なんにも知らない人がこういうことを言う(ロマン氏の連載↓)
上記記事を読めば、「私のことを嫌いな理由」がハッキリして嬉しい人がたくさんいるだろう。ただ一部、私にも言わせてほしいところはある。本文中の、以下引用部分だ。

北条氏本人が望んで(※引用者注:こじらせ女子の)代表になろうとしたわけでも、代表として定義付けしたかったわけでもなく、編集者の要望やイベントでの要望に近視眼的に応えただけなのだろうが、物を書く人間としてそのことの意味を考えずに乗っかることは物書きとしての資質に疑問を抱かざるを得ない。クライアントの要望に応えるというのは職業意識の高さの表れかもしれないが、そういう要請されるがままに乗っかってしまうだけの応え方はタレントのやり方で物書きのやり方ではない。

なぜあの本が、私の意に反して『こじらせ女子の日常』なるタイトルになったか、詳しくは書けない。が、当初の希望タイトルが『コスプレで女やってますけど』であったことだけは確かだ。そして、色々な人から「どうしても、『こじらせ』でないと出せない」と言われたのも事実。下記にあるような「弱さ」から、私が押し切られた=物書きとして失格といわれるなら、まあ彼にとってはそうなんだろう。他の多くの人にとっても、そうかもしれない。

でも私は、書くことをやめたくないから出版を取った。あのタイトルを断れば「本が出せない」と思った。恐怖が勝ったのである。本が出ないと、私には「社会的な居場所」がない。これは、ロマン氏の次の指摘にもつながる。

氏は「自分の弱さがいけない」というようなことを言う。しかし、ほんとにいけないのは弱さゆえに流されてしまうことではなく、弱さを世間にアピールすることで批判や追求から逃れようという弱さゆえの姑息さだ。もし、それが何らかの精神的疾患によるものならばインターネットから離れて治療に専念すべきだろうし、

私は弱い。ライターとして稼げるようになって2年ほど。業界の事情がわからず、右往左往して失敗ばかりだ。優先順位がわからない。「精神疾患」にかんするアドバイス、御礼申し上げる。ただ、私は「治療」に多額のお金をかけることが物理的にできない。生きるためにお金を稼がなければならないから無理だ。

「治療に専念すべき」なんて、簡単に言わないでほしい。

今こうして、批判を受けながらも文章を書いているのは、他にできる仕事がないから。社会性がない私には、自分の頭の中を吐露できる「物書き」が、最後の仕事に思えたものだ。

私は10代の頃から、悩むたびに文章で立ち上がってきた。一方でややこしいのは、文章によって変な深みにハマることもある、ということだ。

「死んでお詫びします」という言葉が独り歩きしているが、あれが脅しでも何でもなく、ライターとしての衝動的な恐怖であることが理解できないなら、ロマン氏は私が「弱さを世間にアピールしてチヤホヤされようとしている」などと書いたことを、後悔すべきだ。謝罪は求めない。許すことは忘れることだから。

さて、
北条氏のような自己愛の強すぎる人は分析したり研究したりより創作の方が向いていると思う。短歌とかある意味本人らしくて面白いし。
 
ここ「だけ」は当たりである。時期は未定だが小説を出そうとしているので。俳句や短歌は学生時代にはじめ、すでに数千首くらい読んでいる。短歌のほうが得意(アララギ派+前衛短歌タイプ)だが、俳句も詠む。

長くなった。反論は異常、ではなく以上だ。