印南敦史 - アイデア発想術,コミュニケーション,スタディ,仕事術,書評 06:30 AM
「かもしれない思考」で、人間関係のトラブルを回避しよう
テレビなどでは「毒舌タレント」と呼ばれる人たちの活躍を目にすることができますが、『なぜあの人は言いたいことを言っても好かれるのか?』(和田秀樹著、KADOKAWA)の著者によれば、彼らは「いいたいことをいっている"のに"好かれる」のではなく、「いいたいことをいっている"から"好かれる」のだとか。
なぜなら、いいたいことをいっている人の話はおもしろく、「本音を話してくれるからこそ信頼できる」という側面もあるから。とはいえもちろん、いいたいことをいっている人がすべて好かれるわけではありません。人の嫌がることをずけずけ口にして、嫌われている人も少なくないでしょう。
そこで、精神科医である著者は本書において、これまでの経験や心理学の理論をもとに「どうすればいいたいことをいって好かれる人間になるのか」という方法論を提示しているわけです。
きょうは第2章「好かれる人は『かもしれない思考』」から、いくつかのポイントを引き出してみたいと思います。
「かもしれない思考」とは?
往々にして、頑なな人は多くの人に嫌われます。ところがその一方、柔軟な人はみんなに好かれるものです。そこで著者はここで、「柔軟な人」を目指そうとしているわけです。とはいえ、突然「柔軟な人になりなさい」といわれても、なにをどうすればいいのかわからなくて当然。そこでおすすめしたいのが、「かもしれない思考」をすることだというのです。
人は「これが正しい」と思ってしまうと、それ以外のものを受け入れづらくなってしまうもの。たとえば「理系は頭がいい」と思い込んでいる人が、「文系はレベルが低い」と思ってしまったり、「子どもが小さいころはお母さんがそばにいたほうがいい」と信じ込んでいる人は、子どもを預けて働いている女性に対して「子どもがかわいそう」などと余計なことをいいがちです。
しかしそれらはすべて、「ひとつの正解」に固執するあまり、それ以外の価値観を認めることができなくなっている証拠。実際には、たいていのものは、「どちらが正しいか」などわからないものだということです。そう考えていくと、世の中にある「正しさ」や「正義」は非常に曖昧で、不確かなものばかりだということがわかるはずです。
もちろん、私たち一人ひとりが信じている「正しさ」や「正義」についても同じことがいえるでしょう。だからこそ、まずはそういう発想に基づき、「もしかしたら、自分の考えは間違っているのかもしれない」「もっと違う価値観や方法があるのかもしれない」「自分も正しいけれど、相手も正しいのかもしれない」などの違う視点で眺めてみる。それが「かもしれない思考」なのだと著者はいいます。(50ページより)
「正しい道」はひとつではない
しかし著者が「かもしれない思考」を推奨するのは、「考え方を変えるべきだ」と主張したいからではありません。自分には自分なりの考えがあっても当然であり、それはいいこと。ただ、「けれど道は必ずしもひとつだけではなく、もっと違う方法や考え方もあるかもしれない」ということを伝えたいのだということ。
勉強法のひとつとして「数学は暗記だ」と発言する人に対しては、「暗記で数学が学べるはずがない」という否定的な意見が返ってくる可能性もあるかもしれません。実際、「暗記で数学は学べない」という側面はあるでしょう。しかしその一方には、「数学は暗記だ」という発想で勉強し、力をつけていった人もいるはず。どちらも間違いではなく、つまり道はひとつではないということです。
結局、私が言いたいのは「これが正しい、これは間違っている」と一つの正解にこだわるのではなく、「そういう考え方もあるかもしれないね」という「かもしれない思考」をしてほしいということです。(中略)精神科医の立場から言うと、「これが正しい」「この道しかない」と決めつける人は心の病にかかりやすいので要注意です。(57ページより)
自分の生き方にしても、他人とのコミュニケーションにおいても「これもあるかもしれないし、あれもあるかもしれない」という考え方が大切だということ。たしかにそう考えることで心にゆとりを持つことができれば、人から好かれるようになれそうです。(56ページより)
自分の価値観を押しつけてはいないか?
当然のことながら、世の中にはさまざまな「かくあるべし」を持っている人がいるもの。それは仕事に対する考え方であったり、あるいは服装に関する価値観であったりもするでしょう。つまり、ちょっとしたことで「かくあるべし」が顔をのぞかせるものだということ。しかし、そういうときこそ「かもしれない思考」を思い出すべきだと著者はいうのです。
つい自分の感じ方に固執してしまいがちだけれども、ちょっとだけ視点を変えて「もっと違う価値観の人がいていいのかもしれない」「ひょっとしたら、自分の価値観を押しつけようとしているだけかもしれない」「本人がそれで気持ちよく仕事ができるなら、それでいいのかもしれない」と、「かもしれない思考」で考えてみることが大切だということ。
ちなみにこういう話をすると、「でも、それが常識だから」「だって、みんなそう思ってるから」という人が出てくるそうですが、その発想自体が「かくあるべし」を主張する人の考え方であり、「マジョリティが正義」のスタンスでもあると著者は指摘しています。
もちろん、マナーや常識、道徳や社会規範なども大事。しかしそれらは、「個人の価値観の押しつけ」につながる危険性が高いということ。だからこそ、そこでいったん立ち止まり、「これって、私が価値観を押しつけているのかもしれないなぁ」と思える心の余裕を持ってみることが大切だというわけです。(58ページより)
頑固になりたいか、柔軟になりたいか
「かくあるべし」と「かもしれない思考」は、年齢とともに二極化していく問題でもあるのだそうです。年齢を重ねるごとに、物事に対する見方や捉え方が柔軟になり、「そういう人もいるよね」と許容の幅が広がっていく人がいます。一方、歳をとればとるほど、頑固に、偏屈になっていく人もいる。それは、どうにも避けようのない傾向だと著者。
長く生きていれば、そのぶん多くの経験を積み重ね、さまざまな人と関わって、いろいろな価値観と出会うもの。そのような蓄積が人間としての幅をつくり、「そういう考え方もあるかもしれないね」「そういう生き方もあっていいだろう」と自然なかたちで「かもしれない思考」を身につけていく人もいるということ。
しかし自分が年長者になっていくということは、組織のなかでの立場はどんどん上になり、まわりの人から意見されたり、反論されたりする場面が極端に減っていくことでもあります。指示や命令を出したら、みんながそのとおりに動いてくれる環境ですごしていたら、知らず知らずのうちに「自分の考えは正しい」「自分の経験には価値があるんだ」と思考が凝り固まってしまっても無理はないでしょう。
あるいは定年を迎え、自分の存在感を示せる場所を失ってしまったとしたら、日常での欲求不満や不全感が強くなり、「自分は正しいんだ」「自分の経験がすごいんだ」と主張せずにはいられなくなるかもしれません。
人間というのは、どこかで自己愛を満たさずにはいられない生き物だからです。
こういう人たちは競争思考に囚われたり、勝ち負けにこだわる傾向があって、自分の意見や価値観を否定されると、自分の存在まで否定されたような気持ちになるので、どうしても負けるわけにはいかないのです。(66ページより)
つまり、そうして年長者の二極化が進んでしまうという構図。そして、人は歳をとればとるほど頑固になり、「かもしれない思考」をすることが難しくなるということは頭に置いておいたほうがいいと著者はいいます。だからこそ、「もっと柔軟になろう」「自分の価値観を他人に押しつけないようにしよう」と意識して過ごしていくことが大切だということです。(64ページより)
他にも「正しい主張の仕方」「『感情』に振り回されないコントロール法」など、すぐに役立てられそうな内容。読んで実践してみれば、人間関係が円滑になるかもしれません。
(印南敦史)
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