西村奈緒美 佐藤達弥
2016年5月10日11時50分
マーシャル諸島で繰り返された米国の核実験で、静岡のマグロ漁船「第五福竜丸」が被曝(ひばく)したビキニ事件から62年。当時、周辺海域にいたとする高知の元船員ら計45人が9日、国家賠償を求める集団訴訟を起こした。「日米の政治決着で調査が打ち切られ、被曝を証明できなかった」。国に見放されたことへの不満と憤りを胸に、元船員らは司法の扉をたたいた。
灰色の雲が空を覆い、雨が傘に打ち付ける。午後1時すぎ。原告らは足元をぬらしながら、ゆっくりと、そして険しい表情で高知地裁へ。「半世紀以上、国は何もしてこなかった」。体調不良や家が遠くて来られなかった人の思いもたずさえ、訴状を提出した。
「マグロは検査され、捨てられたのに……」。提訴後、ともに原告となった元船員や支援者ら約20人と高知市内で記者会見を開いた山崎武(たける)さん(85)=高知県土佐清水市=はこう語り、長年にわたって国の詳しい調査がなかったことへの悔しさをにじませた。
山崎さんが乗り組んでいたのは「第八伸洋丸」。米国がマーシャル諸島で核実験を繰り返していた1954年春ごろ、周辺海域にいた。船内で夜食をとっていた深夜、上空を飛ぶ機影に気づいた。のちに水爆実験を前にした米国が飛行機で避難を促していたらしいと聞いたが、当時は「何のことかようわからんかった」という。
船をマグロで満たして東京・築地に入ると、白衣姿の数人の検査官が現れた。海上で身につけていたカッパに放射線測定器があてられ、針が大きく反応した。多くのマグロが廃棄対象になったが、検査官は山崎さんの体を詳しく調べようとしなかった。
1週間ほどして山崎さんは40度の高熱に襲われ、マグロ漁船を降ろされた。これまで大きな病気を患ったことはない一方で、放射線被害への不安はつきまとった。「わしの身に何があったのか。国には調べる責任と義務があったはずだ」
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朝日新聞社会部
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