仲の良い(と思ってる)友達に既読スルーされました!
彼の名を「Yくん」としておきましょう!
心境としては以下のとおり!
嫌われた?
何か悪いことしたかな?!
シカトかあああああ。
いやいや、忙しいだけかも!
うん、いろいろ思い悩むぜ。
そんなときに「アドラー」の教えを活用して考えてみました!
これな!
よーし、アドラーに相談だ!
もくじ
- Yくんとの関係性
- あなたは世界の中心ではない
- 非を認めることは「負け」じゃない
- 承認欲求を否定する
- ここに存在しているだけで、価値がある
- 悪いあの人、かわいそうなわたし
- 人と人とは、永遠にわかり合えない
- まとめ
Yくんとの関係性
そもそもどんな関係で、今回どんな経緯かを書いておきます。
Yくんとは小学校〜中学校まで同じ野球チームで交流してました!
中学校のときは特に仲良くなって、彼の家によく遊びに行ったり、ゲームしたり、受験勉強したり。
高校は別々になりましたが、部活帰りに地元の駅で会ったらそのまま2時間でも3時間でも話をしちゃう仲でした!
大学生になると互いにバイトだの何だので忙しくしていましたが、都合をつけてスノボに行ったり海に行ったりカラオケに行ったりしていました。
社会人になると彼は公務員となり、仕事も忙しいようでなかなか会えなくなりました。
結婚し、子供もできると、いよいよほとんど会えなくなってしまいました。(結婚式はめちゃ感動しました)
赤ちゃんに会いに行かせてもらったりもしましたが、それ以来は会えていません。
そして今回。
妹が産婦人科に行ったところ、Yくん夫妻を見かけたとのこと。
奥さんのお腹も大きくなってたとのことでした。(伝聞)
そこでYくんにLINEを送ってみたところ
返ってこないー、既読なのにー。
(てか以前のLINEも既読スルーだ!^^;)
さあ、どうしたものかな。
って考えたときにアドラーの教えを復習してみることにしました!!
あなたは世界の中心ではない
あなたは共同体の一部であって、中心ではないのです。
急に「共同体」なんて言葉を出してごめん!
簡単に言うとアドラーは「人間は仲間である」って考えているんだ!
逆に他人を「敵」だと考えている人の多くは「自分は世界の中心だ」って意識を持っているらしい。
今回はアドラーを受け入れて考えるぞ!
ぼくは世界の中心じゃない。みんな仲間だ。Yくんも仲間だ。みんなが仲間である中で、ぼくはその一部なんだ!!
ういっす!
非を認めることは「負け」じゃない
あなたが正しいと思うのなら、他の人がどんな意見であれ、そこで完結するべき話です。
誤りを認めること、謝罪の言葉を述べること、権力争いから降りること、これらはいずれも「負け」ではありません
ぼくが正しいと思うならそこで完結する話だ。
赤ちゃんができたかどうか尋ねるのは悪いことではないと思う。
ただ、その情報を知った経緯も伝えてあげるともっと親切だったかもしれない!
そこを誤りと思うのなら、素直に謝罪の言葉を述べよう!
承認欲求を否定する
アドラー心理学では、他者からの承認を求めることを否定します。
われわれは「他者の期待を満たすために生きているのではない」
あなたにできるのは、「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、それだけです。一方で、その選択について他者がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、あなたにはどうすることもできない話です。
「承認欲求は不自由を強いる」とも言っていますね。
他者の承認を求めようとすると、他者の人生を歩むことになるってことっすね!
自分が正しいと思って選んだ行動なら、それによって相手がどう感じようと知ったことじゃない!(というか、自分の課題ではない)
ぼくがYくんに対して取るコミュニケーションとして何が一番正しい(と自分で思う)んだろう。
それを考えて実行するだけだ!
ここに存在しているだけで、価値がある
他者のことを「行為」のレベルではなく、「存在」のレベルで見ていきましょう。
これな!
Yくんがぼくに返信してくれるのかどうか、そんな「行為」レベルの話じゃなくて、
学生時代に素晴らしい思い出を与えてくれた彼が元気でいてくれること自体を喜ばないといけないし、感謝しなきゃいけない!
さらに、新しい子供を授かろうとしていて幸せであるなら、一層喜ばしいことじゃないか!
「行為」レベルでしか物事を捉えられていなかった自分が情けない!
器の小ささを露呈してしまった!
悪いあの人、かわいそうなわたし
『幸せになる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教えII』によると、ほとんどの人が家族や友人と語ったり相談事を持ちかけたりするときに、「悪いあの人」を非難するか、「かわいそうなわたし」アピールに終始してしまうとのことです。
ぼくも「悪いYくん」か「かわいそうなぼく」の話をしてしまうところでした。(特に記事の導入部分では、そういうニュアンスで話をしてしまったと思います)
ただ、それを語らったところで何の解決にもならない。
ぼくが考えるべきことは「これからどうするか」ということだ。
たしかに「悪いあの人」の話を聞き、「かわいそうなわたし」の話を聞き、わたしが「それはつらかったね」とか「あなたは悪くないよ」と同調すれば、ひとときの癒やしは得られるでしょう。(中略)
でも、それで明日からの毎日がどう変わるのか? また傷ついたら癒やしを求めたくなるのではないか? けっきょくそれは「依存」ではないのか? ・・・・・・だからこそアドラー心理学では、「これからどうするか」を語り合うのです。
「悪いあの人」「かわいそうなわたし」「これからどうするか」という3つの観点は、今回の話だけじゃなくて、いつも心に留めて意識していきたい!
人と人とは、永遠にわかり合えない
当然、相手の考えてることがすべて「わかる」ことなどありえません。「わかりえぬ存在」としての他者を信じること。それが信頼です。われわれ人間は、わかり合えない存在だからこそ、信じるしかないのです。
身も蓋もない言い方だけど、ぼくとYくんもわかり合えないってことだ!
でもそれはしょうがない!
相手がYくんであろうが誰であろうが、100%わかり合うなんてのは不可能!
でも、それでも(だからこそ)信頼していくことが必要だと、アドラーは教えてくれます。
これねー、ここの部分だけ読むと「犯罪はどうなんだ」とか「世の中そんなことでうまくいくわけない」とか意見が出てくると思うけど、
それに応酬するのは今回は話が逸れすぎるからカットします!
そう思う人はとりあえず
「幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII」を読もう!
まとめ
・ぼくらは共同体だ!Yくんもぼくも仲間なのだ!
・信頼しよう!
・自分の思う最善の行動をとって、相手の課題は切り捨てよう!承認は不要!
・存在に感謝しよう!
こんな感じかな!?
とりあえずYくんに「赤ちゃんのことを知った経緯」と、「元気で生まれてくるようにという気持ち」のメッセージをLINEしました!
あと「言葉足らずでごめん!」と!
今後返信があるかどうかはわかりません!
承認は不要!
仲間!
信頼!
無事に元気で健康で生まれてくることを祈ります!
おわり!