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きりくちぶろぐ

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司法試験合格の5つのメリット 〜弁護士を辞めたあとだからこそ思うこと〜

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いよいよ今週司法試験ですね。
受験生の皆さんが体調を崩すことなく、自分のやってきたことがやれるように本当に心から祈っております。
 
 
数年前の僕は、
 
「この試験をクリアーしないと僕の人生は始まらない」
 
と本気で思っていました。
今思うとそんなことはないんですが、当時の僕は、「できない自分」というのを受け入れることが全くできてませんでした。
 
だから自分を鼓舞し、必要以上に禁欲し、キラキラした世界を見ないようにしてました。
(その時の後遺症で数年苦しむことになるのですが…。)
 
 
そのため、勉強中の時間はあまり楽しいものではなかったです。
勉強の時間、それは簡単に折れてしまいそうになる自分の心との葛藤の時間でした。
 
「受かったら、やっと大学のみんなに笑顔で会える」
 
「受かったら、やってみたかったシェアハウス生活が出来る」
 
「受かったら、好きな漫画が好きなだけ読める」
 
「受かったら、…。」
 
「受かったら、…。」
 
 
 
そんなことばっかり考えて、現状の苦しさに耐えてました。
だから、司法試験の合格に関係ないことについては一切興味も持てず、全て無駄だなーっと流してました。
 
 
そんな状態のまま、なんとか司法試験に合格して、憧れの司法修習生になった時にびっくりしました。
 
 
…やばい、全く興味ないこれ
 
 
とw
※ちなみに司法修習生のドラマとして、ビギナーは物凄くおもしろいのでどうぞ。若干嘘くさいところもありますが、結構リアルです。 ビギナー 完全版 DVD-BOX
 
 
 
なので、ほんとシェアハウスで遊びまくってて、ここまで劣等生になれるのかというくらい劣等生でした。
わかる人少ないかもですが、リアルに言うと民事系以外全部Fでしたね僕。二回試験受かって本当に良かった。ほんと皆様のお陰です。ありがとうありがとう。
 
 
その後、無事弁護士として働くようになった時も、いわゆる典型的な弁護士としての仕事に対する興味はかなり低かったです。
 
 
と、自分語りがめちゃくちゃ長くなってしまったんですが、上記のような僕が司法試験合格のメリットを以下に簡単にまとめます。弁護士という働き方を辞めた今だからこそ客観的に見えているメリットかなって思ってます。
 
 
それではどぞ。
 
 
1 初年度から「先生」
 
司法試験に合格し、弁護士になっても、所詮社会人1年目のペーペー。
今の制度上、ストレートに受かっていっても20代後半。
通常、かなり使えない。
 
だけど、初年度から「先生」だ。
その時期を驕って過ごすか、通常なら自分が対等に話すこともできない方々と交流が持てる機会を頂いたと考えて必死にもがくかは各人に委ねられるけど、1年で大きく伸びるチャンスをもらっていることには違いない。
僕にとってこれは凄く幸運だった。
 
 
 
 
2 下駄を履かせてもらえる
 
上記と少しかぶるけど、「弁護士資格」を有していると、出来る奴という前提をもらえる。
正直僕と同程度の能力を持っている人は世の中にいっぱいいるけど、「弁護士資格」を有しているからこそ声をかけてもらったり、目にかけてもらっている。
 
また、一定の成果を出した際、評価自体も掛け算になる。
たとえば
 
弁護士 × ベンチャー
弁護士 × IPO
 
 
 
他にも余談だが
 
弁護士 × 感じが良い
弁護士 × 謙虚 
 
みたいなんもある。これは
【ヤンキーが優しいことをすると…理論】
と同じw
 
このような評価がいただけるのは、先人たちが弁護士という仕事を価値ある仕事としてくれたからこそだと思っている。
ほんとうに感謝だ。
 
 
 
3 あらゆる試験に対する恐怖心がゼロに
 
一応今でも日本最難関と言われている司法試験に合格したというのは、あらゆる試験に対する恐怖心を払拭するに十分だった。
 
もちろん色んな試験があるんで難易度について一概には言えないけど、まー試験については全く怖くない。
 
ちゃんと出題意図分析して、過去問分析して、時間をかければどんな試験でも合格すると思ってる。
 
これは才能とかそういうレベルの話では全く無くて、日本においては義務教育終えてるレベルの日本語読解力があればだれでもって話です。
(試験自体への興味や、人によって時間がかかるというのは当然ありますが。)
 
 
 
 
 
4 専門家のピンキリに気付いた
 
これは自分がキリになってはじめてわかったんですけど、
 
「世の中の専門家にも大したことない奴多いなー」
 
と。
 
 
 
もちろん逆も然りで、
 
「ピンの専門家やべー。。」
 
と。
 
自分だったら10時間以上調べないとわからないようなことを、瞬時に回答する本当のプロの専門家たちに対する畏怖の念は強まりました。
 
大事なのは、専門家だからといって無条件に信じるのではなくて、その人のやってきたこと、今やっていることが、どのレベルでどのような視座・観点で行っているかを把握することなんだなーってすごく勉強になった。
 
 
 
 
 
5 今は未来のための過程ではない
 
始まる始まると思っていた僕の人生ですが、そう思っていた時期も含めて僕の人生そのものでした。
結局、今の充実がそのまま人生そのものの充実となるみたいです。
未来は、今を充実させるための一つの手段でした。
 
当時、受験勉強自体の時間を楽しいと言っていた友人たちの言葉の意味が全くわからなかったんですが、彼らは僕が苦しいだけと位置づけていた時間そのものを自分の今を充実させるために使ってたんですね。
今になって凄くよくわかりました。
(そりゃあいつら輝いて見えるわ。)
 
 
--
こんな風に後悔とともにメリットを書いてみましたが、実はそんなに嫌な気持ちにはなってません。
これはこれでよかったなーって思ってますね。
いつも考えすぎてしまう僕からすると、司法試験の勉強は薄く長く悩み続けるよりも濃く短くグッと考えさせてくれた良い機会でした。
 
もしかしたら過去も今を充実させるための手段の一つなのかもしれませんね。
 
 
 
そんな感じでおあとがよろしいようで。
 
 
 
 
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