ブロガーの賞味期限ってあると思う? - たい焼き親子は空飛ぶ夢をみる
ここでは「ブロガーの賞味期限」というテーマで、独自の視点で語られている。ここについて思うことを書く。
飽き
飽きというのは必ずある。面白いと思ってしばらく通い続けたブログが、だんだん飽きてきて読まなくなる、なんてことはしょっちゅう。人間だから普通のこと。その飽きがブログの作風変化によるものなのか、単に飽きたのかはそれぞれだろう。
訪問される側としてこれをどう可視化するのかというと、手っ取り早いものでは記事へのレスポンス、はてなブログでいえばはてなスターだろう。見れば気軽につけていけるはてなスターについて「最近、あの人はつけていかないな」なんて思えれば、飽きられたのかもしれないと判断できるだろう。
ほかにも「ブックマークが減る」というものがある。これはソーシャルメディアの拡散を鑑みて何かと騒がれる互助会問題に関わりたくないという気持ちもあるのかもしれないし、単にブックマークの使い方を自分で見直しただけかもしれない。また、やはり飽きられたのかもしれない。
訪問者やブクマカは流動する
半年以上、ブログを続けて知ったことは
- スターを付ける人
- ブクマカ
- ツイッターで絡む人
は絶えず流動する。特定のユーザーについてレスポンスが鈍くなっても、また新たに興味を寄せたユーザーが関わってくる。それはまるで世代交代の如く。なので僕はそれを「飽き」と捉えずに「流動する」と呼ぶ。
特定のユーザーが絡んでこなくなったことに腐心して「飽きられた」だとか「寂しい」と考えることは、あまり健全とは言えない。人間とは絶えず変化していくものであり、個々人が訪れるブログについて変化していくのは至って自然のことであるから、執着する必要はない。また、ブログ運営者も変化するから内容が変わるのも自然なことである。
朝令暮改の如く短いスパンでポリシーを何度も反転させるようなことがあれば支離滅裂で異様な雰囲気となり、本当の意味でユーザー離れを加速するかもしれないが、細かな部分というのは変化するものだよ。
なお、現行のファンをないがしろにしても良い、ということではなく、離れていくユーザーに執着することの無意味さについて述べていることを申し添える。
ブログの価値は自分で決める
以前いた誰かがいなくなったから更新を止めるのか、それともコメントの数が価値を決めるのか。そんなことはない。ブログの継続を決めるのはほかでもない、自分なのだ。自分が書きたいと思うことを自由に書き綴る。特定のユーザーやブクマカにとらわれずに楽しみ続ける。そうすることで永続した価値を得られるのではないかな。
ブログを止めてしまう時、それは自分が自分のブログに「価値がない」と感じた時だ。ほかの誰かが読みに来なくなったから、だとか一定のアクセス数がなくなったから、などというのは言い訳に過ぎない。結局、止めるも止めないもすべて自分で決めているということだね。
ブログに賞味期限なんてない。あるのは自分が続けるか、止めるか。ただそれだけ。訪れてくれるファンは有り難いけど、いつか飽きて離れていくことは自然なことだと考えて執着を捨てるべし。誰かに振り回されてやるブログなんてつまらんよ、人生と一緒だ。
その時の自分を信じて、認めて、胸を張ってエントリーを上げると良い。内容について考えさせられる指摘があり、それを修正するかどうかを判断するのも、あとに考えればいいことだ。
辛辣なコメントも切り離して考えよ。彼らに立ち入るだけの情熱はない。ただブログ内容を一瞥して、言いたいことを言って去っていくだけ。何の責任も持たない。これに腐心することは本当に無価値。その中で気づきになるものを自分で拾い上げられればプラスになるだろう。