文化学院 クリエイティブ・メディアセンター

人間とアニメーション──天地玄黄・未来洪荒

原田 浩

序 「アニメーション、それは生きること」

アニメーションの素材はまさに無数である。
水、雲、木、葉、土、山、道、蒸気、布、ガラス、光、影、音、息、都市、生き物……。地球上の全ての物質と生物、そして現象がアニメーションの素材として利用可能であり、地球そのものがアニメーションの構成要素なのである。
アニメーションとは何か。
フェナキスティコープ(※1)、ゾーアトロープ、プラクシノスコープ……。本来静止しているはずのものが魂を得たかのように動き出す。我々の祖先は様々な造語によってそれらの誕生を歓迎した。語源にあたる数々のラテン語やギリシア語からは、生々しい人間の生活臭を感じ取ることができる。
アニメーションの語源といわれる「アニマ」をはじめとする幾つかの言葉もまた、魂、呼吸、精神、息、風など、古代における生命の息吹に満ち溢れている。
静止(人間で言えば死)しているはずのものが命を持ったかのように動き出すこと。ここでは、その意図的行為や偶発的現象なども含めて、アニメーションと呼称してみたい。これは、アニメーションの新しい産業構造が提唱されるなかで、最低限の人間生活と社会のバランスを保ち、多様な選択肢を市民に提起するためのひとつの試みでもある。
アニメーションの定義は市民に委ねられているはずである。
魂、生命とは何か。
自ら描いた静止絵が、何らかのきっかけで動き出した瞬間、人間は今までに味わったこともない驚きを体験する。この驚きの前には老若男女・国境・環境・地域の差はない。
このショッキングな感覚には、人間自らの生存本能に基づいて、他の生物を注意深く凝視するかのような生々しい緊張感が付随している。
また一方で、どこか懐かしくも感じられる。これと似た体験をどこかでしているはず、と体内の遺伝子が語りかけているかのようだ。遠い昔、同じ種別の驚きが存在していたことに、いつか気付く日が来るかもしれない。
紀元前3万年のアルディッシュの洞窟絵。5200年前のイランの陶器に描かれた動画(※2)。その他、絵巻、文字、記号、刺繍等の修飾絵などに見られるように、人間は太古より静止する絵を動かそうと試みた。それらはたまたま、レイノー、マイブリッジ、エジソン、リュミエールらが生まれる以前の時代であったために、連写・投影の機会を持ち得なかったが、イランの陶器はフレームまで付いた動画の状態ですでに地球上に存在していたのである。
結果としてアニメーション(間欠運動による映像)のように見える現象がある。宇宙に光と影が初めて現われ、地球、そして自然が誕生した時にこれらは偶発的に生まれたと考えられる。
森林は無数のスリットとシャッターによって構成されている。小枝はかろうじて映写機のゲートの役割を果たしている。主に風力によってコマ送りが始まり、太陽光という巨大な映写機の光を通過させることにより、重層的な光と影のダンスが始まる。大地に映し出された葉陰の舞踏ショーは、人間の視覚調節装置の機能も加わり、ひとつの画像に統合された見事な現象的アニメーションとなる。水面にきらめく無数の光の乱舞もまた然り。炎に至っては先鋭的なフォルムをコマ送りさせて人間の網膜に投影させる名人である。
これら擬似的・間欠運動の目撃は、空気中の粒子、自然界のノイズの記憶とともに潜在的なかたちで現代に生きている。光と影のショーは、古代の影絵や東洋の透かし彫り球などに受け継がれた。
口承、記号、文字、修飾絵、肉体動作に先立ち、「水鏡」や「影絵」はより鮮明に社会や人間をコピーすることに成功したが、残念ながら保存する媒体を持たなかった。
都市にまだ完全な暗闇が存在していた頃、カメラ・オブスクラなどを経て、火などの光源と透明なガラス板によるコラボレーションの登場で、ようやく投影の歴史の曙となる。この幻燈の初期を境に、現象の目撃から能動的な創作行為へと、世界は大きく流れを変えた。
アニメーションは人間の精神や感情を映し出す鏡であると同時に、生活や歴史、印象など、時を超えた様々な観念の描出・記録が可能な媒体である。
現代社会において、アニメーションは重要なグリーフワーク(※3)の一つとしても機能し得る。アブストラクトや紋様は、人間の内なる想いをかたちに変える作業を手助けしてくれる。
自然界のノイズ、フリッカー、歪み、誤差を意図的に加え、さらに従来の映像法則を逸脱することにより、生身の感情や意思、個人の尊厳を社会にアプローチすることが可能である。
紙上に人間味あふれる演劇的ビックバンを生成することにより、偏った社会や環境のバランスを元に戻す一助にすることも可能である。
多額の資本は必要としない。使い古された生活用品や画材、汚れた衣服や廃材をはじめ、自然界に散らばっているものすべてが、創造と空想を手助けする無限大のツールに変化する。
閉塞感に苛まれた都市の鬱景が、狂い始めたリズムに悲鳴をあげる地球の変容が、新たな可能性と必要性を呼び醒まそうとしている。
生命体の誕生期や地球の創生期、宇宙の構造など、様々な謎が飛躍的に解き明かされる新しい時代を私達は歩んでいる。
睡眠中の夢は図像化され、意識するだけでロボットは動き、宇宙の暗黒物質は年々解明されていく。月へのエレベーターの開発が着々と進められている。2010年9月、NASAは、20光年先にある地球と酷似した「第二の地球」に生命の可能性があると発表した。
もはやアニメーションを狭義の概念のみで伝搬したり、大量消費を推したりしている時代ではない。
もっと大きな視点でアニメーションを捉えるべき時代が来ている。
様々な概念や可能性について共に語り、考えあう時代に来ている。
アニメーションとは何か。
それは尊い生命を体内に抱きながら長い歴史を日々生きること。
アニメーション。それは人間。地球そのものである。
(※1) フェナキスティコープ:19世紀の物理学者・プラトーの考案した造語である。フェナキスティスコープ、フェナキストスコープとも呼ばれている。
(※2) 動画:ここでは、アニメーションの構成要素の一つである連続性を伴った静止画のこと。現在では「動画」を「アニメーション」に置き換えて記述する場合が多い。
(※3) グリーフワーク:ここでは内なる自己や抑圧を吐き出し、肯定的な自己に出会う作業のこと。
原田 浩(はらだ・ひろし)
文化学院、武蔵野美術大学・非常勤講師。アニメーション制作会社、テレビ局、映像・音響制作会社、広告代理店勤務などを経てフリー。仕事の傍ら個人による映像制作を続ける。
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