新卒のみなさん
研修はいかがでしょうか?
もしかしたらそのアツい気持ちが全人格労働者への入口かもしれませんよ。
大事な会議のために線路を歩く
東京都足立区のJR綾瀬駅でホームから人が転落し、駅の約300メートル手前で電車が緊急停止。約15分後、停車していた車内から40代男性会社員が電車の窓を開けて線路に降り、綾瀬駅に向かって歩き出すという出来事があった。
産業医の阿部眞雄さんは、著書『快適職場のつくり方』の中で、労働者の全人生や全人格を業務に投入する働き方を「全人格労働」と呼び、これが少しずつ増加していると指摘した。過重労働に追い込まれ、うつ病などに悩む人も増えているという。
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大まかな内容は
・仕事に何もかも捧げる「全人格労働者」が増えている
・夢ややりがいをエサにして搾取されてしまう
・人生で大事なイベントを逃してしまう
togetterは戦慄が走るほどのリアルな声が続々…
いかがですか?
どちらもグサッとくる内容でしょう。
記事を読んであ、わたし、全人格労働者だ
って気づきました。
そんな追いつめられた状況で起こした2大失態をごらんください。
1、命よりお金が大事すぎて道で発狂
2年前。
会社にリストラされたあと大手の一般事務でバイトをしていました。
1日中座りぱなしで書類を作っても間違える。
集中できない。
社員とも会話が上手くできなくて名前も覚えられない。
ホント苦痛な仕事でした
出勤前最大の敵は
改札出たら会社までは恐ろしく長~~い一本道
真夏の朝の景色は湯だっていて蜃気楼のように見えていました。
もう、行きも帰りも絶望的で
毎日走りながら
わあああああ行きたくないよおおおおお!!
働かなきゃ、今月食べていけない!!!
帰りたい!
でもお金稼がなきゃ!
わたしの体なんてどうなっても構わないんだから
体壊れても働かなきゃ!!!!!!
って涙を流していました。
時には立ちつくして脚を広げ
「もう会社に行きたくない!!」
ベランダでスイカを食べていた半袖短パンの男性がビックリした顔だったのが懐かしいです(遠い目)
あと、すれ違う人の視線が少し痛かったです(笑)
そうそう!
学校行きたいないってぐずる子供いましたよね??
あれの大人バージョン。
群を抜いてひどかったもの…
2、仕事をするために生きてきたツケがきた
親の影響が強いです。
小さい頃から将来仕事をするためにたくさん頑張ってきました。
その「将来」とは今の年齢26才~30才の間。
何を頑張ってきたかはこちらに詳しく
たぶんここからでしょう。
「生きるより仕事の方が大事」と思うようになったのは。
母はいつも「成績に関係ないものをやってどうするの?」と
言っていました。
聞かないフリをしてましたが、やっぱり頭に残るもの
実際、大学生になるまで成績に関係ないものを無意識に避けてました。
塾に12年間通い、小中学校の部活には必ず入る、
「簿記の資格が取れるから」と親のすすめで商業科高校を受けました。
まさかの今ごろ気づく。
最後に決めたのは自分だけど考えて決めたといったら違うんじゃないか?
本当は工作が大好きだったから中学卒業したらその道に行きたかった。
わたしは学習が苦手で中学生の時は学年で後ろから20番目でした。
しかし頑張った結果、内申点がグンと上がったんです。
それでも一般入試で受けられるほどじゃない。
芸術系高校に行きたかったけど親が見つけてきた学校を推薦で合格しました。
大学生になってからも母は変わらず
TOKIOの城嶋さんが好きでバンドではじめたときも、
「成績と就職に関係ないのになんでやるの?」とたびたび言われました。
あれ…?
すべて最後は自分で決めたはずなのに…
人生がうまくいってない現実にすら気づいてない…
不幸なくらいがちょうどいいって思ってる…
これだけしごと!しごと!
待ち望んでいた将来は後悔に変わっていまいました。
生きるための仕事なんてやったことない!!!
頑張ってきたツケが今きちゃったんですね。
全人格労働者は無意識に仕事以外が「悪」になる
記事に出てくる人ととわたしの共通点はお金を使うよりも稼ぐ行為の方が偉い。
立場が上と無意識に変わっていった点です。
どれだけ社会人になってから生活を楽しむために動いても
「仕事をするために生きてきた」以上、
ほかにあったはずの楽しい思い出をすべてムダと感じてしまう。
全てが人生を楽しむフリになってしまうんです。
全人格労働者の多くは食べるために働く人たち
これ、即ブクマ案件ですよ!
一番に内省しなくてはいけない部分を思い出させてくれ
『食べるために生きる』とは『食べるためには手段を択ばない』という捉え方になる。『仕事をするために生きる』とは『人為的な『仕事』という概念を重んじすぎ、本来重んじるべき『人生』を軽んじる』という捉え方になる。(修正)
わたしたちは生きるための仕事は心理的にハードルが高いんです。
全人格労働者が増える原因のひとつにこのハードルがあるんだよ。
だって、生きるための手段なら仕事以外にもあるでしょ?
じゃあなんで仕事に比重を置くのかって。
結局『食べる』ことしか出来なくなる。
自分が働いたお金で、生活に必要な支払いをしたら、あとはもうほとんど残っていない。そして、『食べる』ことが出来なければ死んでしまうため、また働く。
すると、いつの間にか『生きるために仕事をする』つもりが、『仕事をするために生きる』ようになってしまう
突きつめると全人格労働者もその予備軍も仕事をまっとうしているなんてまやかしです。
実際は食べるため、支払うためではないでしょうか?
それを変えるためにもがいてはやっぱり元に戻ってしまう。
それが会社の人と関わるうちに「上司の指示に従わないと食べていけなくなってしまう」と気持ちが変化して全人格労働者になっていくんだと。
仕事をする中で人生を生きている時間はどれだけあったのでしょうか?
仕事の時間が長いから大事なの?
「人生で多くの時間を割くのは仕事だから」って理由で語られるのに違和感があります。長さ短さ関係なしに意味づけができていないと繰り返してしまいますよ?
記事の内容を理解するのは難しいかもしれません。
だから選び方としては色々誘惑がある中で「今は」これを選ぼう。
転職や就活、副業でもこの考え方は有効です。
たとえ来月食べるお金がなくても。
その結果が今やってる仕事やこれからやる仕事であればいいと思うと楽になります。
ずっと続くわけじゃないし、続かせない
仕事は人生の一部だって思える練習になるのではないでしょうか。