湊川神社参拝セミナー 予定調和を超えろ!

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日本は、だれもが神様になれる国です。

私たち北極流一門が、修行の眼目としてきたことがあります。それが、神人合一して生きるということです。

神様がいても、いなくても、どちらでもいい。

神社 ここからは〝神様がいる〟という前提で話を進めていきます。

ちなみに世の中には、

「神様はいる派(有心論)」と
「神様はいない派(無神論)」とに分かれますが

「神様がいると考えても、いないと考えても、どちらでも構わない」というのが、私たち北極流の基本スタンスです。

どちらの派であっても、
「より良い人生を全うするには、どう生きるべきか?」
ということを突き詰めていけば
結局は同じ答えにたどり着くと思っています。

別に、「神様は絶対にいる」と主張するつもりもありません。
無神論でも、構いません。

ただ、神様がいる〝かのように〟生きていくことは
最も簡単に運命を変える秘訣でもある
のです。
御食事ゆにわの料理 ゆにわ店長ちこの『神様ごはん』も、
台所に神様がいらっしゃる〝かのように〟
お祈りをして、掃除をして、料理をしていたら、
まるでごはんに神様の光が宿ったかのように、
食べた人の運が良くなったり、
笑顔になったり、悩みが晴れたり、
およそ人間業とは思えないような奇跡が次々に起こるのです。

羽賀ヒカルの「北極流の占い」にしても、
相手が神様そのものである〝かのように〟

才能を信じて、未来を信じて、幸せを祈り、
まさに神様の如き生き方をお伝えすることで、
来る人来る人の運命がガラッと変わっていくのです。
羽賀ヒカルと万福たけし 神道にもとづけば、
人間は神様の分け御魂をもらって生まれてきた存在で、
だれでも、その本性をたどっていけば〝神様〟に行き着くのですから。

万福たけしの「神体づくりプロジェクト」も、
人の身体を、神様からの授かりものである〝かのように〟
扱うことで、眠っていた機能を目覚めさせ、
心も体も真の健康に近づけていく講座です。

そして、あなたがこの先...

湊川神社
神様である〝かのような〟人生を歩み続ける
そのための秘訣をお伝えするのが、
今回の湊川神社参拝セミナーなのです。


どなたでも、人生は山あり谷ありです。

その紆余曲折の中でも

神様である〝かのような〟人生を歩み続けることができれば
それはまさに、〝神人合一〟して生きるということです。

いえ... 正確には、
山あり谷ありで人生が思い通りにいかない〝からこそ〟
神様になれる可能性がある
のです。
(その理由は後半で詳しく書いています。)

だから今、目の前の人生で

「思い通りにいかない...」
「納得がいく毎日が送れていない...」
「理不尽な目にあってばかり(なんで自分だけ)...」

といった思いを抱えておられる方にこそ
ぜひお伝えしたいのが今回の神人合一の秘儀なのです。

それは、人生に“奇跡を起こす”ということ。

神人合一して生きると、何が起こるのか?

まず、あなたの人生に奇跡が起こります。
奇跡とは、いわば、予想外の良い展開になることです。

「このままいったら‥常識的には、こうなるだろう...」
という流れ、つまり〝予定調和〟を超えるということです。

残念ながら、多くの人の人生は、予定調和の枠内で終わります。
なぜなら、神様の力を最後まで信じていなかったり、
その力を借してもらう方法を知らないからです。

私たち北極流一門は、大学受験の頃から
受験勉強を教わる中で、奇跡を起こす生き方を
北極老人から教わってきました。

北極老人が塾長をされていた頃の塾のチラシには
「E判定でも逆転できる!」というコピーが
ドン!と大きく載っていました。

そして、実際に奇跡が起きて、
入試直前に模試でE判定をとったにもかかわらず、
第一志望に大逆転合格した受験生が何人もいます。


勉強する受験生 親も、友人も、学校の先生も、誰もが驚くような奇跡でした。

単に「大学に合格させてもらった」ということではなく
「こうすれば、人生に奇跡は起こせるんだよ」ということを
自らの経験をもって教えてもらったということなのです。

奇跡の中身は、大学合格だけでなく、人それぞれです。

脱出不可能と思われた親の束縛から抜け出せた、とか。

大のごはん嫌いから、たったひとつのおむすびに光を感じて幸せに満ちた、とか。

人生のどん底にいたのに、あることをキッカケに奉仕の気持ちに目覚めた、とか。

いずれにしても、そういった奇跡が起こる時には
人と神様が一体となって、予定調和を超えている
のです。

予定調和を越えた時、〝占い〟すらも当たらなくなります。

例えば手相には、流年法といって
未来に起こる出来事を予測する方法があるのですが
これが見事なまでによく当たります。

「この人は、何年間浪人して大学に合格する」とか
「何歳の時に恋人と別れて、何歳で出会いがある」とか
「何歳で結婚して、何歳で子どもが生まれる」とか

進学、就職、出会い、リストラ、結婚、出産...
人生の節目となる出来事が全てわかってしまう。
まるでそれが、手に書かれているかのように。


手 実際に私も占いで
予想が的中したケースをいくつも知っています。

けれど、占いが〝よく当たる〟からといって、
「こういうことに気をつけてくださいね」という程度で
その予想された未来の通りに進むのでは
何の意味もありません。

先に不幸が待ち受けているのがわかっているのに
そのまま進んでいく...?

いえ、北極流の占いが本当に目指しているのは
その決められた未来そのものを変えるということです。

それが予定調和を越えるということであり
敷かれたレールの上をただ進んでいく人生からの脱却であり
その状態が常となれば〝神人合一〟です。

一度きりの人生を全うするために。

北極老人から、「神人合一する生き方」について教わるにつれ

私たち一門は、ほどほどに幸せな人生や、
ありきたりな人生から、興味を失ったのです。

人類は、神様からもっと大きな期待を背負って
生まれてきたに違いない...

だったら、この一度きりの人生を
予定調和の枠内で終えてしまうなんて...もったいない、と。


この湊川神社参拝セミナーは、
私たち北極流一門と一緒に
人生の、そして人類の、予定調和を超えませんか?

という提案でありお誘いでもあります。

人類の予定調和とは、
人類が〝このままの路線〟で進んでいったら、どうなるか?ということです。


災害 だれも予測できることではありませんが
今の人類が、あらゆる危機に瀕していることは、
言うまでもありません。

経済の崩壊や、世界大戦、
より深刻化する格差社会の心配もあれば
核兵器や遺伝工学によって作り出されたウイルスといった、科学技術によって生み出されたものが人類の脅威となるかもしれません。

気候変動や大災害など、自然が人類に牙をむくかもしれません。

ひとつでも、人類の息の根を止めてしまうような危機が
もはや、いくつも迫っているような〝今〟です。

私たちが生きている時代ですら、なにが起こるかわかりませんし
自分たちの子どもや孫の世は、もう想像もつきません。

北極流で大切にしていることは、〝失う前に気づく〟ということです。

多くの人は、大切なものを失ってから
はじめて人生の中で一番大切なことに気づきます。

人生の中でも、

身近にいる家族の大切さがわからずに、離れてから気づいたり
孤独になってから、仲間のありがたさに気づいたり
大切なものを失くしてから、その本当の価値に気づいたり
身体を壊してから、健康の大切さに気づいたり...。


仲間との協力 よくあることだと思います。

しかし、それを
「よくあること」とか、「人間って、そんなものだよね」
と済ましてしまっては、せっかく頂いた今世の命にも、
申し訳が立たないでしょう。

それが本当に幸せな生き方だとも思えません。

生涯を通じて、〝失って気づく〟ことの連続であったなら
きっと人生の幕を閉じる直前になってはじめて
「あぁ、この人生‥、もっと挑戦すべきだった...」とか
「あの人との時間を、もっと大切にしたらよかった...」と
後悔を残して、この世の生を終えることになります。

そして、その果たされなかった無念を晴らすために
また来世、同じテーマで生まれ変わってくるのです。

神がかる生き方。

そして北極老人いわく、人類全体においても、
その過ちを何度も繰り返してきて、もう後がないのだとか...。

人間がいくら努力したところで、奇跡など起こりようがありません。

神様の力を借りなければ、予定調和は超えられないのです。

しかし、〝神様頼み〟でも、どうしようもないのです。

神様は、いくら人類の平和を望んでいたとしても
手もない、足もない、口もない、
この世の中に、なんの影響を与えることもできません。


では、神様はどうやって世の中に働きかけるのかといいますと
人の口を借りてメッセージを伝えたり
手足を使って〝神がかり的〟な才能や行動力を与えられるのです。

そうなるためには、
神様から見て、〝こいつは使いやすそうだ〟という人間に
なっておく必要があります。

逆に、神がからない、つまり人生に奇跡の起こらない人の特徴は...

・みんなのことは二の次で、自分のことが大事
・神様のことを信じていない、裏切る、逃げる。
・あくまで自分の考え方、こだわりを抜け出せない。

ということでしょうか。

では逆に、神人合一する人間とは...

そのまさに手本となるのが、
湊川神社に祀られている楠木正成(くずのきまさしげ)公なのです。

楠木正成という神人がいた。

楠木正成 湊川の戦い この楠木正成ほど、
日本を存続の危機から救ったにもかかわらず
その功績を知られていない人物はいないでしょう。

楠木正成がいなければ
日本の天皇制はとっくに滅びていたでしょう。

天皇制が滅びていたということは
海外の勢力から攻めこまれるか、内紛によって
日本という国は消えていたに違いありません。


しかし、それほどの功績がありながら、
楠木正成は、戦後の歴史教育からは、
ほとんど影を潜めてしまいました。

今こそ、楠木正成について知るべき時なのです。

※実は、まるでそれを証明するかのように
私たち北極流一門のまわりでは、それに関連する事態が起こりました。
(それについてはここでは書ききれませんので、当日のセミナーにてお話いたします。)


神人合一した歴史上の人物(菅原道真、上杉謙信、本居宣長) 日本は、誰もが神様になれる国です。

かつての偉人達の中にも、神社の神様として
祀られるようになった人物は何人もいました。

その中でも、並外れた霊威を誇る人物が
武士権力から天皇を守った楠木正成(くすのきまさしげ)なのです。

人が神様になるとは、どういうことか?

生前、神様の如き人生を貫いたから
あの世で、正真正銘の神様になる
のです。


維新志士(坂本龍馬、高杉晋作、吉田松陰) 歴史上の人物では、坂本龍馬や、高杉晋作や、吉田松陰や幕末の維新志士が人気ですが、
この志士たちが最も尊敬し、日本人のあるべき姿として模範としたのも、楠木正成だったのです。

維新志士の育ての親とも言える吉田松陰も
生涯の中で4度も、楠木正成の墓前(現在の湊川神社)を詣ったといいます。

今、世界中でも日本人の高い精神性が
取り沙汰されていますが、大和魂を語るにおいては
この楠木正成をなくして、語ることはできません。

日本が世界で最長の歴史をもつ王朝だということは
多くの方がご存知のとおりでしょう。

諸説はありますが、2600年以上
天皇制という一つの王朝が守られてきたということは、
人類の奇跡のひとつです。


日本列島 これは日本が半島の先にある島国であるという
地政学的優位もありますが、
それ以上に大きく影響しているのが
日本人的な霊性の高さです。

「霊性の高さ」がわかりにくければ
言い換えると、

「自分のためではなく、誰かの幸せのために
 身を擲(なげう)ってでも、尽くす気持ち」のことです。

それによって、何度も訪れた天皇制断絶の危機を超えてきました。

命を失うとわかりながら、なぜ戦ったのか?

南北朝時代の合戦 しかし数ある危機の中でも、最大の危機であったのが
鎌倉時代から南北朝時代にかけて、楠木正成が活躍した時代です。

それまでの日本は、
朝廷(天皇)のもとに政治が行われてきました。

しかし、武家が権力をふるうようになり、
朝廷(天皇)と武家政権が並立したのが鎌倉時代です。

天皇家は、2つの家系に分裂したこともあり
ますます権威を失っていきました。

そんな折に、1274年、1281年、
元(今のモンゴル)から二度にわたって軍が攻めてきました。
世にも有名な「元寇(げんこう)」です。


元寇 元(蒙古=モンゴル)の皇帝は「フビライ・ハーン」。
当時の元は東は朝鮮半島・中国から西はヨーロッパまでを領土とする史上最大・最強の国でした。

軍事力で圧倒的に劣る日本ですが
2度にわたる嵐によって元の船がことごとく沈み、
奇跡的にモンゴル軍を退けます。

この嵐が「神風」の由来です。

しかし、そこで武士たちは命懸けで戦ったにも関わらず
ほとんど、褒賞(ほうび)がありませんでした。

当然です、戦に勝ったとはいえ
元の軍を海の向こうへ追いやっただけで
日本(鎌倉幕府)は何も得ていないのですから。

分け与えるものがないのです。


これにより、武士の不満が爆発します。

「なんのために命懸けで戦ったんだよ!」と。

もともと、鎌倉幕府(将軍)と、その部下である武士たちは
御恩と奉公の主従関係で結ばれていました。

(これを封建制度といいます。)


封建制度 恩賞がなければ命をかけて戦う武士などいなかったからです。

これだけがんばった(奉公した)んだから
それに見合ったほうび(御恩)をもらうという、 Give-and-Take の関係によって、成り立っていたのです。

ここが大事なポイントです。

それまでの日本人が、天皇(朝廷)に従ってきたのは
従うことで何かほうび(御恩)があったからではありませんでした。


日本人にとって天皇のために生きるということと
国のために生きるということと、
みんなのために生きるということは、同じことだったのです。

日本人の国民性

明治天皇と昭和天皇 天皇は、権威ではあっても、権力者ではありません。
国体の象徴であり、祈りの象徴でした。

「国民が安らかに暮らせますように」 という祈りを
歴代、「毎日」欠かさず行われてきましたのが天皇です。

それは、神様と国民の間を繋ぐ行為でもあります。

国民全員の幸福を願って、神様に毎日祈るという国の王が
世界中探してどれだけいるでしょう。
ましてや、それが先祖代々1000年以上にわたって
行われてきたというのは、奇跡に近いことです。

しかし、武家が権力を持つようになり
この将軍についていけば
自分は生き延びられるから、財産がもらえるから...

という個人のメリットのために戦うようになると
もはやそれまでの日本人が培ってきた精神とはかけ離れたものになります。

そんな時代の中で、鎌倉幕府打倒のために立ち上がったのが
後醍醐天皇(ごだいごてんのう)でした。


後醍醐天皇 後醍醐天皇(朝廷) VS 武家政権 の戦いが起こります。

これは、単なる権力争いといえばそれまでですが
もっと広い意味でとらえると
公のため(みんなのため)に戦うか
私のため(自分のため)に戦うか

という、日本人の生き方の選択だったのです。

公のため(みんなのため)に戦う、といっても
過去の世界大戦に見られたような、軍国主義ではありません。

国民のだれもが、自分のためよりも誰かのためを思い
他人同士であっても、いざとなれば助け合い、
子孫により良い世の中を残したいと願う。

そんな国民性を守るための戦いでした。

その戦いの中で、
武士としても政治家としても第一級の戦略眼と見識を持ち

未来を見通すほどの才を持ちながら、
あえて後醍醐天皇への恩義に殉じた神人。

それが楠木正成だったのです。


楠木正成 楠木正成の生涯について
あまり知らないという方は、こちらをご覧になってください。

【記事で読む】湊川神社WEBサイト
http://www.minatogawajinja.or.jp/history/

【動画で見る】その時、歴史が動いた (42分30秒まで)
https://youtu.be/yvql4S5kGPY

楠木正成は、なぜ神様になったのか?

楠木正成の戦 楠木正成は、権力を持ったわけではありませんし
何か大きな念願を達成したわけでもありません。

どちらかといえば、悲惨な最期です。

しかし、楠木正成は人間から神様となりました。

なぜか?

そもそも、後醍醐天皇という人物は、
あくまで天皇中心の政治に憧れた天皇でありましたが
その身勝手さや独善性から、多くの家臣が離れていったと言われています。

つまり、欠徳の君主だったのです。

それでも、楠木正成は忠義を貫きました。

もし、国が平和で、君主も立派であれば
誰もが家臣(かしん)として忠義を尽くすでしょう。

ちゃんと、見返りがあるのですから。

ところが、国が乱れても、君主も暴君となれば
普通の人間であれば、逃げ出すか、反抗します。

それでも、忠義を貫くからこそ、本物と言えるのです。

逆を言えば、
「君主が暴君(アホ)であってこそ、
 本当の忠義が試される」ということなのです。

後醍醐天皇が欠徳の君主であったからこそ
それでも最後まで忠義を尽くした楠木正成は
神の如き生き様を伝説に残し、神様になれた
のです。

(神人は単独では存在しない。ここに神人合一の秘密が隠されています。)

楠木正成が現在のように
湊川神社に祀られるようになったのは明治のことですが
それ以前も、死後は神様となって、
目に見えない次元から日本を護っていたのです。

楠木正成がいなければ、幕末の維新志士は生まれず
日本は欧米列強の植民地となったに違いありません。

今頃、日本は混血の国になっていたでしょう。

〝日本〟という名前すら、失わたかもしれません。

そうなれば、国民性どころではありません。

日本人の良さは、マネできない。

震災時の助け合い よく近年は、日本人の国民性が素晴らしい!と世界中で評価されます。

災害時でも助けあったり、譲りあったり
落し物が当たり前のように戻ってきたり
おもてなしの精神だったり。

国民性というのは、
文化や教育によってつくられる部分もありますが
実際のところは、本を読んだり、教育によって身に付けるというよりも、うまれつき、そういった感性が備わっているのが日本人です。

世界に冠たる天皇制という制度も
そういった日本人的な精神の土壌があるからこそ
維持できるものなのです。

天皇制は、他国が真似しようにも
真似できない制度
なのです。

だから戦後、日本の底力を恐れた連合軍は
天皇制という形だけは残しましたが、
その代わりに、それを支える日本人の精神を奪おうとしました。


GHQ(連合国軍最高司令官総司令部) それが、第二次世界大戦終結後に
GHQが行なった占領政策の基本原則

5D

Disarmament - 武装解除
Demilitalization - 軍国主義排除
Disindustrialization - 工業生産力破壊
Decentralization - 中心勢力解体
Democratization - 民主化

政治、経済、情報、エネルギー、文化、食料において
自立させないということ


3S

Screen - 映画やテレビ
Sport - スポーツ
SEX - 性産業や歪んだ性知識

娯楽に寄って日本民族の高い精神性を崩壊させることでした。

楠木正成のことも、歴史教育で語られなくなりました。

しかし、それでも日本は今なお
未知の可能性を秘めた国として、生き延びています。

楠木正成から、日本人が学ぶべきこと。

いくら、政治や文化、メディアを通じて
洗脳しようとも、日本人が持って生まれた
〝日本人らしさ〟は簡単に奪うことができません。

だれでも、〝持って生まれた感性〟がありますよね?

目の前で困っている人がいたら
まるで自分の痛みのように感じて
どうにかしてあげたいと思う、やさしさ。


思いやり、優しさ そして、だれかの幸せのためなら
自分が傷つくことを恐れない、勇猛さ。

いずれも、日本人の魂に刻まれているのです。

もし、私たち一人一人の心や
次世代をになう子どもたちから
そういった当たり前の〝感性〟が失われつつあるとしたら
いよいよ、本当に危ないと思うのです。

私たち北極流の一門は
この〝魂〟という視点を北極老人から教わりました。

いま、こうして命を授かり、生きているのも
〝魂〟が果たそうと願う目的があるからです。

ですから、
自分のやりたいことをやって生きる、とか
自己実現しよう、とか、夢を叶えよう、とか
そういったことには目もくれず

最初から、〝魂〟の声にしたがって
生きていきましょう、というのが北極流であり
神人合一を目指す生き方なのです。

それは言い換えると、
〝命を賭けても、守りたいもの〟
のために生きる
ということです。

もちろん、時代が違いますし
現代で、「命懸けで誰かと戦え!」などと言うのは筋違いですが
自分にとって、「命を賭けても、守りたいもの」が何なのか
心から理解していれば、人生から迷いは消えて
いつ死んでも後悔はないと言えるほど
毎日が、かけがえの無いものになるはずです。

楠木正成の生き様を学ぶということは
そういった生き方をまずは知ることです。

楠木正成は、死ぬとわかっていながら
負けると知っていながら
天皇を守るために戦った
のです。


楠木正成の戦 その戦いの先に、何を守ろうとしたのか?
楠木正成は、いかにして神となったのか?
神人合一する生き様とは?

続きは、湊川神社の空気を借りて
お伝えしたいと思います。

神社参拝セミナーは、単に情報をお伝えするのではなく
その神社の空気を体感していただく中で
神人合一の極意を悟ってもらう、というものです。

あなたの人生の予定調和を超えて、未来を変えてください。
そして、私たちとともに、
人類の予定調和を超えましょう。

ご参加を、お待ちしております。

5月21日(土) 湊川神社参拝セミナー参拝編 建武の新政と神人合一の秘密を解き明かす

集合場所 楠公会館(なんこうかいかん)
2F 菊水の間

〒650-0015
兵庫県神戸市中央区多聞通3-1-1
スケジュール 12:15 集合
12:30 セミナー開始
16:15 セミナー終了
16:15~17:00 参拝

※昼食は召し上がった上でお集まりください。
※終了後の懇親会はありません。
参加費 32,400円(税込)
※お玉串(神社へお納めするお金)を別途2,000円以上ご随意の金額でご持参ください。当日、開場の受付にてお預かりいたします。お玉串はすべて、湊川神社にお納めいたします。

セミナー内容

※セミナー内容は多少変更となる場合がございます。


さらに・・・、奥義を知りたい方に。

この参拝セミナーに参加された方のみ参加して頂ける
2日目の奥義編をご用意しています。

5月22日(日) 湊川神社参拝セミナー奥義編 神人超越の奥義

集合場所 社員食堂ゆにわ

〒573-1111
大阪府枚方市楠葉 朝日3丁目10-27 平野ハイツ1F
スケジュール 12:00 昼食「社員食堂ゆにわ」
13:30 セミナー開始
17:30 セミナー終了
18:00 懇親会「御食事ゆにわ」

※懇親会の費用は別途10,800円をご用意ください。
参加費 108,000円(税込)

セミナー内容

※セミナー内容は多少変更となる場合がございます。

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