ビキニ被ばく 国の不作為が問われる
被ばくの有無について長期間うやむやにしてきた国の責任を問いたいという原告の心情は理解できる。
1954年に米国が太平洋・ビキニ環礁で実施した核実験の際、周辺海域で操業していた漁船の元船員や遺族ら45人が、日米間の政治決着により被害救済の機会が奪われたなどとして、国家賠償の請求訴訟を高知地裁に起こした。
54年3月、静岡のマグロ漁船が「死の灰」を浴びた「第五福竜丸事件」は国内に衝撃を与えた。日本にとって広島、長崎への原爆投下に続く「第3の被ばく」とされる。原水爆禁止運動の起源にもなった。
この時期に周辺海域を航行していた日本船は第五福竜丸以外に延べ約1000隻に上るとみられる。日本政府はビキニ環礁付近から帰港した漁船を対象に乗組員や魚の放射線量を検査した。その結果、約500トンのマグロが廃棄されている。
ところが、日本政府は55年1月、米国の法的責任を問わないまま「見舞金」として200万ドル(当時で約7億2000万円)を受け取り、これで最終解決とすることで米側と合意した。帰港時の放射線検査も中止された。反米感情を抑えるための政治決着だった。
被ばくが確認された場合の補償責任は本来米国が負うべきである。だが、政府同士で決着した以上、自国民に対する追跡調査や生活支援などは日本政府が引き受けなければならないはずだ。それなのに、国は第五福竜丸以外の被害に対して何の措置も講じていない。
漁船の帰港時には放射線量測定器を使って検査が実施されていた。しかし、厚生省(現厚生労働省)は国会で「調査資料が見つからない」と答弁していた。元船員を支援する高知県の市民団体が請求した結果、厚労省は核実験から60年たった2014年になってようやく資料の公開に応じた。
開示された資料によると、調査対象の船は延べ556隻に上り、12隻の船員に一定量以上の被ばくが見られた。これほど多くの調査結果を公表しなかったことに「被ばくの証拠隠しがあった」と原告が批判するのも当然だろう。
問われるべきは、米国との政治決着を優先させ、不作為を重ねてきた政府の責任である。資料が長期間、不開示だった理由も明らかにされなければならない。
原告の一部は労災申請に当たる船員保険の適用を申請している。認められれば治療費などが支給されるが、がんの発症と60年以上前の核実験との因果関係の立証は難しい。
元船員は高齢で病気を抱えており早期解決を望んでいる。責任ある対応が政府に求められる。