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2016-05-09

「100%報われる努力」というロマンティック・ファンタジー青春100キロ』 「100%報われる努力」というロマンティック・ファンタジー 『青春100キロ』を含むブックマーク

AVアイドル上原亜衣ちゃんの引退記念作品素人100人が鬼ごっこ上原亜衣ちゃんを捕まえたら生で中出しセックスできる、という企画に応募したケイくん(仮)。彼が応募用紙に「走ってでも会いに行きたい」と書いたことから、だったら新宿からロケ地の山中湖までの100キロ走ったら確実に上原亜衣ちゃんに生で中出しさせてあげよう、ということで立ち上がった企画AVドキュメンタリー作品監督は『由美香』『監督失格』の平野勝之

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ケイくん(仮)はそもそも趣味マラソンをしていて、ホノルルマラソンでも一般ランナーとしてフルマラソンを完走している。その彼が何故マラソンを始めたのかと聞かれ、こう答える。いわく、特別テクニック必要なく、練習を積めば積んだ分だけ確実に上達するのが明確に解るから、だそうだ。

恋愛において、出会いから2人きりのデートに漕ぎ着けるまでは「お試し期間」。そこから次のデートへ繋げられれば「本採用開始」で、様々な関門を突破し、「この相手なら裸になって何もかもさらけだしても良い」と思わせたら、ようやくセックスにたどり着く。

実際の恋愛では更にその先があるワケだが、「上半期報告」としてのセックスに到る工程相手次第になる。文字通り千差万別で明確な答えは無い。世に溢れる恋愛指南本はある種の類型的な「成功例」のようなもので、書かれた内容を100%こなしたとしても、成就できるかはまた別の要因になる。

恋愛にはマラソンの様に「確実な結果を出す練習」は無い。予行演習や特訓も通用しない。100%の攻略法も無い。夜景キレイな丘で愛の言葉をつぶやいて高額な装飾品をプレゼントしても、必ずその夜に結ばれるとは限らない。

本作のタイトルにある「青春」とは「苦労をしても報われるとは限らない」という事実を実感として知るまでの期間のことだ。恋愛を始めスポーツ仕事はもちろん、趣味だってその頚城からは逃れられない。若く経験の浅い若者特有の万能感で人の苦労をバカにする。

「ふふん。あれくらいオレにだって出来るし、もっと上手にやってやれるぜ!」

こう思っている期間が「青春」だ。実際に立ち向かい、見事に玉砕し、コテンパンに伸されて「青春」は終了する。


からこそ『青春100キロ』はロマンチックだ。


本作にあるのは、巧妙なAV的なロマンだ。AVには、家に帰ったら可愛らしくて異様にエロい義理の妹がいて常にセックスを迫ってくるとか、病院に行ったら「あら!まぁ大変!」とエロい美人ナースに一本抜かれるといった、都合の良いロマンがある。これらのAVは、棚の下で口開けて待っていたら、ぼた餅が落っこちてきた的な、完全他力本願ロマンだ。AVを観ることとは、ウソだと理解した上でそのロマンに耽溺することだ。

本作の場合、100キロ走破というそれなりな苦労があることが肝だ。

例えば、私が今から100キロ走ったところで上原亜衣ちゃんとはもちろん、他の誰かともセックスできるワケじゃない。しかし、本作は「それが出来る世界」の中で撮影されている。

本作の世界では上原亜衣ちゃんへの愛を100キロマラソンという苦労で表現しきることで確実にセックスとして思いを成就できる。都合が良いという点で他力本願AVと大した変わりは無い。

本来セックス人間関係の構築という相当に面倒臭い工程必要だ。その面倒臭い工程を、本人いわく「特別テクニック必要なく、練習を積めば積んだ分だけ確実に上達する」マラソンという、ドラゴン・クエストのレベル上げ的苦労に置き換える。

「がんばれば、報われる。」

なんと甘美で危険な誘惑だろう。今、この世界はいかほどがんばろうが、必ず報われるとは限らない。むしろ、苦労を二束三文に買い叩かれて、思ったような結果を得られることは少ない。そんな世界と地続きに、100キロ走って憧れの上原亜衣ちゃんとセックスした男がいると思うと、なんだか勇気が湧いてくる。意味は無いが、自分マラソンをしてみようかと考える。

そんなロマンティックな「青春」の想いを、今更私に抱かせるほど、本作は危険で甘く、魅力的だ。

マラソンはしないけど。

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