ご無沙汰してまーす!
ぼくは元気です!
ママが忙しかっただけです!
10月っていつもそう。
埼玉県の日高市の彼岸花で有名な巾着田に
行った方からどんぐりが送られてきたよ〜
たまたまどんぐりが落ちていたから
ママのために拾ってきてくれたよ〜
なんかお返ししなくっちゃね〜
送られてきたどんぐりの種類は
クヌギだった。
これがそう。
しかし、お手紙には
『これが本物のどんぐりです!』
とあった。
一般的にわりと、クヌギだけが
どんぐりだと思ってる人は
多いようです。
団子みたいな栗…団栗(どんぐり)
そうなのか?どうなのか?
どんぐりも日本にはいろんな種類があってね、
ブナ科につく堅果はすべてどんぐり。
ブナ科にだって、落葉樹と常緑樹もあるし、
1年で出来るモノもあれば、2年かかるモノもあるし、
わかりやすく言うと、楢(ナラ)樫(カシ)柏(カシワ)
漢字でも色々あるように種類もたくさんあるよ。
変種や亜種まで含めるともうそれは覚えきれない。
栗(クリ)だって、ブナ科の堅果な訳で、
厳密にはどんぐりの一種となる。
縄文時代でも現代でも、
栽培して現代だと商品として流通しているから
ちょっと特別扱いなだけ。
ハリネズミみたいだな。
これはスダジイ。
これももうすぐだね。
この、スダジイも栗と同じ、
ブナ科のクリ亜科です。
椎の実つーたら、コレね。
たしかに、料理にしたら、食感も味も天津甘栗。
ぼくのどんぐり研究所は
これが一番活用されているよ。
おなじみ、このマテバシイ。
これは今住んでいる界隈では一番多いと思う。
なのでもうどんぐりスターチの代名詞といえば、コレ!
これは今、味噌(ぐり麹)、ぐりみつ(蜜)、コーヒー、
いろんな加工に成功している。
これだって、栗と同じ、
クリ亜科の中のマテバシイ属のマテバシイ。
これはちなみにマテバシイの花。
どんぐりの花は地味な花です。
だーれもこれには気がつくまい。
で、これが栗の花。
サイズが大きいだけで、同じブナ科だし、
やっぱり花は同じタイプだよ。
どこが違うかと言うと、葉っぱのカタチが違います。
栗の葉っぱはクヌギに近いと思います。
どちらも秋には枯れ葉になります。
栗の方が葉っぱの外側がトゲトゲ感が強いです。
マテバシイは外側が丸くて常緑樹です。
ところで、これ、すべてどんぐり料理です。
マテバシイを主に使って作ったお料理です。
どんぐりを使って、
これだけの美味しいモノが作れるんです!
マテバシイを主流にしたには理由があります。
まず、一番たくさん落ちている。
割るのは大変だけれど、殻が固いので虫はほぼゼロ。
アクが少ないので水も時間も節約出来る。
故に、白くてキレイなスターチである。
もっと言えば、澱粉の粒子の比重が他のと比べて重いので、
沈殿にも時間がかかりません。
それだけ優れているのがマテバシイ。
コナラ属のどんぐりなんかは軽いのでなかなか沈まない。
さらにアクが強いので、色が濃くなっていて、
確実に沈殿しているかの判断がつかないまま、
流してしまう可能性が高い。
マテバシイに比べて、
成績が悪過ぎるのもそこなんだといつも思う。
(どんぐり100%クッキー)
ぼくんちのどんぐり料理はどんぐりそのものは使わない。
ただ、粉にしてクッキーにしました〜
みたいなことはあまりやらない。
正直、美味しくないからだ。
これがそう。
こっちはどんぐりコーヒーを混ぜて作った
小麦粉を使って作ったどんぐりクッキー
こんな風にどんぐり自体に
ちょっと工夫すると最高のクッキー。
これは最近作ったどんぐりスイーツ。(どんぐりきな粉餅)
ちょっと頑張れば、どんぐりだって、
これぐらいのことまでは出来るんです。
太古の昔では栽培技術も今ほど確立されてなかった訳で
狩猟採集の時代では
その手軽さから、おそらくどんぐりは主食だっただろう。
また、漆や透かし彫りの技術など
高度なことがなされていた縄文時代、
まさか、備蓄したどんぐりをそのまま
シンプルに焼いて食べられていた、
単に煮て食べられていた。そうは思えない。
だって、マズいんだもん!
もっと創意工夫工して食べてたに違いない!
という訳で、このどんぐりスターチは
もしかしたら、何千年も前から
ふつーに誰もがやっていた
安定の加工品。
そして、味噌や飴(蜜)も当時やっていたかも知れない。
どちらも澱粉を分解したり、
発酵させるという過程が必要です。
でも、そんな化学反応、縄文人が?
いや、もっと前の古代の人たちも?
縄文人は口噛み酒の技術があったとされています。
手法は原始的ではありますが、
唾液で澱粉を糖にして発酵させてお酒を作ります。
どんぐり蜜(どんぐり飴)も唾液に含まれる同じ成分
アミラーゼ(ジアスターゼ)を使ってどんぐりの澱粉を
分解させて糖にすることを応用して開発しました。
つまり同じ原理です。
自然薯や、大根やカブにも同じ消化酵素が含まれているので、
なにも、唾液じゃなかった可能性もあります。
そして、これはどんぐり味噌(ぐりこうじ)です。
これには麹が必要になります。
その麹の役目も、唾液に含まれるアミラーゼで代用出来るようです。
このどんぐり味噌(ぐりこうじ)は、そもそも
甘酒の作り方を応用して開発したんですからね。
あと、縄文時代は大豆はすでにあったらしい。
だとすると、味噌や醤油の技術もあったかもね。
(これは塩を作ってるところの縄文土器の展示物)
縄文時代、塩の精製の技術はあった訳で、
どんぐりからも味噌や醤油(調味料)、
飴(蜜)も先人の知恵と工夫の能力を知ることで
十分可能だったと
考えてもいいんじゃないでしょうか。
当時の人たち。。。意外にいろいろやれてます。
三内丸山遺跡(青森県)
現代のどんぐり料理の存在を知ってもらいたくて、
2008年、たまたま見つけて、三内丸山遺跡の
縄文料理コンテストに応募してみました。
100人以上の応募の中、十数名が審査で選ばれ、
なんと、事務局の方から直接お電話を頂き、
新幹線を乗り継いで〜
青森県へ行ってきましたよ^^
当日は縄文料理コンテストだというに
何故か。。。どんぐり料理なんてやってる人は
皆無でした。
三内丸山遺跡 第一回 縄文料理コンテスト終了後、
青森県のキャラクター、決め手くんと。
当日は遠くからの参加ということで、
ものすごくVIP対応で終止恐縮でした。
この時は、どんぐりスターチは固めたり、
とろみに使ったり、衣にしたり、
まだ、片栗粉の代用としての展開止まりだった。
この時のエピソードもいつか記事にしたいとは思ってます。
実はこの出場記録が今の新聞のライターのお仕事に
発展していったのです。
ところで、どんぐり料理っていくつ位したんだろう。。。
当時、自分でピックアップして印刷してみたよ。
6畳の部屋がいっぱいいっぱいになった。
写真も用意した。
100以上あったかな?
とすると、今じゃ、もうその倍以上はやっているからねぇ。。。
コンテストの時に作った、
どん 栗パン。
縄文プリン。
ハゼ料理だって、どんぐり料理にしてたね。
でも、今に思えば、
まだまだ稚拙などんぐり料理。
いわゆる、どんぐり料理ビギナーさん程度。
化学変化させて、蜜や、味噌、
調味料に発展したのは後の話。
当時、いずれは、
メニューのすべてをどんぐりで作ってやる!
と心のどこかにはあったけれど、
どんぐりの研究はとっても孤独で
誰からも理解されることも難しく、
やめちゃおうと何度も思ったけれど、
今は続けていてよかったと思う。
そして、それも実現することが出来た。
今だったら、『どんぐり料理研究家』と
名乗っても恥ずかしくないよ!
これ以上のことをやっている人はきっといない。
どんぐり料理の第一人者として活動を続けたい。
さて、時は縄文時代に遡ります。
なーんか、縄文時代の史料館に
展示してあるのって。。。
これは竪穴式住居の中のディスプレイ。
細長い土器が必ずあるなー。
ホントにこんな風に使われてたのか?
どうやって、立ててるの?
埋めてるの?
うーん。どれも違和感がある。
なんで、こんな不安定な鍋で料理するだろうか?
ほぼ、毎日、うっかり倒してこぼしてないか?
第一、汁物を掬う道具は未だみたことがない。
相当長い玉杓子でもない限り、
底の具は掬えないよな〜
っていつも思う。
ジャ、ドンナ トキニ
ソノ カタチガ
ヤクニタツ?
イッショニ カンガエテ ミナイカ?
小学校の時、縄文土器の特徴は
カタチは逆円錐で、表面の模様に縄を使ったことから、
縄文時代と名前がついたと習いました。
なぜ、そんなカタチだったのかには触れなかった。
でも自分がどんぐりの研究を繰り返しやるにつれて、
それの意味(それがいかに合理的だったか)が
だんだんと垣間見えるようになってきた。
土器のカタチの変化で弥生時代と区別しますとも習った。
どうも、弥生式土器からそんなカタチが突然消えたというのだ。
弥生時代との区別?
簡単にまとめるとコレ。
縄文時代⇒狩猟採集(共同作業 チームワーク)
弥生時代⇒米の栽培(貧富の差 権力、武力の行使)
8千年とか1万年とか続いどんぐり文明の
あっけなく幕を閉じる瞬間が
あった訳です。
稲の栽培文化とともに、食生活の主食が
どんぐりから米に代わる。
米は美味しいし、一粒からたくさんのお米が出来る。
それに比べて、どんぐりは栽培はしなくてもいいけれど、
拾うだけでいいんだけど、そこからがめんどくさいよ。
そのうち、誰もやらなくなる。
当然、時代の流れとともに、どんぐり文化が薄れてゆく。
稲作は、基本土地の奪い合いから始まる。
肥沃な土地を手に入れること、
水田に必要な水源(川)の権利を巡ってとなると、
どうしても権力を持つ人物が現れるんだと思う。
社会が変わる。
平和が失われる。
主食は確実に米にチェンジ!
どんぐり要らなくなる。
故に、縄文土器が必要なくなる。
次には、米を炊く土器が必要となる。
いよいよ弥生式土器の活躍する時代へと突入。
と考えればすべて繋がるんだけどなー。
では、ココから、
縄文土器はどんぐりの加工に密接だったという説を
勝手に語りたいと思います!
どうして主食がどんぐりから米になると、
縄文土器が消えてしまうかの説を。
勝手に科学してみたよ!
どんぐりは確実に食糧とされていたと
DNAで証明はされている。
どんな風に?どんな調理方法?ということは
決定的なことはまだ言われていない。
自分がもし当時の縄文人だったら、
そのめんどくさい、作業、
どんぐりを加工する、いや、
してたと仮定して話を進めます。
どんぐりスターチは毎年、秋には
保存食として出来る限り精製します。
このどんぐりスターチは作ってしまえば、
半永久保存が出来ます。
これさえあれば、その日暮らし的なことはないのです。
この時代、貧富の差はないが通説のようですが、
これに限らず、保存食をたくさん持ってるお家はやっぱ、
安定してたんじゃないかな?と思ってます。
保存食さえあれば、どんぐりの凶作であっても困らない。
その半永久保存食、どんぐりスターチで
食糧の乏しい寒い冬を乗り切った。
乗り切れるだけの栄養分として
どんぐりスターチにして、備蓄していた。
(冬は意外に遊んで暮らしてたのかも^皿^)
ここが縄文料理研究の原点です。
原点とは言ってますが、
実際はどんぐりスターチを精製が先でして。。。
縄文時代の食文化との整合性に辿り着いたのは、
その後の話です。
それはなんとなく、作った自分の道具から
え?と思った訳です。
2007年からこれを使って、
現どんぐりスターチをやっていた。
まだなんとなくやってたころ。
どんぐりの白い粉やら、トトリ粉とか言ってた。
スターチと命名したのもその後の話。
沈澱作業はこれがいいと思ってペットボトルの底を
ハサミで切って作った道具。
中味が見えてちょうどいいや!
ぐらいでやっていた。
いろんなどんぐりでトライして、
数値を記録してた。
で、その頃、稲刈りのシーズンも終わり、
元々、貝塚や、古墳は大好き!
たまたま行った場所がココ。
驚きだった。衝撃的だった。
ここの縄文史料館の展示物は
どんぐりだらけだったからだ。。。
この場所へ行ったことが、今後の自分を変えた。
今となっては、呼ばれていたと考えるべきだ。
まず、思ったのが、
『え〜じゃ、縄文人もコレやってたはず!』と思った。
下は貝塚になっている。
市内の堀之内貝塚はクヌギの雑木林になっているけれど、
ここは広々としていた。
貝塚も小学校の歴史では、
ゴミ捨て場で出来たとなってるけど。。。
そこもちょっとひっかかる部分がある。
まー、それにはまた今度にしよう。
これが、その史料館にあった、
縄文時代にどんぐりを割るために
使われたとされていた道具。
コレ見て、なんか嬉しかった。
みんな最初は割るんだよ。
その後、どこの史料館に行っても、
これが導入部分的に展示してある。
ここの史料館だと、調理の道具とされてるね。
こんな便利な道具はまずないから。。。
で、どんぐりを割ったら、次は粉にする
すり潰す道具も必要となる。
そこでコレが登場する訳だ。
うんうん。やってたね。
さー、ここからが本題だ。
ただ、粉にしただけでは
すぐに固くなって、食べても美味しくない。
素早く、次の作業に急ぐよ〜
マズいどんぐりをおいしいどんぐりにするには
ある過程が必要となる。
絵本『くろいうさぎのれおんくん』では
この部分、魔法だと語られていたが。。。
リアルには、めんどくさい灰汁抜きである。
どこへ行っても、縄文土器は煮炊きするために
出来た革命的なツールで、それによって、
その後、食事のメニューの数が増えただの。。。
そんな位置付けになってるっぽい。
実際、この土器の前にもそんな説明がありました。
果たしてそうか?
そもそも、こんなデッカい土器は何のため?
もし煮炊きではなくとも、どうやって立てたの?
そして、土器は思った以上に重い。
これに何かを入れたら、重くて運べやしない。
これを持って移動は不可能だ。
これどんぐりの沈澱に、灰汁抜きに
使われていたというのなら、納得はいく。
あとは、どんぐりの酒造りや、
葡萄酒(ワイン)を溜めて熟成する器かな。
煮炊きするのであれば
もっと安定感のあるものでやるっしょ。
この形状こそ、灰汁抜きにはテキトウ過ぎます。
それにしたって、これだって、やっぱり不安定。
なにか意味があると考えてしまうよね。
総合的に、断然縦長土器が多いと思う。
煮炊き用なら、安定感のあるその逆がもっとあっていいと思う。
これはやっぱどんぐりに使ったんだと考えるのが自然の流れだ。
そう考えれば、筋が通るような気がしている。
尖った底は例えば、
土に埋めれば安定するもんね。
何度も水を入れ替える、
灰汁抜きのために使われていたのなら、
これ、有益なカタチだと証明出来る。
この土器はレプリカですが、
持ってもいいと書いてあったので
実際抱えてみました。
重かったよ^^
自分の作った道具(ペットボトルを逆さまに使う)を見て、
コレって、縄文土器に似てないか?
原理がまったく同じ気がした。
その後、いろんな縄文時代の史料館へ出向いて、
意外にもどんぐりに関する展示物が多いのに気がついた。
縄文人がそんなにもどんぐりを必要としていたのならば、
土器は煮炊きするためだけではない!
どちらかと言うと。。。
やっぱ、どんぐりだ!と確信した。
どんぐりの灰汁抜きのためにはやっぱコレ!
灰汁抜きにはまず、水を多く必要とする。
この逆円錐形は沈殿作業に合理的である。
ペットボトルを逆さまにすることで、
上澄みの水を捨てる作業が効率がよい。
しかも、水の濁り具合が一目瞭然である。
近い将来、縄文土器の活用には
むしろ、こういう説の方が説得力あるな。。。と
歴史の教科書にも載る日がくるのか?
ハイ!では前置きはここまでにして。。。
________________________________
いただいたクヌギは約200グラム
全部水に沈みました。
ママ!
クヌギは水に全部沈んだとしても。。。
虫喰いには要注意だよね!
クヌギはね、天日に干すと勝手に割れてくれるよ!
えー。ぼくの仕事なくなる。
パキっ!プチっ!と
聞こえてくるけど、殻が破裂してる音。
そしたら、手で殻を剝がします。
あーーーー。
きた!
やっぱきた!
ゾウムシの幼虫出てきたね。
たいてい、クヌギには
ゾウムシとこの赤い虫が出てくるよ。
赤いのは蛾の幼虫かな?
そして、虫瘤が殻についている。
これは蜂の卵っぽい。
虫瘤のところはどんぐりの実のカタチが凹んでいる。
逆にこーいった場合もあるけどね。
ほかに、蜘蛛とか、まーいろんな虫が出てくるよ。
昔、クヌギでスターチした時のこぼれ話。
割って、虫を全部取り除いて、
ミキサーでブーンとやって、
灰汁抜きして漉して。。。
スターチは沈殿させて、
搾りかすはあの頃は捨てなかった。
取っておいた。
で、そのどんぐりの搾りかすを天日に干して
サラサラにしていた時の話。。。
なんかー、ベランダで干してる、どんぐりの粉が
モコモコって動いていることに気がついた!
。。。出てきたの。
ゾウムシの幼虫が。。。
生き残ってたの。
ミキサーにもやられず。。。
絞っても潰れなかった。。。
灰汁抜きの時はずーっと水底に隠れてたってこと。
噓ー!って思ったけど、ホントの話。
虫の生命力、ってわりとすごい。
クヌギは1個から
最高8個のゾウムシが
出てきたことがあるぐらいだしね。
1匹ぐらいそーゆーことが
なきにしもあらず。ということ。
クヌギはどんぐりの中でも、
灰汁抜きにも時間かかります。
マテバシイが澱粉率50%に対して、
クヌギは20%と成績も悪い。
大型のどんぐりで、割る作業も楽でいいんだけれど、
虫喰いもあるし、総合的に不効率。
従って、クヌギのスターチはやっても年に1回ぐらい。
さて、今回、干しても一部割れてないのがあったので、
それは胡桃ペンチで軽く割ってみた。
いよいよクヌギスターチを開始します〜
これで176グラムありました。
今回、虫はあの1匹だけだったと信じてやります!
まずはミキサーで粉砕。
タンニンが多いので、空気に触れて、
すぐに茶色になるよ〜
まずは漉す。
洗いながらどんどん澱粉だけを沈殿させていく。
すぐだとこんな小豆色。
ここに合算して澱粉を集める。
ここから時間をかけて沈殿作業が開始される〜
搾りかす。。。
今回はゾウムシいませんよ^皿^
でも大量でやれば
いても。。。
やっぱ見つからない場合もあるかな。
そして、細長い麦茶用のポットで
上澄みが透き通るまで何度も灰汁抜きを繰り返し、
これが最終段階。
この水を捨てて、
いよいよ乾燥に入る。
37グラム。
計算上やっぱり20%だ。
茶漉しでパウダー状に。
まだこの状態だと、水分が残っているので、
密閉したらカビちゃうよ。
ここから、完全に乾燥させて
サラサラパウダー状にしてお片づけ。
そして最終段階では、26グラムになった。
今回、そのうち20グラムをこのような状態にして、
どんぐりを拾ってきてくれた方に
お返ししようと思っている。
さて、今年初のどんぐりコーヒーも
同時にやりました。
これはマテバシイで作るのが一番!
いい香りです〜
このどんぐりコーヒーも
クヌギスターチとともに、
プレゼントにしました。
2015年度 どんぐりコーヒー
いつも通りの香りと味わいです。
縄文時代からうさぎはいたよ!
ぼく、平成生まれでよかったぁ〜
おしまい。
縄文土器の新説にドキッとしたら、ポチッとな♪
コメント
コメント一覧
アカデミックで読み応えがありました。
縄文時代のナゾに迫る、
おそらく誰も手を付けてない研究。
すごいわ。
鶴岡市内のお菓子屋では
栃の実使った栃餅売ってるけど、
アレもアク抜き大変らしいよ。
マテバシイでも餅作れるのかな?
稚拙なんてちっとも思いませんが、ご自分でそう思える時代があったからこそ、当時から今の研究までつながってるんですよね
諦めないで突き詰めるってすごい結果が出てくるんだな~
れおんくん、自然に割れちゃったら、暇になっちゃうね(笑)
貝塚、私も疑問でした
え?ゴミ捨て場?貝だけゴミの山?
ん~、いろんな資源を元にぎりぎりの生活をしていたはずなのに
貝殻をゴミの山にするの~?
でもチャイムが鳴った瞬間に、休み時間は何して遊ぶ~?
って忘れちゃうもんな~・・・
なんでも疑問に持つのは小さい頃からの性格らしいっす。
叔母曰く、小さいころからいっつも、
【おばちゃん、それなんでー、なんでー、】ばっかり言ってたそうです。
縄文土器、あえてシンプルなやつばかりを
選んで載せてみたのですが、
ホントはものすごい芸術品もあって、
あの時代、すごい技術を持ってたということが言えると思います。
腹ぺこじゃ、そんなことやる余裕なんてないと思うんですよね。
今以上、心が豊かだったと考えた結果、このような結論に達しました。
どんぐり餅とか言ってわらび餅みたいなんやってるけど、
それでもいい?
栃の実も、山間の田植えには適してない場所に住んでいる人たちの
糧にはなってたと思います。
また、江戸時代の年表でもハッキリしてるのは、
米の凶作のたびに、米に変わって食べられていたようですよ。
ぐりこーじの誕生には、夫人のアドバイスが大きく関わっています。
あの味はよそでは絶対に作り出せない味です。
れおんは、クヌギは食べちゃうんですよね〜
だから、張り切って割るんですけど〜
たしかに、ホンビノスばっかり5年ぐらい食べてたら、
ベランダはもう身動き出来ないほど貝塚になってると思う^^
ギリギリの生活だと思われていた縄文人、
どんぐりのおかげで意外にいい暮らししてたかも。
というのは、一夫多妻制の逆があったとされています。
ということは、女性は遊んで暮らせるということな
気がしているのですよ。
ひとりの女性に対して、狩りに行く係、魚釣りに行く係、
簪作る係、いっぱいいろんな係がいたかと思うと。。。
ぷぷぷ。