まさか、僕ほどの文豪が、騒音について書くことになるなんて、思いもよらなかったよ。
僕は、今のワンルームマンションに引っ越すまえ、実家に住んでいたんだけど、実家もマンションだった。ちょうど真ん中の階だったから、当然、上の階の騒音も響いてた。
夕方の六時〜七時ごろかな。子供の叫び声がしたと思ったら、ドスンッ!ドスンッ!、バタンッ!バタンッ!って感じに、乱痴気騒ぎが始まるんだよ。
フローリングをダダダーっと駆け抜けて、ドスンッ! その後は、お決まりのバカ笑いだよ。まったく、なにが楽しいんだか。
でも僕は、さして気にすることもなかった。三十分もすれば収まるし、騒音くらいで苛立つのもかっこ悪いし。ましてや子供ってそういう生き物だからね。
翻って、僕のお部屋だよ。実家はファミリー向けの3LDKだったけど、こっちは単身用のワンルーム。大通りからは、一本隔ててるから、静かなもんだよ。聞こえてくるのは、国道と平行に走った線路の微かな響き。遠く眺める関門海峡からは、大型船の汽笛が聞こえてくる。
夜はパトカーとか、救急車のサイレンなんかが、たまに聞こえるかな。ここはエレベーターのないマンションだから、住人の足音もするけど、その程度。
たまに盛りのついた猫の鳴き声もする。つい先週は、夜の11時半ころから、猫の鳴き声が始まったよ。いつものようにニャーニャーと鳴いていたんだけど、どういう訳か10分経ってもいっこうに止む気配がなかった。
それどころか、だんだん激しさが増してくるんだよ。それが、とうとうベランダまで登って来た気配がしたから、僕も重い腰を上げて、恐る恐る、ベランダをのぞき込んだ。
するとどうだろう。猫なんて一匹も見当たらないんだよ。しかも鳴き声は上階から聞こえて来る。つまり、猫の鳴き声だと思っていたそれは、どうやら人間のギシアンだったらしい。
それにしても、なんて単調なギシアン音なんだろう。同じリズム、一定の抑揚で延々とギシアンしているんだよ。語彙も乏しくて、単音なんだよ。猫の鳴き声と勘違いするのも無理ないよ。
僕はトボトボと部屋に入って、パソコンの前に座り直した。間断なく流れる「あっあっあっあっあっあっあっあっあっ」ときおり挟まれる「おっおっおっおっおっ」
それがひとつに重なって、いっとき静まると、また最初から再生が始まるんだよ。
僕の方が先に寝てしまったから、それがいつ終わったのか知らないけど、朝になったら止んでいた。
そして次の日、同じようにパソコンのまえに座っていたら、例のごとく「あっあっあっあっあっあっあっあっあっ」また始まった。またかよ、だよ。
そもそも、このマンションは単身専用だから、共同生活はご法度なんだよ。にも関わらず、ただいま共同生活中なんて、深夜にお知らせするのはどうなんだろう。
いよいよ頭にきたけど、昼間のハードワークで疲れ切ってたから、そのまま寝てしまった。
そして昨日。さあ来い、とばかりに待ち受けるんだけど、いっこうに始まらないんだよ。ケンカでもしたのかな…。そんな風にやきもきしつつ、気づけばそこには、ギシアンを待つ僕がいたんだ。
ギシアンを迷惑に感じる僕と、ギシアンが始まらないのを心配する僕。ギシアンに苛立つ僕と、ギシアンに安らぐ僕。
どれが本当の自分なのか、わからなくなるけど、ギシアンって、本当に心を乱すものだよ。