現在私、野村旗守は、私に対し、「在日特権というデマの旗振り役だった野村が、近年形勢不利の空気を読んで立場を翻した」などと事実無根の虚偽報道を為した関西学院大学教授・金明秀氏と、昨年10月にこれを掲載し、現在も露出し続けているウェブマガジン『シノドス』(荻上チキ責任編集)を相手に、名誉と信用を毀損され多大な精神的苦痛を受けた被害に対し、名誉と信用の回復と慰謝料を求めて損賠賠償請求訴訟を起こしています。
まあ、まず負けることはないと信じていますが、一方で「もし敗訴したら記者業は廃業するしかないな」とも考えています。我々のように報道の仕事に携わるものにとって、「嘘つき」の烙印を押されることは「職業人として失格」とダメ押しされるに等しいからであります。――というようなセリフをどこかで聞いたことがあったな……と思ったら、以前に自分が書いた文章でした(もちろん、多くの人が似たようなことを言っているでしょうが)。
「事実」で食っている報道機関にとって「ウソつき」の烙印を押されるほど恐ろしいことはない。「捏造」が証明されたほうが被る打撃は決定的だ。トップの交代くらいではすまないかも知れない。
これは、2005年に出版された『NHKの真相』(イースト・プレス)という本に寄稿した「NHK vs 朝日新聞 ―― 巨大メディア戦争の深層」からの抜粋です。
もう10年ほど前ですが、いわゆる「従軍慰安婦法廷」を扱ったNHK番組(2001年1月)に政治圧力による改変があった――と伝えた朝日新聞報道にNHKが猛烈に抗議し、時ならぬNHK vs 朝日大戦争に発展したことは憶えておられると思います。
「NHK番組改変問題」と呼ばれたこの論争、結局、喧嘩両成敗的結末で世間はなんとなく納得させられてしまいましたが、よくよく検証してみると悪質なのは――どう考えても――朝日新聞のほうです。
そういえば今回、『SYNODOS』と一緒になって、金明秀さんの私に対する事実無根誹謗中傷記事を掲載していたのも、朝日新聞社の『Web-Ronza』でした。Ronzaの記事は私の抗議文http://blog.livedoor.jp/nomuhat/archives/1012237230.html公開後削除されたので訴えませんでしたが、やっぱり朝日新聞社も訴えておけばよかったかな?
以下、『NHKの深層』に寄稿した「巨大メディア戦争の深層」です。
* * * * *
ウソをついたのはどっちだ
(05年)年頭のNHKと朝日新聞の泥仕合には、さすがに私も呆れ返った。呆れ返ったのは当然のことながら私だけではなく、折からのNHK受信料不払い家庭の続出に加え、今度は朝日新聞の不買運動にまで発展したらしい。
ことの始まりは、今年1月12の朝日新聞。朝日は朝刊1面左肩に、本田雅和記者と高田誠記者の署名入りで、4年前の2001年1月30日にNHKが放送した番組(「ETV2001シリーズ『戦争をどう裁くか』第2回『問われる戦時性暴力』)において「政治家の介入によって番組が改編された」と報じた。
朝日の見出しはこうだった。
NHK「慰安婦」番組改変
中川昭・安倍氏「内容偏り」
前日、幹部呼び指摘
2氏「公正求めただけ」
問題の番組自体は、「暗黒裁判」「復讐法廷」とも呼ばれた「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷(通称、女性国際戦犯法廷)」を通じて、旧日本軍の戦時性犯罪を問い直すというもの。「法廷」とはいってもこの裁判、被告が1人も出廷していない(全員死亡)上に弁護人すらいないという、とんだいかさま裁判劇で、この「法廷」を公共放送であるNHKが、それも教育番組で取り上げることの是非は放送前から取り沙汰されていた。
逆に放送後は、「法廷」を事実上主催したバウネット・ジャパン(=「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク、故・松井やより代表)が「番組は改竄され、『法廷』の意義を歪曲された」として、NHKを訴えていた。
バウネット側の言う「改竄」とは、「日本兵による強姦や慰安婦制度の責任は天皇にある」などとする「法廷」の判決部分をNHK側がカットしたり、逆に「法廷」に批判的な学者(秦郁彦・日大教授)のインタビューを大幅にふやしたりしたことを指す。バウネットとNHKの法廷闘争は現在も進行中だが、今回、NHKの内部から「圧力があった」という告発者が出た。
内部告発したのは、現NHK番組制作局チーフプロデューサー・長井雅和氏(当時は番組担当デスク)。問題の1月12日付朝日記事に「番組制作にあたった現場責任者が昨年末NHKの内部告発窓口である『コンプライアンス推進委員会』に『政治介入を許した』と訴え、調査を求めている」とあるが、この「現場責任者」というのが長井氏のことだ。
長井氏は、記事の出た翌日の13日に都内ホテルで記者会見し、「政治圧力で番組の企画意図は大きく損なわれた。こうした行為は放送法第三条の『放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、または規律されることがない』に違反している」と、上層部に対する糾弾告発をおこなった。
会見会場で涙すら見せた長井氏に対する同情も手伝ってか、当初、「圧力があった」という朝日記事にはいささかの落ち度もないように見えた。
ところがその後、朝日新聞の取材方法や報道姿勢をめぐって。この記事の信憑性が大きく揺らぐことになる。よく聞いてみると、記事の発端となった長井氏の告発は「『4年前の番組改編の裏には政治家の不当介入があった』と上司から聞いた」というもので伝聞の域を出ていない。そんな伝聞証言を仰々しく1面にもってきた朝日新聞の見識も見識だが、その後のNHKとの抗議合戦もまったくもってひどかった。「言った」「言わない」の応酬で、どちらかがウソをついていることは明らかだ。
事実報道を使命とする報道機関、それも日本を代表する二大メディアの、どちらか一方がウソをついているのである。「事実」で食っている報道機関にとって「ウソつき」の烙印を押されるほど恐ろしいことはない。「捏造」が証明されたほうが被る打撃は決定的だ。トップの交代くらいではすまないかも知れない。だから、NHKも朝日新聞も身の潔白を立てようとしゃかりになったのだ。
争点は「政治圧力の有無」である。
この論争、登場人物がやたらと多く、しかも過去から現在へと時制が入り組んでいるのでわかりにくいが、インターネットの掲示板にこの間の経過を見事に簡略化した対立構図が出ていた。
朝日「政治家はNHKに圧力をかけた」
政治家「かけてない」
NHK「かけられてない」
朝日「そんなことはない、証拠がある」
政治家&NHK「じゃあそれ見せて」
朝日「そんなことはできない、訴えてやる」
「証拠」を出せない朝日新聞
どう見ても、分が悪いのは朝日新聞のほうだ。
「圧力をかけた」と書かれた政治家2人、安倍晋三現自民党幹事長代理と中川昭一現経済産業相は「かけていない」と言い、「かけられた」と書かれたNHK側は、取材を受けた松尾武元放送総局長が会見して「かけられていない」と断言した。つまり、「かけた」と書かれた側と「かけられた」と書かれた側双方が、「圧力はなかった」(=「朝日新聞にウソを書かれた」)と言ったのだ。
朝日新聞が猛反発したのは当然だ。「捏造」はメディアの生死を決する問題である。朝日新聞はNHK宛てに出した通告書で「松尾氏が朝日新聞社の記者の取材に対し記事記載のとおりを述べたことは動かしがたい事実であり」「当社の名誉を著しく毀損するもの」で「誠意ある回答がない場合は法的措置をとらざるを得ない」と息巻いた。
正確を期せばここで朝日は「証拠がある」とは言っていない。しかし、「動かしがたい事実」と言うからにはその「証拠がある」と言っているのとおなじである。そして、この場合、証拠とは取材内容を録音したテープ以外にあり得ない。朝日が録音テープの内容を公開し、松尾元放送総局長がはっきり「かけられた」と明言しているのなら、形勢は一気に逆転する。さらに、そのなかで「公正を求めただけ」と言った安倍・中川両氏の発言が、一般国民にも「圧力ととれないこともない」と感じられたなら、朝日の立場はさらに優位なものになる。しかし、それでも朝日新聞は、その伝家の宝刀(=録音テープ)をなかなか抜こうとしない。
どうやら朝日には、録音テープを出したくても出せない、深い事情があるようだ。
12日朝刊記事を「朝日の誤報」と断じたNHKは、謝罪と訂正を求めて朝日新聞の箱島信一社長と吉田慎一宛に18項目にわたる公開質問状を出した。
その12項目目にこうある。
(12) 松尾元放送総局長は、1月9日昼過ぎに御社記者から取材を受けた際に、「安倍・中川両氏からもすでに取材している。全部わかっている」「政治的圧力を感じたでしょう」と執拗に問いただされた、と話しています。一方、御社の記事によると安倍・ 中川両氏への取材は翌日の10日となっています。御社記者が松尾元放送総局長に嘘をついて取材したとすれば、取材倫理上極めて重大な問題と考えます。御社はこの点について、どのような調査を行いどのような見解を持っていますか。
これが事実とすれば、とんでもない引っかけ取材であり、取材にあたった朝日の本田記者は4年前の出来事で松尾氏の記憶が不確かなのをいいことに、だまし討ちでみずからに都合のいい答えを引き出そうとしていたことになる。
また、安倍晋三氏も朝日の引っかけ取材について、次のように言ってる。
「本田記者は取材で、私に“NHKに中止するよう圧力をかけましたね。中川さんも証言しています”と言っているんですね。私が、いや、中川さんは私と同席していないんだから、証言できるわけがないでしょう、といったら彼は黙ってしまった。後で聞いたら、中川さんには、“安倍晋三が証言した”と言っているんです。ですから、彼は誘導尋問のような嘘までついて取材をしている」(週刊新潮05.2.10、櫻井よしこ氏との対談)
つまり、安倍・中川両氏に対するアプローチもまた、引っかけだったのだ。この安倍発言が取材時の内容と違う、と朝日が言うなら、やはり取材時のテープを出して証明しなければならない。
また、12日の朝日記事は中川氏が「やめてしまえ」と言ったというように書いているが、後に中川氏は当時の記録を調べ直し、「NHK幹部と会ったのは、放送の3日後だった。したがって『やめてしまえ』などと言ったはずがない」と訂正した。
ということは、どういうことなのか。
先の安倍証言と併せれば、取材時、突然の飛び込み取材に記憶をたどりきれなかった中川氏が、「安部さんも『中川さんが「やめてしまえ」と言った』と証言していますよ」という記者の引っかけ取材に嵌り、「そういえば……」と思わず事実と違うことを喋ってしまった、という構図が見えてくる。
これは私の想像だが、私ばかりではなく、報道の世界に働く多くの記者たちも、みずからの経験に照らし合わせてやはりそう考えている。このような悪質な騙し取材はしないまでも、自分の書きたい原稿にあわせて「……だったのではないですか?」くらいの取材は、誰だってやったことがあるからだ。
しかし、松尾氏、安倍氏の言っていることが事実とすれば、今回の朝日の場合は誘導尋問などという可愛いレベルではなく、完全なだまし討ちである。もしかしたら、松尾氏はテープのなかで「圧力と感じた」くらいのことは言っているかもしれない。しかし、その答えを引き出すために本田記者がウソを言って相手を騙したのだとすれば、その引っかけ取材によって導き出された証言の信憑性は格段に低くなる。
「事実」か「倫理」か
この私の想像が当たっているとすれば、テープを公開してしまうとこのような「騙し」の取材手法が白日の下にさらされることになる。つまり、朝日が現在以上に囂々たる非難を浴びるだろうことは確実なのだ。
さらに、もし朝日新聞が取材活動の一環としてこのような「引っかけ」や「不意打ち」を伝統的にやっていたのだとすれば大問題だ。私のように長年の読者であったものは、不適切な取材に基づく根拠あいまいな記事を、疑いのない「事実」として恒常的に読まされ続けてきた可能性がある。
果たしてこれは、取材にあたった二名の記者、とくに「極左記者」とすら呼ばれた本田記者個人の資質の問題なのか、あるいは朝日新聞全体の体質の問題なのか。
そこのところを問いただすべく、本田記者と朝日新聞広報部に「直接お会いしたい」と質問状を添えて面会を申し込んだが、いずれも断られた。理由については、「紙面に掲載する記事は弊社の責任の元[ママ]に編集、発行しておりますので、記者個人の対応は差し控えさせていただいております」(広報部)とのファックス回答があった。また、広報部への直接取材も「社の見解は1月21日の記者会見ですでに発表した」との理由で拒否された。
じつは、朝日が証拠のテープを出せない理由はもう1つある。朝日新聞では昨年8月に、記者が極秘に録音した取材テープが外部に流出した事件があったからだ。某私立医科大の補助金不正流用問題を取材していたこの記者は、元教授への取材に際して拒否されたにもかかわらずテープをまわした。このテープの内容が後に怪文書として関係者のあいだに出回ってしまったのである。
朝日新聞社はこの事件を陳謝し、「改めて記者倫理を徹底し」「録音は相手の了解を得るのが原則であり、取材相手との信頼関係を損なうことがあってはならない」と紙面にも書いた(04年8月7日)。ところが、これが今回、見事に裏目に出てしまったようなのだ。NHKの公開質問状16項目目には、こうある。
(16) 去年8月に明らかになった、御社記者が起こした「無断録音テープ流出問題」 についての御社見解によれば、「取材内容の録音は相手の了解を得るのが原則であり、 取材相手との信頼関係を損なうことがあってはならない」としています。
御社記者は、松尾元放送総局長に取材した際に録音する許可を得ていませんでしたので 、仮に録音テープがあるのであれば、御社見解に照らした場合、取材倫理に反する行為 にあたると考えますがいかがでしょうか。
ようするに、NHKが朝日新聞の自主規制を逆手にとったかたちになった。事後、取材相手が証言を翻すことを考慮に入れて相手に断らず鞄やポケットのなかでこっそりテープをまわすことは、報道機関ならどこでもやっている。私もやったことがある。もちろん、NHKだってやっているはずだ。とくに今回のような追及取材、告発取材の場合は、報道後「自分の言ったことと違うことを書かれた」と相手が訴えてくる可能性も多分に考えられる。そのとき、記事の内容が正しいと証明してくれるものは、録音テープ以外にないと言っていい。手書きのメモ帳だけでは証拠として弱い。つまり、調査報道において録音テープは記者の身を護るための唯一のツールなのである。
もちろん、取材テープを第三者の手に委ねるなど論外だが、こんな重要な場面でテープもまわさないようでは、逆に記者として失格である。つまり「無断録音はしない」と宣言してしまった朝日新聞は、倫理に気兼ねするあまり、報道の自由をみずから封殺してしまったに等しい。現場で取材活動に当たっている朝日の記者たちは、すでに報道機関として片腕をもがれてしまったように感じているに違いない。
つまり、NHK側はこれ以上ない弱みを握ったことになり、朝日の劣勢は誰の眼にも明らかになった。しかし、NHKが「倫理」問題をこれ以上振り回すのは、NHK自身にとっても得策でないどころか、言論の自由、ひいては国民の知る権利を大きく損ねる重大な問題に発展しかねない。
NHKが自身もおこなっているはずの「無断録音」をこれ以上追及すれば、倫理による取材規制はマスコミ全体に跳ね返ってくる。もちろん、NHKも例外ではない。取材活動に倫理が必要なのは当然だが、倫理に縛られるあまり、知る権利が阻害されるようなことがあってはならない。ここで第一に重要なのは国民の知る権利なのだ。そして、国民が知りたいのは、何よりも「事実」なのである。
調査報道において、テープなしでは現場の記者は闘えない。録音テープの規制がこれ以上進めば、すべての調査取材は「言った」「言わない」の水掛け論になってしまう恐れがある。そうなれば国民の知る権利は大きく損なわれ、社会悪はますますのさばることになる。NHKが真に追及すべきは、取材相手にウソをついて自分に都合のいい答えを引き出そうとした今回の朝日記者の取材手口のほうだ。
北朝鮮の影(?)
NHKの公開質問状は下にくだるにつれ、さらに辛辣の度合いを増す。
(18) さらに記者会見前日の電話で、松尾元放送総局長が、御社記者に対して「私の証言と記事の内容が違っている」と抗議をした際に、御社記者は「NHKにはもう話してしまいましたか」「どこかでひそかに会えませんか」「証言の内容について腹を割って 調整しませんか」「摺り合わせができるでしょうから」などと繰り返しました。
御社によると御社の記事は、「2人の記者が松尾元放送総局長に長時間会って取材した結果などを正確に報じた、根拠あるもの」だということです。それではなぜ記事を掲載した後になって、証言の内容を「調整」したり「摺り合わせ」たりする必要があったのでしょうか。明確で納得のゆく回答を求めます。
これは朝日が痛い。NHKは朝日新聞側がこっそり裏取引を持ちかけてきたことも暴露してしまったのだ。しかも、朝日はNHKの公開質問状に直ちに反撃できなかったのだから、すでに勝負はあった、と見られても仕方がない。
NHKと朝日新聞という、放送と活字を代表する二大メディアが牙を剥き出しにして睨み合っている。時ならぬNHKvs朝日新聞大戦争の勃発は、日本中を揺るがす大事件となったが、今回関係者を驚かせたのは、普段はもどかしいほど冷静沈着なNHKがいつになく強硬姿勢で臨んだことだ。
現在のところ静観の構えの、ある全国紙社会部デスクは、NHKの対応をこう見る。
「記事の出た後、いつもはおとなしいNHKが徹底抗戦に臨んだのは、海老沢会長辞任劇にまで発展した一連の不祥事から世間の眼を逸らし、メディアとしての威厳を回復したいとという目的があったでしょう。実際、視聴者のNHK不信はとどまるところを知らず、受信料の不払いは10万件以上に達していた後だった。NHKにとって今回の騒動は失地回復の一大チャンスと映ったはずですよ」
つまり、一連の不祥事で世間から批判の集中砲火を浴びていたNHKが、この機に乗じて批判の矛先を強引に朝日のほうに向けようとしているのではないか、という解釈だ。たしかに、NHKがそれを意図したかどうかは別として、朝日の「虚偽報道」によって相次いだNHKの不祥事が幾分霞んで見えるようになったのは事実だ。
それにしても、四年前の「番組改編」事件が今頃になって突然蒸し返された背景には、いったい何があるのだろうか。
一連の騒動に関して、じつは最初から絵を描き裏で糸をひいていたのは北朝鮮ではないか、という北朝鮮謀略説も流れた。ちょうど自民党内で北朝鮮への制裁発動議論が本格化している時期であったことや、01年の「国際法廷」に金正日の通訳を務めたこともある、「広義の意味での工作員」(安倍晋三)=黄虎男氏が北朝鮮側検事として出廷していたこと、記事を書いた本田記者がピースボートで北朝鮮入りしたことがあること、「国際法廷」の発案者である松井やより氏も北朝鮮側の招きで訪朝した過去があることなどからこのような憶測が流れたのだろうが、これは穿ちすぎというものではないか。最初からシナリオがあったというには、話が少々できすぎている。
そもそもの発端は、NHK・長井暁チーフプロデューサーの内部告発だった。
そして、この長井氏と記事を書いた朝日の本田記者は、お互い“同志”のような関係だというのが業界の通説になっている。とすれば、「告発」と「記事」は事前の打ち合わせで同時期に出た可能性が強い。
「私もサラリーマン。家族を路頭に迷わせるわけにはいかない。告発については4年間悩み続けてきたが、真実を述べる義務があると決断した。……」
記者会見当日、長井氏はそう言って、眼にうっすらと涙を浮かべた。
では、「4年間悩んだ」という長井氏を告発に踏み切らせたものはなんだったのか。そこがポイントだ。その点を聞いてみたくてNHKに取材を申し込んだが、こちらからも回答はない。次善の策として、長井氏の周辺を取材してみた。
「ジャーナリストの気概がなくなった」
長井氏を知るあるNHK関係者は言う。
「長井氏は中国とは関係が深いが、北朝鮮とそれほど縁のある人ではない。北朝鮮の謀略に乗ったという説には私も懐疑的です。長井氏が“この時期”に告発に踏み切ったのは、相次ぐ不祥事でNHKの屋台骨が大揺れに揺れていた、まさにその時期だったからでしょう。元々NHK内には、自民党べったりの海老沢体制に批判的な勢力が少なからずあった。長井氏もその一人だったのでしょう。一連の不祥事を受けて内外から海老沢会長おろしの大合唱が響き渡っている渦中でしたから、いまなら世論を味方につけられる、との計算が働いたのかもしれない」
今回の長井氏の告発を、「たった一人の反乱」と見るのは間違いだとする意見は他にも多かった。
別のNHK関係者も言う。
「全4回シリーズの番組中、他は44分間の放送なのに、第2回だけ40分になっている。自分の経験からしても、こういうことは通常の番組制作では絶対にあり得ない。直前に上層部から番組への介入が入り、放送時間の調整ができないくらい慌ただしく改編されたと見てまず間違いないと思います。しかし、それが本当に政治圧力による改編だったかどうかはわかりません。松尾元放送総局長は、本当は『圧力と感じた』と言っていたんだと思います。しかし、それは松尾しが『感じた』だけであって、安倍氏や中川氏のほうにはまったく自覚はなかったかもしれない。海老沢前会長体制の下では、番組への政治介入は日常茶飯事でした。私は公共放送であるNHKの番組に政治家がある程度口出しするのはやむを得ないと思いますが、過度の政治介入があった場合はそれを跳ね返すのが当然です。以前のNHKはたしかにそういう組織でした。しかし、海老沢氏が会長に就任したあたりからジャーナリストの気概がどんどんなくなって、上から降りてきた指示には絶対服従という中央集権体制になっていった。政治家に嫌われると海老沢会長に睨まれるということで、幹部たちは政治家の意見に過剰反応してしまうようになったんだと思います」
この関係者の説明によれば、今回の場合、圧力はなかったかも知れないが自主規制は間違いなくあっただろう、ということだ。
どうやら、エビジョンイルこと海老沢前会長の独裁体制とその取り巻きのイエスマン管理職に対して充満していた局内の不満の声が、今回の長井氏の行動を後押しした側面もあるようだ。
いずれにしても、巨大メディア同士の信じがたい不祥事と、中傷合戦のような論争が、「報道」に対する国民の信用を著しく損ねたのは間違いない。❏
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