吉田茂が邪魔をしなければ竹島問題は今日存在しなかった説 (3/3ページ)

2016.05.05

 実際、野村が当選を果たすと、CIA日本支局長ポール・ブルームが勝利を祝福する手紙を同年6月4日付で野村に送っている。

 さらに、ジョン・フォスター・ダレスと野村の間の連絡役を務めていたハリー・カーン(表向きの肩書はジャーナリスト)も6月16日付手紙で野村の当選を国務省政策企画部長のフランク・ウィズナーに報告し、これで野村がポスト吉田の首相候補者になったと喜んでいる。

 注目すべきことに、カーンはこの報告書のなかで、野村が50年から53年まで「われわれの機関の政治問題についての情報提供者」だったと述べている。ウィズナーの当時のポストは、国務省とCIAにまたがるもので「われわれの機関」とはCIAも指している。つまり、野村は彼の悲願に対する支援と引き換えに、CIAや国務省に政治問題についての情報を流していたのだ。

 結局、日米の支援者の願いもむなしく、野村が総理大臣になることはなかった。1955年の保守合同のとき、ダークホースと目されはしたが、自由民主党の初代総裁となったのはやはり鳩山だった。

 その鳩山も旧日本軍人やアメリカ側に対する配慮から野村を防衛庁長官に据えようとしたが、社会党の反対を受けるとあっさりとこれを撤回した。防衛庁長官の次は総理大臣候補になり、自分の地位を脅かす存在になるのはわかっていたので、もともと乗り気ではなかったのだろう。

 カーンやウィズナーは、すでに老齢の野村が入閣を果たすのを待つより、保守合同で指導力を発揮した岸信介を次期首相にする方が早く影響力を振るえると考えを変え、そのための秘密資金の提供を始めた。

 こうして海上自衛隊は、野村が望んだ空母を含む機動部隊を編制できる本格的な海軍には程遠い、小規模地上部隊の輸送力と哨戒能力しか持たないものになってしまった。

 ●のむら・きちさぶろう/(1877−1964) 和歌山県出身。海軍兵学校卒業後に海軍軍人となる。最終階級は海軍大将。学習院院長、外務大臣、駐米大使、枢密顧問官などを務めた。戦後は公職追放となる。日本ビクター社長を経て1954年に参議院議員になる。

 ●ありま・てつお/早稲田大学社会科学部・大学院社会科学研究科教授。著書に『CIAと戦後日本』(平凡社新書)、『原発・正力・CIA』(新潮新書)、『アレン・ダレス』(講談社)など。

 ※SAPIO2016年6月号

NEWSポストセブン

 

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