ニート・落ちこぼれから逆転は可能? 20代の挫折を経て成功をつかんだ男たち
理想の将来を描いた少年時代を経て、20代になったとき、自身の理想と現実のギャップによる挫折を味わう人は決して少なくありません。「学歴がない」「才能がない」「お金がない」など、さまざまな要因があるなかで、自分の将来と向き合い続けた経営者たちのエピソードをまとめました。
- スピーカー
- 株式会社 Campus for H 取締役副社長 石川善樹 氏
株式会社FiNC 代表取締役CEO 溝口勇児 氏
株式会社クラウドワークス 代表取締役CEO 吉田浩一郎 氏
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日本から逃げるしかないと思った
予防医学の博士として、TVやメディアにひっぱりだこの石川義樹氏。東大卒、ハーバード大学院合格という輝かしい経歴から、エリートの道を歩んできたように思われますが、大学卒業後、2年間ニートとして過ごしていた時期があるそうです。当時の悩みや一念発起したきっかけを振り返りました。
あらためて自分の人生を考えたときに、ひと言で言うと、「逃げてばかりいたな」というのがあります。
(中略)
あまり考えないようにして逃げていたら、大学を卒業して僕はニートになったんです。当然なんです。なんとかなると思っていたんですけれど、ならなくて(笑)。ニートを約2年間ぐらいやっていました。
ニートをやっていると、ニートの友達ができるんです(笑)。本当ですよ、みなさん。社会人になった友達とは畏れ多くて会えなくなります。
ニートの中にもアクティブなニートとそうでない引きこもりのニートがいて、僕はちょっとアクティブだったんです。
アクティブなニートはだいたい夜のファミレスに集まるんですよ。集まって「お疲れっす」と言うと「いや、疲れてねえよ。ニートだし」という、そんなことをやるんです。
楽しいなと思っていたら、ちょうどその日、先輩が来るからといって、30代くらいの先輩のニートが来たんです。その先輩に「お疲れっす」といつものように言ったら「いや、本当に疲れているよ、人生にな」みたいな。
その先輩が教えてくれたのが「20代のうちはまだいい。30代でニートやっていると、いよいよ社会復帰は難しいぞ」と言われて。僕はそこで初めて考えたんです、「これじゃあ、まずい」と。
ただ、一度ニートになると、日本社会では復帰が非常に難しいです。これはもう日本から逃げるしかないなと思って、海外に行こうと思ったのがきっかけです。
引用元「日本では社会復帰が難しいから…」 ニートからハーバード大学院生へと転身を遂げた男
大学進学は考えたこともなかった
医療・ヘルスケア分野で、ダイエット家庭教師サービス「FiNC」を提供する、株式会社FiNC社長・溝口勇児氏が、IVSの学生向けインターンシップイベントに登壇。注目スタートアップの社長になるまでの、苦労体験を語りました。
まず僕がどういう家庭環境だったかというと、おやじは孤児院生まれで、両親とか親戚が一人もいないんですね。孤児だったので。母は高校退学していて、相当悪かったみたいな。
私は19歳のときに、できちゃった婚で生まれた子でして、3歳のときに父とは喧嘩して別れて、一度だけお会いしたことがあるんですけど、それ以来貧乏な生活を余儀なくされました。
母は高校を退学させられたものですから、親戚一同から勘当されていて、僕は親戚が母の妹と、兄貴しかいなくてお年玉も毎年3000円以上もらったことがなくて、そんな環境で育ったというのがあります。
大学進学というのは考えたこともなくって、高校生のときに佐川急便に就職が決まっていたんですけど、あまりにもおもしろくなさそうで、前職のスポーツクラブに入社して、17歳の時からトレーナーとして仕事していました。
もともとプロのスポーツ選手になりたいというのもあったんですけど、せめてプロのスポーツ選手のトレーナーになろうと思って。けっこう大胆に踏み込む性格だったので、19、20、21歳のときにプロ野球選手とプロバスケットボール選手と契約して一緒に仕事をしてきました。これが非常に日陰なんです。
相手は同世代なんですけど、年収何億円とかもらっている人たちなんで。そうなると、自分がこのままでいいのかなと思えてきて、経営のほうにどんどんシフトしてきたんです。
24歳ぐらいのときに、自分の中では大きな挫折があって、今のままじゃだめだと。力がなければ助けたい人を助けたいときに助けられないという、自由じゃないんです。力を得るためには起業して頑張ろうと。どうせ起業するならちゃんとケツ決めようと。
ですから私はそれから3年で、生まれてから10000日目に会社を登記したんです。人生は30000日って言われていて、だいたい81歳なんですよ。だから3分の1で登記して、そこから10000日は起業家として頑張っていこうと。
引用元 ゲーム三昧の”意識低い系”学生が、なぜ社長に? ベンチャーそれぞれの起業ストーリー
演劇の道はあきらめても、経営の道はあきらめなかった
クラウドワークス社長・吉田浩一郎氏は、演劇に打ち込んだ学生時代、20代のサラリーマン時代を振り返ります。何度となく挫折と失敗を繰り返した吉田氏が、最後にたどり着いた「経営者」への思いとは?
もともと劇団で食べていきたかったんですけど、契約のミスがあって200万くらい学生時代借金を抱えて、それを機に演劇をあきらめたんですね。
(中略)
当時私、大人計画という、クドカンさんとか阿部サダヲさんの、あそこの照明スタッフとかやっていたんですね。あのとき、宮藤官九郎さんの『終わりなき日常』を見ていて、「これを毎日続けるのは俺には無理だ」と思って、演劇をやめたりとか。
カメラをやってみたんだけどぜんぜん評価されなかったりとか、同人誌書いたんだけど、コミケでぜんぜん売れなかったりとか、けっこうあきらめたんですよ。
でも経営だけはあきらめなかったんですよね。
20代のサラリーマン時代は、ずっと「マネージャーに向いてない」って言われていたんですよ。
それで、マネージャーをやってみたら事務の女性が総スカンで、「あなたの仕事はやりたくありません」ってボイコットされたり(笑)。
ドリコムに入って執行役員をやっていたんですけど、「お前は経営者に向いてない」ということで、上場後に執行役員から降ろされたり(笑)。
けっこう挫折だらけなんですけど、経営だけは、どうしてももう1回チャレンジしたいみたいな感じで。なんかたまたま続けられたんですよね。
「宮藤官九郎を見て、演劇の道をあきらめた」 クラウドワークス吉田社長、大人計画での挫折を振りかえる
成功の陰に挫折あり。自分の現状を打開したいという人は、まず小さなチャレンジから始めてみましょう。