少子化対策は、女性のものと思われがちで、若い男性の視点で語られることは少ない。しかし、明るい人生を送る上で、とても大事なものである。今日は、端午の節句だし、男性諸君を勇気づけるために、少しばかり話をしようかね。
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幸せとは平凡なもので、就職して、結婚を決め、子供を授かってと、日々を送るうちに人生は過ぎてゆく。少子化とは、そうした出会いの喪失だから、不仕合せの一つと言えるだろう。女性にとっては、結婚してからの少子化対策が関心事だが、男性は、結婚するまでが一苦労である。殊に、消費増税で日本経済を壊した1997年からは、就職と結婚が潜り抜けるべき難関となった。
20〜39歳の若年男性の就業率を労働力調査で見てみよう。バブル崩壊後、1992年をピークに低下し始めるが、1995年を底に、いったん、持ち直している。ところが、1997年の消費増税の翌年から一気に落ち、ITブームの2000年の小康をはさんで、長い下り坂となった。「就職氷河期」という、かつてない若者受難の時代へと変化したのである。2005年に、米中への輸出ブームで、ようやく回復に向かうが、リーマン・ショックで水泡に帰し、その後は、緩慢な回復をたどり、2014年の消費増税後は、またも停滞を見せている。
アベノミクスでは、有効求人倍率がバブル期の1991年以来、24年ぶりの水準になったと浮かれているが、介護や保育といった低賃金を直せない求人が含まれるので、割り引いて見る必要がある。失業率だと、バブル崩壊後の1995年頃のレベルであり、もう一段の引き下げが求められる。それにも関わらず、昨年秋以降、改善が止まった状態だ。
そして、既に見たように、若年男性の就業率は、1995年頃と比較して、なお開きがある。しかも、就業している男性でも、非正規比率が大きく高まっており、25〜34歳では、1995年に2.9%だったものが、2015年には16.5%にもなっている。こうした若い男性の就業状況の改善を最優先で解決すべき課題と、位置づけねばならない。少なくとも、就業にダメージをもたらす消費増税よりは。
(図1)

………
次は、結婚である。男女とも、結婚しない最大の理由は「適当な相手にめぐり合わない」だが、その意味合いは性で差異がある。女性の側では、十分な経済力を持つ男性が少ないことだ。悲しいかな、男性の側は、ロマンチストのようで、そうした即物的な認識が薄い。結婚は両性の合意によるから、したがって、景気に左右されることになる。
若年男性の人口1万人当たりの婚姻数をチェックすると、バブル崩壊後も高原状態にあったものが、消費増税の1997年以降に低下し、ITブームの2000年には戻したものの、その後、2005年まで転げ落ちてゆく。そして、米中への輸出ブーム中で回復に向かったが、リーマン・ショック後は停滞し、今は緩慢な回復となっている。
日本の場合、結婚と出産は、リンクしているので、両者は重なるような動きを見せる。下図では、分かりやすいよう、婚姻率に1.5を掛けたものを出生率と比較してある。興味深いのは、リーマン・ショック以降、両者に少し乖離が見られることだ。つまり、結婚に比して、出産は伸びている。理由は判然としないが、女性の仕事と育児の両立などの少子化対策で、子供を持ちやすくなっているのかもしれない。
もう一つ注目したいのは、「就業者」1万人当たりの婚姻率との差だ。「人口」当たりでは、1995年頃の水準を回復していないのに対し、「就業者」当たりでは、ほぼ変わらないところまで来ている。すなわち、職に就いていれば、以前と同様の割合で結婚できるようになったということだ。裏返せば、今の低い就業率を持ち上げるなら、結婚や出産を引き上げられる余地があることを示している。少子化対策が日本の重要課題だとすれば、保育所の拡充に限らず、若い男性に職を与えることも欠かせないのである。
(図2)

………
1997年以前の「戦後型」の日本社会は、社会保障、特に子供や若者のそれが手薄でも、若ければ職があるのが「売り」で、高福祉でも高失業の欧州とは対照的だった。これが1997年からの成長の芽を摘むような財政運営によって、福祉も職もない、救いなき社会へと変質した。とりわけ、男性にとっては、小泉構造改革で建設業が衰退し、金融緩和頼りの円安路線の破綻で製造業が打撃を受け、女性の参入障壁の高い「実入りの良い職」が失われた。
では、どうすれば良いのか。「世代間の不公平」を掲げての財政再建至上主義は捨てるべきである。それが若い世代にどんな悲惨な結果をもたらしたか、真摯に反省すべきだろう。2016年度は、ゼロ成長状態に関わらず、無頓着にも、国・地方・年金だけで4.9兆円の更なる緊縮財政をする予定で、余りにもやり過ぎだ。他方、アベノミクスは、困ると、補正でその場限りのバラマキを始める。
今、求められるのは、過激な緊縮財政を緩め、バラマキで糊塗せず、子供の社会福祉や若者の社会保険料軽減に充てることである。結局は、それが成長を促進し、財政を改善し、出生を向上させ、世代間の不公平を解決する。穏健かつ正当な政策を進めれば、明るい未来は開く。痛みを伴う改革が要るわけでもない。「何にも増して財政再建」という思想を変える以外の困難は存在しないのである。
(今日の日経)
トランプ氏の指名確実。社説・若者と子を見捨てぬ世界と日本に。
※社説は、子どものためと財政の立て直しを訴え、高齢者の社会保障を組み替えない限り、子ども子育てには振り向けないとするもの。本紙に限らず、主流の考え方で、筆者は異端だ。
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幸せとは平凡なもので、就職して、結婚を決め、子供を授かってと、日々を送るうちに人生は過ぎてゆく。少子化とは、そうした出会いの喪失だから、不仕合せの一つと言えるだろう。女性にとっては、結婚してからの少子化対策が関心事だが、男性は、結婚するまでが一苦労である。殊に、消費増税で日本経済を壊した1997年からは、就職と結婚が潜り抜けるべき難関となった。
20〜39歳の若年男性の就業率を労働力調査で見てみよう。バブル崩壊後、1992年をピークに低下し始めるが、1995年を底に、いったん、持ち直している。ところが、1997年の消費増税の翌年から一気に落ち、ITブームの2000年の小康をはさんで、長い下り坂となった。「就職氷河期」という、かつてない若者受難の時代へと変化したのである。2005年に、米中への輸出ブームで、ようやく回復に向かうが、リーマン・ショックで水泡に帰し、その後は、緩慢な回復をたどり、2014年の消費増税後は、またも停滞を見せている。
アベノミクスでは、有効求人倍率がバブル期の1991年以来、24年ぶりの水準になったと浮かれているが、介護や保育といった低賃金を直せない求人が含まれるので、割り引いて見る必要がある。失業率だと、バブル崩壊後の1995年頃のレベルであり、もう一段の引き下げが求められる。それにも関わらず、昨年秋以降、改善が止まった状態だ。
そして、既に見たように、若年男性の就業率は、1995年頃と比較して、なお開きがある。しかも、就業している男性でも、非正規比率が大きく高まっており、25〜34歳では、1995年に2.9%だったものが、2015年には16.5%にもなっている。こうした若い男性の就業状況の改善を最優先で解決すべき課題と、位置づけねばならない。少なくとも、就業にダメージをもたらす消費増税よりは。
(図1)
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次は、結婚である。男女とも、結婚しない最大の理由は「適当な相手にめぐり合わない」だが、その意味合いは性で差異がある。女性の側では、十分な経済力を持つ男性が少ないことだ。悲しいかな、男性の側は、ロマンチストのようで、そうした即物的な認識が薄い。結婚は両性の合意によるから、したがって、景気に左右されることになる。
若年男性の人口1万人当たりの婚姻数をチェックすると、バブル崩壊後も高原状態にあったものが、消費増税の1997年以降に低下し、ITブームの2000年には戻したものの、その後、2005年まで転げ落ちてゆく。そして、米中への輸出ブーム中で回復に向かったが、リーマン・ショック後は停滞し、今は緩慢な回復となっている。
日本の場合、結婚と出産は、リンクしているので、両者は重なるような動きを見せる。下図では、分かりやすいよう、婚姻率に1.5を掛けたものを出生率と比較してある。興味深いのは、リーマン・ショック以降、両者に少し乖離が見られることだ。つまり、結婚に比して、出産は伸びている。理由は判然としないが、女性の仕事と育児の両立などの少子化対策で、子供を持ちやすくなっているのかもしれない。
もう一つ注目したいのは、「就業者」1万人当たりの婚姻率との差だ。「人口」当たりでは、1995年頃の水準を回復していないのに対し、「就業者」当たりでは、ほぼ変わらないところまで来ている。すなわち、職に就いていれば、以前と同様の割合で結婚できるようになったということだ。裏返せば、今の低い就業率を持ち上げるなら、結婚や出産を引き上げられる余地があることを示している。少子化対策が日本の重要課題だとすれば、保育所の拡充に限らず、若い男性に職を与えることも欠かせないのである。
(図2)
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1997年以前の「戦後型」の日本社会は、社会保障、特に子供や若者のそれが手薄でも、若ければ職があるのが「売り」で、高福祉でも高失業の欧州とは対照的だった。これが1997年からの成長の芽を摘むような財政運営によって、福祉も職もない、救いなき社会へと変質した。とりわけ、男性にとっては、小泉構造改革で建設業が衰退し、金融緩和頼りの円安路線の破綻で製造業が打撃を受け、女性の参入障壁の高い「実入りの良い職」が失われた。
では、どうすれば良いのか。「世代間の不公平」を掲げての財政再建至上主義は捨てるべきである。それが若い世代にどんな悲惨な結果をもたらしたか、真摯に反省すべきだろう。2016年度は、ゼロ成長状態に関わらず、無頓着にも、国・地方・年金だけで4.9兆円の更なる緊縮財政をする予定で、余りにもやり過ぎだ。他方、アベノミクスは、困ると、補正でその場限りのバラマキを始める。
今、求められるのは、過激な緊縮財政を緩め、バラマキで糊塗せず、子供の社会福祉や若者の社会保険料軽減に充てることである。結局は、それが成長を促進し、財政を改善し、出生を向上させ、世代間の不公平を解決する。穏健かつ正当な政策を進めれば、明るい未来は開く。痛みを伴う改革が要るわけでもない。「何にも増して財政再建」という思想を変える以外の困難は存在しないのである。
(今日の日経)
トランプ氏の指名確実。社説・若者と子を見捨てぬ世界と日本に。
※社説は、子どものためと財政の立て直しを訴え、高齢者の社会保障を組み替えない限り、子ども子育てには振り向けないとするもの。本紙に限らず、主流の考え方で、筆者は異端だ。