文/広井良典(京都大学こころの未来研究センター教授)
かつて70年代後半に、当時のアイドル歌手だった太田裕美の「木綿のハンカチーフ」という曲が大ヒットしたことがある。と言っても、最近の学生にこの話をしてもまったく通じず、彼らにこの話をするときは“今でいうとAKBどころじゃないほど人気があった太田裕美という歌手がいて……”といった説明をしなければいけないのだが。
この曲は、「東へと向かう列車」――この“東”はもちろん東京を暗に指している――に乗って大都会に出ていった若い男性と、地元に残った恋人の女性との間のやりとりが歌詞になっており、男性は後半で東京の暮らしが楽しくて帰れないと言い、“涙ふく木綿のハンカチーフください”という女性の言葉で終わる内容となっている。
ここで「木綿のハンカチーフ」の話をしたのは、この曲は、まさにそれが大ヒットした時代の世界観やパラダイム――後でも述べる“幸福”観でもある――を象徴的に表現したものと言えるからである。その時代とはもちろん高度成長期だが、それは言い換えれば人口や経済が「拡大・成長」を続けると同時に、“すべてが東京に向かって流れていた”時代でもあった。
ただし正確に記すと、この曲がヒットした1975年~76年という時代は、すでに高度成長の後半期であり、私は中学2年生くらいだったが、日本は次第にモノがあふれる時代になりつつあり、それまでの高度成長期的な価値観に疑問が生まれ始めていた時期でもあったと思う。かくいう私自身が、ひたすら「拡大・成長」を追求するという日本社会のありようへの疑問とともに育ったのだった。
経済成長はすべての問題を解決してくれるのか?
ところで、ここで現在の視点から、この歌の続き、いわば“その後の「木綿のハンカチーフ」”を考えてみるとどうだろうか。
東京に残った先ほどの男性は、乗車率300%の通勤電車で会社に通い、半ば過労死する寸前まで働くことになったかもしれない。子育てもままならず――ちなみに東京の出生率は都道府県の中で最低である――、中年を迎えると、故郷に残してきた親の介護問題が発生するが、遠距離介護で親のケアもできない……。
こうした状況や事例が現に数多く起こってきたのである(ちなみに以上のような話は、数年前に参加させていただく機会のあった、東京の「大丸有(大手町・丸の内・有楽町)」地区の今後を考える研究会でも話題となっていた)。
いずれにしても私たちは、「木綿のハンカチーフ」の時代とは全く逆の状況を生きようとしている。
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