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だいたいちょろい

二次元三次元ひとっとび

また明日もやさしい陽がのぼるように

わたしはなんのために筆をとるのだろう。
いろんなひとに知ってほしい届いてほしいという気持ちで筆をとることもあるけれど、今回はKAT-TUNのことをすきでいるわたしのためだけに書く。
昨日までのすべての日に起きたすべての感情をわたし自身が否定しない、それだけのために。

 

KAT-TUNライブツアー10ks!名古屋、大阪、東京3日間、全ステしてきました。
たぶんちゃんとブログを書くことから逃げていて、ツアーが発表されたことも、充電期間の話題も、10周年のお祝いもちょっとしたポエムで逃げたし、田口の最後のあの日のことも、ひとつもブログでは表現しませんでした。
だからひとつひとつ丁寧に、自分の気持ちを追っていきたいと思います。

 

2/10にツアーとアルバム発売が発表されて、そのときの気持ちいまでも覚えてるんですけど、わたし名古屋出身なんですね。長年名古屋って三大都市とか呼ばれるわりに本当~~~~~~~~~~にツアー飛ばされてきた地域で。もちろんいろんな事件()があったりとか会場が少なくて押さえるのが難しいっていう事情は理解してるんですけど、毎回毎回さみしかった。
chainからcomeHereでやっとツアーに戻してもらえるようになって、10周年もうやんないのかなって思ってた矢先のツアー発表、しかも3大ドーム。
わたし亀梨和也のことがすきだと認められない状態でデビューツアーの名古屋公演入ってたんですけど、あれがちょうど4/4の公演で、レインボーホール(現在のガイシホール)でした。今年の10ksナゴヤドーム公演が4/3で、しかもずっとずっと出来なかったナゴヤドームだった。
ねえ、10年前のわたし、信じられる?KAT-TUNが10年経って、こんどはアリーナじゃなくてドーム埋めに名古屋に帰ってきたよ。
もう本当にうれしくて、名古屋飛ばされなかった、しかも会場がドームになって戻ってきてくれた。その事実だけでだいぶ泣いた。

 

ツアーとアルバムに浮かれまわっていた2/13、充電期間に入ることが発表されて、浮かれてた気持ちが急速冷却された。
最終日、どんな気持ちで迎えるんだろうと、その瞬間からわからなくなった。
それでもFCの動画をみたときに感じた、ああ、彼らは戻ってくるつもりなんだ、って、その明るい雰囲気に安心したから、それまで待てばいいんだなって思えた。
このとき実はそれほど深刻に捉えなかったんですよわたし。動画の雰囲気が、そんなに深刻にならなくていいよって伝えたかったんだろうと、そのための動画だとおもったから。
文字列として認識した直後に本人たちの口からその意図を説明してくれた。そうなるように動画を作ってくれて、しかもきちんと考えられた、意図を伝えられるような、相当に練られた動画を出してきてくれた。あの雰囲気は絶対にその場のノリとか適当ななにかじゃなくて、考え抜かれた意図的に作られた雰囲気だった。その気持ちを汲みたかった。

だから彼らの言う通り、充電が終わるまで待とうって素直に思えた。

 

3/22にベストアルバム10ksが発売されました。
2006年のデビューからちょうど10年後、デビューのときに出した「Best of KAT-TUN」に続く2枚目のベストアルバム。
シングル並べてみるとほんとうに良い曲をたくさんもらったなあとおもうし、ハイフンセレクトもなんていうか、地縛霊の存在ものすごく感じたけど笑、おおむねわかるよって感じの曲が残ってて、ああ、10年同じように歩いてきたファンがわたし以外にも当然だけどたくさんいるんだなってとても感じた。
いちばん10ks発売関連でうれしかったことは、都内広告ジャックだったなあ。
KAT-TUNまみれになる渋谷、あちこちで見かけるKAT-TUN、最高のビジュアルでモノクロ広告で殴りに来たKAT-TUNやはり物理的に強いところが最高にすきだ。
ほんとうはデビュー日にライブやってほしくて、もう1年以上前からスケジュールアプリのその日にしるしをつけて、ここは会社休むとおもって、ずっとずっと会社のスケジュールもブロックしてあった。
でもCD発売とその広告という形で多くの人に届くの、悪くないなっておもったんだ。渋谷もまわっていろんな駅まわりながら。いろんな人の目に触れたと思う。ファンにもファンでない人にも。10周年だからこそできた、春の夢。
朝焼けの中撮りに行ったKAT-TUNは世界一輝いていた。

デビュー10周年おめでとう。ありがとう。すきだ。

 

3/25、いまさらあの日の感想を書くのはばかげているだろうか。でも書いておかないといけない気がしてる。
平日なんて大嫌いだと言いながら社畜もう仕事にならなくて走っていつもよりだいぶ早めに帰った。ギリギリ間に合って、DRで予約入れ直して、コートも脱ぐか脱がないかの状態でテレビの前に座り込んだ。
あの日のリアルフェイスは普通じゃなかった。いままでで事あるごとに披露されて、生でも幾度となく見てきて、ひょっとしたらいままでKAT-TUNとしていちばん目にする回数の多かった曲だ。それでもいままでに見たことのない異様なリアルフェイスだった。
みんな声が震えそうなのを我慢しているように聞こえた。薄氷の上を進んでいるような。危なっかしくて見てられない。
そうして、サビに入ったところで、画面に収まる4人の距離が、いままで数多見てきたKAT-TUNの歌番組出演の中でみたことないくらい近くて、ほんとにしぬほど動揺した。あんなに近距離で肩を寄せ合って歌うKAT-TUNなんて、わたしは知らない。それぞれがそれぞれのやりたいようにやる、お互いの距離感は気持ち遠め、でも繋がってる。それがわたしの知るKAT-TUNだったのに。ああ、ばかばか。最後の最後で身を寄せるKAT-TUNはいとおしすぎてしにそうだ。
それだけで放心していたのに、たっちゃんがさあ、田口の肩を、引き寄せたから。もうその時点で画面見れないくらい涙がぼたぼた零れた。
衝撃のリアルフェイス終わって、3人がそれぞれの門を進んだ先で披露した君のユメぼくのユメ。
背中しか見せられなくなってしまった上田竜也。泣いちゃって声も音程もぶれぶれで。泣くなんて思わなかった。泣き虫なのはわかってたけど、テレビの前で泣く子じゃないとおもってた。きちんと外見通りの「上田竜也像」作ってくるとおもってた。ああ、たっちゃんはわたしが思っている何倍も情の深い子だった。改めてあの瞬間に認識して、そうしてもう一度おさまったはずの涙が零れた。
動揺を隠すように死んだ魚の目と表情を張り付けた中丸雄一。いつもより声が揺れてたの、誤魔化せないからね。知ってたよ。DFEだのなんだの言われたって、なんだかんだ最後までは冷たくなりきれないその情がいとおしかった。
魂ごと声を張り上げた亀梨和也。わたし亀梨和也のことを甘く見ていた。あの日崩れてもおかしくないなと正直思ったんだ。感情の破片がもっと飛び出してくると思っていた。それなのにいつも通りにかっこつけて、いつも通りに笑顔を作って、いつもの通りににやりと笑って舌打ちをしてみせた亀梨和也は最初から最後までぶれずにアイドルできていたと思う。ほんの少しだけ感情ははみ出したかもしれないけれど。きっと、完璧なアイドルの仮面をかぶることでやっと、カメラの前に立てていたのかもしれないけど。あの日の亀梨和也はつよかった。覚悟を背負った亀梨和也のつよさが地に足ついたものでうれしかったんだ。「あぁこの子は強くなったな」っておもわせてくれてありがとう。あなたがすきだ。
最後にオレンジ色の花束を渡された田口淳之介はおおよそあの日わたしが想像した通り、うつくしいままKAT-TUNとしての活動を終えた。

choronao.hatenablog.com

あれから田口淳之介のいろんなパフォーマンスを見返した。DVDも歌番組も。ああ、くそ、ほんとにくやしい。くやしいほどかっこいい。この踊りをずっとみていられる世界線に生きたかった。それでもあなたが選んだ道を否定したいわけではないんだ。
あなたが選んだ道で、あなたがしあわせであることだけを祈るよ。いままでKAT-TUNでいてくれてありがとう。ずっとずっとすきだよ。これからもインスタやらツイッターやらでふらっと元気な姿みせてよね。笑

 

とうとう3/31も超えて4/3、思い入れしかない名古屋から始まった。
前日に名古屋入りしててプレ販でペンライトが完全な銃の形であることが発覚。
その日はモーニング娘。入るために金山にいたんですけど(くどぅーのミスムン最高だった)、友人に物販代行してもらってて、合流次第話し合ったことが

「ねえ・・・・・・これ・・・ホルスターほしくない・・・??」
「ほしい!!!!!!!!!!!!1」
「よし作ろう」

でそのままダイソー直行、いろいろ素材漁ってこれですよ。

我ながらエンジョイしすぎている。前日なんか変なスイッチ入っててハイテンションすぎてほんとうにたのしかった。
名古屋公演当日は正直吐きそうなほど緊張していて、セトリと歌割の動揺で頭の8割が埋まってしまったような気がする。

でもあの日の感想は「結成からいまこの瞬間までのどこかで一瞬でもKAT-TUNをすきになった人に向けての感謝祭なんだな」って一点に集約されるんですよ。セトリの話は別でしますが、本人たちのやりたいことを表現するよりも、ファンのみたいもの、KAT-TUNをすきになった人に向けて、その人たちが喜ぶことに全振りする。そのためのコンサートだった。

それでいて、いまのKAT-TUNとして、10数年前の曲をどう表現するのか、という疑問に、空白を空白として処理することを回答とした彼らの気持ちを思うと、ほんとうにどうかなりそうだった。10周年のコンサートでこんなにもあからさまにさらけ出すんだから、ほんとうにどうなっているんだろう。
ずっとばか!ばか!すき!って叫んでいて、ほんとなんて子たちをすきになったんだろうとおもうけど、後悔はないから、大切にすきを抱えて生きていくしかないんだと悟った。

 

大阪4/20平日公演。社畜、仕事休んだ。タイミングよく休める週だった。ほんと運命だありがとう神様。

大阪はたのしかったなあ。全体から考えて折り返し少し手前で、初日の緊張感も最終日が近づいたという緊張感もなくて、ウェーーーーーイってテンションで大阪入りして、ウェーーーーーーーーイってテンションで入って(しかも思ったより良席でびびった)、すんごいたのしかった。Dモとバウンスガールの爆アガリ感そのもの。

それでも亀梨和也の挨拶に触れないわけにはいかないだろうなあ。この日の挨拶は3人が3人ともさらけ出すみたいで、なにを受け止めるのもくるしかった。この辺ではじめて、思ったより充電期間が深刻なものなのでは?と思い始める。

この日あの子は「KAT-TUNをすきな亀梨和也でいたい」と語った。それって逆説的に考えて、KAT-TUNを嫌いになりそうな亀梨和也もいたってことで。KAT-TUNに命かけちゃってるくせにそうしたくなくなった日もあったんだよな。そりゃそうだろうと思う。あの子の背中にはずっとずっとKAT-TUNが乗せられていて、対外的にKAT-TUNとしての言葉を求められることも多かった。重たくて重たくて仕方ない日があって当然だ。KAT-TUNでいたくない日もあったのかもしれない。それでもあの子は「KAT-TUNをすきな亀梨和也を支えてくれたのはファンだった」と語るんだ。ほんとうにばかだねえ。そういうきみがすきだよ。それほどの重荷を背負ってまで、「KAT-TUNをすきな亀梨和也」でいようとしてくれて、ありがとう。


とうとう東京3daysがはじまった。大阪終わって気付く。あれ?あと週末一度越えたら次の週末はもう東京だ。そんなばかな。あんなに遠かったはずの5/1はもう目の前だった。

東京3日間ともびっくりするくらい三角にいた。余談ですけどKAT-TUN担にしか通じないらしいね、三角。正式名称クリスタルポイントらしい。

 

東京1日目は三角にフォロワーさんたちが大集合してて、KAT-TUN担のみなさんも、それ以外の担当さんもたくさんたくさん入ってくれて、たくさんお話してたくさん笑った。今回の東京でいちばんたのしかったのはなんだかんだたくさんの人にお会いできたことかもしれない。

公演自体はKAT-TUNは惑星ぶりっていう赤西担の友人と入ったんだけど、事前情報はGOLDではじまることしか知らない、と言っていたのでああしぬだろうなといくつかの場面を思い浮かべた。とおもってたらGOLDで水出てきて「水ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!1」と叫んだまま号泣。わたしのほうが泣くの早かった。そのあと3曲分くらいずっと水の衝撃で泣いてた。 名古屋と大阪では水の演出なかったから!!!!!!なかったんだよ!!!!!!!名古屋と大阪入ったKAT-TUN担が特効物足りないって言ってた意味わかるだろ!?!?!?

突然決まったことではなさそうというか、最初からやれるならやってただろうなとおもうし、そこに興業的なハードルがあったのか、消防法的なハードルがあったのか、どんなハードルがあって名古屋と大阪でやらなかったのかはわからないけど、東京はじまってイントロで「ジャーーーーン」ってあの音が鳴ったと同時にブワーーーーーーと水が出てきてその瞬間に「ああ、これをわたしは求めていたんだ」と思えて最高にうれしくて泣けてしまった。今回セットが海賊船で、特にGOLDは出航を象徴する曲だった。だから水の演出とは相性抜群だったはずなんですよね。そう考えればやらない理由がなかったとあとあと振り返ると思うんですけど、名古屋と大阪の時点では特効が足りないけど何で物足りないのかわからなくて、東京で正解が来たときに「それ!!!!!!!!!!!1」って思ったからほんとうにKAT-TUNちゃんの脳味噌すごいし、KAT-TUNがやりたいことと観客として自分の求めていたものがきれいに一致した感覚がすごくうれしかったんだよなあ。そうしたらすき~~~~;;;;;;;;ってなっちゃって泣くしかできなかった。

UNLOCKも水の演出が追加されて「ああ、これだ、これを求めていた」ってすごく感じて、水が入ってやっと完成形だったんだなと感じた。だったら最初からそれやれよって思わないでもないんだけど、ほかでもない東京ラストに照準あわせてきたんだろうなあとおもったら、いとおしさが勝ってしまった。はあ、ほんとなんでこんなすきかな。すきなんだよほんと。

 

東京2日目は天井ドセン0ズレという奇跡のような席だった。何度もチケット見直したけど、ドセンだった。自引きしたことがもうほんとうに奇跡としか言いようがない。

中丸がMCでなんども「4人のときの癖がまだ抜けてないんですよ」と言っていた。その意味をわたしはこの日体感した。ドセン0ズレって、立ち位置が半歩ずれたらもうわかっちゃうんですよ。3人って距離が近いからこそわかりやすくて、3つしか立ち位置がなくて、どうがんばっても真ん中で線対称になるからわかる。真ん中が半歩分、下手寄りになったり、上手寄りになったりしてた。特にメインステで踊るタイミング。ああ、これか、とすとんと納得すると共に、胸の奥の方がぎゅうってなった。まだ軌道修正が終わっていないタイミングでのライブというのは、こういうことになるのかと。それを直せないと気付いた瞬間にネタにしてしまうのもKAT-TUNらしいけどさ。染みつくほど、4人で踊ってきたんだもんな。4人の期間は結果としてわずか2年とちょっとしかなかったわけだけど、その2年の間につかんだ距離感を修正できずにむき出しにしていた彼らをみて、ひどくさみしくて痛ましくて、同時にいとおしかった。

最上階の後ろから数列という位置から眺めるドームは広くて最高の眺めで、至るところが見渡せるんですけど、中でもこの日いちばん目に留まったのはいろんな場所で場面で自分の仕事をされているスタッフさんたちでした。

東京から水の演出が追加されたせいで花道まで流れ込んでしまった水を雑巾で拭きとるスタッフさん。演出のために放たれた風船を演出終了と同時に回収して走るスタッフさん。ムービングを傍で制御しながら隣を歩くスタッフさん。ムービングに貼ってあったシートを演出のタイミングにあわせて剥がして処理するスタッフさん。もちろんPA席に座っている方々がずっと真剣にボードを睨んでいるところも見えてた。照明の人たちがどこにいてもずっとずっと彼らを照らし続けてくれているところも見えてた。本当にいろんなひとがあの子たちのやりたいことに付き合って、その実現のために動いてくれている。スタッフさんありがとうってしみじみ感じた日でした。本当にありがとうございました。

 

最終日、はじまる前、躁鬱ジェットコースターに飲みこまれながらフォロワーさんたちとまた三角で会っていて、みんな死んでゾンビになって会おうって言いながら別れた。また終演後に三角で。なんだか誓いの言葉みたいだったな~。笑

なんかほんとに不思議なんだけど、わたし、この日ほとんど泣かなかったんですよ。GOLDでたっちゃんに「最後の出航だ~~~」っていわれたのがせつなくて泣いたのくらいかなあ。will be all rightでうるっときたけど、君のユメぼくのユメでさえ泣かなかったし、最後の挨拶も泣かなかった。亀梨和也が6人の名前を口にしたときも。

さすがに「抜けていった3人にもしっかりこの歩みを感謝したいと思います。ありがとう」って言ったときは胃がつぶれるかと思った。抜けていった3人に対していろいろ思ってることあると思うんですよ。特にAの子に対してとか。結婚報道のときもそうだったけど、優等生亀梨和也がAの子のコメントだけは雑に冷たさが隠し切れなくなる。「人としては普通におめでとう」なんてコメントすごくないです?気遣いをかかさないあの子が、赤西仁にだけは気遣いしなくていいとおもってんのほんと仁亀案件すぎていまだにしぬんですけど、まあ細かい話は置いといて、そういうコメントをするほど、Aの子に対して思うところがありすぎる亀梨和也が、Aの子を含めて、抜けていった全員に対して「ありがとう」って言ったんですよ。ほんとうに、亀梨和也KAT-TUNが6人でいなければ成立しなかったことを知っていて、KAT-TUNでいなければいまの亀梨和也が存在しないことを知っている。本当のところで複雑な思いがどれほどあったとしても、それだけは感謝しているんだろうなって、前から思ってはいたんですけど、なんていうか裏付けがとれた気持ちというか、そうだろうなあと信じていてほんとうによかった。それと同時に、6人をすきになったいままでのわたしたちを、否定しないでくれたなとも思っていて、6人をすきだと言ってしまうことを許してくれているのかもしれない。ほんとうにありがとう。

それでさ~~~~~~~~~~~~~そのあとだよ問題は。挨拶が終わってどちらかともなく中丸と上田が抱き合って。それをみてわらった亀梨がふたりを抱きしめて。ああ、なんてうつくしくていとおしい。

挨拶が終わったあと、東京2日目まではたっちが下手で中丸が上手の階段を登るようになっていた。中丸雄一が当初の予定通り上手の階段を登ろうと足を向けた、その瞬間。亀梨和也が泣いている中丸雄一の手を強引としか思えない強さで引いた。末っ子が泣いている長男の手を引いて演出とは違う、同じ階段をのぼらせた。「お前、今日はいいよ。こっち」そんなことでも言ったんだろうか。3人で、下手の階段をのぼった。それがもうだめだった。崩れ落ちて泣いた。決壊。大号泣。しばらく立ち上がれなくてでも全部見逃したくなくて座り込んだまま座席の隙間から彼らが階段をのぼる姿を泣きながら見つめた。

亀梨和也がふたりを抱きしめたあと、観客に背中を向けたまま、ぐしゃぐしゃになってしまった中丸雄一の頭をわしゃわしゃと撫でた。なだめるみたいに。仕方ないなってわらうみたいに。自分だって泣いてるくせに、手を引かれる中丸の背中をほら、と言いたげに押した上田竜也。帝王とか言われるくせにこれだよ。中丸雄一。やっぱりおじいちゃんだよ。涙もろい。デビューツアーで泣いてたのわすれてないからなこちとら。

普段だったらあんな姿みせないくせに。「KAT-TUNらしく」いることを崩そうとしないくせに。あの日彼ら3人が3人ともKAT-TUNがいとおしくてたまらないことは彼らのその行動を見ていれば火を見るより明らかだった。

抱き合うところからその階段を登り切るまで、KAT-TUNでいる限りいままで見せなかっただろうあの姿を、ステージ上であの日だけ見せた。見せることになってしまった。それは彼らにとって不本意なのかもしれない。パブリックイメージとしてのKAT-TUNを守りたいひとたちだから。それでも漏れ出してしまった最年長に対するやさしさが、やわらかい甘さが、KAT-TUNとして彼らがずっとずっと、15年も前に結成したときから繋がってきたしるしだなあとおもって、いとおしくてたまらなかった。

もうそこからぜんぜん涙止まらなくて、アンコール呼びながらぐすぐすしてて、ああもうこんなんありかよと思った。そんで、アンコールほんとすぐ出てきた彼らの第一声が「泣くなよ」で。あああああああああもう!!!!!!!!思い出したよデビューツアーで観客大号泣してて、赤西仁がアンコールでてきて最初のRealFaceで「みんな泣くなよ」って替え歌したこと。ほんと観客に泣いてほしくないんだよなあの子たち。ずっとずっと10年そこは変わってないんだな。

普段彼らの言うこと笑いながらスルーするタイプなんだけど(大変良いファンではないという自覚はある)、泣くなって言われた瞬間にいろんな思いが廻ったけど、彼らがそれを望むならもう今日終わるまで彼らの前では泣かないようにがんばろう泣くのはあとでもできるってすごく自然におもえた。彼らが涙で終えたいわけじゃないの感じてたし、泣かないって、泣かないようにがんばろうって素直に思った。

でも、アンコールからあとなんの曲のなんの歌詞みてもしぬほどいとおしくてただただKAT-TUNがすきってことだけでぼたぼた涙落ちてきてあぁ、もうちょっとだからがんばろうよっておもうのにぜんぜん止められなくて困ったな。

トリプルアンコール呼びながら、ああ、でも、出てこなくても、ぜんぜん恨みないな、呼びたいから、ずっと呼ぶだけだよ、純粋に愛だよこのコールは、っておもってた。普段ならもう1曲できるでしょ最後だしって打算スッケスケっていうかもう打算しかないアンコールするタイプなんですけど(クズ)、正直あんなに愛だけを詰めて叫んだアンコールはわたしにとって初めてでした。

ずっと側にあったモノが突然消えてしまったのなら
どんな不安を抱えるだろうどんな痛みに泣くだろう?
ずっと側にあるんだと自信過剰になってしまったら
どんな仕打ちにあってしまうのだろう?

せめて永遠ではない時を一瞬でもムダにはしないと
ココデ約束しよう

Peacefuldays
K-A-T-T-U-N,K-A-T-T-U-N
Peacefuldays
Yes, we wish また明日も変わらぬ陽が昇るように
Peacefuldays
K-A-T-T-U-N,K-A-T-T-U-N
Peacefuldays
Yes, we wish また明日も優しい陽が昇るように
ソレだけがすべてソレだけを望もう

KAT-TUN「peaceful days」

アンコールとトリプルアンコールでやったpeacefuldaysでイニシャル叫びながらこのいとおしさはどこまでいくのだろうとおもった。K!A!T!T!U!N!こんなにいとおしいイニシャルない。イニシャルを叫ぶだけでいとおしさが次から次へとあふれてきて、すきだって感情に振り回される。泣かないようにがんばるとおもったのに、喉潰してもいいから、彼らにこのイニシャルすべてをいとおしいとおもっていることが届けばいいとおもって、叫びながら、結局涙がこぼれて止まらなかった。

最後のWe are KAT-TUNがせつなくてさみしくて、でもとても誇らしかった。両手をつないでかかげた彼らが世界一すきだとおもった。彼らが頭を下げる前、いつもより長く顔を上げていたような気がする。会場を見渡していたのかなあ。表情までは追えてないから、DVDになったらわかるかな。

終演後「Are you ready?」と書かれた写真がスクリーンに浮かぶ。充電期間、用意はできた?これから戦いだよ。問いかける彼らがすごく優しい笑顔でいることがほんとにほんとに、くるしいくらいすきがあふれてきて、笑顔をみるだけで泣けて、終演後いつまでもぐすぐすしていた。規制退場なんてきらいだ。この笑顔、ずっとみてたら気が狂いそう。すきすぎて。

終わってすぐ三角向かって友達に会った瞬間崩れ落ちて泣いた。あんなに本編では泣かなかったのに、びっくりするくらい溢れてきた。すきだ。さみしい。たのしかった。しあわせ。さみしい。すき。すきだ。浮かんでくる感情すべての根本はぜんぶ、「すき」のひとことに集約できる。KAT-TUNが、すきだ。

 

 

終わった。ほんとうに、終わってしまった。
でもなんだろう。想像してたよりも、ハッピーに終わった気がするんだ。

自他ともに認める重量級オタクなので、泣きっぱなしになるかもしれない覚悟はあったんですよ。5公演とも泣き通しになる可能性ぜんぜんあった。
それでもたのしくて、最高にハッピーでしあわせだったの。ほんとだよ。さみしくてせつなくてくやしい気持ちもあって、でもしあわせだった。

だってKAT-TUNはいつだってKAT-TUNでいてくれたんだ。わたしのすきになったKAT-TUNのまま。すきになったあの日から10年経っても変わらない。

コンサートという場所でKAT-TUNに裏切られたことなんて一度もなかった。わたしたちのみたいものを想像以上のクオリティでずっと出してきてくれた。

最初からいままで、わたしのすきなKAT-TUNでいてくれてありがとう。
こんな薄っぺらにきこえる言葉でしか表現できないことがくやしい。しぬほどくやしい。それでも言いたい。
あなたたちのことがすきだ。
K亀梨和也、A赤西仁、T田口淳之介、T田中聖、U上田竜也、N中丸雄一、6人でKAT-TUNだ。
きみたちのことが、10年経ったいまも、すきだ。
生きるも死ぬもKAT-TUN次第、なんて冗談交じりで言った日もあるけど、間違ってないような気がする。
きみたちが笑えというなら笑うし、ついてこいというなら、死ぬまでついてく。戦えというなら戦うよ。
そうしてこれからも生きていたいんだ。だから、今後もどうかよろしくな。
さよならなんかじゃない、また会える日に、また笑って、泣いて、どんちゃん騒ぎしような。その日をずっとずっと待ってるよ。

 

ありがとうのかわりに、すきっていわせて。
ずっとずっと「すき」だよ。