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エデン 作者:川津 流一

第一章

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後編

 ヴァリトール山に向かう道中、俺は新たに手に入れた奥義【心眼】の効果を検証し続けた。その結果、アシュレイが言っていた死角がなくなるというのは誇張表現ではなかった。

 効果自体はそれほど複雑なものではない。単に視界が切り替わるだけだ。

 奥義【心眼】を発動すると俺の視界は普段の1人称視点から俺自身を見下ろすような鳥瞰視点に切り替わる。視界が違うだけで身体の感覚は変わらないので、【心眼】発動状態で身体を動かすのはなかなか距離感が掴めず難しい。

 だが、自分の周囲全てを一目で確認できる有用性は大きい。
 道中のフィールドモンスターとの戦闘で【心眼】視界にスキル【見切り】の攻撃予測軌道が表示されることも確認した。
 これで顔を向けることなく敵からの攻撃を捌くことが可能だし、スキル【気配察知】と合わせれば最早俺に奇襲は通用しないだろう。
 勿論、それには常時【心眼】を発動し、【心眼】発動状態で普段と変わらない動きが出来ることが条件ではあるが。

 加えて嬉しいのは、【心眼】視界では例え夜でも昼間とほぼ変わらない視界を得ることができることだ。ほぼ変わらないと言ったのは、【心眼】視界では影が存在しないことによる。おかげで普段薄暗い場所でもはっきりと細部を確認できる。
 ダンジョンの洞窟ではまだ試すことが出来ていないが、少なくともフィールド上では夜に松明やランプなどの光源を必要とすることはなくなった。
 これは非常に助かる。やはり闇というのは恐怖を誘うものだし、魔術による照明ならいざ知らず松明やランプでは光源としては心許無い。闇を気にせず戦えるというのはかなり負担が軽くなると言える。

 奥義【心眼】の検証によって浮かび上がった問題点は、やはり【心眼】視界での身体の動かし方と距離感。これを克服しなければ戦闘での使用は難しい。
 【心眼】の問題克服の為にしばらく訓練をするべきだろう。


 始まりの街ダラスを発ってから約3週間。俺はヴァリトール山の麓でその威容を仰ぎ見ていた。
 本来ならば数日の日程で到着できるはずを、ここまで時間がかかったのは【心眼】の習熟訓練を行っていた為だ。
 ヴァリトール山に程近い場所にホルンという小さな村が存在する。始まりの街ダラスとヴァリトール山を結ぶ道から僅かに外れた場所にあるこの村は、数えるほどの家屋と小さな宿屋兼雑貨屋しかない寂れた集落だ。
 ここを拠点にみっちり修練を積んだ甲斐あって【心眼】視界でも普段とほぼ変わらない動きが出来るまで至ったと思う。
 準備は整ったと判断した俺はこうしてヴァリトール山へとやってきたわけだ。


 ヴァリトール山を進む。
 まずは麓に広がる森のエリアだ。鬱蒼と緑が生い茂る森。比較的背の高い針葉樹が立ち並び、足元にはそれほど背の高い草木は生えていない。おかげで楽に進むことが出来る。
 だがそれは身を隠す場所が少ない事も意味している。
 既にここは『彼ら』のテリトリーなのだ。逸早く危険を察知できるように常に【心眼】を使用しながらの移動。
 ただ歩くだけなのに緊張と集中のせいで神経がすり減らされていく。それも当然だろう。
 今の俺には頼れる仲間はいない。何が起きても己一人で対処しなければならないのだ。
 一人でフィールドやダンジョンを歩く時は常にこのプレッシャーがのしかかっていたが、ここまでの重圧は久しぶりだ。

 高ランクパーティでも苦戦するという竜種モンスター。俺の勝率を少しでも上げる為には必ず先制する必要がある。
 勿論今回は今まで貯めた財産に物を言わせ、高価な回復アイテムや一時的なブースト系アイテム等をたっぷり持ってきていた。
 その中には一時的にだが疲れを忘れさせ、集中力を増大させるというような現実ではちょっと危ない効果のアイテムも含まれる。

 時折空気を震わせる獰猛な咆哮。
 この山に住まう王達に気付かれてはいけないとばかりに森は異様な静けさで満たされ、動物達が動く様が全く見えない。まるで時間が止まっているかのようだ。
 森の中には竜達の咆哮と俺の鎧がたてる微かな金属音、進む際の草地や土を踏みしめる音しか聞こえない。
 俺の装備は金属系の防具だが、急所を重点的に守り、あまり動きを阻害させない造りとなっているので全身鎧等に比べたらかなり金属部分は少ないといえる。それでも動く際の僅かな金属の擦れ合いは防げない。
 竜達が音に対してどれだけ敏感なのかは判らないが、もしもを考えればやはりスキルの常時使用は止められないのだ。
 進む俺の耳に何かが砕けるような音が微かに聞こえてきた。何かしら動く存在がいる。この場では竜である可能性が高いだろう。
 聞こえてくる音の方角に当たりをつけ、さらに慎重さを増しながら立ち並ぶ針葉樹の影を縫うように俺は進む。
 しばらく進むと森の途切れ目が見えてきた。その先には緑が少ない岩地が続いている。
 音は先程より随分大きくなってきた。だが音源はまだ確認できない。大分近いとは思うが、もう少し進む必要があるようだ。
 そうして身を屈めながら岩地を進むと、ある光景が俺の目に飛び込んできた。

 ―――見つけた。

 岩地の先で落ち着きなく周囲を見渡し、時折尾を振り回して周囲の岩石に叩きつけている一匹の竜。
 真っ赤な鱗が特徴的な見上げるような巨体。手足には鋭い爪、口元には大きな牙が並んでいる。背中には身体のスケールからすると幾分小さな翼。

 レッドドラゴンだ。

 目標としては少々リスクの高い相手と言わざるを得ないが、幸運な事に奴の周囲に他のドラゴンやモンスターの姿は見えない。一対一ならばまだ勝機はあるはず。
 先制の一撃を加えるべく、俺は姿勢を低く身を隠しながら疾走する。



 とその時、周囲が突然影に包まれた。



「!?」

 思わず立ち止まる俺。空を仰ぐと同時に言い知れぬ悪寒が俺の背中を走る。

 ……何か巨大なものが俺達の上空にいる!

 その何かが急降下してきているのを感じた俺は全速力でその場から逃げ出す。
 俺が数十メートル走った所でその巨大な何かは、異常を察知し動き出そうとしたレッドドラゴンの上へと急降下の速度そのままで着地した。
 その瞬間、文字通り世界が揺れた。俺はかろうじて倒れはしなかったものの、さすがにバランスを取る為に立ち止まってしまう。
 やがて揺れが収まったところでゆっくりと後ろを向く。
 【心眼】で判ってはいたが、肉眼で見ると一層迫力があった。

 一言で言うと、そこにいたのは動く『山』だった。俺が見上げていたレッドドラゴンが玩具に見えるほど大きい。

 『山』の着地点はクレーターのように大きく抉れている。これではレッドドラゴンの肉体は跡形も無く粉々になった可能性が高い。せっかく見つけた目標だったが、悔しがる余裕は今の俺になかった。
 その『山』はレッドドラゴンと非常に形が似ている。違いといえば大きさもさることながら、決定的なのはその色だ。
 レッドドラゴンは目の覚めるような赤い竜鱗だったのに対し、この山が纏う色は黒。まるで黒曜石のような輝きを放つ鱗をびっしりと身体中に纏っている。

 思わずゴクリと唾を飲み込む。

 これほどの巨体、そして闇を纏うかのような黒。これに該当する存在を俺は一つしか知らない。


 ユニークモンスター、固有名『巨龍ヴァリトール』。


 ヴァリトール山の王の中の王。出会うことは死を意味すると言われる存在。
 俺が想像していた中で最悪の可能性が現実となった瞬間だった。



 巨龍の名にふさわしい威容。それに度肝を抜かれていた俺とヴァリトールとの視線が合う。
 その視線に含まれた俺をこれから狩るという明確な意思を感じ、俺の身体は震え上がった。仮想世界の筈なのにヴァリトールに対して生物としての圧倒的な格の差を感じてしまい、俺の本能がなんとしても逃げろと警鐘を鳴り響かせる。だが一方でこいつからは決して逃げられないと悟ってしまう。
 一瞬、絶望と諦めが脳裏をよぎった。
 だが即座に己の恐怖を心の奥に押し込める。

 自分の力を信じろ。やっとここまで、やっと『バルド流剣術』の奥義を得たのだ。
 ヴァリトールの巨体相手ではリーチが違いすぎるし、攻撃の重さも相当だろう。苦戦は必死だ。だが、諦めるな。これを乗り切れなければ俺は強くなれない。

 震える手足を叩いて活を入れ、ヴァリトールを睨み返す。
 ヴァリトールの威容に呑まれはしたものの、こんなところで死ぬつもりはない。足掻いて、足掻いて、生き残る。



 ―――やってやる。



 そう心に決意を刻み、俺は竜の王へと挑む。



 ……だが、その決意は残念ながらすぐに砕かれることになる。


 ヴァリトールが大きく口を広げる。巨大な牙が並ぶ様がよく見えた。スキル【思考加速】、奥義【心眼】を起動し、集中力を高める俺。
 ダラスで得た情報によると、ドラゴンに限らずブレス攻撃なら吐き出すブレスの予兆が喉の奥に見えるはずだ。今はそれがない。となるとこれは咆哮。
 初めてドラゴンの咆哮を間近で聞くと思わず棒立ちになると聞くが、こんな相手にそんなことをしていては命がいくつあっても足りる気がしない。心身に気合を入れ、ドラゴンの咆哮に備える。
 そして、咆哮中に少しでも距離を詰める。
 ヴァリトール相手でもレッドドラゴン相手でも基本的な作戦は同じだ。俺の武器が長剣である以上接近戦以外選択肢は無い。
 恐怖を押し込め一歩先へ!

 そこまでを一瞬で思考した俺が走り始める。
 そして俺の予想通り放たれる咆哮。ただ予想外だったのは、その威力だった。

「GGGGGGGGRRUUUUUUUUuuaaaaAAAA!!!!」

 想像以上の圧倒的な轟音と衝撃。意識を吹き飛ばすかのような衝撃が俺の身体を貫き、実際に物理的な衝撃波を伴って俺を吹き飛ばした。
 地面をゴロゴロと転がりながら慌てて立ち上がろうとする。

 なんだ今のは!?

 攻撃予測軌道が表示されなかったので物理的なダメージが発生する攻撃を予期してなかった俺は驚愕した。咆哮をくらっただけでがくがくと震える手足を押さえ、なんとか立ち上がる。
 【心眼】視界ではヴァリトールが既に攻撃体勢に入ってるのが見えた。
 視界一杯に広がる攻撃予測軌道。
 これは尾の薙ぎ払いか?
 一瞬困惑するも考える暇などなかった。

 圧倒的に攻撃範囲と速度が……速い!

 攻撃が来ると判っていたはずなのに、気付いた時には目の前に巨大な壁のような尾が迫っていた。
 俺の普段の【烈牙】の剣速に迫る速度。思考加速状態でさえ霞む様な速さ。
 あの巨体でこれほどの攻撃速度など想像出来る筈がない。
 辛うじて攻撃に対し剣を合わせるのが精一杯だった。

 「ぐぁあ!!」

 薙ぎ払いをくらった瞬間、身体が軋みをあげる音を聞きながら吹き飛ばされる。受け止めるなんて発想が出来るような次元の攻撃ではなかった。吹き飛ぶ最中、防具が粉々になって消えていくのが見える。
 実に十メートル以上を滑空し、大きな岩に轟音を響かせて激突。生身でこれだけ空を飛ぶなんて初めての経験だが、それを楽しむ余裕は勿論無い。
 岩にめり込みながら即座に自身の状態をチェックする。普段なら激痛で悶えてるのだろうが、今はブースト系アイテム『イモータル』を服用しているので痛みが無いのだ。

 左腕がありえない方向に曲がっている。考えるまでもなく骨折。他の手足は無事だ。内臓については特に吐血もないので問題ないと考える。
 防具は辛うじて下半身の装備が残っているが上半身の鎧とガントレットが失われている。
 剣は多少耐久度を減らしているようだが、まだ大丈夫。さすがは姐さん特製の剣。だが鎧も姐さん特製だった事を考えると、この耐久度の高さは+10のおかげか?
 +10にする苦労を考えると見返りが少なすぎる気がするが、この時点ではそれはそれで嬉しい誤算。
 だが……。

 ただの一撃でこれほどのダメージをくらうなんて。

 俺の戦意に微かな影が差す。
 だがヴァリトールは、俺のそんな思考など歯牙にもかけない。
 またも大きく開かれる口。その口腔の奥には燃え盛る灼熱の輝きが見て取れた。どうやらヴァリトールも炎のブレスを吐くらしい。

 まずい。こんな状態でブレス攻撃なんてくらったらひとたまりも無い。

 軋む身体に鞭打ち、めり込んだ岩から慌てて降り立つと全速力で走り始める。同時に腰のポーチから俺の所有する最高級の回復アイテムカードを抜き出し具現化。
 具現化の光と共に現れたのは一個の木の実。だが、見た目がただの木の実でない事を証明している。
 黄金色に輝くその木の実の名は『生命の実』。食べることで、ありとあらゆる負傷はおろか状態異常も瞬時に回復する。強化用宝石と同様にボスモンスターを倒すことで稀に手に入るこのアイテムは、死へのリスクが高いこの世界で非常に高価だ。
 その『生命の実』を何個も仕入れたおかげで俺の財産は底をついた。さすがにちょっと抵抗があったのは否めないが、今はそれをやっておいて正解だったと感じている。

 『生命の実』を飲み込むと同時に身体が輝く。次の瞬間には無傷の肉体を取り戻していた。この即効性が重要なのだ。
 【心眼】視界ではヴァリトールの口からついにブレス攻撃が放たれたのが見えた。
 レッドドラゴンのブレス攻撃は火炎放射器のような炎と聞いたが、ヴァリトールのブレス攻撃は言わば炎の砲弾。
 撃ち出された速度と着弾先を抉るような回転で、僅かに歪んだ巨大な炎球が迫る。
 視界に映る攻撃予測軌道を見るに何とか直撃は免れるだろうが、あんなのが着弾したら周囲がどうなるか想像がつかない。
 ぎりぎりまで走り続けると着弾の直前に地面に飛び込み伏せる。

 着弾と同時に凄まじい爆風と炎が周囲を吹き飛ばした。それは俺も例外ではなく、炎で全身を炙られる感覚を感じながらまたも空を飛ぶ。
 僅かな浮遊感の後に地面へと俺は叩きつけられた。

「うぐぐ……」

 痛みは無いものの、衝撃で頭がくらくらする。呻き声をあげながら自分の身体を見れば焼け爛れ、ボロボロになっているのが判った。
 ブレス攻撃は属性攻撃。物理防御があまり意味を成していない。
 焼け爛れた腕で再び『生命の実』を具現化。そのまま口に含む。
 身体が輝き再生。身を起こすとヴァリトールは最初に着地した位置から一歩も動かずこちらを見下ろしていた。

 奴は一歩も動かずにこちらを蹂躙できる。

 そのあまりの事実を理解すると心が折れそうになった。思わずヴァリトールへと向けた剣先が下がる。

 こんな相手に勝てるのか?……いや、弱気になるな。まだ回復アイテムも大量にある。ヴァリトールの攻撃を捌ききれていないが、一撃で殺されてはいない。まだ出来ることはたくさんある筈。


 ―――それに、負けるのはもうたくさんだ!


 ……そして、俺の絶望的な戦いが始まった。




 どれ程時間が経っただろうか。
 回復アイテムを湯水のように使いながら、ヴァリトールへと挑む。もう何度ヴァリトールの尾の薙ぎ払いに、ブレス攻撃に、爪に吹き飛ばされたか判らない。
 既に防具は全て消滅し、僅かな襤褸切れを纏っているだけ。
 剣だけはまだなんとか耐久度を保っていた。だが、さすがに剣身にも傷が目立ってきている。もうあと何度の激突に耐えられるかは不明だ。

 幾度と無く繰り返された突撃で何度かヴァリトールの懐に潜り込み、攻撃をすることに成功している。だが、ヴァリトールの鱗は恐ろしく硬度が高いようで通常攻撃では全く刃が通らない。
 【烈牙】を使ってようやく刃がめり込む程度。それもあの巨体のせいで大したダメージにはならない。

 戦えば戦うほど絶望を知るようになる。

 つい先程、手持ち最後の回復アイテムを使用した。
 効果の高い物から使用していった為、最後に残っていたのは飲めば多少傷口が塞がるポーションだ。最初に使用した『生命の実』とは比較にならない僅かな回復量。
 満身創痍。骨折などはしていないのが救いだが、身体は傷が無い場所を探す方が難しく疲労も相まって指一本動かすのにも苦労する状況。
 最早勝てるビジョンが浮かばない。
 痛みは無くとも度重なる衝撃と疲労で意識が朦朧としている。

 ―――俺は何の為にここまで頑張っているんだっけ……。

 霞がかかる視界には俺の止めを刺す為か、大きく腕を振り上げるヴァリトールの姿。
 あれをくらえばさすがにもう死ぬ。だが、それでも身体は動かない。動く気力はとっくに尽きていた。

 今までの日々が脳裏に浮かぶ。

 最初は楽しかったなあ。あの練武場にも溢れる程人がいて、切磋琢磨する同志がいて……いつから一人になったんだっけか。

 ブラートの奴も最初に作った飯は旨いとは言えなかったな。あいつが料理屋を開くなんて想像もしてなかった。

 姐さんは最初から変わらないな。初めて見たときもうたた寝してるかと思ったし。

 ミーナは気が強そうだけど、きっと世話焼きだな。レオンとの試合でも助けてもらった。

 それにリン。レオンに負けた俺の元へ一番に駆けつけて介抱してくれようとしてくれたのは彼女だったな。
 出来るなら彼女達に恩返ししたいところなんだが……。

 それから……それから……。

 次々と走馬灯のように映っては消えていく過去の情景。その中に、とある風景が一瞬混じった。


 ――――――無数の刃を突き立てられる一人の女性。


 なんだこれは……こんなの俺は知ら……ない!? 突如心に湧き起こる感情の爆発。思わず胸を押さえる。

 ――――――絶対に守ると誓ったのに

 なんだ?

 ――――――俺は君を守れなかった!

 なんなんだ!?

 コントロールできない感情の発露に俺は振り回される。

「――――――――――――――――――っ!!」

 声無き声をあげ、わけもわからず慟哭する俺の脳裏にはっきりと、ある言葉が響いた。

 ――――――負けない。もう俺はどんな相手にも負けない。次こそは彼女を救う!

 その誓いとも言える言葉は砕けかけた俺の心を満たし、ゆっくりと溶け込んだ。

 ―――そうだ、こんなたかがモンスター相手に負けてなんかいられない。こんなところで終わるわけにはいかないのだ!

 俺の心身に活力が灯る。
 だが頭上を見上げれば俺を押し潰さんと振るわれる腕が目の前に迫っていた。
 絶望的な距離。
 死に瀕しているためか、思考加速状態でも先程までは霞むようにしか見えなかったヴァリトールの攻撃がゆっくりと見える。
 だが、それに対処しようとする俺の動きは呆れるほど遅い。これでは間に合わない。
 動かぬ身体に無理やり力を込める。身体が軋む。だが気にしない。さらに力を込める。
 それでも……遅い。

「あああぁぁぁぁっ!!!」

 自然と叫び声もあげていた。
 全力で刻一刻と迫る死の運命に抗う。

 ――――――おかしい。

 何がおかしい。

 ――――――俺は何故こんなにも遅い。

 これが俺の全力だ。

 ――――――いや違う。あれを獲得した俺は時間に縛られぬ領域に至ったはずだ。

 あれとは?

 ――――――決まっている。【神眼】へと至る道。







 ――――――奥義の壱【神脚】。







 自然と俺の意識が切り替わる。
 頭の中でスイッチを押すイメージ。今まで何十万回と繰り返したその動作。
 俺の脳裏にイメージされるいくつものスイッチ。今まで使ってきたそれらを無視し、さらに奥へと手を伸ばす。
 闇に隠れたその向こう。そこにあるのは判っている。
 伸ばした手の先にはいつの間にか一つのスイッチが現れていた。

 だが、それをイメージした瞬間、俺の頭は凄まじい激痛に襲われた。

 視界が真っ赤に染まり、一瞬視界に「SYSTEM ALERT」の文字が明滅。だが、極限状態に至っていた俺はそれらを一切無視してスイッチを押しこむ。

 バチリと何かが弾ける音。
 その瞬間。







 世界から音が……消えた。








 もどかしい程動かなかった俺の身体が、急に普段通りの自由を取り戻す。だが依然としてヴァリトールの腕はゆっくりと動いていた。
 世界の全てがゆっくりと動く中、俺だけが普段通りに動ける。
 まるで俺だけが時間の流れから外れたかのような異様な世界。
 だが俺はその異常事態に全く疑問を抱かなかった。いや、余計な思考など持つ余裕は無かったのだ。
 限界を超え、執念で動く俺の脳裏にあったのはただ一点。

 ―――己の死の象徴たる、眼前の強大な敵を全力をもって屠る事。

 俺の本能が傷付いた身体を無理やり動かす。
 ヴァリトールの腕をすり抜け、この絶望的な戦力差を挽回できる唯一の目標へと駆けた。

 これだけの巨体。いくら手足を切ろうが意味が無い。俺が勝てる可能性は唯一つ。

 ―――急所攻撃による一撃死。

 急所への攻撃による一撃死は何もプレイヤーに限った現象ではない。モンスター達にもそれは当て嵌まる。
 そして曲がりなりにも生物の形態を取る場合、その急所の多くは首や頭部。

 首は剣の長さに対して太すぎる。狙うは頭部。

 ヴァリトールの腕を伝い、肩に乗り、頭部へと一気に駆け上がる。その間もヴァリトールは動こうとするが、俺の動きに比べると呆れるほど遅い。

 頭部へと到達した俺は『バルド流剣術』一の型【双牙】を起動。斬り下ろし斬り上げと高速で振るわれた二段攻撃はヴァリトールの頭上の龍鱗を易々と削り取る。意識はおろか動きすらも加速されているせいで攻撃力も増大しているのだ。
 だがそれも長くは続かない。感覚的に恐らく次の一撃を放てばこの世界は途切れて終わるだろう。
 そしてそれは、ボロボロになって耐久度の限界を迎えつつある俺の愛剣についても同様だった。

 剥き出しとなった頭骨へと剣を振り上げる。

 止めは『バルド流剣術』二の型【烈牙】。俺の最大の攻撃でこいつを、ヴァリトールを仕留める!

 俺の壮絶な攻撃意思を感知したシステムが俺の肉体をアシストし始める。
 傷だらけの筋肉が隆起し、全身から血が溢れる。おかげで俺の身体が真っ赤に染まった。

 これだけの出血……ヴァリトールを倒せたとしても生きて帰れるか。

 思考の片隅を過ぎる微かな不安。
 だが、それを一瞬で振り払う。

 ―――こいつを倒さねばどっちにしろ俺に未来は無い!

「おおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 咆哮を以って全ての雑念を吹き飛ばし、俺は剣を振り下ろした。
 文字通り俺の全霊を賭けた斬撃。
 最早誰も捉える事が出来ぬであろう速度で振るわれた剣はヴァリトールの頭骨を砕き、中に守られていた脳を衝撃で完全に破壊した。
 そして、砕かれたのは何もヴァリトールの頭骨だけではなかった。

 バキリと音をたて、剣身の根元で真っ二つに折れる俺の愛剣。剣先はヴァリトールの頭に残り、俺の手元には柄だけが残される。
 傷だらけで俺を支え続けた相棒。頑丈さだけが取り柄で攻撃力は初期武器に毛が生えた程度だろう。それでもずっとこいつと苦楽を共にしてきたのだ。

 俺の今までの生き方が詰まった愛剣は巨龍を道連れに俺の手元から去った。
 ……剣身が折れた瞬間、何かが俺へと微笑んだ気がしたがそれは俺の幻想だろうか。

 
 愛剣への別れを惜しむも、世界が通常の時間の流れを取り戻す。


 頭部から滝のように血を溢れさせるヴァリトール。その目は既に光を失っていた。
 ゆっくりと傾き始める『山』。
 ヴァリトールの頭部に立つ俺は力を絞りつくした反動か、指一本動かせない。だが、なんとか目の前に広がるヴァリトールの頭骨の中へ身体を躍らせ、破壊された脳をクッションに落下の衝撃に備える。

 そして、傾いた『山』はゆっくりと倒れ地面に激突。激しく揺れる世界の中でとっくに限界を迎えていた俺は意識の手綱を手放した。
 だが完全に意識が闇に沈む直前、俺の視界の端に半透明のウィンドウが見て取れた。
 そこにはこの一文。


「ユニークモンスター『巨龍ヴァリトール』単独撃破ボーナス:特殊アビリティ【龍躯】を獲得」



――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 『師範代』と『巨龍ヴァリトール』との死闘場所からかなり離れた丘の上。一人の男が人と龍との激戦を眺め続けていた。闇が滲み出たかのような真っ黒なフードとローブ。顔は影に包まれ、見ることが出来ない。
 近くにはレッサードラゴンがたむろしているものの、男に対する反応はなく。何故かその存在には気付いていないかのようだ。
 男は死闘を見届けると、ポツリと呟く。

「まさかこの段階でヴァリトールを打倒するとは……君にはいつも驚かされるな師範代君」

 男は何かを思い出すかのように空を仰ぐ。

「先程発動したスキル……あれは紛れも無く『真バルド流剣術』奥義の壱【神脚】。使えるはずのないスキルを使う……これが力を求めた君の答えか」

 男の視線は遠く、巨龍の頭骨の中で眠る一人の剣士をじっと捉える。距離があるにも関わらず男の視界には、剣士の顔……そして何故か消滅せずに剣士の手の内に残る柄が映っていた。

「……恐るべきは人の執念か。かつての絶望を背負った今回の君にはこれまでにない力が集まっている。今度こそこの『楽園』が終焉を迎えるのだろうか。……期待しているよ、師範代君」

 そう言い残すと男の身体は影に沈み、その場には風に揺れる草木と竜達の咆哮のみが残った。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 ヴァリトールとの死闘に勝利した俺は、戦利品たるヴァリトールの素材アイテムを手に入れて山から帰還した。
 死闘による結果、装備や手持ちのアイテムをほぼ全て失っていた俺は、運良く帰路の途中でリン達『シルバーナイツ』のパーティと遭遇する。リンの誘いもあって俺は彼女達に同行させてもらって帰還する事を決めた。
 どうやら彼女達は強盗プレイヤーの討伐目的で付近を捜索中だったらしい。
 帰路の最中、野宿を行ってリン達と親交を深める俺だったが、突如恐るべき事態が俺達を襲った。
 パーティメンバーだったはずのレオン達の突然の凶行。罠にかけられたリン、ミーナ、そしてキースの三人。どういうわけかレオン達の罠から逃れられた俺は、彼女達を救うべく一人でトップギルドのメンバー達相手に戦いを挑む。
 本来ならば絶望的な戦力差。だが不思議と俺は彼らを圧倒した。
 無事にリン達を救い出した後、当然のように質問責めにあったが俺の事情を正直に話すことでなんとか納得してくれたようだ。
 そんな道中を経て、数日。
 ついに俺達はダラスへと到着した。



 始まりの街ダラスの西門をくぐる。
 ダラスの広大さと比例するかのように巨大な門を見て、俺の胸は何ともいえない懐かしさに包まれていた。
 奥義【心眼】を得て、クエスト攻略の為にここを出発してから随分時間が経っている気がする。
 今までの日々において、ここまで長期間ダラスから離れた事はなかった。
 やはり3年間もここで生活をしていると、自分が思っていた以上に愛着が湧いていたようだ。
 プレイヤー達の溢れる大通り、視界一杯に広がるダラスの街並み。
 プレイヤー達が奏でる喧騒を耳にしてようやく帰ってきたと実感出来る。



 リン達と今夜再び会う事を約束し別れた俺は、クエストの報告を行う為に練武場へと向かった。
 練武場の中心にてまっていたのはマスターNPC。そこで俺はクエストクリアの報酬である『真バルド流剣術』を習得できた。
 どうやら【龍躯】の獲得がクエストの真の目的だったようだ。その効果は話を聞くにスキルやステータスの成長に割り振られるキャパシティ容量の増加。それに火と毒への耐性、回復能力の強化もあるらしい。
 そこまで確認した俺は練武場を後にし、次の目的地へと向かった。


 姐さんの店に到着したのは昼を大きく過ぎた時間帯だった。大通りが非常に混み合っていた為に思ったより時間がかかってしまったのだ。
 約一ヵ月ぶりの姐さんの店。かつてほぼ毎日通っていた為に、一ヵ月でも時間を空けると随分久しぶりに感じる。

 さて、姐さんはいるだろうか……。

 何か懐かしい感じがする素朴な木の扉を開け、中へ。剣や鎧が陳列された棚の先、カウンターには見慣れた赤色が見えた。僅かに顔を綻ばせながらカウンターへと進む。
 そこには相変わらず眠そうに湯気の立つティーカップを傾けている女性が一人。NPCの街娘もよく着ているようなワンピースと胸元が窮屈そうなコルセット。そのままでは炉を前にハンマーを振る一流の鍛冶職人にはとても見えない。
 そんな彼女はコクリ、コクリと頭が上下してる所を見ると、今は夢の世界にいる様子。
 俺の記憶と変わらないその姿に、安堵にも似た気持ちを抱きながら声をかけた。

「姐さん」

 姉さんの瞼がピクリと動く。だが、すぐに動かなくなる。
 苦笑しながら俺はもっと近づき、耳元でボソリと呟いた。

「姐さん!」

「っ!? は、は~い!」

 俺の声に驚いて手を上げながら仰け反る姐さん。その勢いで豊かな双丘がブルリと揺れた。思わずその神秘を凝視してしまう俺。

 声をかけたのが俺だと気付いたようで、いつもは眠そうで閉じかけている瞳を大きく開き、ワナワナと震えている。この大きな瞳を見ると、やはり姐さんは美人だよなと俺は変に納得したりしていた。
 だがやがてその瞳に涙が染み出してくると、のほほんと構えていた俺もさすがに慌てる。
 俺が何かを言おうと口を開いた所で、姐さんがカウンター越しに俺へと飛びついて来た。
 いつもの姐さんらしくない俊敏さと胸元から腹にかけて感じる恐ろしく柔らかな二つの感触に思わず俺は硬直。
 なんとか未だ手に持っていたカップをカウンターに置き、涙ぐんで鼻水を啜る姐さんの肩に手をかけた。

「あ、姐さん……あの……」

「師範代さ~ん! 良かった~! ちゃんと帰って来てくれた~! うぅ~……」

 姐さんの涙ながらの声に俺は自分がどれだけ心配をかけていたかを悟った。力を求め、自分の事しか考えていなかった先程までの俺を酷く反省する。

「姐さん、すいません。ご心配をおかけしました」

「ほんとですよ~。あの後師範代さんがお店に来てくれなくなったですし~、私のせいであんな事になったから落ち込んでるんだって思っちゃって~。でも、あまりにお店に来ないから心配になって~、他の常連さんとかに訊いたら街の外に出かけたのは見たけど街の中では見たことが無いって言うんですよ~。てっきり私、師範代さんが無理して死んじゃったのかもって~……うぅ~」

 姐さんの涙ながらの独白に胸が痛い。そういえばレオンとの試合は姐さんがきっかけだった。姐さんの性格を考えればこうなることは目に見えていたのだから、やはり自分のプライドは捨てて姐さんに一言言ってから出発するべきだっただろう。

「本当にすいません。ダラスからちょっと離れた場所に行ってたんですけど、一声かけてから出発するべきでした」

 姐さんが俺の胸元から顔を上げる。

「……ううん、いいんです~。元はと言えば私が悪いんですから~。……でも、今度はちゃんと言って下さいね~」

 姐さんが涙で瞳を滲ませながら微笑む。俺はその顔を見つめながらしっかりと頷いた。


 姐さんに戦利品の精算と新装備制作の依頼、そして今夜の食事の約束を取り付けた俺は、次の目的であるブラートの元へと向かう。
 昼食時のラッシュはとっくに終え、いくらか落ち着きを見せる時間帯。多少は通りを歩くプレイヤーの数も減っている為、歩きやすくはなっているはず……だが始まりの街ダラスの人口密度のなせる業か、一向に大通りのプレイヤー達の数に変化は見られない。
 そんな混雑の中を縫うように歩く。
 昼食を取っていないので、身体が空腹を訴えているがあえて無視。恐らくは途中で道草を食う時間は無い。
 そうやって忙しなく足を動かし続けてしばらく……やがていつもの日課で見慣れた広場へと足を踏み入れた。

 すぐにブラートの露店を探す。
 いつも彼が露店を出す場所へ目を向ければ……こちらへ背中を向け、露店の影に半ば隠れながらゴソゴソと作業をしている男性プレイヤーの姿が視界に入る。ちょうど露店をたたむ為に片付けをしている所な
のだろう。
 ブラートは昼時を過ぎれば、夜と翌朝のメニューの為に食材の仕入れへと出掛けると以前聞いたことがある。
 それがあって、なるべく急いでやってきたのだがどうやら間に合ったようだ。
 久しぶりの親友の姿を見て頬が緩むのを自覚しながら露店へと近づく。
 カウンターへと辿り着くと、ブラートが背中を見せたままで声をかけてきた。

「あ~、お客さん。申し訳ないが、今一旦店仕舞い中でね。また夜にでも来てくれないか」

 恐らくは『バルド流剣術』に入門していた時代に磨いたスキル【気配察知】で俺の接近を知ったのだろう。

 スキル【気配察知】は視界の片隅に自分を中心としたミニマップが表示され、レーダーのように周囲のプレイヤーやモンスターを光点で表示する。プレイヤーとモンスターの区別は光点の色で判別できるが、その光点が誰なのか、もしくは何のモンスターなのかは判別できない。

 だからこそ、ブラートは店の前に立つのが俺だとは気付いていなかった。
 一ヶ月程のブランクだが、ブラートの声が何とも懐かしく感じられる。
 俺は微笑みながらブラートの背中へと声をかけた。

「おいおい、もう店仕舞いなのか? こっちは腹ペコなんだ。余り物でも良いから出して欲しいな」

 作業をしていたブラートの動きがピタリと止まる。
 やがてゆっくりとその首が回って顔が俺の方へと向き、視線が俺の顔を捉えた。
 そんなブラートへと手を挙げ微笑む俺。
 久しぶりに見るブラートの顔が驚愕に染まる。

「お、おまっ! 師範代!?」

 余った食材なのか、調理器具なのか、手に持っていたアイテムカードの束を放り出したブラートは、転びそうになりながら慌てて店裏から飛び出してきた。
 そのまま俺に飛びつき、襟元を締め上げてくる。

 そういえば以前もこうしてブラートが大声を張り上げて周囲の注目を集めそうになったよな。

「お前っ……んぐぐ!?」

 俺の懸念が現実になりそうだったので、すかさず彼の口元を手で塞いだ。案の定大声を張り上げようとした所で口を塞がれたブラートは、俺の襟元を掴む手を離して目を白黒させながら暴れる。
 それでも俺の筋力ステータスの高さ故か、がっちりと彼の口周りに食い込んだ俺の手は外れない。
 ますます暴れるブラートだが、それを軽くいなして店の裏へと引っ張り込んだ。
 店裏まで来た所でパッと手を離す。
 その途端、荒い息を吐きながら崩れ落ちるブラート。

「く……そ! なんだその馬鹿力は!? また俺を殺す気か!?」

 呼吸を乱しながらジト目でこちらを睨むブラートに俺は慌てて謝る。

「いやあ、悪い。ちょっと騒がれたくなかったんでね」

 俺の謝罪を聞いてもしばらく睨み続けていたブラートだが、やがて視線をそらして溜息をついた。

「わかったよ……」

 その言葉にホッとする俺。だが、ブラートの言葉は終わらない。

「それよりもだ……!」

 再び俺の襟元へとブラートの腕が伸びる。

「お前、一ヶ月も音信不通になってるんじゃねーよ! てっきり失敗して死んだのかと心配したじゃねーか!」

 俺の頼みを考慮してくれたのか小声で怒鳴りながら、襟元を掴んでガクガクと揺らすブラート。
 揺れる視界の中でしばらくブラートの好きにさせる。

 やはりブラートにもかなり心配をかけたようだ。ここはちゃんと説明して謝らないとな。

 なんとかブラートの腕を掴み揺らすのを止めると、俺は謝罪を始めた。

「それは本当に悪かった。言い訳になるけど、奥義【心眼】の習熟訓練に結構時間がかかったんだよ。本当ならダラスで訓練してから向かうべきだったのだろうけど、あの時はどうも焦っててね」

 俺がそう説明すると、何か悟ったのか納得の表情で俺の襟元からブラートが手を離す。

「まあ、あんな状況じゃ仕方なかったか。……それで、クエストはどうだったんだ? ちゃんとクリアできたのか?」

 手を離したと思ったら今度は俺の肩へと手を回すのと同時に腰を落とし、顔を引き寄せてボソボソと尋ねるブラート。周囲に聞こえないように気を遣ってくれているようだ。
 俺もそれに倣い、膝を折ってボソボソと答える。

「それはバッチリ。かなり危なかったけどな。派生流派については入門を今朝無事に済ませて来た」

 その瞬間、ブラートの瞳が驚きで見開かれた。

「お、おお……本当にあの難題をやり遂げるとはなあ! 本当にすげーぞ! ……ちなみに倒したのはやっぱレッサードラゴンか? さすがにレッドドラゴンとかあの辺の化け物相手にするのは無茶だもんな」

 俺の返事を聞いて興奮した様子を隠せないブラート。そんな彼の様子に苦笑する。

 喜んでくれるのは嬉しいがまだまだ驚くのには早いぞ、ブラート。

 ニヤリと笑った俺は懐に手を突っ込み、アイテムカードの束を取り出しながら口を開いた。

「それに答える前にこのアイテムカードを見てくれ。食材なんだが、これはお前でも調理可能か? 可能ならちょっと頼みたい事があるんだ」

 ブラートが俺の手からアイテムカードを受け取る。

「ん? お前が食材を持ってくるなんて珍しいな。どれど……れっ!?」

 手に持つアイテムカードへと視線を落とした瞬間動きが止まったブラート。だが、しばらくしてわなわなと震えだし、ゆっくりと顔を上げる。
 その顔にはかつて無い程の驚愕の表情が貼り付けられていた。

「お、おまっ! なんだこれ!? アイテムランクSだぞ!? しかも『巨龍の肉』っておい!」

 ブラートがそこでハッと何かに気付く。一瞬の静寂の後、ボソリと呟いた。

「最近ダラスで騒がれてるあれって、まさか……」

 頼むから否定してくれと言わんばかりの表情で俺をみつめるブラート。
 だが、残念な事に俺はブラートの思いに応える事はできない。

「そのまさかだ。俺がクエストクリア条件として倒したのはヴァリトール山のユニークモンスター『巨龍ヴァリトール』だ」

 それを聞いたブラートは顎をカクンと落として停止。数秒後に再起動を果たしたが、顔を引き攣らせながら笑い出す。

「はっはっは、冗談言うなよ師範代。まさか、なあ、あれを倒すなんて……はは」

 だが、俺が神妙な顔で沈黙を保っていると段々とブラートの笑い声が失速してきた。頃合を見計らって現実逃避するブラートに止めを刺してやる。

「信じられないのはわかるが、そのアイテムカードが何よりの証拠だ」

 顔を引き攣らせるブラートの肩を叩きながら告げた。ブラートが再び手元のアイテムカードをマジマジと見つめる。
 しばらく見つめ続けた後で、盛大に溜息を吐いた。

「これがあるってことは本当なんだよな~。……畜生、お前いつの間にそんだけ強くなったんだよ。奥義【心眼】ってやつがやっぱり肝なのか?」

 若干疲れを見せるブラートだったが、信じてもらえたようだ。
 ブラートの言葉で思い出したが、そういえばブラートには【心眼】の名称しか伝えていなかった。

「いや、【心眼】はただ視点が自分を見下ろす鳥瞰視点に切り替わるだけだ。死角が無くなるという点で優秀なスキル系の奥義だと思うけど、それで劇的に戦闘力が増加するって類のものではないな」

 俺の説明を聞いて怪訝そうな顔をするブラート。

「じゃあ、どうやって倒したんだよ。お前が今まで相手にしてたのはせいぜい死者の洞窟のアンデッド共程度だろ? レッサードラゴンならブレス攻撃も飛行能力も無いからアイテムを使いまくれば何とかなるかって思って送り出したんだからな。それでいきなりヴァリトール倒しましたって……レベルが違い過ぎるぞ」

 ブラートの疑問も尤もな所だ。リン達は俺とレオン達との戦闘を見た後に俺がヴァリトールを倒した事を知ったのでそれ程疑問に思わなかったようだが、ブラートは俺の今までの生活を良く知っている。
 そのブラートも俺が死者の洞窟でどんな戦い方をしてるのかまでは目の当たりにした事はないので、俺のヴァリトール討伐という情報が余程不可解に聞こえるのだろう。

「実は、ヴァリトールに殺されかけた絶体絶命の瞬間に俺の眠っていた力が目覚めてだな……」

 真剣な顔で語り始めた俺の頭からパコンと軽い音が鳴る。ブラートがいつの間にか握っていたオタマで俺の頭を殴った音だ。
 僅かな痛みに頭を押さえながらブラートを見た。

「何をする」

「お前な~、絶体絶命の瞬間に覚醒だとか何処の漫画の世界だよ。冗談言うにしてももっとマシなの持って来い」

 ブラートが呆れの混じった顔で手に持つオタマを俺の眼前でブンブンと振った。



「……で、結局どうやって倒したんだ? 俺にはどうも想像がつかん」

 ブラートが不思議そうな顔で俺に尋ねる。
 さて、どう説明するか。
 とりあえずはリン達との会話で判明した事実を織り交ぜてみよう。

「結果から言えば急所になる頭部への一撃死判定で倒したんだ。かなり危険な戦いだったけどな。どうやら知人の話によると俺は随分と筋力ステータスと頑丈さのステータスが高いらしい。そのおかげで勝てたみたいだ」

「なるほど、確かに急所攻撃なら可能性はあるな。……しかし、その知人ってのは誰だ? 俺と姐さん以外にそんな相談できるような知り合いがお前にいたっけ?」

 納得したかと思えばまた怪訝そうな顔をするブラート。
 大変不本意ながら、そこは突っ込んでくるとは思ってた。

「失礼な。俺にも知人の一人や二人……ああ、判ってるよ! 新しくできたんだよ! ヴァリトール山からの帰り道でな!」

 俺がすました顔で語っている途中、何言ってるんだお前とばかりにブラートがジト目で睨んできたので思わず本当の事を話してしまう。
 それを聞いたブラートがニヤニヤ笑っているのが腹立たしいが、仕方ないのでこのまま依頼をしてしまおう。

「さっき頼みたい事って言ったのはそれに関係するんだ。ヴァリトール討伐で騒がれている今、こんな食材なんか他人に売り捌けないからな。お前や姐さん、今話した知人達で消費しちゃおうって考えたんだよ。ちょうど今夜皆が俺の拠点宿屋に集まるから、そこで調理を頼みたいんだ」

 俺の言葉を聞いていたブラートが満面の笑みで俺の肩を抱く。

「おうおう、仕方ないな。せっかく親友に新しい友達ができたんだし、俺でよければ存分に腕を振るいますよってんだ。さすがにアイテムランク高いからレパートリーの制限はあるが、なんとか今の俺のレベルでも調理可能だしな」

 それを耳にして俺はホッとする。ブラートが調理できなかったらどうしようかとかなり心配だったが、どうやら計画通りに行きそうだ。
 そんな俺の肩をさらに叩いてブラートが立ち上がった。

「じゃあ、他にいろいろ食材仕入れないとな。お前も発起人なんだし買い物に付き合えよ」

「ああ、もちろんだ」

 俺とブラートの二人は露店の周りを手早く片付けると、今夜の為の食材を探しに大通りへと歩き出したのだった。






 俺とブラートの二人が俺の拠点宿屋『アイアンハンマー』に到着したのは、もうすっかり日も暮れた頃だった。
 一階のカウンターにはいつもと変わらず、NPCの主人が仏頂面で立っていた。かなり迫力ある強面だが、慣れた身にとってはむしろ安心できる。
 何度かここへ来た事もあり、そんな見かけにもすっかり慣れたブラートが即座に主人と交渉を開始した。

「厨房を借りるぞ」

 その声に主人は僅かな頷きを見せた。

 調理系流派の使い手はこうしたNPCの店舗で厨房を借りて料理アイテムを生産する事ができる。このランクの安宿ならば使用料金は取られないが、規模の大きな店舗になると使用料金を請求されることもあると聞く。
 だが両者の生産設備としての性能は変わらないらしい。その為、必然的に後者の大規模店を利用する場合は大規模ギルドの定例集会等で人数が集まった時に、ギルドお抱えの調理系流派の使い手が利用するといった例が殆どだ。

 ブラートは先程買い集めた食材アイテムカードと『巨龍の肉』のカードを手にカウンターの奥の厨房へと姿を消した。
 この先は俺に手伝えることはない。調理が終わるのをただ待つばかり。
 やがて食堂内に美味しそうな香りが漂い、俺の空腹感が限界を迎えようとした時、スキル【気配察知】がこちらへと近づく三人のプレイヤーの存在を捉えた。
 時間帯、人数から考えても恐らくはリン達だろう。

 しばらく待つとその三人が宿屋の前に到着し、出入口のドアが開いた。そこから顔を覗かせたのはやはり予想通りのメンバー。
 最初に入ってきたのはリンだ。深い色合いのワンピースを身に纏い大人びた雰囲気と美貌を見せている。
 リンは食堂内を物珍しそうにキョロキョロと眺めていたが、手を振る俺に気付くと笑顔を浮かべて歩いてきた。
 その後ろからはミーナの小柄な姿。明るい色合いのシャツにホットパンツ。どうにもその生足が眩しい。ミーナも笑顔で手を振りながら近づいてくる。
 最後はキース。シャツとズボンというラフな格好だ。旅の途中では鎧を着込んでいたのでわからなかったが、シャツを盛り上げる筋肉は中々のもの。体格も良いし、頼れる兄貴という雰囲気を感じさせる。

「やあ、師範代君。随分待たせてしまったね」

 リンの鈴のような声が響いた。

「いえいえ、色々とこちらも用事がありましたからね。まだ帰り着いてそれ程経っていないんです」

「それなら良かったけど……なんだかとても良い香りがするね。他にも誰かいるのかな?」

 そう言いながらカウンターの奥を覗うリン。そこからは相変わらず調理音が響き、香ばしい香りが漂っている。

「ええ、実は友人に頼んで料理を作ってもらっているんです。時間帯を考えると夕食時かなと思いまして」

「本当!? 良かった~。私達お腹ぺこぺこだったのよね」

 ミーナがお腹を押さえて安堵の溜息をついた。横ではリンとキースも苦笑しながら頷いている。
 彼女達も昼食を取り損ねたのだろうか。
 俺が疑問に首をかしげた所でカウンターの奥から声がした。

「お~い、師範代。できたぞ~」

 湯気を立てる皿を両手に持ちながらブラートが奥から出てくる。自然とリン達三人の視線がブラートへと向かった。調理に集中していてリン達が来た事に気付いていなかったのか、三人の視線を受けて驚いたように後ずさる。

「おおっと。もうお客さん来てたのか……って、えええ!?」

 突然奇声をあげたブラートは手に持つ皿をカウンターに置くとそのままカウンターに身を乗り出した。

「ああ、ブラート。丁度良かったこちらが……」

「まさか……『シルバーナイツ』のリンさんにミーナさん!? 師範代の新しい知り合いって……」

 驚愕するブラートを見て苦笑するリンとミーナ。やはりトップギルドの一員ともなると有名になるのだろう。流派や攻略に関する情報は集めていたが、プレイヤーに関する情報には疎かった為俺は最初彼女達の事は知らなかったのだが……ブラートはしっかり知っているようだ。

「はじめまして。もう知っているようだけど、『シルバーナイツ』のリンだ。流派は『ヒテン流剣術』。よろしく」

「同じく『シルバーナイツ』のミーナよ。流派は『カイン流魔術』を修めてるわ。よろしくね」

「俺も『シルバーナイツ』所属のキースだ。流派は『スパルト流槍術』。よろしくな」

 次々と自己紹介をする三人。流派まで紹介に含めたという事はかなり信頼してくれているという証だろう。

「あ、ええと。し、師範代の友人のブラートです。流派は『ジル流調理術』です。……ちょっと失礼」

 傍目にもブラートが緊張しているのがよく判る。柄にも無く敬語を使いながら自己紹介をしていたのでニヤニヤしながら見ていたのだが、突如打ち切ってカウンターを迂回し俺の下へ走ってきた。そのまま俺の肩を担ぐと後方の壁際まで引っ張り込む。

「てめぇ! あんな有名人が来るだなんて聞いてないぞ!」

 小声ながら猛然と俺に詰め寄るブラート。俺は苦笑しながらそれを抑える。
 食材集めの最中に俺の新しい友人は誰なのかと話題にはなったが、実際に会う時まで楽しみにしとくと言ってブラートは詮索しなかったのだ。

「いや、どうせ後で会うから別に教えなくて良いって言ってたのはお前じゃないか。……というか彼女達そんなに有名人なのか?」

 軽く反撃しながらも疑問を口にする。確かにトップギルドのメンバーということで驚くとは思うが、どうも驚き方が予想以上に大きい。ブラートでも露店でトップギルドのメンバーと多少は交流があるはずなのだが……。
 俺の言葉を聞いたブラートは顔を引き攣らせて絶句。

「おまっ! 『銀騎士』の三美人って知らないのかよ!? めちゃくちゃ可愛いのに実力もあるってことで男性プレイヤーの憧れの的なんだぞ!? 一体どんな魔法を使えば拠点宿屋に彼女達を呼び出せる程仲良くなれるんだよ!」

 ブラートの鼻息が荒い。ちなみに『銀騎士』とは『シルバーナイツ』の略称だ。確かにリンとミーナはかなりの美人だとは思っていたが、ブラートがここまで興奮する程の有名人だったとは……。なんだかブラートの俺を見る目が怖い。

「ちょっとヴァリトール山からの道中いろいろあってね。一時的にパーティ組んでもらえたおかげで仲良くなったんだよ」

「お前、あの二人とパーティ組めるだなんてなんと羨ましいことを……夜道気をつけろよ。いつか刺されるぞ」

 努めて軽く説明したつもりだったのだが、ブラートから思いがけない返事が来て思わず固まる。刺されるってなんだ。

「ははは、まさかそんな……ちなみに三美人って事はあの二人以外にもう一人女性プレイヤーが『シルバーナイツ』にいるって事?」

 笑って流そうとするもブラートの目付きは変わらない。なんだかこれ以上聞くのは危険な気がしたので、仕方なく強引に話を変えた。
 するとブラートの目が一瞬輝いたような幻想を見る。

「もちろんだ! 『銀騎士』お抱えの調理士! あのオドオドした態度が堪らない! 俺のベストアイドル、シェリーちゃんだ!」

 いきなり拳を突き上げ熱血し始めたブラートを俺は唖然として眺めた。

 あれ、この人こんな人だったかしら……。

 俺がブラートとの今後の付き合い方を考え始めたその背後から、俺達に声をかける者がいた。

「盛り上がってる所申し訳ないけど、シェリーはうちのマスターにゾッコンだから脈は無いと思うわよ」

 その声に思わず固まるブラート。振り向くとそこには、困ったような顔で苦笑するミーナの姿。

「あ、あの……聞こえてました?」

 恐る恐るブラートがミーナに声をかける。ミーナは残念そうな顔をして頷いた。

「ばっちりね……あなた達、コソコソ話をするのはいいけどちょっと長過ぎじゃない? せっかくの料理が冷めちゃうわよ」

 そう言って指差す先はカウンターに放置された皿。確かに先程に比べて湯気はなくなっている。
 それを確認するや否や身体を跳ねさせたブラートは慌てて皿を手近な大きなテーブルに置き直し、すぐにカウンターの奥へと取って返した。
 おかげで俺とミーナがその場に取り残される。自然と俺とミーナの視線が交差した。
 見つめるミーナの大きな瞳に悪戯っぽい光が灯る。

「ほんとは師範代さんの好みも知りたかったな~」

 いきなり耳元に顔を寄せ、そっと呟かれた言葉に思わずドキリとした。頬を撫でる彼女の長い髪がなんともくすぐったい。

「……なんてね」

 一瞬で顔を離したミーナがクスリと笑う。今のやり取りに目を丸くする俺。それが面白かったのか、さらにクスクスと笑いながらミーナはリン達の下へ歩いて行った。リン達はどうやら出てきた料理に目を奪われていたようで今のミーナとの一件は目に入っていないようだ。
 それにしてもあんな美人顔が間近に迫るとびっくりしてしまう。若干鼓動を速めた自分の胸を押さえ、戸惑いながら俺もリン達の下へ歩き出した。

 
 テーブルに並べられた数々の料理。パスタやサラダ、ピザ等洋風のメニューが並ぶ。
 それぞれの皿から漂う香りが空っぽの胃を刺激した。
 だが、まだメインディッシュとも言うべきものが登場していない。
 俺達は食卓の準備をしながらも思い思いにくつろぎながら時間を潰していた。

「そういえば、リンさん達も昼食取ってないようでしたね。そんなに忙しかったんですか?」

 食堂に入ってきた時のリン達の言葉を思い出し、疑問を投げかける。

「ああ、ちょっと事情説明に時間がかかったのとマスターにかなり心配されてね」

 苦笑しながらリンが答える。それに肯定するように大きく頷くミーナ。

「リンってば、ほんとにマスターに気に入られてるわよね。いつも冷静沈着で傍目には冷酷そうにも見える人なのにリンにだけは態度違うものね」

「だよな~。俺あの人が笑う所なんてリンと話してる時以外で見たことないぞ」

 ミーナとキースがしみじみと語る内容にリンが困ったような顔をした。

「ヤクモさんは父の知り合いだから、私を気にかけてくれているだけだよ」

 どうやら『シルバーナイツ』のマスターとリンは現実世界からの知り合いのようだ。
 普段、『シルバーナイツ』のような有名ギルドの内部事情を聞く機会なんてなかったので、こうして話を聞いているだけでもなかなか面白い。

 俺達が雑談で賑わっていた所で、食堂のドアが開いた。
 皆の視線が食堂の入口へと向かう。
 そこには目に鮮やかな真っ赤な髪。先程会った時と同じ装いの姐さんの姿があった。

「ごめんなさい~。来るのが遅れちゃいました~」

 申し訳なさそうに謝りながら姐さんが歩いてくる。

「いえいえ、まだ準備中ですから大丈夫ですよ」

「ほんとですか~? 良かった~」

 俺の言葉にホッと一息つく姐さん。そこにリンが声をかける。

「やあ、スカーレット。君も師範代君に誘われていたのかい?」

「リンさん、こんばんは~。先程師範代さんがうちの店に装備を新調しに来たんです~。その時に誘われたんですよ~」

「装備を新調? もしかしてあの素材を使ってかしら?」

 二人の会話に興味を惹かれたのかミーナが加わってきた。

「あら~、もしかしてミーナさん達は知ってるんですか?」

 不思議そうに姐さんが周囲を見渡し、俺と目が合う。

「ええ、ここにいるメンバーだけには俺がヴァリトールを倒した事を教えてあります。騒ぎになるのは避けたいのでこのメンバー以外には口外無用でお願いしますよ」

 俺の言葉に頷く面々。

「そこはまかせて。……でも、もし誰かに言っちゃったとしても信じてもらえそうにない可能性が高いわね」

 ミーナがそう言うと皆が頷きながら笑った。

「師範代君の強さを垣間見た私達も証拠を見せられなければ信じれない思いが強かったからね。ところで装備はどんな物が出来たのかな?」

 やはりユニークモンスターの素材でどんな装備が作られるのか気になるらしい。リン達三人が興味深そうに姐さんの言葉を待つ。
 姐さんはというと、視線を受けて困ったような顔をしていた。

「実はその事で師範代さんに相談があるんです~。長剣と全身鎧を作る予定だったんですけど、製作材料として思った以上にオリハルコン鉱石が必要で全然数が足りないんですよ~。最近市場でもオリハルコン鉱石は品薄状態ですから、装備完成までかなり時間がかかりそうなんです~」

 姐さんが申し訳なさそうに俺に話す。
 オリハルコン鉱石とは主に武具製作に使用される製作材料の一つだ。高ランクの武具を製作するのに必須となるこのアイテムは入手難易度の高さのせいで他材料に比べて非常に高価な上に希少だ。
 この鉱石は高ランクダンジョンの採掘ポイントでのみ入手可能であり、更に【採掘】スキルに高い熟練度を必要とする。
 必然としてギルドお抱えの生産系流派プレイヤーがギルドメンバーに守られながら採掘したり、護衛を雇ったプレイヤーが採掘するのが一般的となっている。
 姐さんもコネのあるギルドに護衛を依頼して度々オリハルコン鉱石を採掘しに出かけていた。これからそれをやるとなると、高ランクダンジョンはダラスから遠い為に結構な日数が必要だろう。

「それは仕方ないですね。一応予備の剣もありますし、焦らなくても大丈夫ですよ」

 腰のポーチから『迅剣テュルウィンド』のカードを抜き、姐さんに見せながら話す。 
 いくら予備とはいえ、ランクAのユニークアイテムだ。本当はメインの武器として使っても十分な一品。
 『精霊武装』として生まれ変わる俺の相棒の姿を早く見てみたい思いはあるが、元々初期装備に毛が生えた程度の性能の装備を使っていた俺にとって装備が無いからと焦る状況ではない。

 と、そこで厨房の奥からブラートが顔を出した。手には湯気を立てる大皿。

「メインディッシュができたぞ~」

 野菜類の付け合せに彩られた大皿にはこんがり焼けた巨大な肉塊が乗っている。そのあまりのボリュームと香ばしい香り、そして何より後光を感じさせる微かな輝きに皆の動きが止まった。

「そのお肉……もしかして……」

 視線を肉塊に固定しながらミーナが引き攣った声を出す。
 それに対して自慢するかのように頷きながらブラートが答えた。

「そう、師範代が倒したヴァリトールの『巨龍の肉』を使用したドラゴンステーキだ! 俺の技量じゃステーキにするのが精一杯だったが、出来は最高だぜ!? さすがはランクSの食材としか言いようが無いな」

「……おいおい、何となく予想はしてたが本当にランクSの食材を俺達なんかに振舞っていいのか? 調薬士に流せばとんでもない効能のブーストアイテムとか作れるかもしれないし、そうでなくとも売れば相当な財産になるぞ?」

 汗を一筋流しながらキースが俺に問う。リンやミーナも同意見だったようで思った以上に真剣な目で俺を見ていた。
 ちなみに姐さんは目を輝かせて涎を垂らし、こっちの事なんか最早眼中にない。

「秘密を守ってくれるような調薬士が知り合いにいませんでしたし、こんな街の状況じゃヴァリトール関連の素材は売り捌けないですからね。それならばここで消費してしまって、皆に恩を売っておいた方がいいかと思いまして」

 ニヤリとしながらそう言うとキース達三人が一瞬唖然とする。だが、すぐに三人とも笑い出した。

「こいつ、なかなか言いやがる! それじゃあ、仕方ないな。遠慮なく頂くぜ」

 キースがそう言うと、リンとミーナも笑いながら頷く。
 あまり遠慮されても困るので一芝居打ったが上手くいったようだ。
 ブラートも今の会話と姐さんの姿に笑いながら皿をテーブルまで運び、ようやく食事の準備が整った。
 席に着こうとテーブルを見渡した所で、急に腕を引っ張られる。
 誰かと思えばリンだった。

「師範代君は私の隣だ」

 清清しく微笑みながらリンが俺の腕を引っ張り、着席させる。テーブルの奥の席にリン、その隣に俺だ。

「私はここにしようっと」

 それを見たミーナがすかさず動き、俺のもう片方の隣に座った。

「じゃあ、私はここに~」

 そう言いながら姐さんが俺の真正面に座る。

「おお、師範代両手に花だな」

「……師範代ぃ、羨ましいぞ~!」

 ガハハと笑うキースと、敵意を滲ませたブラートが姐さんの隣に座った。
 俺は苦笑するしかない。
 ブラートにずっと睨まれるのも嫌なのでさっさと食事を開始しよう。

「皆さん席に着きましたし食事を始めましょうか。……じゃあ、乾杯!」

 皆が飲み物が入ったグラスを手に取るのを待って、乾杯の声をあげる。それに対して皆も口々に乾杯の言葉を発しながらグラスを合わせた。

 一口グラスをあおった所で、姐さんが動く。勿論狙いはドラゴンステーキだ。

「お肉~! お肉~!」

 だが、それを制するミーナ。

「スカーレット! そんなにがっつかないの。とりあえずこれ取り分けちゃいましょ」

 涙目になる姐さんを無視して、ミーナが手際良く肉を切り分けて各人に配る。ミーナが小柄なせいもあって子供に叱られる大人のような倒錯感があった。
 思わず笑ってしまったら姐さんに睨まれてしまう。俺は慌てて視線をそらした。

 と、そこで俺の肩が叩かれる。振り向けばリンが満面の笑み。その手には肉の刺さったフォークが握られていた。

「はい、あ~ん」

 リン以外の全員の動きが止まる。俺もわけがわからず思考が止まってしまった。だが、リンはそんな周りの状況などお構い無しにフォークを俺の口元に近づけてくる。
 思わずフォークの先を口にし、肉を噛み締めた。途端に口内に広がる途轍もない旨みととろけるような食感。

「美味しい……」

 呆然としながら感想を口にする。
 それを見たリンは微笑みながら頷き、再び手元の小皿の肉をフォークで刺す。今度は自分の口へと運んだ。
 そして、リンの微笑が深くなる。

「これは……確かに素晴らしく美味しいね。こんなに美味しい物が食べられるとは思って無かったよ」

 そう語るリンを皆が見つめていた。
 いち早く再起動したのはミーナ。

「ちょ、ちょっと、リン! 何やってるのよ!?」

 それに対するリンは怪訝そうな表情を浮かべた。

「何って、師範代君にステーキを食べさせてあげただけじゃないか。恩人をもてなさないなんて、女がすたるからね」

 当然の如く語られた言葉にミーナが一歩圧される。

「……くっ、なんてストレートな……」

 ボソリと何か呻いていたミーナだったが、すぐに気を取り直して動き出した。
 ガバッと勢い良く俺の方へと向き、上目使いで俺を見つめる。なんだか顔が近い。

「師範代さんは、ああいうの好き……なのかな?」

「いや、そりゃ嫌いなわけはないですけど……」

 グイグイ迫られて、思わず本音で答えてしまった。それを聞いた途端ニコリと笑うミーナ。

「じゃあ、私も食べさせてあげるわね! はい、あ~ん」

 ミーナが先程のリンと同じようにフォークを差し出してくる。周りの視線が痛いが、食べないわけにはいかない。顔が若干引き攣るのを自覚しながら、肉を頬張った。

「美味しい?」

 ミーナが俺の顔を覗き込みながら尋ねてくる。俺は勿論頷いた。
 それを見たミーナが嬉しそうに微笑む。

「へえ……」

 すると隣のリンから興味深そうな声が響いてきた。横目で覗うと微笑んではいるが、視線は鋭い。

「何かしら、リン?」

 対するミーナはリンの視線を真っ向から受け止め、大胆不敵にニヤリと笑う。
 一瞬二人の間で火花が散った気がするが気のせいだろうか。

「あ~、リンさんもミーナさんもずるいですよ~! 私も師範代さんにあ~んってやりたいです~」

 空気が緊迫したかと思ったが、姐さんの言葉で霧散した。
 リンとミーナも姐さんを見て苦笑する。

「ほら、師範代君。スカーレットだけ仲間外れにするわけにはいかないだろう?」

「そうよ~。こんな美人三人にもてなされるなんてなかなかないんだからしっかり堪能しなさいね」

 リンとミーナがクスクス笑いながら勧めてくる。勿論言われなくともやらないわけにはいかないだろう。

「う、わかってますよ」

「師範代さん~、あ~ん!」

「ああ、姐さん! そんなに乗り出したら胸元にソースが付いちゃいますよ!」

「……馬鹿なっ。クール系美女にロリ系美少女、更に天然系美女にモテモテだとっ!? 師範代め、奴は一体どんな魔法を使いやがった!?」

「ガハハ、お嬢達がこんなことするなんて面白いな。ギルドの男共が知ったらどんな顔をするか……ククク」

 皆思い思いに飲んで、食べて、語った。
 楽しい時間は過ぎていく。
 雑談の中で姐さんが必要とする材料集めと俺のパーティ戦の経験積みの為に即席のパーティを組んでダンジョンへと向かう事になった。
 久しぶりのパーティ戦に俺の胸が躍る。
 はたして無事に終わればいいのだが……。僅かに不安が胸をよぎるも皆と話すうちにすぐに薄れる。

 こうしてダラスでの夜は更けていった。
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