【※ネタバレ全開です】
『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』めっちゃ面白かった! 『エイジ・オブ・ウルトロン』と『バットマンVSスーパーマン』で顕著だった、「要素を詰め込みすぎてバランスがメチャクチャ」というアメコミ超大作映画の傾向は本作でも全開で、特に前半に関しては言いたいことが山ほどあるが、長くなりすぎるので本稿では触れない。 MCU全体戦略のためにスタジオ側がリストアップしたであろう膨大なマーチャン要素を消化して映画を作りきった監督の心中をお察しします、とだけ言っておきたい。 さて、この映画は「キャプテン・アメリカ VS アイアンマン」という直球の対決映画と思わせておいて、実はもうひとつ重要な対立構造がストーリー展開とともに明らかにされ、それこそが作品のテーマになっているという点が一番スゴイところだと思う。自分用の整理も含め、そのあたりをちょっとまとめたい。 映画冒頭から、アベンジャーズの活動を国連の監視下に置く「ソコヴィア協定」の採用を巡って意見が対立するキャップとトニー。 キャップとトニーの対立は、『エイジ・オブ・ウルトロン』で浮き彫りになったように、「人間の強さを信じるヒーロー」と「人間の弱さを見つめたヒーロー」というキャラのオリジンに関わる根本的な対立である。 キャップのオリジンは、「弱かった自分に負けず、信念を曲げずに生まれたヒーロー」であるため、彼はすべての人々は自分と同じように自らの手で未来を選ぶことができると信じ、個人の意思で未来を切り開くことを重要視している。一方、アイアンマンのオリジンは「過ちを犯した自分の罪滅ぼしのために生まれたヒーロー」である。幾度も道を誤ったトニーは、人間は愚かで過ちを犯してしまうものであり、自分たちが暴走しないよう、適切な監視の目が必要だと考えている。 ヒーローを公的組織が管理するという協定に対し、もともとアメリカ軍に所属していたキャップが反対し、民間企業の社長であるトニーが賛成するという、一見すると逆に見える両者の立場も、このオリジンにこそ理由がある。 そもそもキャプテン・アメリカというキャラクターは、古き良きアメリカンウェイの象徴であり体現者だ。原作コミックスで描かれたように、彼が忠誠を誓うのは政府ではなく、アメリカがもつ“自由を尊ぶ精神”である。そしてアメリカは西部開拓時代から、「自分達の身は自分達で守るべし」の信念の国だ。アメリカ独立宣言には「もし政府が間違ったことをするようなら、国民は立ち上がり政府を倒す権利がある」という一節すらある。 ・・・もし政府が間違っていると思ったら立ち向かう。キャップが『ウィンター・ソルジャー』と本作で取った行動を思い出そう。彼の行動は、古き良きアメリカンウェイから1ミリもブレていないのだ。 (アメリカ国民に銃の所持権があるのも、このへんの建国当時の理念が大きな理由の一つだ。四六時中、銃犯罪の脅威が叫ばれつつも、一番簡単な「国民は銃を持っちゃダメ法案」がアメリカで実現しないのは、「自分たちを守るための正当な力の所持」という考え方がアメリカ人のアイデンティティとして非常に重要だからだ。この考え方は、本作をさらに深く読み解く上で大きな鍵となると思うので、誰かもっと深堀りしてくれ)
ということでキャップとトニーはアベンジャーズの未来を決めるにあたり、否応なしに対立する。この映画はその対決の結果を描く・・・と観客の誰もが思う。ところが違うのである。予告編からも敢えて完全に伏せられていた本当のテーマが、映画も終盤に近くなった時点で浮かび上がってくるのだ。
ソコヴィア協定を巡る両者の対立は、割と早々にバッキーの処遇を巡る対立にシフトする。そして実はその対立を裏で煽っていた者がいた。その者こそが本作のヴィラン、ヘルムート・ジモ大佐である。・・・ここまではまあ、観客の予想の範囲内。 ところが、ジモ大佐がアベンジャーズ内の対立を煽った理由は「ソコヴィアで失った家族の復讐」だった。このことが明らかになった瞬間、この作品が「アベンジャーズ VS リベンジャー」の映画であったことが判明する。 AvengeとRevengeは、どちらも機械的に和訳すれば「復讐する」という意味の語だ。 が、Avenge は、不正を正すためや他者のために行う正当性のある行為という意味をもつ一方、Revengeは、私的な恨みを自らの手で晴らすという意味になる。 『アベンジャーズ』1作目で、コールソンが死ななくてはならなかった理由もここにある。コールソンの仇を討つ(Avenge)ために、バラバラだったヒーローたちは「アベンジャーズ」というチームになる。そしてチタウリ軍とロキをぶちのめし、Avengeを果たしたのだ。宇宙から地球に攻め込んできた残虐宇宙人を返り討ちにしただけだから、こんなにシンプルで誰からも異論の出ないAvengeは無いだろう。 しかし『エイジ・オブ・ウルトロン』ではそうはいかない。そもそもウルトロンを作ったのはアベンジャーズだ。そしてウルトロン暴走の巻き添えで、国が一つ消滅する。アベンジャーズは苦戦の末にウルトロンを破壊するが、これではもはやAvengeもクソもない、地球規模で迷惑をかけた大失態である。 ジモ大佐はウルトロン暴走の巻き添えで家族をすべて失った。そしてその復讐のために、アベンジャーズメンバーの同士討ちを計画する。何のスーパーパワーも持たない彼にとって、それがアベンジャーズに一矢報いる唯一の手段だったのだ。 たしかにジモ大佐の仇討ちには、アベンジャーズの行為と決定的に違う部分がある。ウィーンのソコヴィア協定署名式を爆破したように、無関係の人々を意図的に巻き込んでいる点だ。 しかし、ジモ大佐のようなヴィランの行為によって家族を殺されようが、アベンジャーズの失態が原因となった厄災で家族を殺されようが、残された人々にとっては同じことなのではないか?そして、家族全員を失ったジモ大佐から見れば、この復讐も正当な理由のあるAvengeなのではないか?この2つの問いを観客の心に呼び起こすために、映画冒頭でソコヴィアで息子を失った母親がトニーに辛らつな言葉を投げかけている。「私の死んだ息子の仇討ち(Avenge)は、いったい誰がしてくれるの?」と。
ジモ大佐の立場を知った時点でアベンジャーズの正当性に不信を感じはじめた観客の心に、ここからさらに追い討ちをかける展開が待ち受ける。
ジモ大佐の罠により、自分の両親を殺した犯人がバッキーだったことを知ったトニーは、ジモ大佐そっちのけでバッキーに攻撃を仕掛ける。たしかにトニーは最愛の両親を奪われた。仇を討ちたいという気持ちは誰しも理解できる。しかし、バッキーは洗脳され、自由意志の無い状態だったことをトニーは知っている。そして、目の前には世界中で無差別な破壊工作を行っていた凶悪犯がいる。その上で、その凶悪犯を放置して、私怨のためにバッキーを攻撃する。果たしてこれはAvengeなのか?Revengeなのか?ここに至って、アベンジャーとリベンジャーの境界は限りなく曖昧になっていく。 映画のクライマックスは、キャップとトニーの1対1のバトルとなる。「キャプテン・アメリカ VS アイアンマン」というショービジネス的な冠を付けることはできるものの、しかしこの戦いはストーリー的になんのカタルシスもない。その戦いは、ジモ大佐というヴィランの計略によって生み出された、アベンジャーズ敗北の姿でしかないからだ。 そう、この映画は、アベンジャーズが何のスーパーパワーも持たない1人の一般人によって崩壊する様を描き、そしてアベンジャーズとリベンジャーの対比の積み重ねによって、観客がアベンジャーズの正当性を信じることができなくなって終わるのだ。これはスゴいことだ。こんなビッグバジェットの娯楽作品を、こんな際どい結末で終わらせることができるアメリカ映画の懐の深さにはただただ恐れ入るしかない。 さて、それではこの映画は、英雄たちの死を描いた物語なのだろうか?そうではない。絶望的な物語の中に、きちんと希望が残されている。 その一つが、本作からの新キャラクター、ブラックパンサーだ。彼はAvengeとRevengeの境界を行き来する存在である。肉親の仇討ちのために犯人を殺そうとする、ジモ大佐の映し鏡として配置されたキャラクターでもある。 彼は、バッキーが自分の父親を殺害したと思い込み、彼の命を狙う。しかし最終的にそれが誤解であったことを知り、私怨によって暴走していた自らの振る舞いを省みる。そして彼は、父を殺した真犯人・ジモ大佐を前に冷静に語りかけ、あまつさえ彼の命を救い、こう告げる。「お前には裁きを受けさせる」と。彼は肉親を殺した相手に対し、RevengeではなくAvengeを果たすのだ。 このブラックパンサーがいるおかげで、この世界には確かに“正義のやり方”があることと、この世界にヒーローがいる意義が示唆される。 もう一つの希望は、他ならぬこの映画の主人公、キャップだ。 アベンジャーズは崩壊した。キャップは星条旗の印された盾を捨てた。今後は世界中で指名手配される犯罪者である。そんな英雄譚の終わりを感じさせる状況で、彼は「私は仲間たちを信じている。必要なときは連絡してくれ」とトニーに伝える。これ以上ない程のどん底の中でも、キャップは信念をまったく曲げていないのだ。 このあまりにも我が道を行きすぎるキャップの態度について、人の話に聞く耳をもたないキチガイポジティブ野郎と見るか、アメリカンウェイを貫き通すアメリカ人のエゴの現われと見るか、さまざまなレイヤーで解釈の仕様はあるだろう。しかし私は素直にこう解釈したい。どんな困難にも負けずに信じた道を進み、必ずハッピーエンドをもたらすもの。それこそがヒーローの条件なのではないか? 我らがキャップにこれ以上にない程の猛烈な苦難を与え、そしてその上で全く変わらぬ彼の信念を描いたMCUの制作者たち。この映画は、英雄譚の途中に過ぎない。これからキャップを待ち受けるさらなる苦難と、そしてそれを乗り越えていく彼の姿を、心から期待して待ちたいと思う。 |
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