韓進グループの趙亮鎬(チョ・ヤンホ)会長(67)が平昌冬季オリンピック・パラリンピック組織委員長に就任したのは2014年9月。当時から韓進グループの経営状況はかなり悪化していたため、趙氏は当初、経営に専念したいとの理由で委員長就任を断っていた。しかし政府が強く求めたことから「誘致の先頭に立った人間として『結者解之(原因を作った者が解決すべき)』の思いでオリンピックの成功に向けて努力したい」と述べ、委員長就任を受け入れた。
趙氏が委員長に就任した当時、平昌オリンピック組織委員会は文字通り大海をさまよい、行くべき先を見いだすこともできないまま、ただ漂流するばかりの状況だった。組織委員会の主要メンバーは中央政府と江原道から派遣された職員ばかりで、定められた期間が過ぎた後、自らの職務に復帰することしか考えていなかった。そのような職員らの現状を見透かした趙氏は「最後までやり抜く覚悟がなければ、今すぐこの場を去れ」と強い口調で職員にハッパを掛け、委員長としての職務に取り掛かった。その後、組織委員会は分散開催問題や競技場建設の遅延といった数々の問題を乗り越え、今年に入ってやっと本格的な体制を整えつつあった。
ところが最後まで職務を全うすると考えられていた趙氏が突然組織委員長を辞任した。「深刻な経営危機に直面した韓進グループの経営に専念するため」というのが表向きの理由で、自ら辞任する形も取られていた。しかし辞任が発表される前日、ある政府高官が趙氏に辞任を求めたという話もすでに伝わっており、またその数日前から大統領府周辺では、委員長の座をめぐり尋常でない徴候が見られたとのうわさも広がりつつあった。趙氏の辞任からわずか数時間後に後任が決まったことも、趙氏が自ら辞任したと考えるにはどうもふに落ちない点の一つだ。