「金(キム)ソンセンニム(先生)」。朝鮮半島にルーツを持つ大勢の子どもから慕われた元民族講師の金容海(キムヨンヘ)さん=大阪市生野区=が3月、90歳で亡くなった。公立学校で民族の言葉や文化を教える民族学級の普及に尽くし、本名(民族名)に誇りを持とうと呼びかけた。偲(しの)ぶ会が16日、生野区民センターで開かれる。

 金さんは日本統治下の済州島(韓国)で生まれ、戦時中の1943年、鋳物工場を営む親類を頼って大阪に来た。終戦後、民族学校の「鞍作(くらつくり)朝鮮小学校」(現・大阪市平野区)で子どもに朝鮮語の読み書きを教えていたが、GHQ(連合国軍総司令部)の意向で全国の民族学校は閉鎖された。

 その一方で、府知事との交渉で公立学校での「朝鮮人独自の教育」が認められ、府内三十余の小中学校に民族学級が設置された。金さんは51年、大阪市立北鶴橋小学校(生野区)の民族講師になり、36年間教壇に立った。退職後は在日本大韓民国民団府地方本部(民団大阪)の文教部長として行政側と交渉し、民族講師の待遇改善に努めた。