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天祖・皇祖・人祖〈4〉蛇神は満月の夜に来る

36年前、1978年が最後となったイザイホーは「巳(み)」と関係の深い祭りだった。
巳=蛇。祭場の神アシャギは巳(南南東)を向き、神女たちの入場口も巳(南東)の方向。
祭事関係者は巳年の人が選ばれ、二重の輪を作って踊る様も、蛇の動きを模したものだった。

神女たちの髪がみな背中に届くほど長いのも、蛇の擬きだったのだろうか。
↓神女たちが禊ぎをする西海岸のイザイガー(階段下)。久高殿はここから巳(南東)の方向。
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イザイホーには、新儀(陰陽五行による南北軸)と古儀(太陽の運行による東西軸)
が交差していると書き遺したのは、民俗学者の吉野裕子氏だった。

以前にも引用したが、イザイホーが行われたのは12年回りの午年の子月(旧暦11月、新暦12月)。
子月卯日(ねのつきうのひ)に始まり、午日(うまのひ)に終わる。
「子」から「午」へ。その意味でイザイホーは「子午線(しごせん)の祭り」でもあった。


祭場・久高殿。中央の神アシャギの奥、「子」(北)に神女たちが籠る七ツ屋が置かれた。
そこに籠り神女として誕生した女たちは、「子」の七ツ屋から「午」の祭場へと躍り出た。
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十二干支図で見れば「子」から「午」への軌(みち)は「懐妊から出産へ」
という「陽」の軌であったと、吉野裕子氏は『十二支』('94年、人文書院)に書いた。
つまり「子」で妊られた新生命は「巳」で極まり「午」で誕生する。
神女たちが身に受ける霊力(しじ)も同じように考えられていただろうと、私は思う。

子月の中卯日に始まり午日に終わる、イザイホーと同じ日取りで行われる祭りに、
践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい、天皇命更新の祭り)がある。
その理由は、古代からの聖なる祭りが、子午線の陽軌を踏まえているからに他ならない。


↓明治度大嘗宮御図の錦絵。(「践祚大嘗祭」田中初夫氏著、1975年、木耳社刊)より借用。
天皇は卯日戌の刻(午後8時)まず「子」(右手)に建つ廻立殿(かいりゅうでん)に渡御なされた。
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さて、改めて吉野氏の慧眼に驚くのは、祭りと潮の干満についても言及していたことだ。
次のような記事が残っている。
「(イザイホーの)神事開始の12月14日(※新暦)午後6時は満潮の時点であった。
そして終了時、12月17日午前11時は引き潮の時。祖先神の神蛇は、海彼のニライから
満潮に乗って祭場に到来し、4日後、引き潮とともに去って行ったのである」
           ('79年「沖縄タイムス」連載「蒲葵と蛇と北斗七星と」より)

満潮から干潮の4日間に行われたイザイホーは、まさに「月と蛇」の祭りでもあった。
「グゥキマーイ」で祭りを締めくくったのは、月のリズムに合わせてのことだった。
神酒造りは古来、イザイホー初日の満月の夜から始まったと思う(※'78年は2日目から)。
そして祭りの最後、新しく誕生した神女たちによって、島の人々に振る舞われた。

イザイホーはこの日のように干潮のなか、波が引くように終わりを告げた。
↓写真は昨年旧暦11月、干潮の伊敷浜。
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「月と蛇」から、ついイザイホーを再考することなったが、ここで新たな謎が…。
「日本における強力な蛇信仰の担い手は物部氏と推測される」と吉野氏は書いた。
では、天皇の祭りもイザイホーも、物部氏に関わる祭りだったということなのか?
by utoutou | 2014-07-30 19:04 | 琉球の神々 | Trackback | Comments(7)

天祖・皇祖・人祖〈3〉イザイホーの月と蛇    

古祭イザイホーを締めくくる「グゥキマーイ(神酒桶を廻る円舞)」のティルル(神歌)。
そこには古代日本史を解く暗号が潜んでいると考えていたとき、絶好の書に出会った。

Amazon.co.jp の古代日本史ジャンルで上位にランキングされるベストセラー。
『月と蛇と縄文人 シンボリズムとレトリックで読み解く神話的世界観』
(大島直行氏著、2014年、寿郎社刊)。大島氏は医学博士、北海道考古学会会長。
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妊婦と土偶が並ぶカバー写真とタイトルは意味深で、その印象に違わず、
縄文時代の人々の心理に肉薄する切り口は斬新明快。一気に読み終えた。

縄文人は月をどう見ていたか。私が注目した心理とは、次の3点。
・毎月3日間、太陽に隠れ闇を招く月は「不死と再生」のシンボルだった
・月からもたらされる水(精液)で、女性は身ごもると考えられていた
・顔が上を向く土偶や、壷を抱える縄文土器は、「月の水」を乞い願う姿

これらを鍵として「グゥキマーイのティルル」を読むと、意味がスルスルと分かる。
(※ところどころ現代語意訳)

「グゥキマーイのティルル」
〜アガリトトゥウプヌシ(太陽の御神様)
 チチヤトトゥウプヌシ(月の御神様)
 久しく、めぐってくる、イザイホー、ナンチュホー
 久高神人が、拝んでいる、神アシャギ、神の真庭
 マチヌシュラウヤサメー(月の御神様)が管掌している、神酒
 左に抱き、右に抱き、ヌルらは ※中略
 ナンチュたちよ、百二十歳までも、御嶽が栄え、森が栄え、息子が栄え〜

実は私は、ティルルの歌詞のなかで、次の3点を不思議に思っていた。
・月の神様がなぜ2柱(上の赤文字)いるのか?
(実際、久高島では月の神をチチヤ大主と呼び、同名の男性神職者がいた。
 マチヌシュラウヤサメー(月の女神)の霊力は、代々外間ノロが継いだ)
・マチヌシュラウヤサメーがなぜ、神酒桶を管掌するのか
・ヌル(ノロ)らは、何を左に抱き、右に抱きしたのか

大島氏の書を拝借すれば、チチヤ大主(男)は月の水をもたらす神、
マチヌシュラウヤサメー(女)は月の水を待ち受ける神(赤字が対応)と考えることができる。
そして古来、神女たちは壷を脇に抱え、月の水を待ちながら礼拝した。子孫繁栄を願って。

桶の中の神酒は、かつて女性たちの唾液で造る噛み酒だったと、久高島の古老に聞いた。
噛み酒の元になる麹を発酵させ育むのもまた、月の引力。
イザイホーで誕生した神女たちの最初の仕事が神酒作りだったことは、容易に想像がつく。


現代のミキは「飲む極上ライス」。スーパーやコンビニで見かけるノンアルコール飲料。
見た目と喉ごしは濃い甘酒。沖縄の大手スーパー・サンエーのオンラインショップでも買える。
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ところで、神女たちが円舞する写真はイザイホーを代表するものとして有名だが、
ではなぜ、円舞のステップが、蛇の動きを模したものだったのか。
それも、大島氏の書で読み解くことができる。
縄文の人々は、男根に似た蛇を、月の水を運ぶ使者と見なしていたという。
ゆえに神女は蛇の動きで舞い、神酒桶にクバの葉を被せ、クバの葉製を杓子を使った。


イザイホーの主祭場だった久高島殿。
昨夏の「テーラーガーミ(太陽の祭り)」の夕方、子どもたちの舞踊が披露されていた。
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王を太陽神と崇める時代になっても、久高島では月の神を崇めた。
子孫繁栄、五穀豊穣の神として。夜を司る神として。
太陽に隠れる闇(死)があるからこそ、月は生まれ変わり(不死)太陽がまた昇る(再生)。

月と蛇の暗喩がヤマトでは土偶だったとすれば、久高島では祭りに隠されていた。
またそれは、天祖・皇祖・人祖を考える大きなヒントになる。
by utoutou | 2014-07-27 07:16 | 琉球の神々 | Trackback | Comments(0)

天祖・皇祖・人祖〈2〉神歌の暗号

天祖を探すという、とんでもない難題が降りかかったが、
語り部から回答を示される前は、自力で解決しようとしていた。
そして、謎解きの手がかりを、イザイホーを興した久高島の始祖ファガナシーに求めた。

約650年前の英祖王統時代。従兄弟のシラタルと刳り舟で久高島に渡り、
島建てをしたと伝わるミントングスクのひとり娘。その母の実家が屋号アマス家だという。

ファガナシーの母方が屋号アマス家ならば、そして、アマスが「天祖」の意味ならば、
イザイホーの興りは、天の御祀りだったのか。
そこまで思い至って初めて、ああ…と、気がついた。

語り部の話は、イザイホーをより理解するためのヒントだったのだろう。
「王が太陽の化身と崇められるようになってから、ニラーの神々は消えたが、
太陽の神・東大主(あがりうぷぬし)と、月の神・チチヤ大主(ちちやうぷぬし)
は一対神として崇めら、そのティルル(神歌)がイザイホーのなかに残っていた」

ただし、ヒントから先は、自分で探らなければならない。
こんなとき、頼りになるのは比嘉康雄氏の著したイザイホーに関する何冊かの本。
イザイホーに関する著書は数多あるが、外間ノロ・ウメーギ(補佐役)の西銘シズさん
に聞いた話と照合した比嘉氏の取材記録は、ディテールの確かさで他を圧倒する。

ところが、比嘉本に浸って片っ端からティルルを拾い読みしたが、見つからない。
それもそのはず、4日間にわたるイザイホーの最後の儀式で、それは歌われていた。

「グゥキマーイのティルル」。
グゥキは「桶」、マーイは「廻る」という意味だそうだ。
神酒(みき)桶の周囲を神女たちが舞う、イザイホーを締めくくる儀式に歌われる神歌。
語り部に聞いた通り、太陽と月の大神様に、そして外間ノロの始祖に、終了を報告する内容。

アガリトトゥウプヌシ(太陽の御神様)
チチヤトトゥウプヌシ(月の御神様)
ムムトゥマール(久しく)
ティントマール(めぐってくる)
イザイホー ナンチュホー
クダカシーガ(久高神人が)
ハイティメール(拝んでいる)
ハンアシャギ(神アシャギ)
ハンガマミヤ(神の真庭)
マチヌシュラウヤサメーガ(月の御神様が)
タボーチメール(管掌している)
タルマミキ(神酒)
ピザイダチ(左に抱き)
ニギリダチ(右に抱き)
サシプターラ(ヌルらは)※中略

ティルルの解説として、外間ノロウメーギ、外間ノル、久高ノロの3名が
「グゥキマーイのティルル」を歌い、他の神女たちはこれを復唱するとある。
最後の歌詞(現代語訳)は、
「ナンチュたちよ、百二十歳までも、御嶽が栄え、森が栄え、息子が栄え」

ニライカナイへと戻り行く神を見送り、一世一代の就任式を無事終え、
一人前の神女となった女たちに神酒を振る舞われた島人たちが、子々孫々の繁栄を願う…。


ノロ、ウメーギ、ハタ神たち…先輩神女たちが右手に持つ、ンチャティオージ(大扇)。これは
久高島資料館にあるレプリカ(水彩)。表に赤い太陽と鳳凰、裏に白い月と牡丹の花が描かれている。
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グゥキマーイ。
祭場の中央には、クバの葉を被せた神酒(みき)桶が据えられている。
引退した神女や神人らが正座して見守るなか、白い神衣姿の神女たちは、
左足を半歩進め、右足を引きつけるといった動作を繰り返しながら、入場したという。
以前、円舞は蛇がトグロを巻く擬きだというを書いたが、まさにその通りの動き?
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(比嘉康雄著『神々の古層 主婦が神になる刻 イザイホー[久高島]』より、2度目の拝借


ティルルには、謎のフレーズがあった。曰く…
「チチヤトトゥウプヌシ(月の大神様)が、神酒桶を掌握している」
これは、久高島が日本の神々の原郷であることを示す暗号だったと思う。

ともあれ、古代天孫氏王朝に繫がる拝所・チチンガーの月の神が、
消えることなく琉球王朝の国家的神事で暗黙のうちに歌われ、現代にまで続いていたのである。
by utoutou | 2014-07-23 09:27 | 琉球の神々 | Trackback | Comments(2)

天祖・皇祖・人祖〈1〉神々の原郷

「天祖を探せ」とのメッセージを受けてから2週間。語り部から連絡があった。
「天祖・皇祖・人祖が分かりましたよ」
「とうとう、分かりましたか…」

「玉城には、天祖・皇祖・人祖がいらっしゃる」
古代天孫氏王朝に繫がるという屋号新門(みーじょう)家の神女ウメおばあが遺した言葉。
遥かなる神世からの言い伝え。その謎が解けたというのだ。私はすかさずペンを握った。

ウメおばあの口伝は、物語形式で語られたわけではなく、すべて断片的な仕立てだ。
それらを心に止め、繋げて、古代の神々を悟っていくのは、容易なことではない。
琉球は「日本の神々の原郷」と言われてきたが、その意味を突き止めた人はいない。

この度の「ナーワンダーに行く前に天祖を探せ」という託宣も、謎めいていた。
天祖と、斎場御嶽の奥宮・ナーワンダーが、どういう関係にあるのか。
それを推測するためにも、私が拾ったいくつかの断片をここにメモしておきたい。
語り部から聞いた「天祖・皇祖・人祖」について書く前に…。

まず「天祖」について。ミントン門中の屋号アマス家とは、
まさしく天祖ではないかと、私は語り部と出会ってから秘かに考えていた。
「久高島の始祖ファガナシーはミントンの娘、その母はアマスの女」と、島でも聞いた。
その少女が久高島に渡り「神の島」を再興したという。ヤマトの斎宮のように親元を離れて。
「神の島」伝説には、琉球の大いなる記憶が込められているように思えてならなかった。


ミントングスク(南城市仲村渠)。石段の上はアマミキヨの居城跡にして祭祀場跡。
ミントン門中(男系神族)のアマス家は、グスクの目と鼻の先にあった。
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次に「皇祖」について。
戦前生まれの神女たちの口伝には、皇祖の天照大御神(女神)は登場しない。
琉球の始祖たる古代の神々のなかに「日本の皇祖がいらっしゃる」というのである。

そして「人祖」について。
人祖を思わせる御嶽は、玉城にあった。ミントングスクから歩いて5分。
百名小学校を見下ろす小高い場所に「ちんさーの御嶽」がある。
「角の生えた大昔の男の人が住み着き、眠る御嶽」と伝わる。男塚である。
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「ちんさーの御嶽」からさらに徒歩5分。百名公民館の敷地内にある「ちんたかーの御嶽」。
こちらは「大昔の女の人が住み着き、眠る御嶽」。こちらはいわゆる女塚。
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男女別のお墓に入るのが、人祖の特長であろうか。
出雲大社の近くで、女性だけが眠る墓地に迷い込んでしまった経験がある。
10基以上並ぶ墓の碑銘がすべて女名。古代の墓ではなく縦型で近代のものだった。

後で、出雲大社の社家では、夫婦でも別の墓地に入るしきたりがあると聞いて、
玉城のこの「ちんさー・ちんたかーの御嶽」を思い出したのだった。
by utoutou | 2014-07-20 08:41 | 琉球の神々 | Trackback | Comments(0)

久高島の夜明け〈完〉消えたニラーの神々

昨日はスーパームーンだったが、リアルタイムで見られなかったので、
1年前に久高島で撮ったスーパームーンの画像を引っ張り出してみた。

2013年6月23日の19時半ごろ。「久高島の夜明け」ではなく、夜のはじめ。
久高島の集落に新築されて間もない教職員住宅の上に、満月が、さりげなく浮かんでいた。
どう見ても普段の2割増に見える大きい月だったが、光のシャワーは優しい印象。
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その数分前まで、↓西海岸の漁港で本島側に沈む夕陽をぼんやりと眺めていた。
西(いり)に沈む太陽と東(あがり)に出る月を、久高島ではこうして同時刻に楽しめる。
周囲8kmの細長い島、西海岸から東海岸までは徒歩10分。500mも離れていないのだ。
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ついでに明けて24日、伊敷浜の朝日。東海岸・ウパーマ浜の先に、やはり太陽は昇ってきた。
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さて今年。先日のウパーマ浜の夜明けは結局、空が一転かき曇り激しいスコールに見舞われた。
宿に戻ろうとして振り向くと、太陽の周りだけ雲が薄くなり明るかったのが不思議。
(青い傘の下には、スコールをモノともせず太陽に向かい瞑想中の女性が…)。
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そんなわけで、夜明けウォッチングの幕切れは突然にやってきた。
こういう時こそ、語り部の見える力が頼り。アドバイスをもらおうと電話した。

「天祖・皇祖・人祖、どちらもナーワンダーグスクに関係があるのですよね?」
 そんな難しい質問は、「神の島」からでもなければ、私は決して発しないが。
 質問には答えず、語り部は言った。

「正しいという字は、どう書きますか? 
 天を横一本で表し、その下に止まるを入れると、正になる。祖先は天下りした、
 という伝えは正しいと思います。霊に止まると書いて“ひと”と読むこともある。
 逆に、不と正で、歪むになりますよね。だから…」
「だから…?」
「歪められた歴史を正すには、過去に倣いて新しきものを開け…だそうです」

これは語り部が代理で受け取ったメッセージだと、私は神妙に受け止めた。

「王が太陽と崇められるようになってから、太陽の神様は琉球から消えましたけど、
太陽の神・東大主(あがりうぷぬし)と、月の神・チチヤ大主(ちちやうぷぬし)が
一対神として謡われているティルルが、久高島には残っていたはずですよ。
ニラーハラーの神々はもう、ほとんどが伝えられていないですけど」
なるほど、ニラーの神々は消えた…。(※ニラーハラー=ニライカナイの久高島方言)

36年前の午年に行われた最後のイザイホーでは、謡われていたはずのティルル(神歌)。
帰京してから、それは「ムトゥティルル」というものらしいと知った。
おそらく古代から伝わるティルル、元家にだけ伝わるティルルという意味だろう。
 
by utoutou | 2014-07-13 18:08 | 久高島 | Trackback | Comments(0)

久高島の夜明け〈4〉ニライカナイの意味

私はたぶん、ナーワンダーグスクの意味をより深く知るために、
久高島のウパーマ浜で日の出を迎えることになったのだろう。

琉球王朝の歌謡集『おもろさうし』が「あけもどろ」と詠んだ東の朝空は、
いつになく美しく、「びんぬすぅい(七色の羽の不死鳥)」の羽根を思わせた。
語り部に「ウパーマ浜へ行け」と言われたが、神と話す方法を知らないので、ただ空を見た。
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久しぶりに「地球を直せ」というメッセージについて振り返る。「直す」とは、
久高島の神事で言う「ノーサ」だと、後で知った。意味は「立て直す」「作り直す」。
島を清め、本来の姿に戻すこと。神女がお祓いで持つススキの束も「ノーサ」と呼ばれた。

『赤椀の世直し』というティルル(神歌)もある。それは男たちが島を清め祓う
8月の「テーラーガーミ(太陽神の祭り)」で、いまに歌い継がれている。
ちなみに赤椀とは「お酌」の歌詞があることから、赤い酒杯のことと思われる。

ヤマトにも「直し」はある。奈良の大神(おおみわ)神社に参ったとき、付近で看板を見た。
ちょっと歩く間に「旅館・万直し」「食堂・万直し」。他に「株・万直し観光」もあるとか。
調べてみたら、万(運)を上げるための三輪明神詣でを「三輪の万直し」と呼ぶそうだ。

神人が「地球を直せ」を「歴史を正せ」と言い換えたのも、古語を知ってのことだったか。
などと考えていたとき、メッセージの続きらしきものが浮かんだ。

この明々たる理(ことわり)のありようを伝えよ。

これはまた、難しいお告げ。ただし、
同時に蒲葵扇(くばおーじ)が思い浮かんだのが幸い。それなら分かりやすい。

愛読書『扇』(吉野裕子氏著)の中のイラストで見た、日扇と月扇。
古来、沖縄の村々の根屋(宗家)の神棚に必ず祀られていたという、一対の神の依り代。
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右の日扇は太陽(男)を、左の月扇は月(女)を表すが、それだけではないと思う。
月(扇)の「欠け」は、太陽と月の位置を決める地球の存在を暗に示している。

太陽と月。陽と陰。その二極関係は常に一定ではなく、逆転もする。
ときに、月の裏に太陽があり、太陽を見ている地球の裏に月がある。たとえば、
この日、夏至のすぐ後の太陽は高い軌道を通り、逆に低い月は大きく見える。
何千年もの間、私たちの祖先は空を見上げ、そうした陰陽のバランスを見てきた。


月の神が棲むという西の御嶽チチンガー(大里)ナーワンダーグスク(斎場御嶽)
そして私がいまいる久高島の東海岸。3点を結ぶ聖なる東西ラインの先、
東方の海上にニライカナイ(理想郷)はあると古代より信じられてきた。
その異界へと繫がる竜宮(海)が、眼の前に広がっている。
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生々流転。物事は常に移り変わる。それならば…と自問する声が湧き上がる。
ニライカナイ(久高島ではニラーハラー)とは東方海上にある他界で、
豊穣も平和も幸福も、そこからもたらされると信じられてきたというが…。

移り変わる…多様な意味のニライカナイという観念も、あったのではないだろうか。
ニライの意味を、外間守善氏は『沖縄の歴史と文化』(1986年、中公新書) でこう記した。

ニ=根(中心)を表わす名詞
ラ=地理的空間を表わす接尾辞
イ=方向を表わす接尾辞

その説を借りれば、「ニライ」にはふた通りの意味が考えられる(※カナイは対語)。
ひとつは、琉球でもっとも古いところ(根)。つまり人祖の里。
もうひとつは、祖神が天下りたところ。つまり天祖の里。

そこで、斎場御嶽の奥宮ナーワンダー(=なでるわ=祖霊の力の意味)に思いを馳せる。
農耕時代以前の古代人が葬られた男女岩。その意味で、ナーワンダーはニライカナイだ。
人骨とともに機織機が発掘されたという御嶽。神降り伝説のナーワンダーもニライカナイと言える。

またイナグ(女)ナーワンダーの拝所には、御神体である「鏡」が祀られているという。
そうだったのか…。聖地ナーワンダーとは、皇祖の里でもあった!?
by utoutou | 2014-07-11 09:27 | 久高島 | Trackback | Comments(0)

久高島の夜明け〈3〉御嶽のマリア

7年前、ウパーマ浜に至るには、御嶽廻りというアプローチが必要だったらしい。

1ヶ所目。神人は私を島の西海岸にある、聖なる川泉ヤグルガーへと案内した。
見下ろす海は今年の旧正月に撮影したものだが、あの日は夕陽に照り映えていた。
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神女の就任式イザイホーを除き、島の年中神行事の前にはいつも、
白衣に身を包んだ島の女たちがこのヤグルガーで ↓ 禊ぎをしたという。
作法を知らない私は、備え付けの杓子で水を汲み、神社の手水舎でやるように手と口を浄めた。

今だから分かる禊ぎの意味。神霊からの霊力(しじ)を受け継ぐための準備。
最大の霊力とは、例えば神が宇宙を創造した始源の力。それを受け取るための潔斎である。
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2ヶ所目は島のほぼ中央にある「中の御嶽」へ。ヤグルガーから至近。一体となっている印象。
久高島至高の御嶽といえば「フボー(蒲葵)御嶽」だが、ここはその拝殿のようだ。
「ご挨拶を…」と神人が言ったので、私は石香炉に向って手を合わせ住所と名前を呟いた。
「神の島」にお邪魔しているまっとうな旅人になれた、かもしれない。
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3ヶ所目に廻ったのは、聖母マリアの祀られる御嶽。
深い茂みに分け入った先の名も知らない御嶽に、高さ30㎝ほどのマリア像が立っていた。
久高島に隠れキリシタンの歴史があるわけではない。
伊敷浜に漂着した陶製のマリア像を救い上げた島人が、森の奥深く祀ったという現代の神話。

最近、御嶽からある屋敷に遷され、こうして手厚く祀られ、神々しい立ち姿を現している。
「光あれ」という涼やかな声が響き渡るような気がする。
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それにしても、私はなぜ「御嶽のマリア」へと導かれたのか。
神人がこのマリア像を「宇宙のマリア」と呼んでいたことを思い出す。
歳月を経て、あの御嶽廻りの最終地ウパーマ浜に戻り、その意味も少し分かった気がした。

宗教によらず、天に在る女神こそが「天祖(てんそ)」と呼ばれる。
たとえ呼び名がいくつあっても「神様は元ひとつ」と、神女ウメおばあは語り部に言い遺した。
天祖=天つ祖(おや)の住む宇宙を、琉球の古代人は「ニライカナイ(常世)」と観念したと思う。
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あの夜の白髪仙人が脳裏をよぎった。舞い降りて来ることはなかったが。
轟々たる波の音を伝えよ…で始まるメッセージには、重要な続きがあったのだろう。
by utoutou | 2014-07-08 06:08 | 久高島 | Trackback | Comments(0)

久高島の夜明け〈2〉地球を直せ…?

7年前の夏。2007年7月のことだった。
その夜、久高島を題材にした記録映画が、宿泊交流館で上映された。
私は映画を既に観ていたが、島でまた観ることを楽しみにしていた。

ところが、神人(かみんちゅ)のKさんが朝、道で偶然会うなり言った。
「きょうは夕方から御嶽を廻ることになっているようです」
「私が?」
「はい、ご案内します」
ちなみに神人とは、男女を問わず「神霊と交信する人」のことを指す。

Kさんは、私の知る限り、久高島でもっとも霊能力の高い男性の神人だ。
その人が御嶽廻りに案内してくれるというのだから、断る理由はない。
「映画を観る予定だったけど、お願いします」
言うと、神人は白い歯を見せて少し笑った。
「映画を観ている場合じゃないかもしれませんよ」


あの日、夕方から始まった御嶽廻りは、神霊に出会うための手順なのだと後に悟ったが、
そうした偶発的な経験を重ねた先に、今回の旅の「天祖探し」という謎解きが待っていた。
6月29日(金)の日の出は5時36分。久高島の北端・カベール岬の東方に昇った。
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ウパーマで暁光のなか海と向き合い、7年前の夜を振り返る。
夕方から3ヶ所の御嶽を回った後、神人は言った。
「最後に行く場所は自分で決めてください」
悩んだ末、島の地名を何ヶ所か挙げたが、神人は首を縦に振らなかった。
それではと夕食時間を挟んだ後、イチかバチか言った場所が、遂に当たった。
「ウパーマ浜」
「いいでしょう」

夜のウパーマ浜に出て、三日月や海蛍やイカ釣り船の灯りに見とれていると、
眼の前に地球が、ミラーボールのように回りながら降りてきた。
ややあって、神が舞い降りた。長く白い髭をたくわえた白髪の老仙人。
笑ってしまうほど分かりやすい姿だったが、笑うことはできなかった。
その声は硬く、空に響き渡るように大きかった。
「地球を救え」
「地球を元に戻せ」

困ったことになったと思い「人違いです」と言おうとした。
私は地球防衛軍の人ではないし、地球環境保護の運動家でもないです…。
しかし、神の声は収まらない。
「地球を直せ」

「なんて言ってますか?」
神人が横から聞いた。
「地球を直せって。意味が分からない」
神人は海に向けた横顔のまま言った。
「直せ…地球の原点から正せということですね」
「あ…歴史を?」
「そうです、正せと」
一応の合点がいくと、今度は神の頭上に字幕が流れてきた。
白い文字が降りてきて、次々と行替えされていき、昭和の日本映画のよう。

この轟々たる波の強さを伝えよ
この茫々たる海の広さを伝えよ
この遥々たる空の高さを伝えよ
この煌々たる星の輝きを伝えよ
この滔々たる時の流れを伝えよ
この炎々たる陽の恵みを伝えよ

…のような詞だった。随分と命令調だなと、恐怖に震え上がった。
ひ〜。声にならない悲鳴が口を突いて出た。私はやんわりと逃げ言葉を念じた。
分かりました、もう勘弁してください、これ以上は無理ですから。
すると神の姿は次第に薄くなって闇に消え、月が波間に揺れる現実が甦った。

「大丈夫ですか?」
神人は訊き、私は務めて平然と答えた。
「仕事のオファーみたいでした。何かを書けってことですかね」
言い終わり顔を上げると、神人はもう立って踵を返していた。


かなり明けた6時頃のウパーマ(岩場)。ここでは観光名所「鬼の洗濯岩」を連想する。
行ったことはないが、その宮崎県青島にも久高島に似た蒲葵(クバ)の植生があるという。
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by utoutou | 2014-07-06 23:33 | 久高島 | Trackback | Comments(0)

久高島の夜明け〈1〉天祖を探せ

「お話し会」@天空の茶屋が終わった後、語り部が言った。
「天祖(てんそ)を探せと言っています」
また神託があったようだ。新たなる古代琉球への扉が開くことになるらしい。

天祖。神女のウメおばあが語った言葉として、記憶に強く残っている。
「琉球の始祖には、天祖・皇祖・人祖がいらっしゃる」と。
それほど深淵な…神世にまでさかのぼる言い伝えが沖縄にはあるのだと。
その天祖を探せと…。またもや難しい課題が出たものだ…。

語り部が続けた。
「以前、ウパーマ浜で何かメッセージを受けました?」
「はい、そういうことはありました」
語り部と知り合う前のこと。深夜のウパーマ浜で、私は驚くべき体験をした。

久高島の北端・カベール岬の植物群落に続く砂浜と岩場。「ウッパマ浜」とも呼ばれる。
その由来は「大浜(うふはま)」か「御浜(うっばま)」のどちらかだろう。
いずれにしても、超古代の久高島に関する謎を秘めた場所なのだと思う。
そのウパーマ浜で起きた不思議な出来事は、いまだに忘れることはない。

「そのときの続きがあるようですよ」
「もう一度、私にウパーマ浜へ行ったほうがいいと?」
「そうですね」


ということで久高島へ。夜明け前、集落から徒歩約20分の位置にあるウパーマの海辺に再び立った。
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この6月旅の目的は…。
お話し会を催す他には、斎場御嶽の奥宮・ナーワンダーグスクの巨岩に登ることだった。
それを、語り部は変更したほうがよいと言った。
こういう予定変更はよくあることだが、一応、確認してみた。
「ナーワンダーは、つまり今回は無理ということで?」
4泊の計画で行った沖縄。ナーワンダーへは3日目に行く予定にしていた。
「はい、今回はウパーマ浜。ナーワンダーへは次回に行くのがよいと」
そう神様は告げているらしい。つまり逆に…と、予想外の示唆について私はこう理解した。
久高島のウパーマ浜とナーワンダーグスクは切り離せない関係にあるらしいと。

ウパーマ浜に到着して30分後。梅雨に戻ったかのような曇り空が、柔らかな暁色に染まってきた。
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7年前の夜も、私はウパーマ浜に座っていたのだった。
暗闇の農道から直角に海方向に曲がり、防風林を抜け、浜に出ると空に十三夜月。
↓ この写真より100m近く北の砂浜。波打ち際に、海蛍が礼儀正しく並んで光っていた。
水平線で揺れる釣り船の灯りに見とれているとき、ドンと神様が舞い降りた…つづく。
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by utoutou | 2014-07-03 09:27 | 久高島 | Trackback | Comments(0)