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Gレコ 最終回 今見た

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■途中色々文句も言ったけれども、その文句が出る理由も全て作り手の狙い通りだと解ったし、大体の複線も回収してくれたと感じたので、作品としてはかなりまとまってる方じゃないかと。一見すると、とてもそうは見えない所が、また富野作品の無骨さでもある。

■とにかく登場人物の言動や物語の展開が行き当たりばったりで、「結局お前は何がしたいんだ?」的な違和感が付きまとうのも、以前に述べた通り、まとまりのない不安定な世界を描いていたと確信できた。その上で最終回のサブタイトルが『大地に立つ』なのもそういう意図があるんじゃないかな。メタ的な視点で言えば、『GUNDAMのレコンギスタ』というタイトルは、ファーストガンダムの第一話のサブタイトルをもってしてレコンキスタ(再征服)した、という感じでしょうか。 「世界が狭い。同じ所を行ったり来たりしてるだけじゃねーか!」「後半はなんか背景がずっと真っ暗だな!」という鬱憤も、ラストシーンの自分の目で地球を見て回ろうと息巻くベルリのとった選択へのカタルシスに繋がっていたと思う。出発場所が日本なのも我々に馴染み深い景観を選んでくれたことで、より実感を得られた。しかしそれにしたって、長すぎる前フリだった。乱暴に言ってしまえば、純粋培養の少年にロードムービーやらせたいが為に、「間違い続けさせた」。旅立ちの物語ではなく、旅立ちに至るまでの物語だったんですね。

■ものすごく俯瞰的、且つ、自分を棚に上げた位置からのもの言いをしてしまえば、この物語の構造に文句を言ったり、違和感を喚起させられるということは、我々の現実に対する違和感にそのまま返ってくるんじゃないかと。「そうじゃないでしょ!こうでしょ?」と思えるのは、まだちゃんと考えてる方で、これをカッコイイ!とか楽しい!とかで割り切れちゃうのはちょっと違うと思う。ガンダムだから、とか、富野アニメだから、とかで盛り上がってちゃダメでしょ?みたいな警鐘を鳴らしてるような、そんな感触を得ました。でも、こういう誠実過ぎる表現方法だと、結局「ガンダムだから」「富野だから」で見るような人しか、そもそも見てはくれないんじゃないかな富野さん…。でもそういう不器用な所がやっぱり大好き。

■放送は終わってしまうけれど、寂しくはないよ。だって爺ちゃんの言葉はいつまでも残るもの。過去作だって何度も見返してるもの!←「こういうオタク大嫌いです」
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