/あれが野老の作品となると、話はまったく違う。あれは単独でエンブレムとして成り立っているだけでなく、平面も空間も埋め尽くす圧倒的な展開力を秘めている。日本が世界に誇るべき江戸時代の高度な幾何算術「和算」の美だ。/
ようやく東京五輪エンブレムが決まったとか。野老朝雄。言われてようやく、ああ、そうか、と、この作品のすごさが、改めて、いろいろ見えてきた。平野敬子が当初からケチをつけていたせいで(などと、人のせいにしてはいかんな。ようは私がまだまだ勉強不足なだけ)、てっきり先の次点の原研哉の作品だと思い込んでいた。だが、野老のものとなると、話はまったく違う。単独のこじゃれたエンブレムとして成り立っているだけではない。市松のメイソン趣味も納得がいく。野老氏の作品は、梅田などにもある。みんな踏みつけていて、気づかない。それくらい空間にうまく溶け込んでいる。
アドビのイラストレーターというソフトのせいで、最近のデザイナーは、猫も杓子もみんなやたらベジェ曲線ばかりをつかう。端点とアンテナをいじると、きれいな曲線がかんたんに描ける。たしかにきれいなのだが、それは方程式の高次解から導き出されるもので、もちろんそんなもん、人手で書けるわけがない。デザイナーが描いているというより、ソフトが描いていると言った方がいい。
一方、建築出身の野老。定規とコンパス。およそ3層くらいまでの構成で、とてつもない多種多様な図形を吐き出させる。日本が世界に誇るべき江戸時代の高度な幾何算術「和算」の美。ちょうど先日、風狸けんのマンガ『和算に恋した少女』を読んでいたところだ。『天使と悪魔』や『トカゲ』で有名なだまし絵のエッシャーなんかも、同じ技法を使っている。単純な幾何図形の奥底に、まだまだ多くの可能性が秘められていることを思い出させる。それは、それらがつながったときにこそ、はじめてそこに現れてくる大きな力だ。
藍一色で地味、というが、逆にそれは何色にへんげしてもよいということ。あの構造まで理解していないが、隠された扇が輪になって平面や空間を無限に埋め尽くす能力があるのではないかと思う。先の選定で決め手とされた、展開力、という意味では、彼の作品、彼の能力は、佐野をはるかに凌ぐ。たとえば、ちょっとコピペをしただけでも、こうなる。おそらく彼が提出した素案には、もっとすごいアイディアが満載されていたのだろう。これから、我々を驚かせてくれることを大いに期待している。
正直なところ、このエンブレム、はなからオリンピックは関係あるまい。厳しい言い方になるが、野老氏の作品は、もともとどれも無機的で、オリンピック、パラリンピックの根幹となるべき人間味、ヒューマニズム、命の力が無い。世間では早くも、葬儀の黒い花輪、と揶揄している。それももっともな話だ。生きた人間のいない数学的天上世界で、ただ永劫循環するだけの機械時計。エンブレム委員会は、オリンピックの求心力となる世界の心のシンボルを選ぶべきなのに、また愚かしく単純なデザインのコンテストをやってしまった。オープンではない審査員の恣意的人選という根本的な問題が、最後になって結果に影響してしまった。世間の人々の心が離れていってしまうエンブレムが、良いエンブレムなわけがない。
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2008.11.11
2011.07.08
大阪芸術大学 芸術学部 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。