昭和の時代。僕が神童とよばれ学問にいそしんでいた頃、日本史の授業ではこんなふうに教わっていました。
「江戸時代には士農工商という身分制度があり、武士が一番上、年貢を納めさせる百姓をその次、工業や商業という職業従事者より上に据え置くことで様々な不満から目をそらせていました」たしかこんな感じ。
昨日とあるサイトさんにうちのブログを紹介していただいたんですけど
その中で同じように並んで記事で目に止まったものが。たまにこういう知らないサイト見ると面白いよね。
- 士農工商という身分序列はなかった
- そもそも農は農業の人だけではない
- 工業という職業概念もない
- 武士より偉い商人もいる←それはわかる
- 医者は偉い
えええ、それはしらなかった。勉強した時の教科書と内容がだいぶ変わってるんですね。
※追伸。ソースソースとツッコミが多いので東京書籍さんのHPから。僕が言及してるのは昔の教科書と今の教科書の違い。それ以上の歴史認識どうのこうのについては自習しようね。
これまでよく使われていた「士農工商」や「四民平等」といった記述がなくなったことについて,理由を教えてください。
修正が迫られている点は2点あります。
1点目は,身分制度を表す語句として「士農工商」という語句そのものが適当でないということです。史料的にも従来の研究成果からも,近世諸身分を単純に「士農工商」とする表し方・とらえ方はないし,してきてはいなかったという指摘がされています。(中略)2点目は,この表現で示している「士-農-工-商-えた・ひにん」という身分としての上下関係のとらえ方が適切でないということです。武士は支配層として上位になりますが,他の身分については,上下,支配・被支配の関係はないと指摘されています。特に,「農」が国の本であるとして,「工商」より上位にあったと説明されたこともあったようですが,身分上はそのような関係はなく,対等であったということです。
このページあたりを読んでいただけると幸いです。私の学生だった頃(昭和末期)には確かに士農工商が身分制度として載っていたこと、現在の教科書からは抹消されているという情報を元に信用できる情報と理解したので念のため。
時代だよなぁ。僕らが子供の頃は当然のように習ってたことが今ではあっけなく「間違い」として消されていくんだもの。そこからちょっとネットで調べてみたら・・・
- 鎌倉幕府は1192年じゃなくて1185年
- 鎖国というほど鎖国してない
- 元寇じゃなくって「蒙古襲来」
これはもっと面白くて、元寇によって鎌倉幕府が衰退したのも嘘。暴風雨で引き上げたのも嘘。日本が苦戦したのも嘘、らしいです。えー - 高校の教科書には「聖徳太子」がいなくなりつつあり、政治家として「厩戸王」の名前に変わりつつある
- 源氏と平家の戦いは国家二分の大戦争ではなかった
- 織田信長の比叡山焼き討ちはなかった
比叡山焼き討ち (1571年) - Wikipedia中段「延暦寺の発掘調査」参照
教科書もだんだんと中身が変わっていくものなんですね。
- 水戸光圀は諸国漫遊なんてしてない
- 徳川吉宗は「貧乏旗本の三男坊」としてめ組を出入りしたり江戸中を探索したりもしていないし、悪者を峰打ちしたりもしない
- 遠山の金さんに桜吹雪の入れ墨なんてなかった
遠山の金さんこと「遠山景元」が奉行の時に水野忠邦が芝居小屋を移転させようとしたのを金さんが断固拒否したのを役者が粋に思い舞台化し大人気したのが元らしい - 上杉謙信が武田信玄に塩を送ったのもうそ
- 小野妹子は男
- 板垣死すとも自由は死せず、ももちろん言ってない
ここまでいくとただの「ネタ」ですけどね(笑)
雑談のネタとしてももちろん日本史って面白いよね。