第15回 幻の書物、発見!
2016.05.07更新
張仲景(ちょうちゅうけい)の『傷寒論』から約800年後、宋時代の儒学者、林億(りんおく)は宮廷図書館の中の膨大な書物と格闘していました。当時、印刷技術が急速に発展し、時の皇帝から、図書館の出版に備え、校訂作業を命じられていたのです。
この時代の印刷技術の発展は、今の時代のIT技術に匹敵する革命的な出来事だったと思います。林億は、いまで言うと政府資料のネット公開を命じられた特命チームのような仕事をしていたのでしょう。きちんとしたものが世に出せるよう、膨大な文書に目を通して、誤りを訂正したり、記述を整理しながら、わずか数年の間に次々に書物を出版しました。傷寒論を含め、私たちが使用しているテキストのほとんどは、林億らがまとめた出版物に依拠しています。
さて、この歴史的な作業を成し遂げた林億には、一つ心残りがありました。
「唐時代(紀元7~10世紀)の歴史書を読むと、"医学生はみな、張仲景の『傷寒論』と陳延之の『小品方』を学んでいる"と書いてある。『傷寒論』は現存資料があるので復元することができた。唐時代の記述から類推すると、『小品方』も『傷寒論』並みに凄い本なのだろう。ところが『小品方』は散逸して現代に伝わっていないようだ。それがいつも残念でねぇ...」
この幻の教科書「小品方」は、日本史上初の本格的な法律の体系である「大宝律令」(701年)にその名前が記載されており、飛鳥時代にはもう輸入されていて国定の医学教科書として使われていたことがわかっています。その後、平安時代に編纂された初の国産医学教科書「医心方」にも「小品方」からの引用が数百か所以上あり、後世に与えた影響は決して小さくはなかったようです。
ところが、異民族の侵入や、王朝の交替のたびに戦乱に見舞われる中国では、貴重な文物が失われ、灰燼に帰する、ということが繰り返し起きます。だいたい、「大事にしていたものから無くなる」というマーフィーの法則みたいなものがあるようで、宮廷の宝物庫や図書館に保存されていると、反政府勢力は宮廷の建物を目標に攻撃しますから、前もって運び出すことができなければ、奪われるなり壊されるなり焼かれるなりしてしまいます。
林億の歎きから1000年近く経過した1984年、私に医学史の手ほどきをしてくださっている小曾戸洋先生が、信じられない大事件に遭遇しました。"加賀百万石"で有名な殿さま、前田家の家宝を収蔵している資料室(尊経閣文庫)に調査に赴いたときのことです。
書棚に、最初の2行が擦り切れ、題名不明とされた一巻の古い巻物があるのに気づきました。
なんだろう? と内容を確認すると、次々に『小品方』からの引用とされた文章と一致する記述が目に飛び込んできました。
小曾戸先生はお父様が有名な漢方薬剤師で、文献研究にも熱心でした。幼いころから漢文に親しみ、親子で何冊も本を出されています。小曾戸先生の若かりし頃は、いまのようにコピーが普及しておらず、古い文献を書き写して勉強しておられました。そのために、どの記述がどの文献の何ページ当たりに記載されているか、とか、ある文献の記述と同じものがどの文献にあるか、といったことを詳しく把握していたのです。
当然、『小品方』についても大きな関心をお持ちで、他文献に引用された「小品方」の記載は大体頭に入っていました。小曾戸先生は、尊経閣文庫で見つけた目の前の巻物が、1000年にわたり行方不明であった『小品方』そのものであることを確信しました。先生は北里の研究所に戻って、興奮気味に「『小品方』を見つけたかもしれない!」と話したそうですが、それがいかなる大発見であるかを誰も理解できず、遠くにいた同じ領域の研究者に電話をかけて、2人で翌朝まで祝杯を挙げたそうです。
『小品方』は12巻あるうちの第1巻の一部しか残されていなかったのですが、それでも重要な発見がいくつもありました。冒頭に引用文献元の一覧、いまの言葉で言うとレファレンスが記載されていました。そこには『傷寒論』も含まれていて、『小品方』が書かれた時代の医学文献にどのようなものがあったのかが明確になりました。
引用文献の中には成立年代がはっきりしているものがあり、『小品方』はその年代より後に書かれたことがわかります。また、『小品方』を引用した他の文献の年代から、何年以前に書かれたかもわかるので、これで『小品方』がいつ書かれたかがわかります。
小曾戸先生は紀元454年~473年の間と推定しました。従来は「紀元4世紀から5世紀ごろ」とぼんやりした推定だったので、かなり明確になりました。
『小品方』のように、本家本元の中国でオリジナルが失われ、他国にのみ写本が残っている古典籍のことを「佚存書(いつぞんしょ)」といいます。
小曾戸先生と朝まで祝杯を挙げた研究者、真柳誠先生の推定によれば、中国大陸に現存する古医書は約1万種、日本に伝わっている古医書は約1千種あり、そのうち150余りが佚存書だそうです。台湾にある佚存書は20足らず、欧米に行った佚存書は数種にとどまるので、日本の所蔵数は突出しています。
島国日本人の外国に対する憧れというか、舶来品信仰は、しばしばヘンテコで物笑いの種になることもしばしばですが、医学書に限って言えばもう少し誇ってもよいかもしれません。
幕末の医学者は中国人も目にできない資料を使って研究を重ね、明治維新後に来日し、日本の研究レベルを目にした清国大使を驚かすことになります。
そのことに関しては、またいずれ...