ピンクで隠したのが妹の名前
青で隠したのが私の名前
今思い出そうとしても、どんなメールを受け取ったのか
メールで口論になったのか
全然覚えていません
私の妹は世界でも数例しかない珍しい病気で
小さいころから両親は妹に付きっ切りで、あまり相手にされてきませんでした
我慢するしかなかったんです
我侭を言いたい、甘えたい
だけど迷惑をかけてしまう
何も言わなかった
寂しくても辛くても
放任主義というか、私が何も言わないので、放って置いても大丈夫 と思われていたのかもしれません
高校を中退してすぐ、誰かしら居る祖父母の家に泊まりこむ様になり
そのまま今も祖父母の家に住んでいる
母は私が漢字書けない事も私が24歳になるぐらいまで知らなかった
しょうがない、妹が大変だったのだから
今でも思い出す
妹が臓器移植で手術室に運ばれる時
「怖い怖い」と泣いていたのに
何も声を掛ける事ができなかった
オペが終わるのを待合室で母と二人で待った
成功した
しかしまだ安心できない、安定するまで
集中治療室から出るまでは
このオペの次の日が妹の誕生日だった
誕生日プレゼントなんて妹にあげたことが無い
この時は違った、珍しく用意した
妹は私がたまにする手品が好きだった
「凄い凄い!!」と喜んで見てくれた
なので妹でもできる様に、DSのソフト
マジック大全というソフトを買っておいた
集中治療室から出たら一緒に手品の練習をしようと
それは叶わなかった
初めて用意したプレゼントも渡せなかった
後悔ばかりだ
オペ室に向かうときに声を掛けてあげられていたら
もっと前からプレゼントを渡していたら
そして今まで妹に付きっ切りだった母は後を追い・・・
妹が亡くなったあと「一緒に住もう」と言われていたが
もう私もいい歳で、今更親と住むのには抵抗があった
少しだけ一緒に住んだが、ストレスなのか何なのか、アトピー、喘息が酷くなってしまった
結局一緒には住まなかった
一緒に住んでいれば
一緒に住んでいれば母は助かったかもしれない
私が止められたかもしれない
手紙を貰った後も