやスキーなどアクティビティをめいっぱいたのしめる環境で。昼休みによく湖に出ては、みんなで遊んでいました。綺麗な空気と環境。東京に勤めていたころより、気持ちはのびのびできそうだな、と思っていた矢先。
 

思わず心ごとポッキリいってしまいそうなくらいの出来事があったり。

移住したのが2015年の8月あたりなのですが、正直その年の11月くらいまでの記憶があんまりないんです。平日も土日も、まじでなにをしていたのかまったく記憶にない。
 

f:id:nontsu:20160504233203p:plain

40度近くの熱を出したこともあったし、何かがぷつんと切れて、2週間近く何もできなくなったこともあったし、何日も寝ないでことすらありました(気づいたら泣いてたときもあった) 

それでも最後に選択したのは、自分

よく、理想と現実が違ったとき「話が違う!こんなのおかしい!」と投げだす人がいます。それが不正解だとは思わないけれど、その選択した自分にも、半分は責任があるはずなんです。それを嘆いて投げ出したって、人生また同じような試練にぶつかるときだってある。少し宗教じみた言葉になってしまうけれど、神様は超えられない試練は与えない。
だったらわたしが考えるべきは、その環境にいかに順応するかそして、順応しつつどう学ぶのか。今手元にあるもので、捨てても困らないものを理解して、時間を生み出すこと。やるべきことは、すごくシンプルでした。 

そんな日々の向こう側にあったもの

f:id:nontsu:20160504233347j:plain

そんな生活がふわっと姿を変えたのは、今年の2月頃でした。
歯を食いしばって仕事をしなくても、生活が守られると思えた瞬間が訪れました。

その瞬間、半ば意地のようになっていた長野での生活も「あ、もうここで踏ん張るのはいいかな」と思い、撤退を決意することができました。

周りからは「たのしそう」とか「のんびりしてそう」と言われた、約8ヶ月間の長野生活は、わたしにとっては戦争だったし「楽しい」より「辛い」のほうが、何10倍も大きかったです。
それでも逃げずにその場で立ち向かったことは勇気になったし、これからもわたしを支え続けてくれる糧になったでしょう。

ということで、ノンストップできてしまったので今度こそ世界中回りながらゆっくりしたいと思います。

・・・ああ!ネガティブな記事になってしまった!

でも移住は後悔していないし、あのタイミングで飛ばしてくれた会社にも、結果感謝しています。
わたしを成長させてくれた長野生活、そして一緒に過ごしてくれたみんなもありがとう。これからも、よろしくおねがいします。

そんな感じで神奈川県に戻ってきました。本格的に出発が、近づいている感じ!