伊勢志摩サミット(主要国首脳会議)まで半月余。どうやら政治の駆け引きに翻弄(ほんろう)されそうな経済政策の雲行きです。国民の生活は置き去りでしょうか。
まずは、二十一年前の本紙朝刊に載ったインタビュー記事から。冒頭のやりとりです。
−会議に乗り込むまでの隠密行動はどんな様子でしたか。
「米側から会議を『やろう』と言ってきたのは出発日の四日前だったか。他の閣僚にも漏らせず緊張の日々だったよ。出発日は前から国会議員仲間と空港近くでゴルフの約束があって、朝から一ラウンド回った。終了後『外国の客が来てるから』と別れ、私服で税関の特別な通路を通って飛行機に乗り込んだんだ」
「そしたら、日銀総裁が大きなマスクで顔を隠して座っていた。総裁は別のゴルフを『風邪をひいた』と断り、密(ひそ)かに空港に潜り込んだらしい。その日、外相も国連総会で訪米するというので同じ飛行機にならないよう注意したが、米国で会った時、外相は『知ってたよ。おたくのSPが空港で手続きしていたから』と…」
◆密室主義のわけ
一九八五年九月、米ニューヨークのプラザ・ホテルで、日米欧が歴史的なドル高修正策に合意した先進五カ国蔵相・中央銀行総裁会議です。「プラザ合意」後十年を期したインタビューの相手は会議当時、大蔵相だった竹下登元首相。日銀総裁は澄田智、時の外相は安倍晋太郎の各氏でした。
それにしても、ここまで徹底した密室主義は何なのか。
一つには言うまでもなく、為替市場向けの情報管理だが、会議の舞台裏にひしめく「政治的駆け引き」も伏せたかった。貿易赤字に苦しむ米国を助けるために各国が妥協し合う駆け引きです。日本でいえば、輸出産業に不利な円高誘導で合意する筋書きが、事前にばれたら、反発で会議の開催すら難しくなったでしょう。
しかし、いくら国際協調といっても最終的に「国民生活」を犠牲にするような妥協が許されるはずはない。駆け引きに関わる政治家の責任もここにあります。
それは例えば、一時的には国民に痛みを強いる妥協でも、総合的な政策でいつか国民の生活向上につなげ得ることを納得させ、政治家として確約する責任です。
◆世界経済の減速
合意の責任を負う竹下氏は、しかしここが「円高にも耐える経済構造への転換機」と信じ、官民一体で内需拡大策を推進します。それはやがて八〇年代後半の高成長に開花していきました。
けれども日本経済はその後、プラザ合意も誘因とされた「バブル」が生まれてはじけ、失われた二十年が過ぎて、いまだデフレ脱却もままならない。世界経済もまた、リーマン・ショックを経て後は、昨今の中国要因などに揺さぶられ、ここ一段の減速傾向です。
こうして迎える伊勢志摩サミットが、主要テーマに「世界経済」を掲げるのも当然の機敏な選択でしょう。議長役の安倍晋三首相が挑む政策協調のかじ取りにも、期待は高まります。
とはいえ気掛かりもないわけではない。米学者らとの会合など、サミット前の言動に浮かび上がる首相の政治的な思惑です。
思惑は、サミットで世界経済浮揚への貢献策として、日本は財政出動の枠組みを打ち出す。その国際公約を後ろ盾に新たな景気対策で夏の選挙に臨む。おおむねこんな筋書きでしょうか。
無論、首相の胸三寸です。本番までに心変わりはあり得るが、仮にこの筋書きでいくとすれば、一番の気掛かりは、やはり“国民不在”ということです。
閉ざされた頂上会議で議長が担う駆け引きも重要かもしれない。しかし、景気対策は何より国民生活に直結する最重要政策です。
なぜ今、財政出動か。それはどんな中身であるべきか。米学者の意見や国際公約より前に、まずは国内での政策論議でしょう。
格差や貧困にあえぐ国民の生活実感をしっかりと踏まえ、政策の中身を詰めることこそが、国民生活の向上に果たすべき政治家の責任でもあるはずです。
◆肝に銘じた努力
そういう責任感の一端だったでしょうか。竹下元首相はプラザ合意から半年後の円高急進のころ、努めて国民生活の現場に身をおきました。本紙インタビューで、元首相の述懐はこう続きます。
「当時訪ねた岐阜県多治見市の陶磁器業界が円高克服で取り組む『血のにじむ合理化』に愕然(がくぜん)とした覚えがある。そんな努力があったればこそ(構造転換もできた)と今も肝に銘じているんだ」
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