第8回応用哲学会WS「分析形而上学と科学哲学の対話可能性」の質問と回答

先日,応用哲学会でWSをやりましたが,そのときの質疑とかその後の質問とかについてまとめておく

Q1. もっと,自分のやりたいことを主張してWSをやるべきではないか?

A. それはそうだが,WSの趣旨がそうじゃなかったのと,コストがかかりすぎる.

WSの目標は,こういうことやり始めるぞとか,こういう問題意識があるだろうとかのアピールでしたから,俺自身の立場はあまり書きませんでした.さらに,俺のやりたいことを説明しようと思うと,聞き手や応答する側の二人が理解できなければいけないので,それはなかなか大変なんですよっていう.


Q2. 二人の応答には満足しているか?

A. まぁまぁ

WSの目的というか,みんなの関心を引くという意味では,ああいう回答であっても,全員で話し合って出した方向性なので満足している.ただ,俺の喧嘩に正面から答えてもらえなかったのは不満は不満である.そこについては,確かに正面からやってもよかったかもしれない.


Q3. もっとプロレスして

A. OK

俺の説明を分析形而上学の説明に回収したところで,何の意味もない.結局,個別科学の哲学の後追いでしかないし,個別科学の哲学の主張を「分析形而上学の内部だけで通じる言葉で,分析形而上学者に対してだけ説明した」だけ.この世界の知識は,一つも増えていない.


Q4. 分析形而上学の実在性がこの世界と無関係ならいいのか?

A. それならいい.

分析形而上学の対象は,現状行われている学術的営みとは無関係な「世界」の対象の探究なら,やったらいいと思う.それに価値を見出すことができないし,自己認識もそれでいいのか?


Q5. 科学的な営みにも,科学哲学にも,形而上学的概念は使用されている.

A. その使用されている概念を十分に分析できていないから文句を言っている.

形而上学的概念はそら出てくる.では,科学的実践におけるそういう概念を分析しないなら,科学の中に形而上学概念が出てきたとしても何の主張の根拠にもならない.だからどうしたという話.日常的な使用について扱うのだとしても,それは社会計量的なデータ集めをする以外の選択肢があるとは思えない.つまり,形而上学的概念について,質問票作って,ランダム化して...で,そういう研究は面白そう.


Q6. 分析形而上学は数学や論理学のようにアプリオリな対象に関する分析だから,経験的な内容は必ずしも重要ではない.

A. 分析形而上学の対象に自律性がないし,分野として健全性を欠いていない?


数学や論理学の対象は,数学の内部だけの概念で,たとえば,素粒子や太陽やトラは存在しない(例えば自然数に対してそういう名前をつけてもよいが,ここでは太陽そのものみたいな意味での太陽は存在しない).数学上の概念は数学の範囲内で定義されるものだ.一方,形而上学の中で出てくる対象は,多かれ少なかれ科学的分析の対象になっている.その点で数学が持つような自律性がない.

また,もし科学的対象も議論の範疇に入っているのなら,それをチェックするシステムないと思うのだが,ダイジョブなのか.

単に,アプリオリな概念の理論を提示し続けるという役割があったんだとしても,正直,T山先生のコメントにあった通り,全然結論がない.それじゃー使い道はない.


Q7. 物理学の哲学だってやばいじゃないか!!

A その危機感は常にある.

正直,物理学の哲学も目的を見失っているような気がする.物理学の哲学の内部だけで話が完結しているのは,やばいと思っている.物理学か哲学か少なくとも一方については目を向けていないといけない.だから,俺にとっては,哲学的問いを物理学の個別の事例からしっかり構築していこうというのが目的になっている.


Q8. 続編期待してます.

A. ありがとうございます.

楽しんでいただけたら嬉しいです.続編は,求められるからやるというのも大事なのですが,きちんとしたものでないとやりたくありません.WSは手段であり,WSをやることが目的なってはいけないと思います.(なので,3人で時間かけて議論したわけです.)
なんでもいいからやれというなら,ご自分でどうぞってことになります.

Q9. 論文化して!

A. 問いも答えもない気がする.

まぁそれはもちろん目標になっているが,今回のWSだけでは少し難しいかなぁとおもう.


雑感は別の機会に書くよ.
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