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ダイジェスト版3-2
皇帝の間を後にしたスィルアッカ達は、報告会の席でコウがチェックしたであろう各人物の思惑について詳しく聞く為、一旦スィル将軍の私室へと向かう。同時にコウの住む場所や身分など細かい話も詰めていくのだ。
スィルアッカ皇女とその側近ターナの後に続きながらトコトコと宮殿の廊下を歩いていたコウは、ある場所に差し掛かった所で特に強く意識を引かれる感覚を受けて足を止めた。視線の先には淡い青色の絨毯が敷かれた廊下が伸びている。
「そっちの廊下は離宮に続いているのだが、何か気になるのか?」
不意に立ち止まったコウに、スィルアッカが声を掛ける。コウが見つめる廊下の先には離宮がある事を教えつつ、今も眠り続けているであろう"彼"について想いを巡らせる。
皇帝の秘事録に伝わる古い言い伝え。"異邦の地よりも更に遠く異界より迷い込みし者あらば此れ必ず確保すべし"という一節。コウには後で"彼"に会って貰うつもりでいた。
一年程前、ナッハトーム帝国の領内にある古い遺跡で一人の若者が発見された。治癒施設として利用されている遺跡の建物内に倒れていたその若者は、明らかにナッハトームの人間ではない顔立ちをしており、身に纏う衣服は非常に上質で、近くには高級そうなカバンと極めて精巧な絵の描かれた書物が散らばっていた。
奇妙な事に、この若者は発見された時から意識を失ったままで、どんな治癒術を施しても目を覚ます事は無かったのだ。
行き倒れの遭難者として届け出を受けた治安課の担当官は、若者の身形や所持品にあった書物、見た事の無い筆記用具らしき精巧な道具などから何処か大国の貴族ではないかと考え、軍上層部に大使の行方不明者が居ないか問い合わせを行った。
その時に持ち込まれた書物や精巧な道具が偶々スィルアッカの目に留まり、彼女は皇帝の秘事録に伝わる古い言い伝えの一節を思い出した。
何処の国から来たのか、はたまた秘事録の一節にあるような異界から迷い込んだのか、これほど精巧な道具を作り出せる技術を持つ国の人間ならば是非とも高待遇で保護し、その国と国交を開いてグランダールに対抗し得る技術の援助を求めたい。
当時、既に皇帝から全軍の指揮権を与えられ、ナッハトームの行く末を任せられていたスィルアッカは、国力の強化を図る一環としてこの若者、名も分からぬ"彼"を持て成すべく離宮に運び込んだのだ。
しかし、それから何日経っても"彼"は目を覚ます事無く眠り続けていた。スィルアッカは"彼"の治癒に時折高名な医者や術士を離宮に呼ぶ一方で"彼"の書物を調べ、そこに精巧な絵で記されている様々な兵器類を見てこれを実現できないかと考えた。
神話や御伽噺にありそうな天に広がる大地の風景と、そこに描かれた空飛ぶ船。巨大な足をつけた動く砦、城のような甲冑巨人。兵器開発の技術者達は書物から得たアイデアを活かすべく研究に勤しみ、ナッハトームの機械化兵器が開発されていった。
そして調べと探れど一向に正体の分からない出所不明な"彼"については、やはり異界より迷い込んだ者ではないかと考えられるようになっていた。
スィルアッカの思考から"彼"という存在を読み取ったコウは、読み取れた範囲でその人物の特徴などを意識してみた。瞬間、浮かび上がる断片的な映像。エスルア号が撃墜された時にも見た情景が視界に広がる。
沢山の椅子が並ぶ細長い通路のような場所にて、揺れる建物の中で大勢の人々が騒いでいる。角の丸まった小さなマドに映る若い男性の顔と目が合うと――
『あれは(これは)……ボクだ(俺だ)』
――ピタリと填まる記憶の欠片。コウは意識が引っ張られている原因を特定した。
「――ウ、コウ? どうしたコウ」
「……!」
名を呼ばれている事に気付いてハッと顔を上げると、スィルアッカが怪訝且つ心配そうな表情で覗き込んでいる。コウはしゃがんだターナの膝上に抱えられる格好で彼女の腕に支えられていた。どうやらまた気を失っていたらしい。
「大丈夫か? 急に倒れたので驚いたぞ」
どこか具合でも悪くしていたのかと問うスィルアッカ達に、コウは少し考える。欠けた記憶と知識の断片。自分が異世界人であるらしい事など、やはり今ここで話して置くべきだと判断したコウは自分の事を語り始めた。
「ボクね、実はべつの世界から来た人間らしいんだ」
唐突にそんな告白をされたターナとスィルアッカは思わず顔を見合わせた。
コウは、自分が捕虜達に混じっていた経緯については既に話してあるが、それを予備知識として、今の自分の状態を説明する。
エスルア号が撃墜された時からずっと意識が何処かへ吸い寄せられるかのように引っ張られており、その為にこの身体から抜け出せないでいた事などを話す。
「いま原因が分かったんだ。多分この先にいる、スィルたちが"彼"って呼んでる人にひっぱられてるんだと思う」
"彼"の事を話題に出されて一瞬驚くスィルアッカだったが、直ぐに思い当たる節が浮かんだ。治療の為に呼んだ祈祷士が言っていた、"彼"は精神と意識が抜け落ちている状態だという。
「……お前が、"彼"の精神と意識なのか?」
「分からない。でもさっき浮かんだ記憶の情景で感じたんだ、ボクたちは同じ存在なんだって」
離宮へと続く青絨毯の廊下を見つめるコウに、スィルアッカは『それならば』と急遽予定を変更する。
「よし、付いてこい。実際に会って確かめてみるといい」
スィルアッカは、"彼"がコウとして目覚める事を期待しながら離宮へ繋がる廊下を先導する。
『コウに関する課題は案外早く解決する事になるかもしれないな』
住む場所は今まで通り離宮暮らしで問題なく、他者の目にも触れないよう匿っておける。立場など身分も例の書物を絡める事で、機械化技術の発展に貢献した者として相応に高い地位を付与する事も出来る。
絶体絶命の危機を救われた事に始まり、初対面や身内であっても正確に見抜く敵味方の判別。あのルッカブルク卿をも宝一つで怯ませた意外性と機転。
コウをスカウトしてからこれまで、短い期間に得られた数々の恩恵によって無意識ながら気持ちを浮かれさせていたスィルアッカは、この時、自身が少し慎重さを欠いている事に気づいていなかった。
エッリア宮殿から長い廊下を渡って離宮に案内されたコウは、その一番奥にある部屋で一人の若者と対面した。ターナと同じような、鋭い気配を持つ者が交じる数人の使用人達が退室して行く。
スィルアッカが期待の眼差しで観察する中、青年に近づいたコウはそれまでの引っ張られるような感覚が急激に増大したかと思うと、少年型召喚獣から引っこ抜かれるように青年の身体へと吸い込まれた。
『わわっ』
「?! コウ!」
一瞬スィルアッカの声が聞こえたが、まるで深遠に沈んでいくかの如く、音も景色も、混濁する意識と共に遠ざかる。
このまま消えてしまうのだろうかと少し不安になったが、同時に、在るべき場所に還ってきたという奇妙な安堵感も覚えたのだった。
混濁した世界。それが自分の意識かどうかも分からない思考と声が浮かび上がり、やがてそれは染み込むように自身の内へと流れていく。
戸惑いと不安。焦燥。そんな感情が、まるでタール状の雨粒のように降り注ぐ。青黒く、朱も混じった球体が、黒い太陽のように浮かんで揺れ、そこから負の感情が流れ出ていた。
『……ボクは、消えてない……』
コウは自分で自分を認識し、確かにこの空間に存在している事を実感する。しかし、この場所は自分の在るべき場所でありながら、最早自分の居場所ではないという矛盾した感覚も覚える。
頭上に浮かぶ黒い太陽からは、流れ落ちる負の感情と共に現状を把握しようとする思考が感じられた。
『あれは……人の心だ』
黒い太陽はこちらに気づいている。意識を集中させると、コウの視界に誰かの視界が浮かびあがった。そこには戸惑った表情を浮かべているスィルアッカの姿が見えた。
『あ、ここ奥部屋だったのか』
――なんだこれ……確か飛行機が墜落して海に投げ出されて……それからどうなったんだ? ここって、外国の病院じゃないよな?――
視界の主は、コウの呟きに気づきながらも『気のせい』という事にして無視しているようだ。コウはこの視界の主、『キョウヤ』という名の意識に話しかけてみる事にした。
『おーい』
――いや、でも何処かの発展途上国とか、孤島みたいな所とかなら、こういう病院もありうる?――
『おーい、おーい』
――けど、どう見ても欧米人っぽい感じだし……ちょっとインド系っぽい感じもしなくもないけど……――
京矢は、部屋の一角で何やら話し込んでいる薄い衣を纏った赤毛の女性とメイド服っぽい姿の女性、同じ格好をした数人の女性が壁際に控えている様子を横目に、彼女達は何者なんだろう? と疑問を浮かべる。
『あの二人は赤い金髪の方がスィルアッカで、話してる相手はターナトーリアって言うんだよ』
「……スィルアッカとターナトーリア?」
思わず反応してしまったらしく、ぽつりと呟かれる言葉に、彼の視界の中で件の二人が反応する。だが彼女達が何かリアクションを取る前に、京矢の感情が大きく乱れた。
黒い太陽が激しく歪み、トゲトゲな姿に変形する。拒絶と怒りが顕われているらしい。
「ああああ! さっきから何なんだよっ 人の頭ん中で当たり前みたいに喋りやがって! なんか取り憑いてんのかこれっ!」
『どちらかと言えば戻ってきたんだけどね』
「訳分かんねぇ!」
それから暫く、ぶつぶつと何事か呟いていた京矢の視界が闇に覆われていく。トゲトゲの太陽は元の球体に戻り、朱の混じった青黒い表面は、深く落ち着いた青に染まりながら下りてきた。彼の意識は閉じているらしく、球体からは何も聞こえない。
暫く観察していると、覚えのある魔力の塊がこの空間の隅に浮かんだ。『なんだろう?』と触れてみたコウは、それが召喚石の魔力である事に気づいた。
この魔力の塊を通じて、おぼろげながら外の様子が感じ取れる。コウは魔力の塊に働きかける事で、何とか外との連絡を試みた。
複合体に入っている時などに使う装飾魔術を送りこんでみる。すると上手く外に発現したらしく、魔力の塊からスィルアッカの思考が読み取れた。
――っ! コウか!?――
『ボクだよー』
召喚石を通して、コウは"彼"の名前や今現在の状態、コウが京矢の中に戻った事で発生した問題について伝えたのだった。
◇◇◇
古ぼけた祭壇の傍で目覚め、蟲や小動物に憑依を繰り返してダンジョンを彷徨い、自分を視る事の出来る人との出会いから多くの人々と関わり合い、やがて地上へ飛び出し、街を渡り歩き、様々な経験を積んだ。
――そうか……それがお前なのか……――
『ボクは君の可能性の一つなんだと思うよ』
京矢の心が浮かぶ精神の領域で、コウは肉体がまだ眠っている京矢と心の対話を交わし、互いの存在と記憶のすり合わせを行った。
その後、意識を目覚めさせた京矢は、落ち着いた様子でスィルアッカ達と向き合っている。コウは京矢が手に握っているらしい召喚石から、スィルアッカ達に現状を報告した。
長く本体から離れて活動していたコウは、既に"コウ"としての自我が形成されるに至ったうえ、固定化しており、本体である京矢の心の中では異物として負荷を生み出している。
召喚石を通して伝えられたコウからの文字メッセージで、スィルアッカ達は事態を把握した。
「そういう事だったのか……」
やはりコウをいきなり会わせたのは軽率だったと改めて反省するスィルアッカは、なんとか分離できないだろうかとお抱えの呪術士も交えて話し合う。しかし、精神の移動など心の深遠に干渉するような分野は、お抱えの呪術士にとって専門外で荷が重い。
そういった降霊術の類は祈祷士の方がより精通しているので、得意な者も多いのではないかと進言が向けられた。
「祈祷士か……」
「また、エイオアから呼び寄せますか?」
エイオアの祈祷士で最初に思い浮かぶのは"京矢"の状態を一目で見抜いたリンドーラだが、彼女には何か隠し事をしている節が見られるので京矢とコウの事は知られたくない。スィルアッカ達がそんな事を思っていた時――
"リンドーラさんなら力になってくれると思うよ"
スィルアッカ達の思考にリンドーラの名と、彼女に対する疑惑の想いを読み取ったコウはフォローとお勧めの提案をした。
「あの祈祷士と面識があるのか?」
"リンドーラさんは初めてボクをみつけてくれた人だよ"
コウはバラッセのダンジョンで魔獣犬に憑依していた時の出会いを掻い摘んで説明する。魔獣犬の中にコウの存在を見抜き、祈祷士のアミュレットという貴重な品を預けた事で、コウに人と接する機会を大いに増やしてくれた人物でもあるのだ。
「そうだったのか……」
それならばと、スィルアッカはコウの現状を何とかするべく、リンドーラを再び呼び寄せる方針で動き始めた。
コウが光文字とスィルアッカ達が話している間、京矢はただ静かに心の奥に向けて意識を集中させていた。
元が同一である為か、コウに意識を向けて集中すれば、コウの持つ知識や思っている事が何となく分かる。
知らない筈の事を何故か知っているかのような、既視感をもっと強くした違和感。スィルアッカ達の話している言葉やコウの描き出す文字が何を表しているのかなどは相変わらずサッパリ分からないが、コウの意識から大体の意味をニュアンス的に感じ取れるのだ。
夢の中でコウと記憶のすり合わせが行われた時、ある程度まで落ち着いて受け入れる事が出来たのは、その記憶の中に自分と似た境遇の人物が居たからだ。今はグランダールという国で割と平穏に暮らしているらしい沙耶華という名の日本人。
「はぁ……日本語が恋しい」
何でもその国の王子様に見初められているそうだが、一度会って話をしてみたいなぁとこっそり溜め息を吐く京矢なのであった。
そんなやりとりがあってから四日後。急遽エイオアから呼ばれたリンドーラの助力により、コウを京矢から分離させる儀式が行われた。
京矢の中からコウを召喚獣の身体に吐き出し、京矢側から精神領域に"蓋"をする事で、再びコウを取り込んでしまわないよう処置がとられる。
こうして、二人は根源を同じくする魂の双子とも呼べる存在として、別々の人生を歩む事になった。
一年近くも眠り続けていた京矢は、体力作りの為に暫くは奥部屋でリハビリ生活を送る事になり、同時にこの世界で生きて行く上で必要な知識も学んでいく。
コウも時間のある時は京矢と一緒に過ごし、精神が繋がっている事を利用して知識の共有を深めたり、学習を手伝ったりしていた。
「でも、ちゅーって不思議な感じするよね」
「言うなあーーー!」
偶に、分離の儀式の際に行った精神の通り道作りによる接吻行為を話題に出しては、京矢を暴れさせたりして遊ぶコウなのであった。
◇◇◇
本体である京矢と根源での繋がりを残しつつ、精神を分離して独自の生を歩むようになったコウ。
帝都エッリアでの生活は、スィルアッカの従者として共に行動し、彼女が公務やプライベートで交流する相手の内面を読み取り、敵味方の判定を下すという人材選定の仕事をこなしていた。
その合間に京矢とも交流を重ね、京矢にこの世界の事を教える傍ら、元世界の知識など、封印されていた記憶も『京矢の知識』として参照出来る幅を広げている。
京矢も同じ要領でコウの記憶を参照出来るので、何かを覚えたり学んだりする速度がかなり底上げされた状態にあった。お陰で片言だったこの世界の言葉も、今や日常会話に困らない程度までマスターしている。
ちなみに、京矢と一緒にこちらの世界に来た書物、機械化兵器の元ネタとなった本については、既に『あれはゲームの攻略本である』という事を伝えてある。
ゲームが何かはあまり上手く伝わらなかったようだが。本に描かれている兵器類は架空の物ながら、その元ネタには実在する兵器もあるので、京矢は時々機械化兵器の開発にアドバイスをするなどして、スィルアッカの活動にも貢献していた。
そんな京矢は、今は『離宮に住む謎の客人』として正体が隠されている。コウの人材選定が済むまでは、もう暫くその状態が続く予定であった。
「技術を盗みに来る奴って、やっぱマーハティーニって所からなのか?」
「スィル達はそうおもってるみたいだよ」
「ふーん……ナッハトームって昔のソ連みたいだけど、あんまり結束してない国なんだな」
「みんな一番になりたいんだよ」
マーハティーニは豊富な鉱山資源を背景にその資金力を持って帝国内での勢力を伸ばしている。恐らくナッハトームでは最もお金持ちの国と言えるだろう。
食糧事情と水の問題、それに今は機械化兵器による軍事力の差で宗主国の座はエッリアに一歩譲っている形だが、機械化兵器の生産に必要な資源産出はマーハティーニが一手に握っている状態。
スィルアッカからは策略家の狸親父と評されているレイバドリエード王の政策で高給と高待遇を餌に帝国中から呼び集めた多くの技術者を囲い込んでおり、鉱山の効率的な採掘に必要だとしてエッリアに機械化技術の提供を求めるなど、着実に国力の増強を図っている。機械化技術、特に兵器関連の流出はエッリアにとって死活問題でもあるのだ。
「ま、俺は一般人だしその辺りの事情は傍観するしかないけど、やっぱり世話になってる国には頑張って欲しいわな」
「しかつ問題だもんね」
そろそろスィルアッカ達が日課の公務を済ませて迎えに来る頃だろうと建物の中に戻るコウと京矢。すると丁度、廊下に出た所でこちらに向かって歩いてくるスィルアッカとターナの姿を見つけた。
「コウ、キョウヤも一緒か。また街の様子でも眺めていたのか?」
「こんちは」
「ちょっとむずかしいお話ししてたんだよ」
コウ達の返答に、スィルアッカは『そうか』と微笑む。
「グランダールとの休戦が決まった。ついてはキョウヤ、近く調印式に国境の砦まで出向くので一緒に来ると良い」
宮殿を空ける事になるので、その間に"謎の客人"への探りを入れられないよう連れて行くのだという。調印式を終えて帰国する頃には、エッリアに集まっている各支分国の大使達も半数以上が自国に戻っている筈、そのタイミングで京矢の事を発表するらしい。
「それじゃ俺はまた部屋で待機してるよ」
「うん、また後でね」
「では行くか。今日の相手は北西にある小国の王子だが、マーハティーニに近い国だから向こうとの繋がりがあるやもしれん相手だ」
しっかり意識調査を頼むぞと、スィルアッカは何時ものようにコウをターナの隣へ従えて宮殿の広間へと向かう。
ちなみに、コウを連れたスィルアッカ達のやりとりは、コウと意識の繋がりを持つ京矢も大体把握していた。
部屋で特に何もする事がない時などは、離宮内を散歩して気分を紛らわせる他に、コウの意識から情報を読み取って暇を潰すというライフスタイルが確立されている。
しかし、コウの意識を通じて他人の内面を見通してしまうので、ある種の弊害も被っていた。
常に相手の真意を測る事が出来るので便利ともいえるが、他人の胸の内など知らないでいる事の方が如何に楽であるかという事も実感する京矢なのであった。
スィルアッカ達と支分国の偉いさんに会う仕事を終えて離宮へと戻るコウは、庭園の近くで声を掛けられた。
「コ~ウく~ん」
「うん?」
名前を呼ばれて振り返ると、庭園の中程から手を振っている少女の姿。金髪のツーテールを揺らして小走りに駆けて来たのは、マーハティーニの王女メルエシードだった。
「いま何してるの~? スィル姉さまは一緒じゃないんだ?」
「今日の仕事がおわったから離宮に帰るところだよ」
メルエシードは、先日に廊下で初めて顔を合わせた時から偶に宮殿内で見掛ける事もあったが、何れも公務中のスィルアッカと行動していたり、自分自身の方に急ぎの用事があったりして中々声を掛ける機会がなかったという。
――あの時は油断したから不覚をとったけど、今度はそうはいかないんだから――
人懐っこい無垢な笑顔を向けて来る彼女の内心では、やはりコウに自分の影響力をねじ込んで置くべきだという企みが蠢いていた。
「ねえ……わたし、あなたの事をもっと知りたいわ。お話ししましょ?」
有力家に仕える従者や使用人達を何人も虜にしてきた誘惑の笑みの裏で、メルエシードはコウに対する意趣返しも狙いつつ、諜報の駒にする事を目論んでいる。
誘惑を仕掛けて来ているメルエシードがコウを強く意識している為か、彼女の心の声もつかみ易い。その内心に、何か燻ぶる想いを感じたので、コウは更に深く彼女の内心を読み取ってみた。
――兄さまがわたしに手を出さないのは、きっとスィル姉さまを意識してるからだわ。絶対邪魔してやるんだから――
メルエシードの心の奥に、兄ディードルバード王子を慕う気持ちと、スィルアッカに対する嫉妬心が渦巻いている事を読み取れた。
「メルはディード王子の事が好きなんだね」
「え? え、ええ……ディード兄さまの事は好きよ? 兄妹ですもの、普通でしょ?」
「だからスィルに嫉妬して邪魔するの?」
「っ!」
メルエシードの媚びた表情が一瞬強張ると、警戒の色を浮かべて鋭い眼つきに変わる。彼女は、ディード王子がスィルアッカに対して少なからぬ好意を持っている事を知っていた。
父王の言いつけに従ってスィルアッカの動向を探ったり、纏わり付いて微妙に行動を阻害したりするメルエシードの行為の裏には、そんな恋慕の気持ちも関係していたのだ。
「……スィル姉さまはワザとらしいのよ。男嫌いだなんて噂を流してる癖に、将兵には媚びちゃってさ」
ナッハトームでは一般的に"女性はより多くの男と経験を重ねている女ほど魅力的である"とされる。しかし、皇女のような高貴な身分にある者は、そういった経験に疎いほうが好ましく思われた。 普通の街女で経験の少ない娘を相手にするのは面倒くさいが『皇女のような高貴な娘の手解きをして女としての成長に絡む事ができるのは男冥利に尽きるじゃないか』というのがナッハトームの一般的な男性が持つ女性と性に対する価値観なのだ。
「ディード兄さまも、今まで周りにスィル姉さまみたいな女がいなかったから騙されてるんだわ」
「スィルは皇帝になる人だよ」
「へぇ、従者らしいコトいうのね……でも普通"スィル様"でしょ。主人を呼び捨てなんて、あなたスィル姉さまとどんな関係なのかしら」
「ボクはスィルさまの手伝いをしに来たんだ」
猫を被ることをやめたメルエシードの指摘を、素直に学習して言い直したりしつつ、適当に相手をしていたコウは、意識の奥で京矢が呼んでいる事を感じ取って会話を切り上げる。
「ボク用事があるから、またねー」
「え? あ、ちょっと」
なんだか適当にあしらわれた気がすると、メルエシードは不満を募らせている様子だった。
◇◇◇
離宮に戻って来たコウが京矢の部屋になっている奥部屋を訪れると、寝室の隣にある部屋の机で広げられた紙に何やら書き込んでいる京矢が顔を上げた。
「よっ、来たか」
「きたよー。どうしたの?」
「いや、ちょっと聞きたい事があってさ」
コウの記憶漁りをしていた京矢は、コウが破壊した"生命の門"絡みでバラッセのダンジョンから大量の骨が高級触媒として採集されている情報を読み取り、触媒についてもう少し詳しい情報が欲しいと頼んだ。
記憶を深層意識レベルである程度共有しているとはいえ、何処にどんな知識が記憶されているのかまでは分からないので"目当ての知識を思い出す"という事が難しい。簡単なフレーズを度忘れしてしまってどうしても思い出せなくなる感覚に似ている。
こういう場合はその知識を記憶した側が強く意識する事で関連する情報の記憶が集まり、参照し易くなるのだ。
京矢は各街のダンジョンに関する状況や触媒に関するコウの知識から、近々触媒骨に値崩れが起きたり、反動で高騰したりするんじゃないか? と興味を持ったらしい。値崩れは既に起きているかもしれない。
「冒険者協会に行けばもっと詳しく分かるとおもうけど、エッリアには正式な支部が無いみたいだよ」
エッリアで冒険者協会の情報を仕入れられる有力家といえば、古代遺跡の研究などをしている考古学者をお抱えの魔術士に持つルッカブルク卿辺りが最も確実な所だ。
「あ~あの人か、なんか気難しそうだよな」
「影で苦労してる人みたい」
頼んでみようか? と訊ねるコウに宜しくお願いする京矢。
一応、上司の許可を得てからでなければ、勝手に動くと問題がある。スィルアッカに事情を話すと、コウが『敵ではない』と判定しているルッカブルク卿とも距離を近づけておいた方が良いと判断したらしく、情報収集目的の接触に許可をもらえた。
明日あたりにでも宮殿でルッカブルク卿を訪ねて、冒険者協会の最新情報を仕入れられないか頼んでみる事になった。
そんなやり取りのあったこの日の深夜。京矢が風流と情緒を求めて月夜の散歩に出掛けている事を意識の奥に感じながら、コウは宮殿内をぶらぶらと歩いていた。
スィルアッカ直属という立場なので、皇帝の自室のような重要施設以外は、割と自由に歩き回る事が出来る。時折、巡回の兵とすれ違う。
宮殿の上層階は殆どの廊下の壁に等間隔で照明が設置されているが、下の階になると昼でも暗いような場所が多い。深夜の真っ暗な廊下を明かりも持たずにうろつくコウは、巡回兵達の心臓に余計なダメージを与えたりしている。
階段前を照らす明かりに、ダンジョンを徘徊していた頃の事を思い出していたコウは、ふと、意識の奥から京矢のうろたえている感情が伝わって来たのでそちらに注意を向けてみた。
『あれ、あの子かぁ』
離宮の庭園を散歩していた京矢が、メルエシードと遭遇したようだ。メルエシードは京矢の事を、例の機械化兵器技術に深く関わる人物として噂になっている"謎の客人"であると見抜き、誘惑を仕掛けている。
スィルアッカに対して明確に敵意を持つメルエシードに関しては、スィルアッカも距離を置きたいと考えていた。だが、表向きは非常に親しい間柄という関係で周囲にも認知されているので、コウが来てから急に態度を変えたとあっては、不審がられてしまう。その為、これまでと変わらない接し方をしていたのだが――
「これはチャンスかも?」
コウは問題の一つを打開する良い機会だと判断して、スィルアッカの自室へと急ぐのだった。
スィルアッカと共に離宮の庭園にやって来たコウは、京矢の意識から「おっぱい」のイメージがいっぱい流れてきたタイミングでGOサインを出した。今なら完全に不意を突けると。
京矢が自分の胸元にもたれるメルエシードの背後から、細い肩越しにそっと腕を伸ばし、彼女が摘んで開いている服の胸元へ手を差し入れようとした瞬間。
「何をしている」
「うわあああああ!」
「ひゃああああ!」
「こんばんわー」
何時の間にか背後に立っていたスィルアッカから声を掛けられ、飛び上がって驚く京矢と釣られて驚くメルエシード。そして普通に夜の挨拶をする少年コウ、という構図。
「こんな夜更けに離宮の庭園にまで忍び込んで何をしているのだ? メル」
「ス、スィル姉さま! わたしは別にその……っ」
「キョウヤも目立つ事は控えろと言っただろう、お前が手を出そうとした相手はマーハティーニの王女だぞ?」
「ええーっ 王族の娘だってー!」
凄くワザとらしい驚き方をする京矢だったが、焦っているメルエシードは気付いていない。
今回、離宮に侵入して重要人物と接触していたメルエシードをスィルアッカが自ら咎める事で、これを機に"マーハティーニの王女の動向に目を光らせるようになった"という状態を、100%相手側の過失を以て自然に作り出す事が出来る。
結局、この件でメルエシードは宮殿内の軍施設区画と離宮の出入りを禁止されてスィルアッカからも距離を置かれるようになった。
その厳しい処置は二人の親しい姿をよく見知っていた宮殿の人々を驚かせ、"謎の客人"について探ろうとしていた他の支分国関係者達を萎縮させるのにも十分な効果を上げたのだった。
◇◇◇
ルッカブルク卿の屋敷は宮殿周りの軍施設地帯と一般民の住む街の間にある水源に近い場所に建っていた。広大な敷地内には研究室として一戸建てを十数棟も用意し、技術研究者や魔術士達を住まわせている。
その内の一軒を尋ねるコウ。ルッカブルク卿に許可を貰い、冒険者協会の情報に詳しい者として例の王冠を鑑定した魔導技士を紹介された。
宮殿でコウに声を掛けられたルッカブルク卿は、最近なにかと活動的なスィルアッカ皇女の従者がまさか自分を頼ってくるとは思っていなかったらしく、皮肉屋を装うのも忘れて目を丸くしていた。
「いやーどうもお待たせしました、高名な冒険者であるコウ殿に尋ねて頂けるとは恐縮しきりですよ」
「こんにちはー」
"ティルマーク"と名乗った彼はルッカブルク卿お抱えの魔導技士で、考古学の研究者でもある。機械化技術を魔導技士の立場から支援する傍ら、帝国領内にある古代遺跡の研究探索をさせて貰っているのだそうだ。
「冒険者協会の情報を所望との事ですが、国境を渡ってくる商人やエイオア経由になりますので――」
精度も鮮度もあまり期待できないと前置きした上で、ティルマークは現在流通している魔術触媒の市場情勢について色々教えてくれた。やはり高級触媒の骨は値崩れが起きているらしい。
コウは彼から聞いた情報を、心の交信を通じて京矢が把握した事を確認しながら、雑談交じりに対話を続けた。
「ああ~、何時かバラッセの遺跡も調べてみたいものですねぇ」
「ナッハトームとグランダールが仲良くなれば、いつでもいけると思うよ」
「あっはっは、確かにそうかもしれませんねぇ」
そうして昼過ぎまで遺跡と冒険者協会を話題に『お話』をして過ごしたコウは、ルッカブルク卿によろしくと、スィルアッカに歩み寄りを求める挨拶を残しつつ、ティルマークの研究室を後にした。
「ただいまー」
「おかえり、お疲れさん」
離宮に戻ったコウが奥部屋にやってくると、京矢は紙に何やら書き込んでは唸っていた。暇つぶしに始めた高級触媒の売買シミュレーション。触媒一つ辺りの値段と、それを運ぶ交易商人達に支払う報酬など、大まかに算出する。
「これ、元の値段から半分近く下がってるんだよなぁ」
輸送費の揺れ幅に問題はあるが、今の値段で沢山買って置けば値段が戻った時に売って差額で儲けられそうだという京矢に、コウは輸送費はタダに出来る事を挙げる。
「あ、そうか。お前の倉庫を使えば幾らでも運べるんだよな」
「お金も結構あるけど、砦に行った時にでもアリアトルネで買ってくる?」
近日中に休戦協定の調印式へ国境の砦まで出掛ける事になっている。砦からアリアトルネまでは近いので、鳥にでも憑依すればひとっ飛びで往復できる。だが、京矢は今の段階でコウの財産を使う事には慎重な考えを示す。
「まだ値段が戻るかどうかも分からないしな。それに多分、お前が持ってるお金じゃ桁が足りないと思うぞ」
倉庫にある他のお宝を売れば国家予算並みの資金は作れそうだが、現状そこまでして触媒の買い占めを行う理由もないし、なるべくコウの財産には手を付けたくないという京矢。
「お互い、将来はどうなるか分からん身だからな」
「いちれんたくしょうだね」
今はこのナッハトーム帝国の宗主国エッリアで生活させて貰っているものの、この世界や帝国の情勢を見る限り、何時紛争やら内戦やらに巻き込まれて着の身着のまま放り出される事になるかも分からないのだ。
拠って立つ所が無くなった場合に備えて貯えはとっておきたい。京矢は皇女殿下から生活を保証されている身にありながらも、慎重に将来を見据えた生き方を模索していた。
エッリアから国境地帯までの道のりは通常の馬車で片道五日程の距離。機械化輸送戦車を使えば二日程度で到着できる。
少し前まで戦場だった国境の砦を見渡せる平原にはナッハトームの大型輸送戦車と護衛の軽量型戦車が並び、砦上空にはグランダールの軍用魔導船が浮かんでいた。
今日はナッハトームとグランダール両国による休戦協定の調印式が行われる日だ。
砦の兵士に案内されて、ナッハトーム軍の護衛と共にスィルアッカ達が会議室に入ると、いきなり一羽の鳥が目の前に向かって飛んで来た。咄嗟にスィルアッカを庇う位置に立つターナ。しかし鳥はターナやスィルアッカを飛び越えて後ろに続いていたコウの肩に降り立つ。
「あ、ぴぃちゃん」
「ピュイ」
"伝書鳥のぴぃちゃん"を肩に乗せた姿に軽く笑みを浮かべながら、スィルアッカは懐から短刀を出し掛けていたターナを窘める。
「気を張りすぎだターナ、もう少し楽にしていけ」
「申し訳ありません……」
苦笑するスィルアッカに恐縮して詫びつつ項垂れるターナ。そこへ、彼女が緊張を緩められない元凶となっている人物が声を掛けてきた。
「暫くぶりだなコウ、それに…………ナッハトームの姫将軍」
「そうだねー」
「随分と意味深な間だな、グランダールの冒険王子」
砦の会議室で顔を合わせたコウとレイオスは王都に居た頃と変わらない挨拶を交わし、スィルアッカとレイオスは何処かぎこちない空気を漂わせる。互いに命のやり取りをした相手、という事もあるのだが、概ねの理由はスィルアッカに対するレイオスの驚きにある。
『あの重甲冑の中身がこんなに華奢で美しい娘だとは予想外だった』という、スィルアッカが自国で支持者集めの一環として将兵達を相手に使っている印象の落差を狙った懸隔効果がレイオスにも及んだらしい。もっとゴツイ猛女を想像していたのだ。
「お初に御目にかかる、スィルアッカ皇女。私はグランダール第二王子スアロだ」
グランダール側からはスアロ王子も出席しており、こちらは無難に挨拶を交わすとスィルアッカ一行を調印の席へといざなった。無駄なく手早く隙も無く、速やかに式を進行させる手際の良さはさすが政務系派の王子といった所であった。
調印の席にはスィルアッカとエッリアの文官が並び、対面にレイオス王子とスアロ王子が。スィルアッカの後ろに立ち控えるターナとその半歩後ろに並び立つコウと京矢は、粛々と進む調印式を静かに見守っていた。
幾つか保留になった項目を残しつつ、休戦協定の調印は無事に終了。スィルアッカ達は一晩砦に泊まって帰国する事になった。休戦の報は直ちに両国の全土へと伝えられ、平和の訪れを祝うささやかなパーティー等が行われる。
砦の兵士達も日頃の激務から暫くは解放されそうだと、普段より少し豪勢な大食堂での飲み食いを楽しんだ。
コウと京矢を伴ったスィルアッカとターナは、来賓用の個室でレイオス、スアロ達と私的な会談を行い、その席で京矢の事情が一部明かされた。
「なるほど、君はサヤカと同じ国に住んでいたというわけか」
「ええ、多分。コウから聞いた限り、その沙耶華って人も自分と同じ飛行機に乗ってたんだと思いますよ」
「……」
京矢と沙耶華は同郷の者であるらしいと聞いたレイオスが、何となく京矢とあまり話をしたくなさそうにしている。代わりに色々と話を聞いたスアロは、ナッハトームに異世界の技術が流れている事を確信して警戒を深めた。
表向きは、『何時かグランダールで暮らす沙耶華と面会できるよう両国の安定と友好を願う』と語る。
スアロはあくまでも外交的に京矢の存在を脅威になるかもしれないと警戒しているが、レイオスは沙耶華絡みも含めて警戒している。
そんなスアロとレイオスの内心もコウを通じて把握してしまっている京矢は、『自分は人畜無害ですよー』をアピールして終始作り笑顔を浮かべていた。
休戦協定の調印式を終えて三日後の早朝。国境の砦からエッリアに戻ったスィルアッカは、部下から宮殿に残っている支分国大使達の状況を確認すると、さっそく予てより準備していた京矢の事を発表する舞台作りに取り掛かった。
あまり時間を掛けず、宮殿の重鎮や各支分国大使も都合のつく者だけを集めてさらっと発表し、"ナッハトームの機械化兵器技術に貢献した異世界人"という存在に驚いた彼らがなんらかのリアクションを見せる前に終わらせる。
京矢が"ナッハトーム帝国の客人"として扱われた場合、エッリアには各支分国から京矢へのアプローチに対して制限する正当性がなく、表立って牽制し難くなる。いくら宗主国でもナッハトーム全体の財産を勝手に独り占めする事は出来ない。
タイミングを見計らった公式発表で各支分国からの異議を封じ、京矢の所属をエッリアであると示しておくのが目的であった。要は"私の客人だから手を出すなよ?"と公式に発表した事実を作って京矢に接近する者を牽制するのが狙いだ。
「さあ着いたぞキョウヤ。帰国早々で悪いがこれから皇帝の間でお前の事を皆に発表する。準備はいいな」
「一応、台詞は覚えたよ」
休戦協定の調印式から戻って直ぐ発せられた公式発表の案内には、各支分国も概ね"調印式の成功を知らせる発表だろう"とあまり重要視せず、都合が付かないからという理由で欠席する者も多いと推測出来る。
出席する者はとにかくエッリアとの関係を良くして置きたいと考える弱小国のような所ばかりなので、エッリアの異世界人独占について異議を唱える事もないだろう。後日、他の支分国から抗議が上がっても"呼んだのに来なかったのはそちらの判断"としらばっくれるのだ。
そうして概ね目論見通り、京矢の事を皆に紹介したスィルアッカは、休戦協定によってグランダールとの交易もこれから段階的にだが盛んになって行くだろうと適当に調印式の報告を繕い、早々に発表会の閉会を告げて皇帝の間を後にした。
基本的にエッリアへ右に倣え状態の弱小支分国大使達は今後、スィルアッカ皇女がガスクラッテ帝を説得してグランダールとの交易範囲を広げてくれるものと解釈し、これで少しは民の暮らしも楽になるだろうと喜んだ。
マーハティーニのメルエシード王女を含め、各有力支分国の大使達はこの発表会の意図、スィルアッカ皇女の狙いを正確に捉えている。
既に帰国している支分国大使や、今回この場に出席しなかった大使達からの問い合わせで暫くはエッリア宮殿での生活も騒々しくなりそうだと、密かに息を吐くのだった。
宮殿から離宮に繋がる青い絨毯敷きの廊下を歩くスィルアッカ達。廊下の前方と後方にはターナの部下が距離を置きながら防備を固めている。フードを目深に被った京矢は、緊張で凝った肩を解しながらこれからの事を尋ねた。
「一応、宮殿の敷地内とかにも入っていい事になるんだっけ?」
「そうだ。基本的にコウと同じ扱いになると考えていい」
コウの場合は従者とは名ばかりで、特殊任務を専門にこなす密偵のような扱いになっているが、スィルアッカの直属という立場は大きい。
「これからあの手この手でお前を誘おうとする輩も出て来ると思うが、くれぐれもそういう手合いに引っ掛からんようにな」
幾ら皇女の威光で牽制していても、京矢自ら相手に与して行かれては手の打ちようがないからなと念を押すスィルアッカに、京矢は世話になっている相手に弓引くような真似はしないよと笑って答える。
「なんせスィルアッカ達は命の恩人だからなぁ」
「――恩人か」
「ん?」
長い廊下の窓から見える宮殿の正面入り口付近に遠い視線を向けていたスィルアッカは、京矢の問い返しに『なんでもない』と静かに笑って見せた。
それから数日後。コウはエッリア宮殿での敵味方判別巡りが一段落ついたので、京矢の触媒ビジネスの手助けに情報を得るべく、伝書鳥に憑依してグランダール領へと翼を向けた。
国境の砦近くの街、アリアトルネを訪れたコウは、この街の冒険者協会を探して上空を暫し旋回。それらしい建物を見つけて屋根へと降り立った。グランダールにとって重要な街なので、情報も早い筈だとあたりをつけている。
伝書鳥には屋根で待っていて貰い、壁に張り付いていた小さな虫に憑依したコウは、屋根の隙間から建物の中に入った。
休戦協定によってナッハトームとの交易が緩和される見通しに多くの商人達がアリアトルネを訪れて来ており、一階は護衛を探す交易商人や仕事を探す冒険者達で賑わっている。
建物の上階をふよふよと探索していたコウは、協会幹部の人達が集まる部屋を見つけて潜入した。天井に張り付いて彼等の会話などを拾い、情報を集める。
その中で、市場の安定を謡ってダンジョン最深部にある装置の破壊を禁ずる処置をとる方針が推されているらしい情報が拾えた。コウが現場で得たこれらの情報は、エッリアの離宮にある奥部屋で京矢がリアルタイムに取得している。
――あー、やっぱ値上がりするなこりゃ――
『後はいつ発表するかって所まで話が進んでるみたいだね』
京矢と今後の高級触媒の相場を予想してみたりしつつ、コウはもう少し情報を集めて引き揚げる事を告げた。
『たぶん、明後日のお昼ごろには戻れるよ』
――ん、分かった。お疲れさん――
伝書鳥に戻ったコウは、アリアトルネの街上空を旋回して眺める。魔導船エスルア号に乗った時は、ここの防衛支援をしていたガウィーク隊と合流する予定だった。
『みんな元気にしてるかなー』
人生、何時何処で何がどう転ぶか分からないモノだ。何かしら交流があったかもしれなかったアリアトルネの街行く人々を見渡し、コウは帝都エッリアへの帰途に就くのだった。
エッリアまでの飛行中、京矢と周辺の様子は心の奥で交信によって伝わって来るので、コウも大体把握している。触媒の買い溜めについてはスィルアッカ達も賛成しているのだが、肝心の資金が無いという状況らしい。
国境を越え、エッリアの下街を眼下に見ながら離宮に向かって飛ぶ。京矢の待っている屋上へ急降下したコウは着地寸前でスイッと上昇すると、伝書鳥から抜け出して召喚石に魔力を通す。
召喚の光と共に現れた少年型のコウがすちゃっと着地。その肩に降り立つ伝書鳥。幾つか舞った羽毛が風に吹かれて弧を描く。
「おおっ かっけぇ! おかえり」
「えへへー、ただいま」
任務ご苦労とハイタッチなど交わすコウと京矢。そこへ、何やら腑に落ちないような表情をしたスィルアッカがやって来た。
「キョウヤ、例の資金の事だが――ああ、戻ったのかコウ、丁度良かった」
「ただいまースィル。どうしたの?」
「なんか難しい顔してるな」
「うむ、実はついさっきマーハティーニの使者が訪ねて来てな」
マーハティーニから自分宛てに資金提供の申し出があったのだと、スィルアッカは戸惑った様子を見せながら説明する。まだどういった意図での資金提供なのかは分からない。ついては必要な金額を挙げて欲しいと要請が来ているのだとか。
「一応まだ下で待たせているのだが、コウ」
「うん、わかった」
使者では詳しい目的まで知らされていない可能性もあるが、相手の思惑を探る為にコウの力を借りるスィルアッカは、せっかくなので京矢も同席させて交渉の雰囲気に慣れさせたり、皇女直属の重要人物としての経験を積ませたりするのだった。
マーハティーニからの資金提供を受けた事により、エッリアは今後ナッハトームでも魔導技術研究を進めなければという名目で、高級触媒を大量に買い付けて確保する事が出来た。
スィルアッカは、マーハティーニの資金援助を受ければ、技術提供の催促が強まるのではないかと懸念していた。だが、コウがマーハティーニの関係者を調べた所、今回の資金提供にはメルエシードの口添えがあったらしい事が分かった。どうも京矢の事が絡んでいるらしい。
「前に比べてスィルに対する敵意もなくなってるみたいだよ」
「ふむ、関係改善を狙ったものか」
納得したスィルアッカは、これを機にメルエシードへの懲罰制裁を一部解除し、以前ほどではないが親しく振舞う事を許した。
それから間も無く、冒険者協会より『ダンジョン最深部に存在すると思われる装置の破壊を禁止する』という条例がグランダールとエイオアから公式に発表された。
"装置破壊の禁止令"によって市場は一時混乱。触媒の買い占めが多発してかなりの高騰を見せた。暫くは大買いした所が売りに出す分で供給は安定するだろうが、今後はどうなるか分からないという事で値段は元の価格より少し高めで安定。触媒骨の売買で儲ける骨富豪が各地に現れる事となった。
エッリアも例に漏れず余った分を売りに出して利益を得た事により、支分国への借金も一気に減らす事が出来た。
「これでようやく魔導技術研究施設も稼動させられますね、スィル様」
「そうだな、まあ機材を揃える前に掃除から始めねばならんだろうが」
「くすっ そうですね、随分長く放置していましたから」
魔導技術研究用の工場施設は街から離れた場所に幾つか建設されていたのだが、資金不足と人材不足で使われないまま放置されていた。
魔導技術研究も進めば機械化戦車の動力や機械化兵器全般の性能向上が見込める。その為の資金も触媒の売買で得る事が出来たし、人材も徐々に集まり始めている。上手く事が進んで、ますます京矢に対する信頼も深めるスィルアッカは、この所ずっと上機嫌であった。
そんな、ある意味順風満帆な日々の裏で、コウは京矢の悩みの相談相手などをやっていた。殆ど聞き役なのだが。
京矢にとって唯一心底から気を許せる相手、根源で繋がっているコウと、本当の意味で穏やかなひとときを過ごす。
「なんつーか、平和な日本でならスゲー喜べる状況なのになぁ」
「でも、メルとか"ヤンデレ"? になりそうだよね」
「怖い事いうなよ……」
最近、京矢はメルエシードと急速に親しくなっていた。以前のように、諜報目的で誘惑を仕掛けて来るような事はなくなり、ごく自然な調子で雑談に興じたりしている。
一方で、スィルアッカも本人の自覚は薄そうだが、京矢に対する気持ちが乙女のソレに近くなっているようだ。
コウを通してスィルアッカとメルエシード、二人の気持ちの変化を把握してしまっている京矢は、やっぱり人の内心なんて分からないでいた方がずっと楽だと悩む羽目に陥っていた。
「どっちに媚びても媚びなくても角が立つ……」
「こまったねぇ」
のほほんと他人事なコウにジト目を向ける京矢。
「お前は悩みなくていいよなっ」
「えへへー」
コウの頭に手を乗せてわしゃわしゃする京矢と、されるがままになっているコウなのであった。
◇◇◇
今日も宮殿の上層区で仕事に励むコウ。スィルアッカの私室を訪ねて来る将校や支分国の使者達から内面情報を読み取り、必要な物資の申請や、公共事業絡みの商談で、その者が何を意図しているか、裏取りを行う。
これで物資の横流しや事業費用の横領など、汚職が完全に防げるわけではないが、少なくとも私室を訪れた人物が信頼できるかどうかはハッキリするので、何か不正が発覚した場合も処罰するべき人間を間違えずに選定し易くなる。
ちなみに京矢は、"携帯火炎砲"の改良に向けて意見を聞かせて欲しいという事で、機械化兵器の訓練施設に招かれている。
京矢は兵器の実演を見ながらアドバイスなどを出し、照準装置を使った命中精度の向上や、更なる小型化で携行性の改善などを挙げていた。
現在の"携帯火炎砲"はグランダール軍の"魔導小銃"に比べると二周り程大きく、取り回しが悪い。威力は互角だが連射性も劣っている。燃費の悪さはもう比べてはいけないレベルの差があった。
グランダールの天才魔導技師アンダギー博士が作る魔導小銃は、内燃魔導器の中で爆発系の魔術を発現させて別工程で生成された火炎弾を射出するという機構なので、基本的に弾切れもない。
対して携帯火炎砲は、魔術用の触媒を使って筒の中で爆発現象を起こし、触媒の先端部分を飛ばす方式なので、一発につき一個の魔術触媒を消費する。しかも規格に合わせて加工しておく必要があり、質によっては不発や暴発を起こす危険もある。
『使うのにも維持するのにもコストが掛かる所まで現代兵器そっくりになっている』とは京矢の言。
最近は体力作りの為によく出歩いている京矢。そんな彼の内面から、警戒と不安の念が伝わって来た事に、コウは意識を集中させる。
すると、一般兵達の訓練場で寄り道していた京矢が、その兵士達から悪意を向けられている事が分かった。
「どうした、コウ?」
「えーとね――」
訪問者と歓談中だったスィルアッカが、コウの様子に異変を感じて訊ねると、コウは京矢の現状をスィルアッカに耳打ちする。
さっと顔を険しくしたスィルアッカはおもむろに席を立つと、この場をターナとコウに任せて私室を後にした。
残された訪問者は、急に皇女殿下のお機嫌が悪くなった事を『何か失礼があったのだろうか』と不安そうに慌てていたが、ターナが宥めてコウがフォローした。
当の京矢は、偶々通りかかったメルエシードの介入で事無きを得たようだった。交信でスィルアッカが向かっている事を伝えておこうかとも思ったコウだったが、皇女殿下が退室してから訪問者の内面に、それまで浮かんでこなかった『離宮の奥部屋近くに勤める者と接触』というようなキーワードが幾つか並んだので、そちらを探る事を優先した。
その後、引き揚げて行った訪問者の『隠された意図』を確かめに離宮の奥部屋へ向かっていたコウは、スィルアッカの後ろに続く京矢と出くわした。
京矢は、コウに会った瞬間スィルアッカの内面をコウを通じて把握してしまい、何かを理解して軽く頭を抱えていた。
コウの報告を聞いて即座に訓練場へ向かおうと、私室を後にしたスィルアッカが宮殿前まで下りて来た所で、メルエシードと並び歩く京矢に鉢合わせ。ある意味、お互いに何も言わずとも分かり合えているメルエシードからワンポイントリードしたという優越の笑みを向けられたらしい。
表面化しないが明確に修羅場と言える状況だったようだ。
「あああ……色々状況が悪化している」
「こまったねぇ」
「なんとかしてくれ」
「むりだねぇ~」
テメーコノヤロー。――この日は離宮の廊下で追いかけっこをしてじゃれている異世界人と少年従者の姿が見られたそうな。
それから数日間、京矢は機械化兵器の施設に出向いては試作品に目を通したり、改善案を出したりと活動を続け、コウはルッカブルク卿お抱え魔導技士ティルマークの研究室を訪ねて冒険者協会の情報を得たり、帝国領の遺跡について話したりして過ごした。
スィルアッカとメルエシードの京矢に対する気持ちについては、二人とも表向きは特に何も言って来ないので、京矢も悩むだけ悩んで棚上げする事にしたのだった。
「何かありゃ向こうから言って来るだろ」
「ダトーなせんたくだねっ」
◇◇◇
京矢のアドバイスからも幾つかの機械化兵器が作られ、酷い命中率と中々の威力を見せた拳銃型の試作携帯小型火炎砲が京矢の腰のホルスターに収まったりした翌朝。
朝食後のゆったりした時間にコウと駄弁っていた京矢は、スィルアッカから施設の視察訪問に参加するよう言い渡されて急遽出発して行った。
高級触媒の買い付けで運用に目処がつき、先日からようやく稼動を始めた魔導技術研究施設だ。スィルアッカ曰く、京矢のおかげで稼動にこぎ着けた施設を、貢献者に見せてやりたかったのだとか。
他にも、機械化兵器技術の顧問という立場になっている京矢をそういった施設に行かせる事で、周囲の者達に施設の重要度を高く認識させるという狙いもある。
機械化兵器工場で新型戦車の試乗会に出席していたスィルアッカは、ターナからこの後の予定を聞く傍ら、コウに京矢の様子を尋ねた。そろそろ視察を終えて魔導技術研究施設から帰還する準備に入っている頃だろうと。
「今は、メルとお話ししてるよ」
「……なに?」
訝しむスィルアッカに、ターナが補足を入れる。
「ああ、そう言えばマーハティーニから派遣された研究者一行も今日視察する予定でしたね」
「いや待て、何故そこにメルが同行している?」
京矢が今日視察に行く予定は誰にも話していなかった筈だ。京矢自身も、今朝スィルアッカから行って来いと送り出されるまで知らなかった筈。幾ら諜報に長けたメルエシードでも、京矢の出発を察知してマーハティーニの視察団に自身の同行をねじ込むのは無理がある。
「偶然でしょう、元々マーハティーニの視察団には同行する予定だったのでは?」
「メルもキョウヤが居たことに驚いてたよ」
「うむむ……そうだコウ、くれぐれも羽目を外し過ぎないようにとキョウヤに――」
「スィル様、次はエイオア大使との会談がございます。そのあと冒険者協会の使者と新しい交易商の認可についての話し合いに出席です」
さあさあ次の公務に向かいましょうとターナに背を押されながら、スィルアッカは何かあれば直ぐに知らせるようコウに念を押すのだった。
――そして、異変はスィルアッカの懸念とは全く違う形で現れた。
スィルアッカとエイオアの大使が会談している部屋。コウは大使側の近くの壁際に立ち、彼等の内面を読む仕事をしていた。その時、京矢から焦るような感情が伝わってきたのでそちらに意識を向ける。すると、交信による緊急連絡が入った。
――えらいこっちゃ――
『どうしたの?』
京矢の話によると、マーハティーニの視察団一行と共に施設のサロンで寛いでいた時、突如施設を護る警備兵達が反乱を起こし、研究員が殺害されるなどの混乱が起きたのだという。
――今、全員で避難してるところなんだけど――ってうわ、誰か撃たれた――
『分かった、すぐスィルにも伝える!』
――頼む。何か、かなりやばくなって来てるみたいだ――
すぐさまスィルアッカの傍に駆け寄ったコウが、彼女に耳打ちする。突然会談の席に割って入って来たので何事かと驚いていたスィルアッカは、魔導技術研究施設で兵の反乱、死傷者多数の報告を受けると、顔色を変えて立ち上がった。
「すまない、緊急事態のようだ。ターナ、後を頼む」
「スィル様?」
大使達に軽く詫びてターナにこの場を任せたスィルアッカは、コウから施設の状況をリアルタイムに説明されながら機械化兵器工場区画の大型車両開発施設へと急ぐ。
朝方に試乗会でその性能を確認した新型戦車で、京矢達の救援に向かうのだ。
「各自、携帯火炎砲を装備しろ! 念の為、火炎槍も積み込んでおけ」
京矢からの情報では、反乱兵達は召喚獣も使う事がわかっている。まだ武装のついていない新型戦車数台で部隊を編成すると、コウとスィルアッカは急遽エッリアを出発した。
新型戦車で砂漠を疾走する事暫く、京矢との交信から伝えられるコウの報告では、施設の状況はかなり厳しい事態になっているらしい。
「京矢達は無事か?」
「今はメルと一緒に隠れてるよ。他の人達は、みんなやられちゃったみたい」
「……そうか」
スィルアッカは、京矢の無事にほっとしつつも、重い溜め息を吐く。自国領内の施設で反乱、おまけに支分国から来訪した使節団が壊滅。王族であるメルエシードも危険に晒されている状況だという。
対処を間違えれば、エッリアは帝国中から非難を浴びる事になり兼ねない。スィルアッカが施設の制圧と今後の対応について考えを巡らせている隣で、コウは京矢と交信を続けながら励ましていた。
『一角狼型は頭が重いから、横から体当たりすれば簡単にバランスを崩せるよ』
――なるほど。とりあえず対峙する事になったら、その方法でどうにかするか――
京矢の話では、反乱兵達の目的はメルエシードの暗殺だったらしい。そのメルエシードも先程から様子がおかしいので、しっかり手を握って離さないよう気をつけているそうだ。
『ここもソロソロ見つかりそうだし、イチかバチか下の階まで逃げてみる』
――今さっき、ちらっと施設が見えたよ、もう直ぐだから頑張って――
軽快に砂漠を疾走する新型戦車。このなだらかな砂丘を登りきれば、魔導技術研究施設までは直ぐ目と鼻の先だという所まで来た時、コウは京矢から強烈な焦りと強く力を渇望する心が感じられた。そして、京矢との繋がりに異変が起きる。
「っ!」
新型戦車の上にしがみ付き、京矢に意識を向けていたコウは、それに気付いて顔をあげた。
「どうしたコウ、キョウヤ達に何か――」
「二人が危ない、スィルはこのまま急いで! ボクは行って来る」
スィルアッカにそう告げたコウは少年型の召喚を解除、精神体になって京矢に思念を送った。
『キョウヤ! ボクを喚んで!』
コウの気付きは京矢の気付き。京矢の強い思念が、深層意識で二人の人格を隔てる精神領域に設けられた"蓋"に干渉し、少しだけその境界が開く。
京矢がコウの本体である事。コウを自身から分離させた当人である事。京矢側から祈祷術で"蓋"を施している事。これらが条件となり、人格を隔てる"蓋"を京矢自身の強い意思によって抉じ開ける事が出来たのだ。
精神体となったコウはたちまち本体である京矢の心に吸い寄せられ、京矢の傍まで空間転移した所で合図を送る。それを受けた京矢は"蓋"を閉じて人格境界線を元に戻した。
"視"えはしないが感じ取れる、コウが自分の直ぐ近くにいると。
「メル!」
「え? きゃっ」
目前にまで迫った反乱兵達に背を向け、メルエシードを抱き寄せて隔壁と廊下の隅に移動した京矢は、メルエシードを庇いながら叫んだ。
「コウ! いいぞ!」
その瞬間、コウは異次元倉庫から複合体を取り出した。ズシンという地響きを立てて巨漢ゴーレムが出現する。
「な……っ」
「ゴーレムだと!?」
「しまった! これが狙いだったのかっ」
驚愕と焦りの表情で固まる兵士達に、彼等の隊長らしき携帯火炎砲を持った兵士が後退の指示を出す。
「全員さがれっ こちらも召喚獣で応戦しろ!」
「ヴォオオオオオ」
コウは、一旦退き始める反乱兵達の隊列に強烈な一撃を叩き込み、強制的に廊下の角まで吹っ飛ばしながら後退させてやった。後方の兵士に召喚された二体の一角狼が殲滅命令を受けて飛び出して来る。
素早く廊下を疾走する一角狼が、左右から同時に飛び掛かって来た。対してコウは、魔導槌を装備して迎撃する。薙ぎ払うような一撃で右の一角狼を捉えると同時に槌の先端を返し、柄のスイッチを押して攻撃推進用内燃魔導器に点火。
ヒュゴオッという笛の音のような爆発の排出音と共に炎の軌跡を引きながら左の一角狼を叩きつぶす。一瞬でダメージが許容限界を超えた二体の一角狼は、閃光と共に召喚が強制解除された。
「な、なんだあのゴーレムは!」
「召喚獣二体が一瞬で……っ」
「ヴォオオオオ――」
魔導槌を片付けたコウは強化魔術を腕に纏うと、外壁側になる廊下の壁を殴りつけた。派手な轟音を響かせて空いた大穴の向こうに広がる砂漠の景色。意識の奥で京矢に脱出を促したコウは、内燃魔導兵器を取り出して兵達に向けた。
「メル、こっちだ!」
メルエシードの手を引いて壁の大穴から施設の外へと脱出する京矢。反乱兵の隊長が携帯火炎砲を構えるが、その射線を塞ぐように立ちはだかったコウは内燃魔導兵器の引き金を引いた。ヴゥウウウウという唸るような射出音を響かせて無数の火炎玉が放たれる。
壁や床、天井で跳ねる火炎玉が暴風雨のように降り注ぐ。一撃で致命傷になる程の威力はないが、そのありえない射出量が反乱兵達の動きを完全に封じ込めた。
「く、くそ……っ 奴は例の冒険者ゴーレムだ!」
これは堪らんと、反乱兵の隊長は部下の兵士達と共に廊下の角向こうへと退避する。それを追うべく廊下を全力ダッシュするコウ。
角を曲がる際、内側の壁に手を引っ掛けて減速すると、そのまま正面の壁に肩から体当たりして勢いを殺し、殆ど止まる事無く走り出す。
そのゴーレムらしからぬ、ありえない機動力に恐怖した反乱兵達は、混乱気味に浮き足立つ。
「ヴァウヴァアウ!(それそれー!)」
コウが施設内で反乱兵を追い回している間に、脱出した京矢達も砂丘の天辺に到着したスィルアッカに救出されたようだ。
作戦の失敗を悟った反乱兵達は、施設からの撤退を始めていた。

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