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ラジオで自分を取り戻していたときのこと

web日記 エッセイ的なもの 思うこと 闘病生活

もちおが入院していたころ、面会時間が終わる20時に始まる「HKT48 渡辺通り1丁目FMまどか まどかのまどから」という番組を聴くのが習慣だった。森保まどかちゃんがたどたどしく司会進行し、ゲストのHKTメンバーとキャッキャするのを聴いて楽しむ番組。

去年の暮れまではちょうど夕飯の用意や片づけの時間だったので、家事をしながら台所でなんとなく聴いていた。当初はAKB関連のアイドルラジオ番組という印象しかなかった。*1実際それ以上でもそれ以下でもないんですが、連日入院見舞いに通っていたあのころ、この番組にはずいぶん助けられた。なぜか。

 

がんに限らず、おそらく難病奇病をえた方、またそのお身内の方はそれまでの日常をとつぜん失う。治療に関係する本を読みきれないほど集め、健康法に関係する情報に頭を占拠され、思いは未来への不安と過去への後悔でいっぱいだ。

 

重い病気は激しい恋に似ている。何をしていてもそれ以外のことが考えられなくなり、他の事が手につかなくなる。まだ起きていないことを期待したり絶望したり感情が安定しない。涙もろくなり、体調も不安定になる。こういう状態を「我を忘れる」という。

 

すっかり日が暮れた病院の駐車場を突っ切り、ひとり車に乗り込んで、駐車場のおじさんから領収書を受け取り、表通りに出る。明るいニュースは何もない。無力感と焦燥感と空腹を抱え、これから家に帰って明日の面会までに済ませなければならない家事の段取りを考える。これがいつまで続くのか、どんな形で終わるのかを考えて胸がいっぱいになる。そんな日も森保まどかは時間通りにやってくる。

 

HKT48 渡辺どおりいっちょうめ、FMまどか! まどかのまどから~!」と、森保まどかの間延びした声がラジオから聴こえてくる。「きょーもさいごまで、よろしくおねがいします!いぇー!(拍手)」

 

森保まどかはわたしの問題を解決するような話はしない。その代わりに不吉な予言をしたり人生を語ったりもしない。健康法も語らないし先進医療も医療の裏事情も語らない。個人的な愚痴や不満や悪口に同調するよう圧力もかけてこない。

 

お題の駄洒落作りに悪戦苦闘し、緊急度の低いお悩み相談にゆるく答え、ゲストメンバーと内輪話で盛り上がる森保まどか。聴くともなしに聴いていると、ゲストの悩み相談について考えたり、「なんだそれw」と思わずひとりで突っ込みをいれたりしている。

 

ラジオを通してこんな風に知らない人のお喋りに耳を傾けることで、病気で我を忘れていた状態からいつのまにか我に返っている。激しい恋に落ちて「二人のため 世界はあるの」状態の人が、一瞬以前の自分を取り戻すみたいに。

 

重い病気と激しい恋の違うところは、激しい恋に落ちた人は「自分を取り戻さなければ」と自戒もし、周囲からも冷静になるよう諭されるけれど、病気の場合は「病気について考えなければいけない、考えるべきだ」と思ってしまうところ。そしてそれ以外のことに注意を向けることに当事者は罪悪感を覚え、周囲も当事者を責めることだ。*2

 

すでに消化しきれない情報に埋もれ、負いきれない課題を抱え込み、そのうえ一朝一夕でどうにもならないことを考え続けるのはただただ消耗する。切羽詰まった人の知能は知的障碍レベルまで落ちるという実験がある。でも考えることを止める方法が、止めていいと自分に許可する方法がわからない。

 

こういうときにラジオはとても助けになった。ラジオは知らないうちに袋小路から外の世界へ、それ以外の日常へ誘い出してくれた。

 

家に帰りつくころ「未来の鍵を握る学校 SCHOOL OF LOCK!」が始まる。

中高生を笑わせ、ときに泣かせ、叱咤激励するこの番組に、わたしがメールを送ることはこの先もないと思う。とーやま校長、あしざわ教頭は仕事から帰る夫を待つわたしがリスナーの子供たちといっしょに笑っていたことも、病院の夫を思い出しながらひとり夕飯の支度をしていたわたしのことも、知ることはない。でもとーやま校長、あしざわ教頭の二人には、つらい時期、ずいぶん助けられた。

 

いまではわたしはラジオパーソナリティーは尊いご職業であると思うようになった。目だって注目されることも、反響をつぶさに知ることも少ないだろうけれど、人知れずつらい思いを抱えている孤独な人が、仕事のあいまに、運転しながら、ベッドで目を閉じて、その人のおしゃべりを聴いている。ラジオスターは死なない。

 

お見舞いで何を話していいかわからないからいかないのがいちばんだという人に伝えたいのは、「病気の話は間にあっているから、ふだんその人と楽しんだ話題がいちばんよ」ということ。どんなにくだらない話でも、その人を笑わせたり、安らがせたり、何かに夢中にできたなら、高価な薬を届ける以上に身体にいいことをしたことになるよ。看護している人にもね。

 

最終章に看病する人が自分自身を守るために何ができるか書いてある。「病人が必要とするのと同じ気遣いを自分自身も必要とすることを忘れるべきではない」とあって、深く考えさせられた。闘病中の人とのコミュニケーションで起こりがちな問題と解決策など現実に即している。サイモントン療法の本だけれど、最終章だけでも大いに読む価値がある。

 

kutabirehateko.hateblo.jp

*1:菊池桃子斉藤由貴が十代でしっかりしたラジオパーソナリティーをしていたころを覚えている世代なので「中学生くらいかな?」と思っていたらまどかちゃんは18歳だった。

*2:ブログなんかやめてダンナの看病しろとかね。