武者返しというのは、石垣に角度をつけて勾配を急にすることで、外部から敵に石垣を上られるのを防ぐ仕組みだ。西南戦争で谷干城率いる4000人の政府軍が籠城し、14000人の大軍で迫った西郷隆盛軍が武者返しのため石垣を上れず、撃退された逸話は有名だ。
粟田さんによると、熊本城を完成させた加藤清正は、朝鮮出兵の際、穴太(あのう)衆と呼ばれる石工を朝鮮半島に伴い、出兵先で城を造る際にも大いに活用した。
粟田さんが心配するのは、熊本城が何度か大規模な修復を施している点だ。
「当時は石垣に知悉(ちしつ)した棟梁がいたが、江戸時代後期以降、城が造られなくなり、そうした職人がいなくなってしまった」
粟田さんの話を裏付けるように、築城当時からそのままの形で残っている「宇土櫓(うとやぐら)」は大きな被害を免れた。熊本城は1960(昭和35)年に天守閣を完成させているが、今回の地震で甚大な被害を受けたのは、この天守の屋根瓦や石垣なのだ。
粟田さんは「少なくとも復旧に10年はかかる」と予想する。
「インフラの復旧に行政は力を入れざるを得ないから文化財の修復というのは、一度に予算はつけられないでしょう。時間がかかるのは財政面の問題なのです」
そういう点では、日本財団が「熊本城の修復に」と使途を明確にして30億円の拠出を発表したのは、迅速な復旧という面で、大きな力となるかもしれない。
■壊した方が安い!
「一から作り直す方が、直すよりは安いです」
そう断言したのは近畿地方の文化財といえば…というほど名の知られた建設会社のベテラン男性営業マン。
件の男性によれば、「使える材料は残す」「極力、建設された当時のまま復元」というのが大前提なのだという。
「どこどこ産の石瓦、長野の土と指定されれば、長野県まで同じ土を探しに行く。途方もない作業です」
瓦は打音検査で使えるものとと使えないものを分けていく。熊本城ならばどうか、と聞いたところ「下手したら数十年やなあ」と絶望的な返事。
「ただね…」とこの担当者は続けた。「工事にかかってしまえば早いんですよ。修理個所の特定、材料の選定、工法の選択。大学の先生方が逐一、妥協のない議論が戦わされる。これに時間がかかるんです」