・「ほぼ日」がはじまって、もうじき18年になるけれど、
その間に、何度となく言ったことばがある。
「多忙は怠惰の隠れ蓑である」という、
高校時代の国語の先生に教わったことばだ。
次から次にやらねばならぬことがあるときには、
立ち止まって疑いを持つというようなことができない。
「まったく別の視点から見直す」であるとか、
「いったん止めて熟成を待つ」というようなこと、
「原点から考えてみる」こともやっていられなくなる。
むろん、忙しいときに生まれるリズムによって、
なにかに熟練していくといういいところもあるけれど、
だいたい、多忙は本質を見えにくくしてしまう。
しかし、「おれは忙しくはたらいている」という
じぶんを許すだけの理由もたっぷりあるから、
なかなかとても忙しい状態から抜け出すのはむつかしい。
ゴールデンウィークのような長い休みのとれるとき、
ぼくはちょっと落ち込んでいる。
その理由は「多忙という隠れ蓑」を失うからだと思う。
こんなことでいいのか、このまま進んでいいのか、
あれやこれが錆びついているのではないか、
そんなことばかりが意識にのぼってきて、
漠然とした、しかも強い無力感に襲われるのだ。
しかし、それを忘れさせてくれるような
「おやすみらしいこと」も混じるから、
なんとか微妙なバランスを保っていられるが、
正直に言えば忙しいふだんよりも、ずっと苦しい。
「多忙という怠惰の隠れ蓑」は、ある意味で、
ふだんのじぶんをずいぶん助けてくれているのだ。
しかし、そんなに苦しい「休み」があるおかげで、
根本的にじぶんやじぶんたちを活かしてくれる道が、
何度も見つかっているのがおもしろいところだ。
こういう連休には、必ず、岩田さんと会っていた。
目の前のことを忘れ長いむだ話をしながら、
この先につながる疑問や興味について話しあった。
今年それができないことを嘆くつもりはない。
見えない人と、どれだけ対話ができるかが問われる。
だけど、なんというか、ずいぶんさみしいものだ。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
いままで以上に、いろんなことを思う連休になりました。
その間に、何度となく言ったことばがある。
「多忙は怠惰の隠れ蓑である」という、
高校時代の国語の先生に教わったことばだ。
次から次にやらねばならぬことがあるときには、
立ち止まって疑いを持つというようなことができない。
「まったく別の視点から見直す」であるとか、
「いったん止めて熟成を待つ」というようなこと、
「原点から考えてみる」こともやっていられなくなる。
むろん、忙しいときに生まれるリズムによって、
なにかに熟練していくといういいところもあるけれど、
だいたい、多忙は本質を見えにくくしてしまう。
しかし、「おれは忙しくはたらいている」という
じぶんを許すだけの理由もたっぷりあるから、
なかなかとても忙しい状態から抜け出すのはむつかしい。
ゴールデンウィークのような長い休みのとれるとき、
ぼくはちょっと落ち込んでいる。
その理由は「多忙という隠れ蓑」を失うからだと思う。
こんなことでいいのか、このまま進んでいいのか、
あれやこれが錆びついているのではないか、
そんなことばかりが意識にのぼってきて、
漠然とした、しかも強い無力感に襲われるのだ。
しかし、それを忘れさせてくれるような
「おやすみらしいこと」も混じるから、
なんとか微妙なバランスを保っていられるが、
正直に言えば忙しいふだんよりも、ずっと苦しい。
「多忙という怠惰の隠れ蓑」は、ある意味で、
ふだんのじぶんをずいぶん助けてくれているのだ。
しかし、そんなに苦しい「休み」があるおかげで、
根本的にじぶんやじぶんたちを活かしてくれる道が、
何度も見つかっているのがおもしろいところだ。
こういう連休には、必ず、岩田さんと会っていた。
目の前のことを忘れ長いむだ話をしながら、
この先につながる疑問や興味について話しあった。
今年それができないことを嘆くつもりはない。
見えない人と、どれだけ対話ができるかが問われる。
だけど、なんというか、ずいぶんさみしいものだ。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
いままで以上に、いろんなことを思う連休になりました。
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