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自由なき人生など、惨めなものだ - Andrew Hamilton

メンターがいれば成功できるという幻想; 希望はビジネスになる

世論, 社会 持論, 主張, 感じ思うこと

f:id:yRy:20160502201927j:plainphoto credit: St. Patrick healing a sick man while the crowd stand by and marvel at his faith! via photopin (license) 

 

メンターとは、一言で言えば師匠のことだ。
メンターの役割は次のように語られる。

もし、あなたが東京から大阪に移動するとき、歩いていきますか?自動車?新幹線?それとも飛行機? メンターとは飛行機だ。つまり、あなたが最短で最大のアウトプットを出すために必要不可欠な存在だ。

 

しかし世の中の大半は、メンターとはなんたるかを根本的に勘違いしている。メンターに従えば、お金を楽して儲けられるようになると考えている。メンターは自分の人生を豊かにしてくれる存在だと考えている。


では、問おう。
なぜメンターという言葉がこれだけ流行っているのか。

不思議に思わないか。

マーケットにより洗脳されているのだ。
「人から学ぶことでしか、幸せになれない」と。

 

 

メンター&セミナーという希望叩き売りビジネス

 

時代遅れになるような原則は、原則ではない
ウォーレンバフェット

 

メンターがいる、という人の話を聞くと大体がセミナーの講師である。それも「ネットビジネスで月100万稼ぐ方法」「自分らしく生きるためのハウツー」といった類のセミナー講師である。*1

 

セミナー講師をメンターと仰ぐ方々に老婆心ながらお伝えしよう。

ネットビジネス系セミナーの講師は、お金儲けのノウハウが生モノであることを知っている。あらゆるものが、めまぐるしく進化する現代、すぐに儲けられるようなノウハウほど腐るのも早い。

セミナー講師は、口先では「月100万を達成したノウハウを広めることで人を幸せにしたい」と立派なことを言うが、一回だけ月xxx万円を達成しただけのノウハウに金銭価値をつけ、腐り切る前に叩き売りしているのが実情である。結果、講師スキルが上がれば、それだけで食べていけるようになる。諸君が講師に期待しているネットビジネスのノウハウは、講師からすると次のステップへのジャンプ台なのだ。そのノウハウで参加者が得するかどうかは関係ない。読者をいかに納得させ、酔わせられるかだ。

ほか、自分らしく生きるためのハウツーセミナーも「7つの習慣」「思考は現実化する」「道は開ける」その他のベストセラー自己啓発書の内容を、格好良く言い換えて、個人エピソードを付け加えただけだ。そのセミナーを受け、感動したとしても1か月後には全部忘れている。人はこぴっどい失敗からしか学べない。

 

こういったセミナーに参加する人種は、このやり方に従えば大丈夫という偶像を探し彷徨っている。お金儲け系、自己啓発系セミナーの講師は、偶像をもとめ彷徨う難民に希望を売る商人である。

セミナーだけではない。

旅に参加することで何かが変わるかもしれないという期待を煽るピースポートの広告、異業種交流イベントの飲み会写真、将来食いっぱぐれないスキルを特集したビジネス雑誌、etc

これら人の射倖心を煽るマーケティングの好調は、それだけ希望の供給が足りていないことを示している。そして、希望の供給不足が深刻になるのに応じて、希望を提供するメンターの需要が一気に高まった。

希望難民は、つまらない毎日から自分を救いだしてくれる存在を欲している。そんな甘ったれた需要が、しょうもない供給(=似非メンター)の呼び水になっている。

今の希望マーケットは、需要者も、供給者も狂っている。希望のまがいものを売り買いが成立する異常さに気付けなくなっている。

そもそも真にメンターたり得る人物は過去も現在も、供給量が圧倒的に足りていない。真のメンターは、一流の人だけとつるむ。また、教えることより学ぶことを優先するため、弟子を作らない。つまり、まず遭遇できない。

 

真のメンターと巡り合うための前提条件

 

良い芸術家は真似をするが、偉大な芸術家は盗む
ピカソ

 

以下、わたしは耳障りの良いことを書くつもりはない。 

学生時代、わたしは毎月数万を費やし、その分野の一流に師事する人を何十人と見てきた。(ついでに、おじさんおばさんに技術を教える学生(≒似非メンター)も何十人と見てきた。彼らは、自身の教えによっていかにおじさんおばさんが成長したかよりも、いくらレッスン料を稼いだか、何人に教えているかを競っていた。似非メンターが考えることといえば、所詮そんなものだ。)

一流に習っていた人のうち、華々しい経歴を残せたものは、ほんの一握り。他大勢は、偏った知識で批評することばかり上手になっていた。

 

師事することで圧倒的な成果を残した人たちには共通点があった。


圧倒的な成果を残した人は師事する前から、
自己流で、ある程度成果を出していた

 

真のメンターを味方につけ、圧倒的な結果を残した人は、例外なく、師事するより前に、自分なりの流儀を確立していた。「自己流」に批判も多いだろうが、事実だから仕方がない。自己流で成果を出せるくらいの工夫力と努力、才能が必要だ。

知識0才能0希望0の人に教えるのは、メンターの役割ではない。それこそセミナー講師の役割である。

 

真のメンターは、自分の世界観を壊すほどの実力、世界観、人格をもつ。初めて出逢った時は、立ち直れないほどのショックを受ける。なお、立ち直れないほどのショックを受けるのは自分なりの流儀を持っている人だけだ。

かの孔明を何度も出し抜いた軍事の天才、仲達(ちゅうたつ)は、曹操(そうそう)に師事する前から、乱世に名を轟かせる程度には、自分なりの世界観と方法論を確立していた。だからこそ、曹操が思い描くビジョンに脳天をうがたれるほどの衝撃を覚え、師事した。

 

「守破離」という言葉がある。わたしはこの言葉を、「つべこべ言わず最初は教えたことを守れ」ということを弟子に言いたいためだけに生まれた言葉ではないか、と勘繰っている。ひとたび本物の師匠に出逢えば「我慢して、素直に学ぶ」という考えなど消し飛ぶからだ。この人には一生追いつけないと細胞レベルで理解する。自分の凡人っぷりに落胆する。一つでも多く学ばなければと、必死で食らいつく。ほとんどの場合、すべて吸収するより前に師匠は自分の元を離れる。そこから、師匠の教えを咀嚼し、自分なりのスタイルを確立する。

真のメンターとは、高みに上り詰めた人が、更なる高みにのぼるキーマン的な存在だ。
ひとつの分野を極めようとする才覚ある者だけが、そういう人と巡り合える。

 

メンターと出逢いたい人がまずやるべきことは、自分が夢中になれる分野を見つけ、自己流で頑張ってみることだ。 

自己流は短期的に見れば、圧倒的に効率が悪い。自分なりに工夫し、調査し、自分の頭で納得し、経験を積み、成果が出るまでの期間は、最低でも2~3年かかる。しかし、このプロセスが無いと、師匠の凄さに気付く目を養えない。

自己流でひとたび成果が出れば、自然とその分野の一流と親しくなれる。そしてあなたは、メンターと出逢う。そのメンターと対峙し、それまで積み上げてきた自分の世界をぶっ壊されたとき、あなたの本当の学びが始まる。

 

真のメンターとの出逢いは、いつだって偶発的かつ自然なものである。探しに行くものではない。自分ひとりで頑張っているうちに師匠は現れる。

全ては、あなたの情熱から始まる。

 

希望をお金で買おうとするな。創造せよ。

 

希望は、それを求める気の毒な人を決して見捨てはしない
ジョン・フレッチャー

 

人は「希望」をお金で買おうとする。
メンターしかり、経験しかり。

気怠い空気がはびこっているいまの日本で、希望をお金で手に入れようとする人は、希望に対する執着心を持っているだけ見込みがある。

希望難民は、希望への執着を情熱に変換することを覚えよう。希望はお金では買えない。希望はそんなに安くない。

希望は無から生み出すものだ。与えてもらうものではない。メンターが道を照らしてくれ、その道を歩いていれば成功するなど幻想だ。そんな甘いものじゃない。

 
「メンターを見つけて最短で成長しよう」という甘えを捨て去り、自己流で結果を出すことにこだわれ。

価値創造、希望創造に徹しろ。

そうすれば、真のメンターとも出逢える。全員がこのマインドを持てば、希望をビジネスにする人が減り、メンターの母集団の質も上がる。

 

最後にひとつ、真のメンターは意外と近くにいることも多い。真のメンターに共通する特徴を4点挙げて、この記事を締めたい。

  • 自分よりも10~20歳以上、歳上
  • 弟子がいない、または少数
  • 学習と価値創造を継続して行っている
  • 才能ある人のことが極端に好きか、極端に嫌い。才能のない人には無関心。

 

 

希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想 (光文社新書)

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希望の国のエクソダス (文春文庫)

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*1:※法律、マーケット、IT系のセミナーは、最先端の知見を学ぶためにも積極的に参加するべきだと考える。