少年ジャンプの漫画の主人公は、時として「頭がおかしい」だの、サイコパスだの、と言われることがあります。
なぜ、そのように言われるのでしょうか?
ドラゴンボール:孫悟空の場合
心が清らかでないと乗ることができない筋斗雲に乗ることができ、悪の心がないためにアクマイト光線も効果がなかった孫悟空。
天真爛漫で常識にかけるところはありつつも、根本では善人であるように描かれていました。
しかし、「殺されたみんなや破壊された地上はドラゴンボールで元に戻れるんだ 気にすんな」と言ってみたり、「パパもママも殺されちゃうわ」 と心配するブルマに対し、「だいじょうぶだ ドラゴンボールで生き返れる」と言ったのは有名な話。
言っていることは間違ってはいないのかもしれませんが、生き返れるとしても、死の恐怖や苦痛を味わうことにはかわりなく、主人公らしからぬ配慮をかいた発言にも思えます。
また、セル編においては、戦いを好まない悟飯を怒らせようと、わざと悟飯を助けずにセルに声援まで送り、作中ですらピッコロに非難されるような行動をとっています。
地球の危機だというのに、セルに仙豆を与えてわざわざ回復させるのも、合理的な行動とはいえません。
ワンピース:モンキー・D・ルフィの場合
仲間思いのはずのキャラクターであったはずが、2年後の仲間の見分けがつかなかったところがおかしいという指摘はよくされるところ。
また、海賊とはいえ、義賊的な側面も多かったのですが(読み切り時の「ピースメイン」)、インペルダウンの囚人たちを脱獄させたことには違和感を覚えた人も多そうです。
ハンター×ハンター:ゴン・フリークスの場合
天真爛漫的なキャラでありながら、作中でも、「こいつは危うい」(ゼパイル)、「フローレス ゆえに危うくもあるんだわね」(ビスケ)、「人間離れした怪物性を感じた」(メレオロン)などとその危険性、異常性が指摘されているところ。
ネフェルピトー戦で腕をとられて喜ぶあたりは普通ではありません。(状況も状況ですが。)
フリーク(奇形、変種、変人)という名前からも意識的にそのようなキャラクター造形になっているのだと思われます。
ナルト:うずまきナルトの場合
サスケに対する執着心が異常であるというのは、よく指摘されるところです。
なぜ、おかしな思考・行動になるのか
ストーリー進行上の必然性?
バトル漫画において、主人公がリスク回避であったり、戦闘を好まないタイプだったりすると、あまり話が進みません。
そのため、リスクを好んでとっていったり、戦闘狂(バトルマニア)的な主人公が多いのかもしれません。
あえて敵を回復させる、というのはよくある展開ですが、主人公がバトルマニアであることに加えて、万全の常態の敵をも圧倒する主人公、という形で主人公の強さを強調するためにもこの展開は使われます。
主人公の特異な体験
ドラゴンボールの悟空でいえば、死を体験していますし、ハンター×ハンターのゴンでいえば、カイトを失うという体験をしています。
これらの強烈な体験からすれば、常人とは違った思考になるのも頷けるものであり、ストーリー内での整合性があるといえる場合もあるでしょう。
作者の思考がおかしい?
漫画家という職業も特殊なもの。
作者が自然と考えた思考・行動が、読者から見たら異常に思える行動であった、というパターンも考えられます。
狂気というカタルシス
登場人物がバタバタ死んでいく展開には独特のカタルシスがあり、そのような漫画も流行っているところです。
(参照:デスゲーム・スプラッター・頭脳バトル漫画の系譜 - キドクアリ-マンガ感想ブログ)
キャラが発狂する展開も、非日常感や展開の先が読めないところなどで共通し、一種のカタルシスが生じるようにも思います。
最近では、東京喰霊がこの系統でしょうか。
このようなカタルシスを生むためにも、主人公がおかしな思考・行動をとるケースも考えられます。
雑駁なまとめ
ジャンプ漫画の主人公たちが、通常では考えられない思考・行動をとっている理由については、上記のような複合的な要因が考えられます。
補足
記事タイトルは、「ジャンプ漫画の」と書きましたが、例にあげてるのは、週刊少年ジャンプの漫画のごく一部ですし、ジャンルもバトル系のものに偏っています。
他のジャンルはどうなのか、これがジャンプ特有の問題なのかについては、未検討なところです。