※この記事は映画『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』についてのネタバレを含み、アメコミ原作を全く知らないMCU初心者の書き上げたものです。ご注意ください。
こんにちは、かずひろ(@kazurex1215)です。
これほどにまで待ち遠しくそして見たくない、相反する二つの感情に苦しめられる映画があっただろうか。08年の「アイアンマン」に始まったMCU(マーベルシネマティックユニバース)の通算13作目となる、キャプテン・アメリカ単独映画の3作目にして完結編『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』が、4月28日から全国の映画館で封切られた。公開前のアメリカ試写会での評判は軒並み高く、アメリカの大手映画批評サイト「tomato」でも異例の満足度100%を叩き出したほどである。
メガホンを取るのはルッソ兄弟、その重厚でサスペンス性に溢れたドラマと迫力の肉弾アクションの見事な融合で、MCUシリーズ最高傑作とまで言わしめた「キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー」を生み出した名監督だ。アベンジャーズ3作目二部作の監督を務めることも決まったそのルッソ兄弟がキャプテンの完結編を締めくくるとなれば、正直何の心配もしていなかったしむしろ期待しか出来なかった。そしてつい先日、映画館へ足を運び『シビル・ウォー』を見届けてきた。
しかし……“『シビル・ウォー』はキャプテン・アメリカの完結編として相応しかったのだろうか”、鑑賞直後の私の脳裏に浮かんだのはこの言葉だった。『シビル・ウォー』はウォーマシンやホークアイ、スカーレット・ウィッチやファルコンなどのヒーローが総出演し、各々の能力と見せ場を画面いっぱいに叩きつけ大乱戦を繰り広げる。今作はソコヴィア協定というヒーロー達の処遇を問う政策を通じたシリアスなテーマを内包しつつ、MCUが積み重ねてきた誰もが楽しめるエンタメ性が存分に発揮されており、ある種の到達点と表現できる傑作だったことに間違いはない。しかしあくまでも、『シビル・ウォー』はキャプテン・アメリカ単独作の3作目であるということ。キャプテン・アメリカ、つまりスティーブ・ロジャースという男の完結編としての帰結はなされているかと考えたときに、即座に頷くことが出来る内容だったとは思えないのだ。
なぜそのような疑問を持ってしまうのかというと、どうにも私にとって『シビル・ウォー』は「アベンジャーズ」にしか見えなかったのだ。「アベンジャーズ」という映画の面白さの一つに、ヒーロー達が織りなす群像劇が挙げられると思う。トニーの恐怖心からくる心の闇や、人間であることを捨てたブルースの葛藤など、ヒーローであり歪な個性を持つ彼らが、時に迷いそして葛藤する姿が人間臭く実に魅力的なのだ。そういった点では今回の『シビル・ウォー』、ヒーロー達の群像劇としては100点満点の出来だったと思う。
新参者のブラックパンサーとスパイダーマン、この2人の物語への絡ませ方なんてすげえ…としか言いようが無かった。両者がなぜキャップと対立しなければいけないのかというロジックも、数分間の出番できっちり描かれていているし、何の矛盾もなく自然と参加している。ヴィジョンとワンダの関係性もチャーミングで微笑ましいし、ギャグ担当のアントマンとスパイダーマンが絶妙に笑いを取ってくれるので、シリアスなままではなく娯楽性を追求した映画全体としてのバランスも保つ役目も果たしている。しかしここまで完璧な群像劇の中において、肝心のキャップはどうだろうか。主役であるはずのキャプテン・アメリカ個人の魅力が見事に消し飛んではいないだろうか?というよりもキャップのもつ魅力が、ネガティブな方向へ異彩を放つ形で発揮されてしまっている。
正直に言おう、私には最初から最後までキャプテン・アメリカが、周りを巻き込んでなお我を通しまくる利己的な男にしか見えなかった。うーん、なぜだろう…と自分でも不思議なほど、キャップの言動や行動に全く共感できなかった。「ウィンター・ソルジャー」を経て組織という大きな囲いに疑問を抱き、信頼できる仲間と個人を重視するようになったからこそ、ソコヴィア協定に反対するという流れはとても納得がいくのだが、どうにもウィンター・ソルジャー=バッキーの一件から狂いだしたキャップの行動が、どんどん悪い方向へ空回りに終わっている気がしてならない。なぜ私はキャプテンに感情移入が出来なかったのだろうか、その理由をここからは述べていきたい。キャップ派の方、ごめんなさい。
まず一番に挙げられるのが今作のキャプテンは前2作に比べ、内面が露わになるシーンがほぼほぼ描かれていないという事だ。「ファースト・アベンジャー」で親友バッキーを亡くし悲しみに暮れ酒を飲むが薬の副作用で全く酔えない自分に苦しみ、「ウィンター・ソルジャー」ではその死んだはずのバッキーが宿敵として蘇り自分の前に現れ苦悩する姿など、公私ともに完璧なヒーローであるはずの彼が見せる、人間的に弱い一面に観客は同情し感情移入していたのだけれど、今回のスティーブはどうだろうか。
何が何でも親友バッキーを守ろうとする意志の強さは感じられるものの、その意思を保ったまま何振り構わず全速前進しているだけだ。共に戦ってきた仲間と対立してしまう悲しみや、キャプテンという名を背負ったうえで自分が今行っている事の重大さなどが描かれるシーンが全く無い。バッキーを守る為とはいえ機動隊を邪魔し、逃げる手助けを行った彼の行動は重大な謀反行為だし、アベンジャーズが現に置かれている状況を考えると、こんな勝手な行動をしかもリーダーである彼が行えば、即刻活動停止になるのは明白だし、彼自身が信頼を置く仲間にまで迷惑がかかるという事が、全く頭にない非常に身勝手な行動である。案の定、盾とスーツを取り上げられたスティーブに、トニーがソコヴィア協定に賛成するように諭す。組織の下で戦うのは確かに制限もあり、今まで以上な自由な活動が出来なくなるかもしれない。しかし大切なのはチームでいる事、我々は互いに分裂しない事なのだと。これ以上の正論がどこにあるのだろうか。スティーブよりもトニーの方が理性的で圧倒的に状況を把握できているのは自明な事だろう。
スティーブが親友バッキーの為に躍起になるという行動原理は理解できる。70年間氷漬けだったスティーブを本当の意味で知っている人間は現代にペギーとバッキーのみだったが、彼女は今作でその生涯を閉じることとなるので、実質バッキーただ一人となってしまった。バッキーは両親のいないスティーブを支えた親友であり、まるで家族のような心の支えでもあった。「ウィンター・ソルジャー」の後、消息不明となっていたバッキーがソコヴィア協定調印式の爆破テロの主犯格にされていては黙っていられず、ナターシャの忠告も無視し勝手に動いてしまったのも理解できる。
しかし今回は私情を挟みすぎた結果、完全に冷静さを欠いてしまい周りを巻き込む事故と化してしまった。私の考えるスティーブの良さとして、まずは私情よりも任務を優先させるという点がある。自分の命をなげうって飛行機もろとも南極に自分を沈めNYを守り、暴走するヘリキャリアを止める為なら宿敵となった親友が相手であろうと腕の一つでも簡単にへし折る、そんな思い切りの良さと軍人気質な生真面目さを兼ね備えている彼だからアベンジャーズのリーダーも務まったのになあと。
更にスティーブの『個』の消失に拍車をかけるのが、トニー・スタークの存在だ。物語全体を通して心情が事細かに描かれているのは、実際のところスティーブよりもトニーの方なのだ。トニーの開発した脳の海馬に直接働きかける神経システムの発表を通して、彼が父親との関係を引き返せない一生の後悔として悔やんでいる事も描けている演出の巧さ、ウルトロンとの戦いで息子を亡くした防衛省の役人の言葉で増長する罪の意識、物語の根幹の伏線を丁寧に張りつつトニーの秘めた内面性も表現されている。そしてトニーはペッパーと今は距離を置いた仲であることが判明するのだが、ここにもトニーらしさが出ているなと感じた。「アイアンマン3」でスーツを手放す決意をしたが、本人が語るようにスーツはトニーの一部であり切り離せない大切なものだった。そしてスーツを手放すというのは、ヒーローという責任を捨てることも意味する。自分が出来る事をしなかったせいで、他の誰かが不幸になればそれは自分の責任になってしまう、ヒーローが必ず通るジレンマをトニーは誰よりも理解している。だからこそ愛する人との平穏な日々を捨ててまで、アイアンマンでいることを選んだのではないだろうか。そんなトニーがピーターと意気投合するのはこの上なくスムーズな流れだ。なぜ人を助けたいのかというトニーの問いに答える「困った人を助けたい」というピーターの単純で真っ直ぐな想いが、トニーのヒーロー性と結びついたのだ。
しかし、ここまで考えているトニーの思いは可哀想なほど誰にも通じない。ワンダをアベンジャーズ基地に半ば軟禁という形でヴィジョンに監視させたのも、世間の目から彼女を守る為の措置だったにも関わらず、かえってスティーブを逆上させてしまい、2人はここで完全に仲違いしてしまう。トニーとスティーブ、2人がすれ違っていくほど後には引けない底なし沼に嵌っていき、そのフラストレーションが空港での戦いで爆発してしまう。ここでもトニーとスティーブが互いの主張をぶつけ合うのだが、トニーが感情を露わにしてバッキーを引き渡すように説得するのに対し、今回の一件には黒幕がいることを伝えトニーにも協力を要請するここのスティーブに、悲壮感も何も感じなかったのは俺だけ?トニーからは今から仲間と争い合う辛さが痛いほど伝わってくるのに、なぜスティーブはそこまで冷静なのか不思議でならない。
空港でのバトルは前述の通り、そこに至るまで経緯が悲しいので手放しで喜べない節があるのだが、それでも総勢12人のオールスターバトルの見応えは凄まじいものがある。各ヒーローの持ち味と個性を生かしたギミックに溢れる演出の数々に感嘆しっぱなしだ。ホークアイの放つ矢にしがみつく小さくなったアントマンや、ルッソ兄弟お馴染みの近接肉弾格闘アクションがブラックパンサーとキャプテンの戦闘にバッチリ反映されているし、何よりスパイダーマンがめちゃくちゃスパイディしていることに感動を覚えた。軽口をベラベラ叩きなが戦うスパイディのスタイルが、糸を発射するシュパッという音声と糸でスイングしながらの飛び蹴りが、このMCUで実際に聞けて見られる事に圧倒的感謝しかなかった。巨大化したアントマンとスパイダーマンがスター・ウォーズネタを絡ませながら戦うシーンもニヤニヤせざるを得なかった。スパイディとアントマン、この2人が参戦したことでバトルシーンの幅がグッと広くなったことを実感させられた。
空港での戦闘は互いの陣営に大きな爪痕を残す形で幕を閉じた。中でもトニーの親友ローディはヴィジョンの攻撃が誤射され、脊髄に重傷を負ってしまい自力で立つことが困難に。地面に倒れこんだローディを抱え、悲愴な表情を浮かべるトニーを見ているのが辛かった。しかしローディは何一つ怒らなかった。アベンジャーズを分断してしまい、更に親友まで巻き添えにしてしまったトニーの計り知れない罪悪感を、彼は何も言わずとも分かっていたのだろう。本当にこの映画で唯一、トニーへの救いがローディの存在なのだ。スティーブとバッキーより、トニーとローディなんだよ…。そしてトニーは爆破テロでの一件の本当の黒幕の存在を知り、スティーブの言う通りバッキーが指名手配犯に仕立て上げられている事を知り、2人のいるシベリアへ単身で乗り込むのだが、ここから壮絶なエンディングへトニーとスティーブ、そして我々も足を踏み込んでいく事になる。
今回の黒幕バロン・ジーモは何か特殊な能力を持ち合わせている超人ではなくただの一般人。彼の目的はバッキー以外に眠っているウィンター・ソルジャー5体を復活させ超人部隊を編成し世界を征服する事、だと思われていたがそれは単なる口実だった。本当の目的はアベンジャーズの分裂、内側からの崩壊だった。ジーモはヒドラの残党でもないし、元軍人でもとより悪を制裁する側の人間だ。そんな彼をここまで駆り立てた理由はシンプルに一つ、ウルトロンとの戦いで巻き込まれ亡くなった家族の仇を討つ為の『復讐』だった。
(『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』 アベンジャーズ VS リベンジャーの映画 | 瞬きて、視覚 政府の役人が冒頭に放った「息子の復讐(avenge)は誰が果たしてくれるの?」、そしてジーモの目的である「復讐(revenge)」、そして事実を知り激昂するトニーの「復讐心(revenge)」。詳しくはこちらの方のブログをご参照していただきたいです。心底頷く深い考察がなされています。この映画の真のテーマはこれなんじゃないでしょうか。)
そしてジーモの策略でスティーブも隠していた驚くべき事実が判明する。それは、トニーの両親は事故死ではなく、ヒドラに洗脳されていたバッキーの手で殺されていたという事だ。父との確執があったことは今作でもアイアンマンシリーズでも丁寧に描写されていたし、その確執も発明家という共通項で時代を超えて解消され親子の絆がやっと生まれた。ここでトニーの怒りが爆発する。
自分の両親があれだけ無惨に殺された姿を生々しい映像で見せつけられて黙ったままでいられるわけがない。しかしここでもトニーは理性的であり続けたように思う。本気で殺すなら搭載されているミサイルなりレーザーで瞬殺できたものの、あくまでバッキーの身柄を拘束し投降させようとしていた。それなのに…それなのに…スティーブは…、両親の仇を目の前にして激昂する男に「過去の事は変えられない」と平然と言ってしまうその無神経さ。確かにその通りでこの上なく正論だけど、もはやその次元の話じゃないし今このタイミングで言っちゃうのかそれ…という感じで。
そして物凄い細かいことを言うと、まず隠していたことを謝れよと。むしろこの時のトニーの怒りの矛先はバッキーにではなく、信頼し合う仲間だったはずのスティーブがこの事実を隠していた事への激しい憤りだったに違いない。人工知能ウルトロンを極秘に開発していたトニーにあれだけ怒っていたのにな…。そしてこの時のスティーブの行動から、そうした後悔の気持ちが察せられるなら良かったものの…何なんだあれは…。予告編でも流れていたバッキーと息の合った攻撃で、ボコボコに返り討ちを食らうアイアンマンが可哀想すぎて目も当てられない。ここのシーンでもせめて、スティーブがバッキーをひたすらに庇って防戦一方ながらも「復讐は何も生まない」事を説くシーンなら、キャプテンとしての意地や後悔の念が垣間見えるものの、2対1でトニーを叩きのめす必要ってあったのだろうか。こんな時に息の合ったコンビネーション見せられても、ぶっちゃけめちゃくちゃ困る。復讐へのアンサーをブラックパンサー=ティ・チャラだけに任せるから、余計にスティーブの存在が薄くなる…。
最後にトニーの元に送られる手紙についても、鑑賞された方の「あの手紙で和解できたんだ」という意見が散見されて度肝を抜かれた。あの手紙、内容がひどすぎないか?自身の身勝手な単独行動がきっかけで引き起こしたアベンジャーズの内部分裂、荒らすだけ荒らしておいて「アベンジャーズは君に託す」という無責任な発言と、「助けが必要ならいつでも呼んでくれ。私は君の味方だ」というとりあえず綺麗に丸め上げようとする薄っぺらい言葉、俺にキャップを嫌いになれと言ってるんですか製作スタッフの方々は。あの手紙を読むトニーの顔から察するに、これで両者の和解が成り立ったという事に間違いはないと思う。全ては「インフィニティ・ウォー」へ収束していくための布石なのだろうけど、スッキリしない締め方だ。
キャップの完結編として今作はふさわしいという意見も分かるといえば分かる。ペギーの葬式と再び眠りについたバッキー、スティーブというアイデンティティを保っていた2人が、形は各々違えど現代からは消え去ってしまった。しかしそれは悲しい事だけではない。彼を縛る過去の柵がついに解け、ようやくスティーブは未来に向かって現代を生きていく暗示だと思う。シャロンとの恋仲がついに進展したのもその結果である。だけども、上につらつら書いたような事の方が印象強い。やはりスティーブ・ロジャースという『個』が見事に埋もれてしまっているのだ。
今更だけど『シビル・ウォー』、鑑賞後にファンがあれこれ言うのを見越して作られたのでは?と思うほどに、語る要素が多い作品だ。まだまだ咀嚼しがいがありそうだし、他の方の意見や考察にもどんどん触れていきたい。『シビル・ウォー』から始まったMCU怒涛の"フェイズ3"、ヒーロー達が本当の意味で集結(assemble)する日が来るのを待ち望んで止まない。